IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

もう初夏だよね?

2024-04-24 09:03:26 | この頃思う事


季節が一気に春めいて来ると、枯れ葉色だった周辺も暖かな色合いに変化して可憐な花を咲かせている。
何か気持ちも弾んで、やたら写真を撮ったものの、全てをブログに掲載出来なくて(つまり適当な文章も浮かんで来なく)お蔵入りしそうな写真らだが、やはり春の神様に申し訳ないような気分になり、纏めて掲載することでお許しを頂こうと思う・・・と、講釈を言いつつ、楽と安易を選択する何時もの私なのである。

 

 

近所の川の中に繁茂する「クレソン」・・・食用可能らしいが食する気になれない、でも、花は可愛い!

 

ご近所さんの畑に植えられた(と言っても、現在はほゞ自生地ような雰囲気)「カモミール」。

穏やかな天気の時、通りかかったり、そっと花々に触れたりすると甘~い香りが辺り一面に漂う

 

我が家の庭に植えられた「花海棠」・・・昨年の剪定が良かった(自己満)為か、花付が豪華に見える。

 

姉が鉢植えにして育てている「一重咲山吹」・・・以前、庭のどこかに「八重咲山吹」もあったような・・・

 

姉が、亡き父の遺産(唯一?)である「白藤」を受け継き、一切の世話をしている。
私は眺めるだけ・・・と言うより、私は手を出せないというのが正しい表現。

 

「藤」と同じ場所にある、多分、母の遺産(?)の「つつじ」の手入れは一切(イイ加減だが)我が担当。
何故そういう担当分けになったのかは不明。
でも、姉は生前の母を嫌っていた節があり、父は好きだったからでは?・・・と、密かに勘繰っている私。

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私自身の問題かな?

2024-04-15 07:44:30 | この頃思う事

 

 

多分、「ソメイヨシノ」ではないと思う。
最近では、近所の神社に数本ある桜の木でお花見をしている、つまり人混みが嫌だから・・・
我が家から歩いて畑に沿った農道をブラブラと散歩をしながら10分程、人っ子一人いない神社で、あたかも「MY-SAKURA」ごとき思いを込めて大きく成長した桜の木を見上げるのである、結構いい気分!

でも、悲しいかな、今年の桜は、気候変動の為なのか、或いは、もう賞味年齢に達したのか花も「儚げ」な風情なのだが、これもまた「自然の営みの経過」であって、一層、花にも木にも心が寄り添うのであった。

 

 


 

 ←拡大可能

 

先日亡くなった知人の納骨を、知人にとっては故郷である我が地域の墓地(実家)に納めることになった。
その墓地には、知人のご両親のお骨も納められていて、以前からの知人の希望でもあったのは聞いていた。
まぁ、いろいろあった知人の生涯だったが、最終的に希望が叶えられたことで「過去は帳消し」になって欲しいなと願う。
墓地の傍の道路沿いには、正真正銘の「ソメイヨシノ」の並木があり、既に、はらはらと花びらが散り始めていた。
知人宅は神式なので、あまり良くは分からないが、神主さんが知人の御霊を送る祝詞(と説明されたような)を上げていた時、まるで儀式の効果手順であるかのように一陣の風が吹き、辺りを桜吹雪にしたのだ・・・これにはさすがにぐっと来るのもがあった。
神式にあの世があるのかどうか知らないけれど、もしあるならば、知人を暖かく迎えてくれているように感じたのである。


気分一新したいところに、いいタイミングで友人からメールで「ランチとお茶」のお誘いあり、早速、日時を決め返信、また、遊び仲間の同級生からも、ちょい旅に出るからというメールが入り、今度はこちらから、旅から戻ったらお茶しようよ(お土産があるらしいので)・・・と誘った、これは、多分、来週だな。
今週火水木には、東京在住の友人が我が家に泊まりに来るのから、今日(月)は、その用意(と言っても、何もしないと宣言してあるが・・・)として、少し冷蔵庫内を埋めるものの買い出しに行こうと思っている。

こんな風にバタバタとしているうちに、私の日常もいつしか通常に戻って行く・・・が、我が心の平安を乱す輩も出てくるのであって、あぁ、そうだ、あれから全く電話が通じていないあの友人宅に、再度、行って来なくちゃ・・・とかね、私自身で問題を作っているのかなぁ・・・って思う時もあるんですよね

 

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知人が旅立ちました・・・

2024-04-07 09:53:59 | この頃思う事

ご近所さんの畑には「枝垂れ桃」が見事な花を見せてくれている。
写真を撮ってもいいよという申し出に、余りにも豪華絢爛たる姿に気おくれしたので、前面にひっそり咲いていた「菜の花」を撮って、「枝垂れ桃には菜の花が良く似合う」と、「太宰治・富獄百景」風に気取ってみた・・・しかし、残念ながら、この被写体の構図自体には、如何ほどの芸術性も感じる事は無い・・・というお話。

 

 


 

 

ここ十年程、気に掛かっていた知人が、昨晩(4月6日)彼岸へ旅立った。



私と知人とは同年齢で、同じ地区内に生まれて幼稚園から中学校まで(高校は違っていたと思ったが、定かな記憶はない)一緒に学んだ間柄で、親友ではないが幼馴染(遠い親戚でもあった)としての付き合いをしていた。
知人が結婚と同時にこの町を去り、私は仕事などで都会に住むようになって、お互いの関係も薄れて行った。
が、私が定年を迎えた時点で、実母の介護のこともあり地元に戻って来た時に、周囲に遊び仲間(正式には飲み仲間)もない寂しさもあって、我が地区の同級生(11名)同窓会を地元で開催すべくアプローチし、8名から賛同を得られて開催にこぎつけたが、知人はその時の賛同者の内の一人であった。

その時を境に、急速に戻った付き合いの中で、知人の現況を知り、他人事だと無視出来ない気持ちを持つようになったが、知人の現居住地も近くは無かったし、交通手段も一本で行ける環境で無かったから、足繫く出かけられないので、「用事があったら電話をしてね。その時には、出来るだけ来れるようにするから」と話し、時折頼まれたことをこなしながら現在に至っていた。

昨年暮れ辺りから、知人の健康状態も思わしくなくなって来て、呼び出されて出かけるという事より、気になって様子を見に出かけるという事が多くなってきたが、私の個人的な判断でも、もう一人(介護は入っていた)で暮らすのは無理ではないか・・・と感じるようになって、なるべく、ケアマネさんと相談するよう勧めたところ、知人自身も先行きを考えていた(今更もう遅いよ・・・とも感じもしたが)みたいだった。
「3日後に病院に行くからその結果をみて判断する」という知人からの電話で、「行く先が決まったら連絡してね、持ち出す荷物やら、自宅の片づけなど出来ることを手伝うからね」と電話口で話した時、何か息苦しそうなのが気になったが・・・その翌々日の晩、知人の姉(80歳になる)から連絡が来て、救急搬送され、現在危篤状態だと言うが、私は、内々に既に想定もして、別れの心構えは出来ていた事もあって、今から駆けつけることは時間的に無理なので看取りには行けない旨を了解して貰った。
幼少時代はさておき、ここ十数年の付き合いから思えば、何と呆気ない別れだなぁ・・・が実感だが、一方では、知人の晩年の生き方を見ていて、過去に囚われて現在を悲観し心に平安の無い人だったから、ある意味、これはこれで良かったかも知れない・・・という思いもする。

 

私自身は、人間の生死の場に接しても、ある程度(かなり?・・・かも)感情希薄であることを認める、人間として当然の(避けられない)経過・・・という諦観的な思いがある。
どう生きるか、どう死ぬか・・・は、一概に標準化は出来ない事だし、前もって老後に際しての生活の準備・心の準備が出来ていることが理想的ではあるが、人間(だからこそ?)、皆、そう出来るとは言い難い。
「死」を泰然自若として迎えるか、悩み恐れながら「死」に至るかは、良し悪しではなく、個人差でしかない。
ただ、自分自身が、だんだんと年を経る毎に、身近な死の体験を通して、何となく、自身にも心構えが出来て行くように感じているのは、余りにも「終活・終末」を安易で楽観的に考えているのかなぁ・・・って、思ってはいるけれどね。

 

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