いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

維新の会の結党大会・・・決闘大会にならなければよいのですが。策士、策におぼれすぎではないでしょうか。

2014年09月28日 00時55分15秒 | 日記

 維新の会と結いの党が合併して、「維新の党」が出来ました。維
新の会が39人、結いの党が14人です。
 衆議院議員が42人、参議院議員が11人、合わせて53人とな
ります。
 それなりの人数ですが、なにか、インパクトがありません。メデ
ィアの扱いも小さい。
 かつて、橋下徹氏が「大阪維新の会」を結成して登場してきたと
きには、橋下氏も大阪維新の会も、輝くばかりのオーラがありまし
た。
 今回、「維新の党」となりましたが、もはや、あのころのような
輝きは、どこにもありません。
 目を覆わんばかりの状況です。
 どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

 維新の会は結党大会を開きました。
 このブログにいつも意見を寄せてくれる友人のお医者さんは、
 「結党大会というより、決闘大会じゃないだろうか」
 と言ってきました。
 うまいことをいうものです。
 そう。
実際のところ、維新の党は、旧「維新の会」と旧「結の党」の「決
闘」になりかねません。

 維新の党は、維新の会の橋下徹氏と、結いの党の江田憲司氏が、
共同代表ということになりました。
これが、そもそも、決闘の気配をうかがわせます。

旧維新の会は、減ったといっても39人の国会議員がおり、大阪
維新の会の結成以来のメンバーという議員も少なくありません。
一方の結の党は、みんなの党から分裂して江田氏が作った党で、
国会議員は14人です。

旧維新の会の国会議員にすれば、どうして、新興の党、しかも、
国会議員が14人しかいない結いの党から、共同代表が選ばれる
のだという思いがあるでしょう。
維新の党の結党の会見を見ていても、旧維新の会の古参メンバー
である松野頼久氏は、どこか憮然とした表情をしていました。
当初からのメンバーにすれば、どうして、出来て間がない結いの
党に共同代表を譲らなければならないのだという不満が、間違い
なく、あります。

この不満が、旧維新の会と、旧結いの党の「決闘」につながる可
能性は、非常に高いと思います。

結いの党は、みんなの党で渡辺代表と袂を別った江田氏が、仲間
を誘って作った党でした。
なぜ結いか。江田氏は、野党勢力を結びつける触媒となるという
意味だと説明していました。
維新の会と合流したことで、その言葉を証明しました。
さらにまた、弱小の結いの党から新党(維新の党)の共同代表を
出し、弱小でありながら、大きな維新の党と同格であるように示
しました。

まさに、「結い」という名前をつけた江田氏の思惑通りの展開で
す。

「策士、策におぼれる」という言葉があります。
江田氏の行動を見ていると、まったく、この「策士、策におぼれ
る」という言葉そのもののように思えます。
江田氏の表情を見ても、「策士」のイメージです。
しかし、いくらなんでも、やりすぎでしょう。

渡辺氏がみんなの党を旗揚げすると、いち早く参加して幹事長に
なる。
渡辺氏と意見が合わなくなると、党を割って、結いの党を作る。
維新の会と合流すると、一気に共同代表になる。

政治家を取材していて、何人かのベテラン議員から、こういう言
葉を聞いたことがあります。
「政治家にとって、政党を移るのは、決していいことではないんだよ」
ひとりではなく、複数の政治家から、この言葉を聞きました。

政治家としての経験則から、みなさん、そうおっしゃる。

では、有権者から見るとどうかというと、その人の政策なり考え
なりで投票したのに、当選した後で政党を移ると、なにか、裏切
られた思いがします。
なんとなく、信用できなくなるのです。

典型は、小沢一郎氏でしょう。
小沢氏は、自民党、新進党、自由党、民主党、生活の党と、ころ
ころと所属政党を移りました。そして、最後は、信頼を失い、い
まではもう、フェードアウトした感じで、すっかり存在感を失っ
てしまいました。
有権者にしてみれば、小沢氏が何を考えているか、分からないの
です。

もちろん、江田氏は、小沢一郎氏ほどの大物ではありません。
しかし、わずか数年の間に、所属政党を何度も変えています。

維新の党の共同代表になりましたが、旧維新の会には、不満がく
すぶっていることでしょう。
この不満は、必ず、吹き出てきます。

もともと、大阪維新の会が、輝きを失ったのは、石原慎太郎氏の
を共同代表に迎えたあたりからです。
当時、大阪維新の会は、大阪で、本当に人気がありました。
しかし、石原慎太郎氏を迎えた時から、大阪での人気は、一気に
下がり始めます。
大阪の有権者は、石原氏という異質の人を迎え、しかも共同代表
にしたことで、どこか、裏切られた思いを抱いたのです。
なんや、せっかく支持してきたのに、大阪維新の会、違うことを
し始めたやんか。
そういう、思いです。
その後も、自民党に近づいてみたり、民主党に接近してみたり、
あれこれすればするほど、人気を失いました。
坂本竜馬の船中八策に手本を取り、維新八策という政策を発表し、
それも評判を呼んだのに、いろんな政党と近づいたり離れたしして
いるうちに、有権者は、「大阪維新の会は、いったい、何をしたい
んだろう」「あの八策というのは、いったい何だったのか」と思い
始めます。
そうやって、せっかくの大阪維新の会は、みずから、どんどん力を
失ってきました。
そこへ、結いの党との合併です。
有権者にしてみれば、もういい加減にしてくれというところでしょう。

策士、策におぼれる。

結党大会は、本当に、決闘大会だったのかもしれません。

しかし、野党が、こんなことばかりやっているのは、日本にとって
まことに不幸なことだというほかありません。