昨年暮れに、正月用彩りとして植えたのですが、寒さを、しっかりと乗り越えてくれました
2月22日のブログでも記載しました(海原純子氏コラム欄抜粋)が、「外存型」と「内在型」の「夢中になるひととき」について、少し、考えてみました。
私は、何にでも、感動したり夢中になったりが、あまり無い・・・「沈着、冷静(ちょい変じゃないの?という意味も含まれて・・・)」という、評価も貰ったりする。
その①・・・素晴らしい景色に感動体験した友が、「是非、あなたに見せたい!」と、わざわざ連れて行ってくれるのだが、「素敵だね」と思うけれど、「素晴らしい、感動した!、ありがとう!」なんて、言ったことがないから、友は落胆する。
その②・・・遊園地・動物園・テーマパーク等は、全く、楽しさが理解出来ないから、退屈なだけだし・・・。
その③・・・信仰・人物・ブランドもの(十把一絡げでは問題かな)に、さほど興味を持たないから、のめり込む人の気持ちが分からない。
その④・・・趣味を極めるなんて、とてもとてもで、道半ばに到達する間もなく飽きてしまう等など言い出したら際限なく・・・我ながら変な人間だなと承知している。
ここで、海原氏コラムの続きを・・・・。
・・・夢中になることでも、それが他者から与えられたものか、自分で作り出すものかによって、満足感はちがってくるだろう・・・自己満足でしょ・・・などと皮肉られる。食事も、映画も、音楽も、もちろん好きだ。しかし、それだけでは物足りない何かは、自ら作り上げる夢中のなかにこそ存在する・・・(以上、心のサプリより抜粋)。
という、ご意見に接して、「なるほど、なるほど」と納得し、「私は内在型夢中主義だ」と、自己評価の値を勝手に上げたという訳でして・・・。
私は砂漠とか廃墟(それも、殆んど痕跡さえも見えないほどの・・・)が好きである。
「何も無いところよ」と、友人は言うが、私は、「何も無いの中に、何かが見えていると感じる時間が好きなのだ」と答える。
そのうちに「幻影・幻聴」が現れてきたり・・・もう、十分、危険な領域に入っているのかも・・・これを、夢中になっていると言う(言うか?)。
かつて(若かった頃です)、本を読みながら、作業をしながら、よくラジオを掛けていた・・・ながら族だったんです。
廃棄処分しようと整理している古いカセットテープに、こんなものが録音してあった。
懐かしい響きだなぁと思う、でも、TVはあまり見なかったから曲の詳細は不明。