時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

わたしの中のあたらしい窓

2013-12-13 | essay



 なんにもない「無」ってどんなんだろうね?

我が家の次男坊がわたしに言う。

  ビッグバンが起こる前は、「無」だったんだってさ。
 「無」って感覚、わかんなくね??

忙しく掃除をしているわたしの背中に
彼が続ける。

学校へ行かなくなってから一年と半年。
流石に時間を持て余すようになってきたようだ。

さまざまな質問をわたしにぶつける。
政治のしくみ、消費税のこと、選挙法について、
昔の徴兵制のこと、戦争で負けた日本が植民地にされなかったのはナゼか?
かと思えば、臨死体験って本当かな?などなど。

ふしぎに思った時が学び時。

わたしに解る範囲は、かいつまんで解説。
わからんところは、わたしも知りたくなって
彼がネットで調べたページを横から覗き込んで、ふむふむ。
インターネットって、こういう時、ありがたいね。

おかげで、わたしまで「へええ!」ってことを初めて知ったり
世の中には、まだまだ解明されていないことがゴロゴロ転がっているってことを
改めて認識したり、日々あたらしい視点論点が繰り広げられております。

おもしろいなあ。
これまでの47年の人生で一度も思考に上らなかったことを、
我が子に言われて初めて不思議に思うってこれまたフシギだわ。

学校に行かないということは、一般的にはマイナスなことかもしれないけれど
そこから生まれるあたらしい時間は、大いに「プラス」だ。 (と思いたい)

数年先に振り返ったら、こういうなんでもないような時間も、
彼には必要なプロセスだったんだなあって確信できる、のかもしれない。(と希望します)

ずっとずっと先に、彼が親になって、わたしがこの世に居なくなった頃
ああ、あの時はお母ちゃんといろんなこと話したっけなあ
って、懐かしく思ってくれたらそれでいいや~。(いやホント)


子どもの目を通して世の中を見る。物事を考える。。。

子どもと一緒に成長するって、
自分の中に別のあたらしい窓が開くってことなのかもしれないね。




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