IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

郷愁の中国紀行(12日目)

2008-07-21 09:12:26 | 旅の足跡


1986年7月21日(月)
-西寧から鉄道にてゴルムドへ-

ワンタン 1元
パン 4角
映画入場料 1元(夜行貨車・筑波科学博)
りんご 2元4角
バッグ 3元
ダウンベスト 19元
手数料 4元
(レート 1元=約42円)

ゴルムド行きの火車は午後発。
西寧の味をもう一度味わうために、自由市場に出向いた。
当然、人間国宝のお店にてワンタンを食し、呼び込みの明るいお姉さんと記念撮影。
また、ここに来る事はあるのだろうか・・・ちょっと感傷的な気分。

ラサは寒いかも・・・と、ダウンベストや(安かったからですが・・・)、ちょいとした小物を買ったりしても、出発までの時間は、まだまだある。
そこで、映画館に入ってみることにした。
出し物は「夜行貨車」と「筑波科学万博」。
筑波博の映画では、トマトが水耕栽培で、大木のように生っているのを見て、感激というか衝撃というか、ともかく、世の中は変化していると、中国にいて知らされた。
「夜行貨車」の筋書きは忘れてしまったが、恋とアクションとサスペンスで、ヒーロー・ヒロインのラブシーンやヒヒジジイがヒロインに迫ってくるところなど、スクリーンいっぱいに大写しになったとたんプチッと切れてしまう。
観客は欲求不満で「ウワォー」と声を上げる。
それが面白くて我等も同調させてもらった。
(火車の発車時刻が来てしまい、最後まで見ることができなかったが、我等は再び成都でこの映画をエンドまで見た。しかし、ストリーは全く思い出さない)

鉄道線路は青海湖のほとりを巻くように位置していた。
ちょうど太陽が青海湖に落ちようとしている。
火車はその太陽を追いかけるように進んでいる。
沈みゆく太陽(夕陽などいう言葉では表現できないような)と、空と、雲と、湖と、混然一体とした幻想的な雰囲気に、しばし、ボーゼンと見入ってしまう。
今夜は車中泊・・・寝台は無し。

夕日に輝く青海湖

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郷愁の中国紀行(11日目)

2008-07-17 09:42:02 | 旅の足跡

1986年7月20日(日)
-西寧市内散策-

朝食 4元
落花生 2元
ビール・焼肉 1元8角
昼食(ワンタン) 5角
地図 1元7角
トマト 8角
夕食ビール付 13元
(レート 1元=約42円)

今日は日曜日・・・といっても、我等には曜日は余り関係ないが、でも、今日一日中はお休みすることを主体とする。

我等も必需品として、自由旅行バイブルである「地球の歩き方」を持参してきたが、それを片手にのんびりと市内散策をする。
結構日差しが強いが、乾燥していて、さわやかな空気だ。

まず、先日捜し求めた自由市場で、四川風味のうどん屋さんに「また来ま~す。
その時はワンタンね」と予約を入れていた、そのワンタンを食べに行く。
店の前では、非常に明るいお姉さんが、盛んに呼び込みをしているのもナカナカなものだが、店のおやじさんは、まるで人間国宝の雰囲気。
うどん作りに誠心誠意、情熱と真心と、そして、人生をかけているといった風情が滲みでている。
但し、そこには妥協を許さないから、ちょいと待たされるが、それもやむを得ない。
出てきたワンタンに唐辛子をドサッと入れて、フファ、フファと食す。
やみつきになる味である(翌日も食べに来たくらいだもの・・・・)。

食事の後は市場をぶらぶらしながら、おいしそうな色で私を誘うトマトを購入。
そう、私はスイカとトマトさえあれば夏場を乗り切れる・・・くらい好きなのです(その後、スイカとトマトが目に付くと、買わずには居られない病に取り付かれるのでした)
昼下がりの何かけだるようなゆったりとした時間を、清真寺(イスラム教寺院)で過ごす。
明日からは、少しハードになるかも・・・そんなことを思いながらの、穏やかでゆるやかな一日。

清真寺の昼下がり

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郷愁の中国紀行(10日目)

2008-07-15 09:19:01 | 旅の足跡

1986年7月19日(土)
-西寧滞在。タール寺へ-

バス代 2元8角(タール寺)
昼食代 5元5角
入場料(タール寺) 1元
パン他  4元
スイカ・トマト他 2元3角
インド製トルコ石(のような)指輪 5元

朝食を抜きにして、タール寺行きのバス停まで歩いて行く。

道すがら、歩道の脇で子供やおばさん達が、何かを並べて売っているので、朝食に出来るものは無いかと物色する。
布袋にチンコー麦(チベット族が飲んでいるチャン酒の原料になると思ったが・・・)を小分けしたもの、茹でたとうもろこしを5、6本並べているもの、ヨーグルトのようなもの、心太か豆腐か・・白くて四角いもの等、それぞれに、少量の品物を並べているだけ。
自分の家で作ったものなのだろうか・・・以前より自由市場的なものが許されていると聞いてはいたけれど、2年前には、こんな露店はあったのだろうか・・・。

タール寺の大祭は5月に行われたそうで、大勢のチベット族やら観光客が来るらしい。
今は、観光客の数も少なくて、お陰でのんびりと参拝できた。
でも、時折、チベット族の人たちに出会った。
信仰を持つというのは、生きていく上に、どれ程の影響を与えるのか、私には判らない・・・が、チベット族の彼、彼女達のひたむきな祈りの姿には、すくなからず感動を覚える。
私には、もう、このひたむきさが無くなってしまったから・・・。

タール寺で・・・

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郷愁の中国紀行(9日目)

2008-07-13 13:16:47 | 旅の足跡

1986年7月18日(金)
-早朝、西寧着。2年ぶりの街を散策-

ホテル代3泊分 150元(西寧賓館)
列車賃 73元4角(西寧~ゴルムド)
ライチ 5元6角5分
うどん・焼肉・ビール 6元
夕 飯  10元

北京時間午前6時、西寧駅着。
6時といっても、ここは、大分、西に来ているため、まだ夜が明けきらず、3時か4時という雰囲気だ。
駅前に出ると真っ暗で、汽車(バス)停留所も見つけられず・・・。
私は、2年前、この街を訪れている。
私の勘と人民の助けとで、ようやく、西寧賓館を見つけることができた。
次はWさんの出番だ。

最初に当てがわれた部屋には、バス・トイレなしで、共同のシャワールームを覗いてみたら、暗くて、狭くて、カビ臭い。長旅の後だもの(当然、車中泊の3日間、お風呂はおろかシャワーも浴びてはおりません)、少し贅沢しようよ・・てな訳で再交渉。
ツイン1泊50元で3泊分確保した。まずはお風呂に入り、塵や埃と垢を洗い流し(でも、乾燥しているから汗まみれ、垢まみれでって事はありませんが・・)、暑い珈琲(インスタントです)でようやく、息を吹き返した。

お昼は外で・・・と、2年前の僅かにある記憶をたよりに、自由市場へと出かけた。
道路が拡張され、古い建物は壊されるなど、街は確実に変わっている。
確かここの角を曲がって・・・いやいや違うな・・・でも、こんなところを歩いたなあ・・・うろうろ、まごまごしながらも、ようやく市場にたどり着いた。

露店というのか、出店ていうのか、市場の通路にある店では、塩と(胡椒も入っていたかなぁ)たっぷりの唐辛子を振りかけた羊の肉を焼いている。
その、おいしそうな匂いに釣られて、我等もビールをラッパ飲みしながら賞味する。
これが美味しい・・のですよ。
ちなみにビールのラッパ飲みは品が悪いからではありません・・・あくまでも衛生管理的行動です。

夕食はホテルで・・。
明日はチベット仏教寺院「タール寺」に行く予定。
久し振りのフンワカベットに、「幸せ、幸せ・・・ライチも旨かったなぁ・・・」と、手足ノビノビを楽しんでいるうちに寝入ってしまったようだ。

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郷愁の中国紀行(8日目)

2008-07-12 08:44:16 | 旅の足跡

1986年7月17日(木)
-西寧に向かう火車の中、蘭州を通過-

昼食他 10元
(レート 1元=約42円)

黄土高原は、走っても走っても景色を変えない。
褐色の裸の山並みが続くばかり・・・。

私の寝台は3段ベットの一番上。
人の往来には煩わしくなくて、とても良いのだが、タバコの煙が充満しており、気分が悪くなる。
中国人民は本当によくダバコを喫うんだもの。
火車の揺れにも慣れてきたというのに、何故か今夜は眠れなくて、寝台を離れ、通路の椅子に座って、ぽんやり通り過ぎる景色を眺めていた。
本当に真っ暗闇。
ネオンなど勿論、街灯も、人家の灯りも無し。
何も無くても良いから、只々広いところに憧れて、中国に来たというのに、捉えどころのない不安のような寂しさを感ずるのだ。
贅沢なもの・・・と自身で思う。

でも、ご心配なく、中国はこんな私を放ってはおかないのです。
私の足元に何かが走ったような・・えっ・・何?・・走った先を目を凝らして見ると、まさか・・・ねずみのような・・・まあ、それからテンヤワンヤの大騒ぎ。
人民達があっちだ、こっちだと追いかけているのを目で追いながら、ふと、我等が寝台に目をやると、寝台の下に水が・・・やだやだぁ・・慌てて、寝台の一番下に押し込んで置いた、命の次に大事なザックを引っ張り出した。
服務員さんがモップを持ち出し、溢れてきた水をふき取り、一件落着。
洗面所の水が溢れたのだそうだが・・・。

火車は何事にも無関心に進み続け、今、12時を過ぎて、18日となる。
寧夏回族自治区内を進行中、もう蘭州も近い。

火車の乗客と・・・

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郷愁の中国紀行(7日目)

2008-07-10 08:42:51 | 旅の足跡

1986年7月16日(水)
-一日中、西寧に向かう火車-

昼食代他 11元
夕食代 6元

(我等の乗車した火車は「普快硬臥車」。
特別ではない普通快速で、一般人民仕様の寝台車ということ。
三段ベットが向かい合っての6床でワンルーム(仕切りはカーテン)だった。
この旅より以前に行ったツアーで、一度、このような一般寝台車両に乗車した事があったが、日本から添乗員や国内ガイドさん、周りには同行の人達がいるという、まだまだ外国人特別待遇扱いの、何の心配も苦労もない、暢気な旅だった)


私は、何故か勝手に、この火車のルートは「西安」を通ると思っていた。
まだ、「西安」には一度も来ていなかったから、そこを通るだけでも楽しみと思い、夜中でも駅に停車すると「西安」とい駅名を見つけようと探していたのだ・・・が・・・でも・・・ちょっと待って・・・。
今、止まった駅には「包頭」と書いてありますよ・・・そうなんですよ、この火車は、まるで西安とは路線が違う「内蒙古」を通過していたのだった。
いくら待っても「西安」には到着しない訳だ。せっかくだから、下車して記念撮影をする。
(今もって、この火車のルートが、私の勘違いだったのか、それとも火車の遅延発の原因なのか不明である)

車中での楽しみはなんと言っても食事。
一般人民メニューだから、とりわけ豪華な・・という訳ではないが、旅路の食事はどうしても進みがち・・でも、おいしいのだからいいよねって、許してしまう。
そして、健康面においても、精神面においても、一番大事なビールを、かなり自由に飲めるのが嬉しい。
しかし、在庫に限りがあるらしく、時折「没有(無いよ)」になる。
それは困る。
我等は、火車の若き服務員さんとの友好親善を図り、ビールの確保に努めた。

火車は、我等旅人の気持ちを盛り上げるかのように、力強く、しかし、のんびりと、黄土高原を進んでいる。

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郷愁の中国紀行(6日目)

2008-07-09 11:04:34 | 旅の足跡

1986年7月15日(火)
-北京から西寧に向かう-

汽車賃 102元(北京~西寧)
宿泊代3泊分 168元(北京清華園賓館)
昼食代 5元
タクシー代 16元(ホテル~北京飯店~北京駅)
珈琲代 2元
夕食代 3元
ミニボトルウィスキー 9元
(レート 1元=約42円) 

さあ、本日より中国自由旅行の開始。
ホテルの支払を済ませてから、まず腹ごしらえにと、手作りうどんの店に行き(北京に手作りでないうどん店があるかどうかは知らないが・・・)、コーヒーともしばしお別れと、北京飯店喫茶ルームに寄り道して、夕刻に北京駅に入った。
駅の待合室は人、人、人・・・・ベンチにも通路にも、人々があふれかえっている。
でも、よく見ると、人の量よりも、荷物の量のほうが多いかも知れない。
だいたい、普通の大人は、自分自身の倍くらいの荷物を抱えているのだから・・・。

構内アナウンスがされてはいるものの、まわりに反響してしまって、私には「ウワン、ワ~ン」としか聞こえない。
すべてを背負っているWさんが、何やら火車の遅れを放送しているらしいと言う。
必死になって人々を掻き分け、ようやく駅係員に確認をとると、我等が乗る予定の火車だった。
2時間程の遅れだと言う。

こんな時こそ臨機応変にと、構内大餐庁で夕食をとることにした。
ここも人だらけ。
食券を購入した後に、広い餐庁の中を、食料求めて歩きまわるというセルフ方式で、それはWさんに任せて、私はテーブルと椅子をしっかり押さえて、食卓確保を図った。
今夜から一般人民メニューで、野菜炒めに茹でギョーザ、それに必需品のビール(これは私が酒好きで・・ではなくて、お腹の消毒用で・・・と言い訳しながら飲んでましたねえ)。

午後11時過ぎ、我等はようやく車中の人となった。
眠られない夜のためにと準備したウィスキーだが、今夜は必要ないようだ。

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郷愁の中国紀行(5日目)

2008-07-07 07:43:25 | 旅の足跡

1986年7月14日(月)

列車賃 5元2角(万里長城)
ビール・ジュース 10元
夕 食  6元(五道口のレストラン)
(レート 1元=約42円 角=1/10元)

Wさんより、この旅の大まかなルートの説明あり。
明日(15日)出発。
まず北京より蘭州経由で、西寧、ゴムルド、ラサ、成都、再び蘭州、河西回廊に入って酒泉、敦煌、ウルムチ、トルファン、その後タクマラカン砂漠を横断しカシュガルへ、最終的に9月1日にはOさんとドッキングの為北京に戻る・・という予定だ。
すべてOKです。

で、今日は北京を訪れる度に恒例となっている万里の長城まで、練習を兼ねた小旅行をしようと、宿泊しているホテル近くの駅から八達嶺まで、火車(汽車)で行く事にした。

駅に着くと早速窓口へ・・・。
窓口にはかなり長い行列が・・・しかし、窓口のガラス戸はピッタリ閉じられたままで、待つ事しばし・・・。やがて、火車が到着するであろうころあいになって、おもむろに小窓が開かれた。
が、いままでおとなしく並んでいた人民達は「うわぁー」とばかりに窓口に殺到して来たのだ。
我等が、この旅の間中、飽くことも無く繰り広げる事となる人民との戦いが、既にこの時に切って落とされていたのに、この体力的にも重大な事柄に気づきもせず、「ふんふん、旅はこれだから面白いんだよね~」なんて暢気なことを思っていた私です。

夕食は五道口にある街のレストラン。
一人3元(130円位)でかなりのボリュームがある。
これって安いのか・・高いのか・・・まだピンと来ない。 

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郷愁の中国紀行(4日目)

2008-07-06 10:29:30 | 旅の足跡

1986年7月13日(日)

タクシー代 44元(円明園)
夕 食   49元(日壇公園)
タクシー代 19元(市内~ホテル)

とても日差しが強い。
空気が乾燥しているので紫外線がストレートに肌に沁み込む感じがする。

北京市内観光はOさんとドッキングした時のために残して置くことにして、我等はMさんにも同行してもらい、円明園と故宮をのんびりと散策しながら、北京の空気を楽しむ。

昼食は人民推薦(Mさんですが・・・)の冷麺店。
夕食には、以前行った事があり「おいしかったなあ」という思いのある日壇公園内餐庁にしたのが、まあまあで、ちょっと残念。
店が前と変わったのか、それとも私が変わったのか・・・・その後、北京飯店でカラオケ。
そこに居た近畿ツーリストの社員から「中衛」という街が面白いよと勧められた。
心に留めておこう。

北京での休暇をエンジョイするにはタクシーは欠かせない(当時は地下鉄が1ルート在ったが、まだまだ便利とは言いがたかったので、我等も大いに活用した。
だが、中国にはタクシーもいろいろあるんだなぁと、この旅で知る事になる。

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郷愁の中国紀行(3日目)

2008-07-05 08:57:34 | 旅の足跡

いよいよ旅の始まり。
実は旅の費用は一つのサイフに資金をプールして、そこから自由に使用していた。
サイフが空になったらお互い同額を拠出という形式で係はWさん。
Wさんは律儀に支出した明細を記録してくれていた。
今回からはその明細に従って思い出をたどろうと思う


1986年7月12日(土)
タクシー代 73元(空港往復)
夕 食   44元(友誼賓館)
タクシー代 11元(友誼賓館)
(当時のレート 1元=約42円)

朝、世田谷のSさん宅より新宿に出て、リムジンバスに乗る。
バス乗車の予約をしてなかったので、窓口の係員から「今日は席があったが、いつもは予約して無いと乗れませんよ」と言われた。
でも、乗れたから良いよ。
成田空港には搭乗時間より早めに着いたので、のんびりとウインドショッピングを楽しむ。
いままで何回か来ていたのに商店街を散策したのは初めてだ。
旅の必需品は何でも揃っている。
あれやこれやでようやく北京へ・・・。

私は順調に飛行しているものと思っていたが、少し遅れて到着したらしい。
2年ぶりの北京空港。
ウキウキで入国手続きを完了。
ロビーの人垣の中に懐かしいWさんの顔があった。
再会を喜び合っていると、後ろの方で私の名前を呼んでいるような気がした。
「こんな所で呼ばれる訳はないし・・・」と思ってWさんとおしゃべりに夢中になっていたが、また、私を呼ばれたような気がするのだ・・・振り向いてみる・・・と、そこにはまたまた懐かしい顔が・・・・以前の旅で仲良くなった中国国際旅行社のMさんだ。
「ワォー」と手を取り合う。
Mさんとは手紙のやり取りで、この旅の計画を知らせてあったが、まさか空港に来てくれるととは思っていなかったので本当に嬉しい。
で、WさんとMさんを紹介し、我々3人は中国最初の食事を豪華に食し、これからの旅の安全を願って乾杯した。

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