このところの暖かさで、「ユキヤナギ」が、一気に開花!
思い切って「断捨離」をしていても、まだ、捨てるのは惜しいと思う物がある。
先日も、そんなものの一つを、知人ならば、まだ、使えるかもしれないと考え、私にはもう不要だが、使ってくれたら嬉しいけれど・・・と言って貰って頂いた(つもりだった)。
知人は、その後、私の大好きな珈琲を買って持ってきた(当然、お返しだと思う)。
確かに、珈琲を頂けるのは嬉しいけれど、その行為が、こちらの意向とは違ってしまっている事が切ない。
自分にとっては不要なものを、「モッタイナイ」から引き継いで使って貰いたい・・・と考えるのは、私の傲慢な気持ちかも知れない。
相手には相手の都合や立場もあるだろうから・・・ね。
玄関先で押し問答も嫌だから、「返って負担をかけてしまいゴメン!」と言って、有難く頂いた。
私はあちこちに義理を欠いている。
特に、物のやり取りは、自分自身が対応しかねているから、こちらで先に義理を欠くようにしている。
基本的に、一人で生きて行くには問題はないように思っているからだ(世間一般の事は分からない)。
友人らが、一人では行かない(行けない)という所に、せめて、「義理欠き」の穴埋めのつもりも兼ねてお付き合いさせて貰う事が、たま、ある。
26日、友人と、東京:日暮里に出掛けた。
日暮里にある「繊維街」に行きたいと言う友人の希望を実現させるためである。
そうなると、度々は出かけられないから、近くにある「巣鴨で塩大福」や「谷中霊園桜鑑賞」とか、ついでに回って来ようかと欲が出て、友人より、自分の希望の方が膨らんできてしまうのだ。
お天気もよく(暑かったくらい)、ぶらりと歩き回るには、最高のお日和で、「谷中霊園お花見」は都会のど真ん中には思えない程、のんびり散策出来た。
「お花見」と言えば「上野公園」なのだが、偶のオノボリさんと雖も、さすがに、今、この場所は避けたい。
私にとって「日暮里」は十数年の東京生活の基盤であった所なので、懐かしさと言うより、ほっと落ち着くような居心地の良さを感じるが、ここを離れて十年余、都会が、以前のままであるはずも無く、あちこちと変化はあった。
それでも、居心地は悪くない・・・しばし、都会の空気を、思いきっり呼吸してエネルギーを充電した。
本日の主人公である友人は、目的の生地に囲まれた至福感を味わえたと思うけれど、疲れはしなかっただろうかと多少の不安感もあったが、まぁ、そんなに無理な計画ではなかっただろうと自画自賛(?)して置く。
友人には、「日頃の義理欠きを、これで帳消しにして」と宣言(強迫かな?)し、「また、何時でも付き合うからね」と付け加えた。
実のところ、一番満たされたのは私自身だった・・・と思っている。