1986年7月31日(木)
-ラサを離れ空港へ-
切手 6元3角
病院代 179元3角
ホテル代(ラサ日光ホテル7泊分) 350元
バス代(ラサ~空港) 7元
パン代 4角
ホテル代(空港ホテル) 30元
(レート 1元=約42円)
朝、病院からWさんが戻って来た。
賓館のおねえさんが、自転車で迎えに来てくれたそうだ。
体調も本調子ではなく、食事を殆ど取って無いので、力が入らないという。
そこで、いつもの歩きは止めて、車(小型ワゴン車)で、民航事務所に送ってもらった。
ここから飛行場まで3時間くらいバスに乗る。
日米の国際ご夫婦が、親切に口利きしてくれて、揺れの少ない場所に移動。
ゴルムド~ラサの経験があるから、とても嬉しいのだが、揺れる席に移動させられた人には、申し訳ない気がする。
空港までの道路は整備されており、揺れも少なくて、これでは移動しなくても良かったな・・と思ったが、ここは、ご夫婦の親切に甘える事としよう。
道すがら、馬に乗った人、2人、3人と連れ立った人、ぼつりと歩く人等を、バスの中から見送りながら・・・もう、この人たちに出会う事もないなぁ・・・派手に観光対策をしている街ではないし、しゃれた食事もなかったが、とてもしっくりとあう、良い風情の街だったけれど・・・また、来る事はあるかなぁ・・・ちょっと感傷的な気分になる。
(この後、2002年8月に再びラサを訪ねた。その変化には、もう、びっくりで、三度目の訪問は、ちょっと考えてしまっている)
飛行機は、明日の早朝便のため、空港ホテルで1泊する。
ホテルの餐庁で可愛らしいフランス娘と同席した。
我等は洗いざらしの服に、薄汚れてきたザック、既に日焼けで浅黒く(Wさんは色白だが・・・)、なのに彼女、ひらひらのワンピースを優雅に着こなし、楚々とした風情でキャリーバッグを引きずり、何故か、1人旅。
我等は、彼女に、明日のモーニングコールを依頼された。
やさしい日本人としては、断るなんてことは出来ませんよね。
チベット最後の夜は、降るような・・とは言い難いが、手が触れられそうな近さで、星が輝いている。
星空を眺めるのも久しぶりだなぁ。