我が家にある二種類の「木槿」・・・放置して置くと、どんどん大きく成長してしまう木槿に、毎日、ため息!
大きくなるのが嫌で鉢植えにしていた木槿も、水遣りが面倒になって、ついに、畑の隅に植え替えたのだが、果たして・・・
毎日、オりンピック三昧の日々を過ごしている訳でもないが、何故か、矢の過ぎるが如くに7月の後半が過ぎてしまった・・・気が付けば、もう明日で7月も終わる。
ワクチン接種が完了した時に感じた解放感は、何時とは無く消えてしまったような状況で、閉塞感では無い、このコロナの重圧を意識しない方向を、早く見つけ出したいという焦りが出てきている、多分に、自分としては、一応、義務を果たしたから「次は何?」というと逸る思いがあるからだろうね。
わが県でも、ついに感染者累計が1万人を超え、我が街(人口4万8千弱)の累計も195人となった。
とは言っても、表面的には我が家周辺に感染者が出たという現実も噂も無いから、大騒ぎをすることもないと心得てはいるが、この感染者増加の中、特に首都圏の若者らの、のほほんとした他人任せの感想を聞くにつけ、おいおい、お前さんらは、早く収束にしたいと考えないの?この状況を何とかしようと思わないの?自分ができる事をやるという意志は無いの?・・・と、ついつい、怒りと愚痴が出てきてしまうのだ。
先日、暇に任せてネットニュースのコメントを見ていたら、大体が状況を煽るような内容のコメントの中に、ちょっと興味が感じたものを見つけた。
世の中に「命が一番大事」が蔓延する中で、「命が一番じゃないんだよ、人生が一番なんだって」というコメントに応して、「命も大事だし人生も大事」というのが、並んで掲載されていたのだ。
「命も人生も・・・」は、当然、真っ当な意見であるが、私自身は、「命じゃなくて人生が・・・」に共感してしまうところがあるんだなぁ。
無意味な言葉の綾のようなやり取りで、拘る事に何の意味があるの?と反論されるような気がするが・・・「命」は長短はあるとしても「有限」だが、「人生」って、人様々であり、短くても長くても「無限(誰か伝えて続けて行く)」だと、私は勝手に解釈し、殊更、命、命と言わずとも、その人にとって懸命に人生を送れたならば、たとえ世間から評価を得られない人生だとしても「命を全うした」のであって、結果的に、命を大事に出来たのではないか・・・とね。
それにしても、ちょっと「鬱気味」だなぁ、私・・・
ま、こんな「屁理屈」を考えて「怒りと愚痴」のはけ口にしているだけで、具体的に何の行動を起こせない自分が、一番、情けない気がしてきた・・・8月には、この「7月の鬱」を、灼熱の太陽の下に開放しよう