IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

都会の空気で・・・

2018-03-27 11:19:31 | この頃思う事

 

このところの暖かさで、「ユキヤナギ」が、一気に開花!

 


 


思い切って「断捨離」をしていても、まだ、捨てるのは惜しいと思う物がある。

先日も、そんなものの一つを、知人ならば、まだ、使えるかもしれないと考え、私にはもう不要だが、使ってくれたら嬉しいけれど・・・と言って貰って頂いた(つもりだった)。
知人は、その後、私の大好きな珈琲を買って持ってきた(当然、お返しだと思う)。
確かに、珈琲を頂けるのは嬉しいけれど、その行為が、こちらの意向とは違ってしまっている事が切ない。
自分にとっては不要なものを、「モッタイナイ」から引き継いで使って貰いたい・・・と考えるのは、私の傲慢な気持ちかも知れない。
相手には相手の都合や立場もあるだろうから・・・ね。
玄関先で押し問答も嫌だから、「返って負担をかけてしまいゴメン!」と言って、有難く頂いた。

私はあちこちに義理を欠いている。
特に、物のやり取りは、自分自身が対応しかねているから、こちらで先に義理を欠くようにしている。
基本的に、一人で生きて行くには問題はないように思っているからだ(世間一般の事は分からない)。

友人らが、一人では行かない(行けない)という所に、せめて、「義理欠き」の穴埋めのつもりも兼ねてお付き合いさせて貰う事が、たま、ある。

26日、友人と、東京:日暮里に出掛けた。
日暮里にある「繊維街」に行きたいと言う友人の希望を実現させるためである。
そうなると、度々は出かけられないから、近くにある「巣鴨で塩大福」や「谷中霊園桜鑑賞」とか、ついでに回って来ようかと欲が出て、友人より、自分の希望の方が膨らんできてしまうのだ。
お天気もよく(暑かったくらい)、ぶらりと歩き回るには、最高のお日和で、「谷中霊園お花見」は都会のど真ん中には思えない程、のんびり散策出来た。
「お花見」と言えば「上野公園」なのだが、偶のオノボリさんと雖も、さすがに、今、この場所は避けたい。


私にとって「日暮里」は十数年の東京生活の基盤であった所なので、懐かしさと言うより、ほっと落ち着くような居心地の良さを感じるが、ここを離れて十年余、都会が、以前のままであるはずも無く、あちこちと変化はあった。
それでも、居心地は悪くない・・・しばし、都会の空気を、思いきっり呼吸してエネルギーを充電した。
本日の主人公である友人は、目的の生地に囲まれた至福感を味わえたと思うけれど、疲れはしなかっただろうかと多少の不安感もあったが、まぁ、そんなに無理な計画ではなかっただろうと自画自賛(?)して置く。

友人には、「日頃の義理欠きを、これで帳消しにして」と宣言(強迫かな?)し、「また、何時でも付き合うからね」と付け加えた。

実のところ、一番満たされたのは私自身だった・・・と思っている。

 


 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「学びの楽しさ」に嵌ったかな?

2018-03-18 11:18:41 | この頃思う事

 

蕾を付けてから2か月(?)程かかっただろうか、漸く、「木瓜」の花が満開となった・・・春は来た?

 


 


「巨匠運慶の芸術 願成就院の毘沙門天立像を中心に」という演目で、東京国立博物館・浅見隆介氏(研究員?)講演受講の機会を得た。

←講演パンフより転載



この「毘沙門天立像」は我が近隣に所在する北条氏ゆかりの寺・願成就院にある「運慶作国宝仏」として、最近、脚光を浴び始めたもので、東京での「運慶展」にも出展されていた。

当然、その前から、当院で、数回、拝観してはいたけれど、特に知識を持っていた訳では無い。
偶々、我が市で、浅見氏に講演を依頼し実現した・・・という広報を見て、急遽、受講したと言う次第であり、どうしても受けたかったというより、「鎌倉仏」特に「運慶仏」は好きだし、ま、いい機会だから聞いて見ようか・・・という程度であった。

僭越ながら、案の定というか、研究員の講演の常套と言うか、面白~い講演だったとは言い難い(大イビキで寝ていたおっさんもいたなぁ・・・私は、さすがに、寝るまでは出来ななかったが)が、ただ、「聞いて見なければ分からないものね~」式の発見があった。
元々、信仰心を持ち合わせない私だから、仏像の意味・役割などの話(真剣に受け止めないというクセがあり)より、研究員の造作的な話の方が、素直に耳に入ってくるのは確かだ。
一緒に受講した友人(願成就院の近所に住んでいる)と、「今度拝観する時は、今日教えて貰った事を、しっかり、確認して来ようね」と、ちょいとした目標が見つけられた事を評価した。


昨年春から勉強して来た「ハンブル講座」が、この3月で終了する。
とても、習得したなどと言えない状況だが、ただ、「学ぶ事が面白い」という思いは維持出来ている気がする。
今ならば、まだ、何かを学べる(実質的な意味で)のではと思うけれど・・・ま、実践して見なければ、何とも言えないのも事実だけれど・・・ね。

 


 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再々度(?)の断捨離を始めています

2018-03-13 20:13:47 | この頃思う事

 

日中の気温が20℃近くになって、漸く、我家の「椿」が開花してきました

 


 

    

    

     
 
 一応、春夏秋冬に合わせて壁紙を変えていた・・・ホント、暇人だよね

 

ここ数日、あんまり暖かなので、日中は、花壇の落葉を除けたり、草取りしたり、庭の隅に置きっぱなしのゴチャゴチャした物を片づけたりしている。
でも、重いものを運ぶのは、まだ、多少の不安があって、スッキリと片づける事が出来ないが、ま、暑くならない前に、もう少し、片づけられそうに思っている。


残るものを買わないでいたり、貰わないようにしたり、かなり気を使っているのに、物が溜まる。
で、家に中に居てもアチコチ気になるもの(母の着物、書道道具類、PC内のメールアドレス等々)があって、これも、少しづつ、廃棄の準備を始めた。

PC内には、数えきれない(数千枚?)程の写真と、集めた音楽(多分1千曲くらい)が入っていて、まず、これから手を付けた。
写真はDVD(これもたくさんある)にコピーして、PC内のものはすべて削除、音楽はUSBメモリに写した(音楽は、大体がPCで聞いているから削除は出来ないが、もし、PCがオシャカになった時の安全策として)。
その後、メールアドレスの不要なものを削除しながら、カテゴリの整理もする。

で、削除しようとした画像の中に、PCの壁紙にしていたイラスト(自分で作ったり、同僚が作ったもの、フリー画像を利用したり・・・)が残っていた。
永久保存する積りはないので、これが最後の舞台にと、今回、掲載して、削除した。
よくよく思えば、かなり、PCで遊んでいたんだなぁと、我ながら呆れる。

それにしても、この手の作業は腰が痛むんだよねぇ・・・今は畳に「大の字」で休養中。

  

    

    

  そう言えば、壁紙に音楽も付けて聞きながら仕事してたなぁ・・・と、思い出した。

 


 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ただ今、模索中!

2018-03-07 11:36:06 | この頃思う事



早咲きと言えども、桜も咲いている当地なのに、我家では、漸く、梅が満開になって来ました、ホント、待ち遠しい春なのですよ。

 


  静岡市美術館に「白隠展」を見に行く

   駿河には過ぎたるものが二つあり
   富士のお山に原の白隠

と俗謡されたという「臨済宗中興の祖:白隠」は県内の「原」地域に生を受けたのだそうで、全く、わが身とは関係が無いものの、近隣の人と言うだけの、半ば、ミーハー的な気持ちで身近に感じている。
それでも、白隠さんの力強い作風には魅力を感じてもいるから、覚えているだけでも3回ぐらいはその作品(全く宗教心が無くて)観賞に出掛けた気がするが・・・でも、またまた、出掛けた。

3月6日、本当は、東京:国立博物館平成館の「仁和寺展」に出掛けるつもりでいた。
友人から「仁和寺展」を観たいという要望があって、それでは予定に入れておいて・・・と約束したのは1ケ月前だったと思う。
4日だったかな?待ち合わせ時間の打ち合わせに電話を入れると、「えっ?」と言う友人・・・忘れていたそうで、別の予定(午前中だけ)を入れてしまっていたのだ。
ま、それから出かけても大丈夫だろうが、バタバタするのが嫌だから別の日に変更してとは提案したところ、「白隠展」に行きたいと言う。
「白隠展」は静岡市だから、そう急ぐことも無いので、OKを出したという次第だったのだ。

何につけても熱心な友人と違って、私は、全く、通りすがり的気分だし、もう、何回目かの観賞だから、一通り、ざっと眺めながら館内を一巡していたが、いやぁ~、腰が重く痛くなって来てしまうので、数回、休憩を繰り返しながら友人を待つ。


観賞後、友人と珈琲を味わい(私とって珈琲も静岡に来る目的なのだ)ながら、いろいろな話をするが、運転免許を返上して、直一年になる友人が、未だに、自分の立ち位置を見つけられないでいる状況を察した。
車があれば、あそこにも行かれるし、ここにも行けるのに・・・という友人に対して、もう車には乗れないのは事実だから、何時までもそこに固執しないで、もっと身近な周りを見回したらと、先輩に対して申し訳ないけれど忠告した。
すると友人は、「散歩コースに寄ってみたい喫茶店がある。今度一緒に行ってみよう」と言うのだ。
私の本音では、「まず一人で寄ってみたら?」なのだが、「そうね、新緑が綺麗になったら出かけてみよう」と返事をした。

他人様にエラそうな事を言える自分では無いと自覚しているが、何でも率先してやってきた友人が、こんなにも自立心が失せている事に驚き感もある。
でも、何れ我が道・・・という教えのようにも感じた。
東京の「仁和寺展」にも行きたいと言う友人には、ちょい厳しいカナ?と思ったが、会期も迫っているし、別の予定があるから無理だと断った・・・少し、心が痛むけれど。

・・・・・・・・・・・・

ただ今、ブログ改革模索中・・・・はぁ~ 

 









コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春なのに・・・

2018-03-01 11:43:58 | この頃思う事

  我家の「お雛様」

我家には祖母(姉)から3代の雛人形があったけれど、姉と姪の雛は、数年前に引退を図り、現在、飾られるのは孫(姪の娘)のものだけだ。当時は都会の借家住まいだったので、こじんまりした雛壇で・・・でも、一年振りのお目見えも良いものだ。

 


 

  久~し振りの「晩餐会メニュー」

昨年の事故が、一応、ケリが付いたので、その時にお世話になった友人を誘って、久しぶりの「晩餐会(という程の物ではないが・・・)」を持った。
最近、アルコールを控えているから、夜、食事に出る事がなくて、何だか、生活にメリハリが無くなってしまっているのを打開したい気持ちもあった。

快く承諾してくれた友人らと、ちょっと緊張感のある時間と会話を楽しむ事が出来て、明日への一歩をを踏み出せた気分になる、友人から快気祝いだと言って「ワイン」も頂いたし・・・。


で、さて弥生3月である。
今日は「春の嵐」が吹きまくっているが、それにめげず、春季スケジュール(当然、遊び)を2、3件、計画した。
そこまでは問題なかったのに・・・何故か、急に、テンションが落ちて来てしまう。
ま、あれこれと原因を探ってみれば、事故の一件落着!が大きく作用していると思う。
大事に至らなかったから、落ち込むような事は無かったけれど、かなり、心理的な負担は感じていたようだし、また、何時の間にか、心に占める割合が増していたのだろう。
それから解放されて、一気に心の支え(中心)を見失ってしまった感がある。

「ハングル講座」が3月で終了する。
当初、目標としていた「文字が読める事」に、私的には達成できたとつもり(ただ読めるというだけで、単語の意味については、勿論、覚えられない)になってしまい、これまた、勉強意欲が低下している・・・適当主義の最たる現れだ。
で、次の目標も見つからない。


それでも、これではイケナイと奮起し、3月をブログUPしようと、野の花探しに出掛けた。
が、昨日まで何とも無かった(と思っている)デジカメがイカレてしまったのだ。
イヤハヤ・・・デジカメを買うか、スマホに替えるか、ケイタイで我慢するか、はたまたブログから画像を外そうか・・・一応、悩みましたよ。
で、当面、安いデジカメを使ってみるかと、アマゾンで中古デジカメ(今まで使っていた物と同種)を仕入れたところ、何よ!電源が入らない・・・てな事で、幸先が悪いので返品した(実際に故障なのかどうか不明)。
そう、せっかくの出ばなをくじかれてしまった・・・という訳なのである。


とは言え、よくよく思えば、自分の怠惰を他の所為にしているだけなのだけれどね。
春なのに・・・何時になく(何時もの事?)、重~い(少し痛みもあるような気もする)私の腰なのである ・・・




 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする