いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

検証記事と、朝日新聞の誤算・・・社内の論理、社内の常識は、社外では通じませんでした。

2014年09月17日 13時10分49秒 | 日記

 慰安婦の報道をめぐる検証記事で、朝日新聞には、大きな誤算
があったと思います。
 それはなにかというと、あの検証記事を掲載したとき、朝日新
聞は、「さすが朝日新聞」と、高く評価されると考えていたのでは
ないかということです。
 
 「さすが、朝日新聞、よくぞ、自ら過ちを認めた」
 「過ちを認めるだけではなく、立派な検証記事も掲載した」 
 「これこそ、新聞の良心」
 
 とまあ、そういう声が出て、朝日新聞が称賛されると考えてい
たのではないでしょうか。
 
 朝日の木村社長は、60歳です。
 慰安婦を強制連行したという吉田氏の記事が初めに出たのが
32年前ですから、木村社長は、そのころまだ28歳です。その
記事を書いたのは、別の記者です。
 木村社長ご本人は、慰安婦を強制連行したという記事には、直
接には関わっていないはずです。
 
それにまた、朝日があんな大扱いで検証記事を出して、吉田証
言の記事を取り消すなら、いまではなく、もう10年前、20
年前にやっておくべきものです。当然、そのときの社長は、木
村社長ではなく、別の社長です。
 検証記事を出すにあたり、木村社長は、ご自身は直接担当した
わけではない慰安婦の強制連行の記事を、あえて、火中の栗を拾
い、自分が始末をつけたーーという思いがあったのではないでし
ょうか。

 さすが朝日新聞、よく、あれだけの検証記事を書いた。
 そういう声を期待していたんだと思います。

 称賛されると思っていた。
 だからこそ、初めは、謝罪しなかったし、社長も会見しなかった
のでしょう。
 ほめられると思っていたら、おわびなんかしません。

 9月11日には、木村社長が初めて記者会見をしました。
 木村社長は、会見でおわびしながら、しかし、
 「検証記事には自信があります」
 とはっきり語りました。
 この言葉でも、よく分かります。
 そう。
 あの検証記事で、木村社長は、さすが朝日と評価されると思っ
ていたのです。

 朝日が検証記事を出したあと、週刊誌が、こぞって、それを取
り上げました。
 そのなかで、週刊ポストが、学者・評論家30人に、検証記事
をどう考えるかというアンケートを掲載していました。そのアン
ケートで、ひとり、ふたりの評論家が、「間違えた記事を取り消し
た朝日の態度を、他紙も見習ってほしい」と答えていました。
 木村社長は、検証記事を載せるとき、こういう声がもっとたく
さん出るものと、期待していたと思います。いや、期待していた
というより、そういう声がどっと出て、朝日の評価が一段と高ま
ると、信じて疑わなかったのではないでしょうか。

 それが、検証記事を載せてみると、朝日に対する批判の嵐とい
う状態になりました。
 それは、木村社長にとっても、朝日新聞にとっても、大誤算だ
ったのです。
 木村社長は、「なぜだ」と言いたいところだったでしょうね。

その文脈で考えると、池上彰さんの原稿の掲載を拒否した背景が
よく分かってきます。
 朝日は、池上さんから、

 「朝日新聞、よくやった。
  少し遅かったけれど、立派な検証記事を出した。
  これが、新聞のありかただ。
  さすがは朝日新聞ですね」
  
 --という原稿が出るものと予想していたのではないでしょうか。
 予想というより、信じていたと思います。
 池上さんは分かってくれているーーと。

 あの検証記事は、朝日の社内に限っていえば、たしかに、「よく
やった」ということなのでしょう。
 たぶん、社内的には、吉田証言はウソだったと、早く認めたほ
うがいいという声があったのでしょう。
 しかし、だれも、それを言い出せなかった。
 歴代社長も、それを、放ってきた。
 そういう問題を、木村社長は、あえて取り上げ、ちゃんとウソ
だったと認め、朝日としての立場を表明した。
 だから、たぶん、朝日の社内では、「よくやった」という声にな
るのでしょう。
 それは、「社内の論理」といっていいかもしれません。

 ところが、朝日の社外では、まるで違った。
 朝日の「社内の論理」は、社外では、つまり、社会では通用し
なかったのです。
 どうしてそんなことが、分からなかったのかと思います。

 しかし、あの会見を見ていると、「社内の論理」が社会では
通用しないということを、まだ分かっていないのではないかと、
そんな思いがします。