いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

選挙で気になること・・・希望の党の「排除の論理」は当たり前のことです。維新の会は「維新」を掲げる以上、大きな夢を語ってほしい。

2017年10月20日 16時45分57秒 | 日記

 衆院選も、投票日が近づいてきました。
 きょうは、気になることをオムニバス風に書いておきたいと思います。

 まず、第一は、希望の党のいわゆる「排除の論理」です。
 小池代表は、解散直後の早い時期、民進党の前原代表と会談しました。
民進党に戻った前原代表が、「民進党みんなで希望の党に移る」と説明
したのを見て、小池代表は、「民進党の全員を受け入れるというようなこと
はさらさらない」と明言し、はっきり釘を刺しました。そして、希望の党に移
るにあたっては、「安保法制に賛成」「憲法改正に賛成」という2点で同意
してもらわなければならないーーと述べました。
 これが「排除の論理」と呼ばれるわけです。
 きのう、おとといあたり、希望の党に移った旧民進党の議員から、「いま
必要なのは、排除の論理のような狭い心ではなく、いろんなことを広く受
け入れる寛容な心だ」という言い方が出てきました。もちろん、小池代表
に対する批判です。

 しかし、この批判はおかしい。
 政党を作るとき、基本的な政策で一致する政治家が集まるのは、当然
です。希望の党という新しい政党を作ったのに、ふたを開けてみたら、安
保法制に賛成の議員もいるし、反対の議員もいる、ということになったら、
たちまち内紛です。民進党は、そういう内紛で求心力を失ったのです。
 ですから、希望の党の小池代表が、政策の一致する人だけ来てほしい
と明言するのは、当たり前のことです。
 それを、「排除の論理」というのは、おかしい。
 そして、一致すべき政策として、安保法制と憲法改正を挙げるのは、非
常にわかりやすく、政党のありかたとして大変明快です。
 「いろいろなことを受け入れる寛容な心が必要だ」というのは、国民に対
して政治を行うときの話であって、政党のありかたの話ではありません。政
党を作りましょいうというときに、基本政策についてまるで異なる意見を持
つ人を受け入れて、どうするというのでしょう。

 これは、共産党を考えるとわかりやすい。
 共産党は、カール・マルクスを創始者とする共産主義を信奉する政治
家の党です。共産主義を信じる人の党です。
 共産主義を信じない人が共産党に入りたいといって共産党を訪ねてき
たとすれば、門前払いです。門前払いされた人が「大事なのは、いろいろ
なことを受け入れる寛容な心だ」と文句をつけたとすれば、また、笑われ
るでしょう。
 これを、だれも「排除の論理」とは言わないでしょう。
 なぜなら、共産党は共産主義者の党なのですから。 

 同じように、小池代表の希望の党が、「安保法制」「憲法改正」に賛成す
る人だけで、と主張するのは、もう、当たり前すぎるほど当たり前のことで、
文句をつけるようなことではありません。
 希望の党を作った小池代表は安保法制と憲法改正を支持していて、小
池代表は同じ政治信条を持った人で希望の党を作りたいのです。
 そういう状況なのに、「いろいろなことを受け入れる寛容な心が必要だ」
というのは、そもそもが、おかしい。
 それを、「排除の論理」というのも、言うほうがおかしい。

 希望の党は失速が伝えられます。
 失速の報を受け、小池代表は、「厳しい言い方をしすぎたかもしれない」
と話したと伝えられます。
 いや、それは、違います。
 政党を作るのですから、同じ志、同じ考え方の政治家が集まるのは当
然なのです。
 何もはじることなく、希望の党は、同じ考えの人だけでやるんだと、堂々、
主張すれば、それですむことではないでしょうか。

 第二は、維新の党の「教育無償化」です。
 維新の会の松井代表は、今回の選挙で、維新の党の政策として、「教
育無償化」を、真っ先に掲げています。
 誤解を恐れずに書きますが、これは、少々首をひねらざるをえません。
 
 なぜか?
 仮にも「維新」を看板にする政党です。
 維新というからには、もっと大きな話を語ってほしい。
 教育の無償化は、大事な政策ではありますが、それを第一の政策だと
いわれると、「維新」というには、あまりに話が小さいと思うのです。

 教育の無償化を掲げると、だれも反対しません。
 ほとんど全員が支持するでしょう。
 
 しかし、「維新」を掲げる政党であれば、教育の無償化ではなく、日本の
教育のありかたを語ってほしい。
 日本の教育はどうあるべきかと語ってほしい。
 そして、教育だけではなく、経済、政治、社会、文化、スポーツ、あらゆ
る分野での、日本のありかたを語ってほしい。
 「維新」を掲げるなら、そのぐらいの志があるべきでしょう。

 「教育の無償化」を第一の政策にするのは、あまりに生活感がありすぎ
る。「維新」であれば教育のありかたを語ってほしい。「教育の無償化」は
あまりに具体的すぎて、維新の会も、大阪府知事が率いる地域政党にな
ってしまったという感じをぬぐえません。

 維新の会は、小さくなってしまいました。
 議員の数が少なくなっただけではありません。
 その語る政策、語る志が、小さくなってしまいました。
 これでは、大阪の地域政党として、埋没していくのではないでしょうか。

 かつて、あれほど華々しく登場し、「維新」という夢を掲げた政党は、どこ
はいってしまったのでしょうか。
もう一度、かつての輝きを取り戻すことはできないのでしょうか。