IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

10日後に再び東京に・・・

2018-05-27 08:29:00 | この頃思う事

 

一応、種類が違う「薔薇」なんですが・・・

薔薇用の肥料も薬剤も、買いに行くのが面倒で、今年は野菜用でイイ加減に対処していたからか、花の咲き具合が、イマイチ、スッキリしない・・・手を抜くと、やはりその分結果に現れるという事ね。

 


 

 

東京:上野精養軒テラスから、緑の映える不忍池方面を望む。5月の風が心地良い!

 

恒例となっている「緑の園遊会(元職場の有志親睦会)」の為に、先週の「東京国立博物館:日本画展」に続いて、再び、上野公園を訪れた。

前回は「疲労困憊気味」だったから、今回は、ともかく、「歩き回らない」を基本に行動すると決める。
と言っても、多少の用事もあるから、まず「東京駅」から「巣鴨駅」に向かい、友人御用達「塩大福」をGET、「日暮里駅」に取って返して、私御用達「葉とうがらし佃煮」を買い、あとは真っすぐ「上野駅」へと向かった。
待ち合わせ時間は午前11時、私が上野精養軒に着いたのは午前10時半だったがレストラン内に入れて貰い、ともかく、休息を取るのを主体にしながら皆を待った。

昼食時の会食では、何時も、必ずお酒付きで盛り上がり、食事が済んだら近場の居酒屋で飲みなおす・・・というのが定番だが、今回は、一人(後期高齢者になったとか)がお酒は週一回に控えていると言うし、私(前期高齢者だものね)も、軽~く(ノドを潤すのにビール一杯と食事用にワイングラス一杯)飲めばもうOKだったから、まだまだ飲める友(まだ50代)には申し訳なかったが、食後は、私ご推薦喫茶店「椿屋」の千円珈琲で締め括った・・・皆が「この珈琲は美味しいね」と言ってくれた事が、千円投資した甲斐があったようで、何だか嬉しい(私の店ではないけれどね)。

帰宅の新幹線の中で、今日一日を振り返ってみれば、ホント、皆、年を取ったなぁ・・・という実感あり、でも、少しでも長く楽しみ続ける為には、幹事一人の力では如何ともし難い事もありで、それぞれが、自分の限界を知って悲観するのではなく、続けていけるように努力をすることが大事なのだと思った。
そんな事を考えながら、「また来年、元気で会いましょうね、ありがとう」と、メールした。

えっ?あ、はいはい!疲労の件ですよね・・・その晩は、やはり少~し腰が痛み疲労感ありでしたね、でも、今朝は4時半に起きることが出来て、洗濯に庭掃除、そうそう、畑にある花壇(薔薇が3本だけのみの狭い所)の草取りまで(気になっていたから)して来ましたよ、午後は、毎度の如くに休息中・・・「何事も、程々に」という事なんですよね~。

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疲労困憊!

2018-05-18 11:26:29 | この頃思う事

 

昨年夏に、今までの手入れが正しくなかったのだろうが、あまり花を付けなくなった「紫陽花」を、ダメ元だと、思いっきり刈り込んでしまった。
その為か、気候の為かは不明だが、今年はやけに蕾が付いているが、まぁ、私の為せる技という訳では無いだろう・・・な。

 


 (美術展パンフ転載)

80代の友人との2か月ほど前からの約束で、「東京国立博物館:名作誕生つながる日本美術展」鑑賞に出かける。

友人は仏像に興味を持っていて、京都か奈良へ行こう・・・と、度々誘われているが、私自身、仏像に興味は持っていても、遠出する気力は無いから、何回も断り続けているものの、日帰り範囲ならば付き合うと約束をしてあった、その実行でもある。

出掛けるのは基本的に平日、5月16日水曜日(気温30度近くあったのでは?)、午前7時に家を出て、新幹線三島駅8時48分に乗車、上野公園に午前10時を回ったあたりに到着。
いやいや、平日だというのに上野駅周辺~上野公園は人であふれている・・・前からこんな風だったかな?と思った。
博物館で並びたくないという思いからネットで前売り入場券を購入して来たので、スイスイと通過する。
後はお互い気ままに鑑賞・・・という事にするが、私は、絶えず友人の姿を目で追い、時には探したり・・・
友人程熱心な鑑賞者でない私は、時々(しょっちゅう?)椅子に腰かけて休憩をするが、でも、まだ正常な状態とは言えないらしく、美術展鑑賞は腰に負担が溜まって来る。

博物館を出て、何時ものレストランで昼食を取ろうと廻って行くと、長蛇とは言わないもののかなりの行列で、またしても・・・平日なのに混んでいるなぁ・・・と思う。
で、そのレストランはすぐさま諦めて(待つのが嫌いだから)、別の店(公園内にあるうなぎ専門料理店)に移動、予約なしでもOKだったので、そこで昼食(友人の奢りで、限定ランチ(私だけビール付きで)を食す)とした・・・でも、うなぎは入ってなかったような(?)・・・好みでないからイイけれど。
順番を待つつかの間にも、次から次へと、お客が来店している・・・確かに有名店だけれど、以前も、こんなに繁盛していたかしらと思ったりね。
食後、アメ横脇の、行きつけ珈琲店に立ち寄り、今度は私持ちで、私はホット、友人はアイス珈琲を味わう(2千円弱の支払いをしたが、友人は、「え~っ、珈琲一杯、千円もするの?」と呆れていた。言われてみれば、そうだよなぁ、安くはないよなぁ・・・と改めて気づく)・・・やっと寛げたが、ここも混んでいるんだよねぇ・・・最初来た時には、空いていたのになぁ・・・と、またしても思う。

友人の要望で「アメ横」を通って「松坂屋」へと、小一時間、ゆっくりだが歩いて回り、山手線御徒町駅から東京駅に向かう(東京の電車では、大体、席を譲って貰える・・・今日は特に有難いこと!)。
家にお土産を買うという友人に付き合って、東京駅地下街をぶらぶらと探し回った(結局、これというものがないと言って何も買わなかったが・・・これも疲れるんだよねぇ)。

新幹線三島駅に着いたのが、午後5時少し前、夕食時刻に少し早いから散歩しながら(三島市内にはぶらり散歩出来る「源兵衛川沿い」等がある)店に行こうとの友人の申し出に、ちょい疲労感はあったが付き合う。
またまた友人の奢り(だんだん借金が嵩む気分だが、受け取ってくれないから仕方がない)で、冷えたビール付き一品料理・数種を頂いて、自宅に帰り着いたのが、多分、午後7時を回っていたかと。
当然、バタンキューである、ビールも効いたかな?・・・日中はかなり暑い陽射しだったから汗をかき、どうしても、風呂に入りたくて、力を振り絞ってシャワーだけを済ませたのは、零時を回っていたような気がする。

 

翌日、いや~、腰が痛くて動きたくない、そう、「一日中休息症」というゴウ病(?)に取りつかれてしまった疲労困憊のお話で・・・東京が変化したのか、ハタマタ、私が都会に耐えられないくらい衰えたのか・・・元気そうだったけれど、友人は疲れはしなかっただろうか。

 

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変わる!

2018-05-14 08:56:35 | この頃思う事

 

暖かくなったと思えば、また、寒さが再来する・・・という気候の変化で、「ミニバラ」も、漸く、開花し始めた。
昨年、かなり遅くまで花を咲かせてしまったので、今年は、何時に増して、「バラ」の生育が気になったが、私が気にしてもしなくても、「バラ」は自然と一体化して生きているようだ。

 


 

昨日から未明にかけて、かなりの雨が降った。
朝、姉に、「この雨は、畑には良い恵みだよね」と言ったら、「雨が降ると、2、3日は畑に入られないから困る」のだと言う。
その時、「あらっ!」と気が付いたのは、母が農作業をしていた時、母が出来なくなって私がやり始めた時にも、一度も、手を出さなかった姉が「変わったなぁ・・・」という感じがしたのだ。
母が逝ってから、既に、3年数か月を経ており、姉は3年前から、細々と農作業を始めていた。
元々は、母との確執から農作業には手を出さないと決めていたようだが、現在は、仕方なくしているのではなく、前向きな気持ちが見えてきているのだ・・・う~ん、人は変わる・・・を確認した思いである。

80代中盤にきた友人が、最近、忘れていることが多いように感じてきた。
元は、キャリアウーマン的存在の人だったから、私自身も、どこかでこの人は大丈夫!みたいな安心感を持っていたが、友人も変わってきたみたい・・・と思っている。

私自身を含めて、周囲にいる人たちも、皆、年を重ねてきており、今までとは違う反応を見せるのを経験すると、「これはイカンぞ!」という反応より、「あぁ、皆、順調だなぁ」と妙に納得してしまう自分が、一番変わったのかも知れない。

 

我が家の小さな庭に植えた花々が、ホント、イイ加減な世話しかしていないのに(或いは、していないから)、ある時期が来ると、実に華やかに咲き誇り、数年経つと、いつの間にか枯れてしまっている。

人間の命も、草花の命も、「自然に変わる」という観点からすれば、そう違いはないのだろう・・・そんな気がするこの頃である。

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珍説!これも相対性理論?

2018-05-09 10:03:11 | この頃思う事

 

雨上がりの「三嶋大社」は、新緑一杯で清々しい・・・桜の時期より好きですね。

 


 

原価がよりゼロに近づく程、身に染みる罪悪感は拡大する・・・珍説相対性理論である(学術的裏付のない我が独自の説であるが・・・)。

 

先日、庭の草取り中、草と同居している「フキ」を刈り取ったが、「キャラフキ」にしてみようと試みた。
私にしては上々の出来(?)だったので、「そうだ、友人に分けてあげよう」と思って電話した。
友人言うには、「キャラフキは嫌い」だそうで、ならばと、調理前のフキを持って行くことにした。
ただ、友人宅に行くには、1500円(片道タクシー使用)程の交通費と1500円程度のお茶代(これは私の趣味で誰からの強要ではないが・・・)を使うのは通常で、こんなものをくれるのに、わざわざお金をかけてまで出かけなくても・・・という思いは確かにある。
でも、街ブラする口実としては避けがたいものがあり、今回も、そうして出かけた。
友人とはファミレスで待ち合わせたので、少し早めの昼食を取った。

やがてやってきた友人は、最近見つけた場所でランチをしよう、ランチは奢るよ・・・と言う。
何時もは、折半で・・・だが、友人も気を使い、私も既にランチを済ませているから、また、お金を出して2度も食べる気がしないので、友人のお言葉に従った。

食事を頂きながら思ったのは、庭の隅で勝手に茂った原価ゼロの代物が、ランチ代(一人分2000円)になる事への罪悪感を感じ、でも・・・ここに来るのには1500円の費用が掛かったのだから、そのぐらいはイイかな?とか、いろいろ妥協点を探す訳で・・・ま、季節の香りはお金には代えられないものだ・・・なんて理屈も交えたり。

 

翌日、別の用事で友人に電話をした。
友人は開口一番、「昨日のフキは硬くて食べられなかった」と言う。
「そう、もう時期も外れているから、多少、長めに茹でてみて」と言ったら、「もう捨てた!」だって・・・私の葛藤は何だったの?人生とは空しいものだなぁ・・・なんてね。

私自身も「さもありなん」と納得していた事だから、とりわけ、友人に意見を申すこともないが、
アレコレ思うことが多い程に得られる効果は多くないという「第二弾!珍説相対性理論」を実体験した。

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自分が呼んでいるのかも?

2018-05-05 09:09:51 | この頃思う事

 

昨年だったか(もう、忘れてる!)、畑にあった「白いアヤメ」を屋敷内にある「青いアヤメ」の脇に移植した。
花数は少ないものの、青と白を並べて鑑賞できるという、ちょい幸せ感(これが大事!)に浸っている。

 


 


4月中旬から月末にかけて、立て続けに、小中同級生からプチ旅や食事、飲み会などに誘われて参加した。
長年続けていた同級生の会の、私自らから、体力的、精神的に疲労感を感じて、卒業と言うか中退と言うか、抜けさせて貰った仲間達である。
彼らと、たわいも無いおしゃべりしながら感じたのは、私自身が、率直に会話をしている・・・という事だった。
同級生という状況の中だから、素直な気持ちになれたのだろうか・・・
だからと言って、日頃のお付き合いをしている友人たちに問題があるという事ではない。
ただ、どうしても友人らとの間には力関係(年齢であったり、主導権であったり)が生じて、会話にも微妙に影響しているように思う。
同級生だから「すべてイイ」という事でもないが、一種の共同体意識みたいなものが安心感を抱かせるのかも・・・とも考える。
無責任でグータラな生活に退屈している訳でもないけれど、どこにも属さないという不安定感があるのは拭えない気がする。

長年、企業などの組織に属し、圧迫感を持ちながらも守られて来たという観念の後遺症かも知れない。

 

今日届いたメールは、一年くらいご無沙汰している友人からだった。
「久しぶりに一杯」という友人のお誘いに、殆ど飲むことから遠ざかっている私だけれど、OKの返信をした。
なんだかんだと理屈を言っていても、皆からのお誘いを待っている自分を再確認する。
案外、私が、テレパシーで呼びかけているのかも・・・ね。

 

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