昨日は『あいちシルバーカレッジ一宮合同講演会』を聞いてきました。
演題は『COP10を終えて』。
中日新聞論説委員の飯尾歩さんの講演です。
印象に残ったのは、彼が言う『人は、“入りと出に無頓着”』です。
“入り”は口から入るもの、つまり食物、“出”は、ゴミ。
食はあまりにも多種多様のものが簡単に手に入り、選択の自由がありきやと思うより、買わされている。
どこの産地か地名は分かっても、それが地図上のどこだか知らない、かの地の環境がどのようであるかはましても知らない。
そんなところの生産物を、なんの疑いもなく口にしている、胃の中に入れている。
ゴミの対応は、日本の言葉「掃除」、「清掃」がいみじくも表しているように、今、目の前にあるものを掃いて除く、自分の目の前から取り除くだけ、処分は含まれていない概念。
よって、取り除いた後にどうなっていくかは、あまりにも知らなさすぎる。
話の途中にあった“もったいない”の意味も私には初めて知る新鮮なことでした。
『あたりまえの状態でないこと』が“もったいない”。
そして、COP10は生物多様性の未来を語りプロトコル(ルール)を決める会議であること。
多様性を保つ、つまり自然の保全は、単に保護することではなく、いかにうまく利用しながら種を保つことであること。
それには、人の知識・知恵よりは、『常識の感覚』、『自然体で理解できること』がどんなに有効であることか。
演題は『COP10を終えて』。
中日新聞論説委員の飯尾歩さんの講演です。
印象に残ったのは、彼が言う『人は、“入りと出に無頓着”』です。
“入り”は口から入るもの、つまり食物、“出”は、ゴミ。
食はあまりにも多種多様のものが簡単に手に入り、選択の自由がありきやと思うより、買わされている。
どこの産地か地名は分かっても、それが地図上のどこだか知らない、かの地の環境がどのようであるかはましても知らない。
そんなところの生産物を、なんの疑いもなく口にしている、胃の中に入れている。
ゴミの対応は、日本の言葉「掃除」、「清掃」がいみじくも表しているように、今、目の前にあるものを掃いて除く、自分の目の前から取り除くだけ、処分は含まれていない概念。
よって、取り除いた後にどうなっていくかは、あまりにも知らなさすぎる。
話の途中にあった“もったいない”の意味も私には初めて知る新鮮なことでした。
『あたりまえの状態でないこと』が“もったいない”。
そして、COP10は生物多様性の未来を語りプロトコル(ルール)を決める会議であること。
多様性を保つ、つまり自然の保全は、単に保護することではなく、いかにうまく利用しながら種を保つことであること。
それには、人の知識・知恵よりは、『常識の感覚』、『自然体で理解できること』がどんなに有効であることか。