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■沖縄祖国復帰を実現に導いた昭和天皇の「潜在主権方式」のご提案(連続3回シリーズ)
<概要>
1951年11月24月、米国務省が対日講話7原則(サンフランシスコ講和条約の草案)を発表しました。そこには、「琉球諸島は合衆国を施政権者と国際連合による信託統治」にするとされていました。その情報を得た沖縄県民は、未来永劫祖国に戻れなくなる危機を感じて立ち上がりました。そして、沖縄の運命を決める講和条約に向けて祖国復帰の署名運動や嘆願を続けていました。しかし、1951年9月8日、サンフランシスコにて日本と戦勝国48カ国と平和条約が締結され、翌年4月28日に公布されました。これにより、沖縄は国際的に米国を施政権者とする信託統治領として位置づけられたのです。これは祖国復帰を望んでいた沖縄県民にとっては大きなショックでした。講和条約とともに復帰は実現かないませんでしたが、この講話条約締結にあたって、沖縄県民の知らない裏では、外務省をはじめとする日本政府は沖縄の主権を失わないように熾烈な外交交渉を戦っていたのです。特に大きな仕事をなされたのは昭和天皇でした。昭和天皇がご連合国に提案された、「施政権は米国に租借するが主権は日本に残す」という「潜在主権方式」です。講話条約締結では、「日本は沖縄の潜在主権を持つ」という合意を得ていたがために、数多い国際紛争の中、わずか20年後の1972年に沖縄の祖国復帰を実現することができたのです。(仲村覚)
■沖縄祖国復帰を実現に導いた昭和天皇の「潜在主権方式」のご提案(後編)
■サンフランシスコ講和条約の締結と沖縄の潜在主権
<吉田茂総理大臣> <ダレス米国全権>
サンフランシスコ講話条約は、1951年9月8日に全権委員によって署名され、11月18日に国会により承認(批准)、翌19日に天皇が批准書を認証し、11月29日に批准書をアメリカ合衆国政府に寄託しました。そして、翌年の1952年4月28日に発効するとともに「昭和27年条約第5号」として公布されました。
では、以下、その講和条約の中の沖縄を米国の施政権に置くことになった第三条の条文を示します。
<サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約(1951年9月8日)>
第三条
日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
全文DF版 http://p.tl/mhFY
講和条約の3条には「潜在主権は日本にある」という文言を見つけることはできません。
その根拠を探したところ、サンフランシスコ講話会議のダレス米国全権とケネス・ヤンガー英国全権利の講義にあるこ事がわかりました。
まずは、ダレス全権の演説です。英語の原文と日本語訳を掲載いたします。
<サンフランシスコ講話条約 ダレス米国全権演説(1951年9月5日)>3条関連部分を抜粋
Article 3 deals with the Ryukyus and other islands to the south and southeast of Japan. These, since the surrender, have been under the sole administration of the United States.
Several of the Allied Powers urged that the treaty should require Japan to renounce its sovereignty over these islands in favor of United States sovereignty. Others suggested that these islands should be restored completely to Japan.
In the face of this division of Allied opinion, the United States felt that the best formula would be to permit Japan to retain residual sovereignty, while making it possible for these islands to he brought into the United Nations trusteeship system, with the United States as administering authority.
<日本語訳>
第三条は、琉球諸島及び日本の南及び南東の諸島を取り扱っています。これらの諸島は、降伏以降合衆国の単独行政権の下にあります。若干の連合国は、合衆国主権のためにこれらの諸島に対する主権を日本が放棄することを本条約の規定することを力説しました。他の諸国は、これらの諸島は日本に完全に復帰せしめられるべであると提議しました。連合国のこの意見の相違にも拘わらず、合衆国は、最善の方法は、合衆国を施政権者とする合衆国信託統治制度の下にこれらの諸島を置くことを可能にし、日本に残存主権を許すことであると感じました。
(全文_英文_http://p.tl/8mOw)
続いて、英国全権ケネス・ヤンガーの演説です。
<サンフランシスコ講話条約 ケネス・ヤンガー英国全権演説(1951年9月5日)>3条関連部分を抜粋
琉球及び小笠原諸島に関しては、この条約は、これらの島嶼を日本の主権の外においては居りません。この条約は、北緯二十九度以南の琉球諸島を引き続き米国政府の管轄下に置くこと、即ちこれらの琉球諸島の中、日本に最も近い部分は、日本の下に残して置くばかりでなく、日本の行政権の下に置いているのであります。
そして、日本の全権、吉田総理大臣が受諾演説を日本語で行い、両全権の言葉を受けとり、主権が日本に残ることを表現しています。
そして、この演説原稿に目を通した白州次郎が「沖縄返還」の表現を入れるように外務省担当者に提案したようです。
<[文書名] サンフランシスコ平和会議における吉田茂総理大臣の受諾演説(1951年9月7日)>
奄美大島、琉球諸島、小笠原群島その他平和条約第3条によつて国際連合の信託統治制度の下におかるることあるべき北緯29度以南の諸島の主権が日本に残されるというアメリカ合衆国全権及び英国全権の前言を、私は国民の名において多大の喜をもつて諒承するのであります。私は世界、とくにアジアの平和と安定がすみやかに確立され、これらの諸島が1日も早く日本の行政の下に戻ることを期待するものであります。
<同文書全文PDF版>
<サンフランシスコ平和条約受諾演説原稿>
このように、サンフランシスコ講話条約の条文には、「潜在主権」という文言は記載されていませんが、講和会議の演説では、「潜在主権」という言葉をしっかりキャッチボールするように確認し合い、明確なコンセンサスがとれているのです。
■岸信介首相に引き継がれた沖縄返還交渉
そして、それから約6年後の総理大臣、岸信介にバトンタッチしていきます。佐藤総理大臣が亡くなった直後の岸元総理へのインタビューで、「潜在主権」について述べている記事があります。
<岸信介インタビュー(1975年)>
「その時の一つの問題は沖縄問題で、いままで非公式な形ではアメリカも日本も潜在主権を認めていたけれども、文書にして、それをはっきり公式に声明したのが岸・アイク声明(昭和三十二年六月二十一日)なんだな。」
「その時私としては沖縄に潜在主権があり、将来日本に返還されることを考えると、沖縄に対してわが国としても、その民政について予算をふやして、いろんな施設を作るべきだと思ってそれを提案したんですよ。ところがだな、ダレス(国務長官)はだよ、これ(沖縄)はいまは完全なアメリカの施政下にあって、日本の潜在主権は認めるけども、日本政府が直接に予算を出すということはいかんというんだ。もしこうして欲しいということがあるなら、アメリカに希望を日本が出し、それに応ずるかどうかは統治権を持っている米側で検討するというんだよ。こういう具体的な議論がダレスと私の間でかなりやりとりされた結果、一部日本政府がカネ(予算)をだしてもいいという根拠がはじめてできたんですよ。」
(書籍「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ッス」 227ページから引用)
このインタビュー記事で述べられているアイゼンハワー大統領との共同声明がこちらです。
<岸信介首相とアイゼンハワー米大統領との共同コミュニケ(1957年6月21日)>
総理大臣は,琉球及び小笠原諸島に対する施政権の日本への返還についての日本国民の強い希望を強調した。大統領は,日本がこれらの諸島に対する潜在的主権を有するという合衆国の立場を再確認した。しかしながら,大統領は,脅威と緊張の状態が極東に存在する限り,合衆国はその現在の状態を維持する必要を認めるであろうことを指摘した。大統領は,合衆国が,これらの諸島の住民の福祉を増進し,かつ,その経済的及び文化的向上を促進する政策を継続する旨を述べた。
<同文書全文PDF版>
このように、歴代の総理が「潜在主権」を切り口にして、米国への沖縄返還への要求を継続していきました。。
本格化な進展が始まるのは、1965年(昭和40)年8月19日の佐藤総理大臣の訪沖からです。
それは、戦後21年目にして初めての総理大臣の沖縄訪問だったのです。
<佐藤栄作内閣総理大臣の沖縄訪問に際してのステートメント(1965年8月19日)>
沖縄同胞のみなさん。
私は、ただ今、那覇飛行場に到着いたしました。かねてより熱望しておりました沖縄訪問がここに実現し、漸くみなさんと親しくお目にかかることができました。感慨まことに胸せまる思いであります。沖縄が本土から分れて二十年、私たち国民は沖縄九十万のみなさんのことを片時たりとも忘れたことはありません。本土一億国民は、みなさんの長い間の御労苦に対し、深い尊敬と感謝の念をささげるものであります。私は沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとつて「戦後」が終つていないことをよく承知しております。これはまた日本国民すべての気持でもあります。
私が、今回沖縄訪問を決意いたしましたのは、なによりもまず、本土の同胞を代表して、この気持をみなさんにお伝えしたかったからであります。
私は、去る一月のジョンソン米国大統領との会談で沖縄の施政権をできるだけ早い機会に返還するよう強く要望しました。また、沖縄住民の民生安定と福祉向上のため日米相協力することについて意見の一致をみたのであります。私はこの基本的立場に立つて、沖縄の現実の姿を、直接この目で確かめ、耳で聞き、できるだけ広く深く当地の実情をつかんで、これを日本政府の沖縄施策のなかに具体的に生かしたいと存じます。そしてこのことは私の責任であるとともに、沖縄のみなさんの期待にこたえる所以であると考えます。
私は、ここに、沖縄九十万同胞の心からの歓迎に対し深く感謝するものであります。また、ワトソン高等弁務官、松岡行政主席はじめ関係者の温いお出迎えに対し、厚くお礼申し上げます。
<声明を読み上げる佐藤首相那覇市(8月19日)> <佐藤首相の歓迎式典 石垣空港」(石垣市 8月21日)>
(左から、アルバート・ワトソン高等弁務官、松岡政保琉球政府行政主席、
ジェラルド・ワーナー民政官)>
沖縄祖国復帰協議会の沖縄返還運動は、60年代後半には反米闘争、反基地闘争と化していきますが、多くの方の献身的な努力により昭和47年5月15日、沖縄の祖国復帰が実現いたします。
昭和47年5月15日、午前10時30分、日本政府主催の沖縄復帰記念式典が東京九段の日本武道館で、沖縄県主催の沖縄復帰記念式典が那覇市民会館で開幕しました。式典は日本武道館と那覇市民会館をカラーテレビ放送でつなぎ、東京と那覇の両会場の飾りつけも同じにして同時に行われました。
東京会場には天皇・皇后両陛下もご出席され、天皇のお言葉は那覇会場にもテレビ中継されました。
<昭和47年(1972年)5月15日沖縄復帰記念式典での昭和天皇のおことば >
「本日、多年の願望であつた沖縄の復帰が実現したことは、まことに喜びにたえません。このことは、沖縄県民をはじめわが国民のたゆまぬ努力と日米両国の友好関係に基づくものであり、深く多とするところであります。」
「この機会に、さきの戦争中および戦後を通じ、沖縄県民の受けた大きな犠牲をいたみ、長い間の労苦を心からねぎらうとともに、今後全国民がさらに協力して、平和で豊かな沖縄県の建設と発展のために力を尽くすよう切に希望します。」
<終わり>
(仲村覚)
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■沖縄返還外交史年表
1962年2月1日 施政権返還に関する琉球立法院決議および日本政府見解
1962年3月9日 沖繩及び小笠原諸島における施政権回復に関する衆議院決議
1965年1月13日 佐藤栄作総理とジョンソン大統領の共同声明
1965年8月19日 佐藤栄作内閣総理大臣の沖縄訪問に際してのステートメント
1965年12月20日 琉球列島の管理に関する行政命令再改正のジョンソン大統領の行政命令
1967年11月4日 佐藤総理大臣訪米に際し沖縄の施政権返還を要求する決議案
1967年11月15日 佐藤栄作総理とジョンソン大統領の共同コミュニケ
1968年1月31日 琉球政府主席公選に関する行政命令改正のジョンソン大統領の行政命令
1969年11月21日 佐藤栄作総理とニクソン大統領の共同声明
1969年11月21日 沖縄百万同胞に贈ることば(佐藤内閣総理大臣)
1969年11月22日 沖縄返還に関する屋良朝苗琉球政府主席声明
1971年6月17日 沖縄返還協定調印
1972年1月7日 佐藤栄作総理とニクソン大統領の共同発表
1972年5月15日 沖縄県施政権返還
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