最左側6月12日~6月28日迄2週間余の変化
我が家の紫陽花の「真打」、これで最終・・・花の色が、真っ白から段々と赤に、日々、変化していく様を、毎朝確認するのを日課にしているが、何故か、当初程の感動が無いのは、きっと、私がアキッポイという事なのだろうと思うね。
以前、この紫陽花の分身(挿し木や取り木したもの)を四軒のお宅にお譲りしたが、元気でいるだろうか・・・と、時折、思い浮かべたりする。
6月も明日が最終日となり、コロナで開けてコロナ三昧の日々も、もう、半年経過したという事だ。
コロナ禍での規制による不自由を言うニュースをみる度に思うのは、戦時中の不自由はどうだったのかなという事。
1946年生れの私の経験では、確かに、家が貧しかった事もあって、戦後のどうしようもない貧乏を身近に感じてはいたが、子供である私が直接に苦労を背負ったとは言い難い。
私のひと昔(私の常識では10年ひと昔)前の先輩たちは、世界大戦から太平洋戦争と長く戦争経験し、どんなに苦労と不自由を強いられた事だろうかと推察は出来るけれど、実状は、理解出来ていないと感じている。
たくさんの夢を育めただろう女学生時代を戦時中に過ごした先輩が、何も楽しい事はなかった、何も出来なかったからと、戦後になって、抑えていた欲望(いい意味での)が目の前に展開し、はじけるように(貪るが如く?)それを手に取ったと話してくれたことがあった。
私には、先輩のようなそういう飢餓感は無かったと思うが、確かに、戦後の物資が絶対的に不足している中で、勿論、贅沢品など論外、日常の食料品でも簡単に手にすることは難しく、只々、働けるように為れば、自分で欲しい物は手に入れられると思い、実際、そうして現在に至っている。
コロナ禍で、あれもこれも制限が科せられ、金銭的にも精神的にも不自由になった今、これを戦時中と比べられるものではないとしても、今の現状は、絶えられない範囲のものだろうか・・・という疑問は、この一年余、絶えずある。
ま、私が現役でも無く、田舎住まいであり、また高齢者という、有る意味恵まれた環境にいるのもそう考えられる一因かもしれないが・・・感染者増加傾向という報道があっても、繁華街に集まって来るという人々の行動は、わが理解の範囲外である。
ともかく、恵まれた立場の人間として、「出来るだけ、今日出来る事は今日の内に済ます」をモットーに、家の周辺で日々を過ごしている。
月末に近づくと、どういう訳か来月に持ち越したくないという思いが突き上げて来て、雨の合間をぬっても、草を取ったり、剪定したり、家の周りにニョキニョキと伸びて来るタケノコをやっつけたりと、気持ちだけで動き回るから、結局、大した仕事になっていないのだ。
それでも、一応、月内の作業予定はこなしている・・・という自己満足だけで今月も終了・・・ね。