背丈が高く伸び、花が咲いているのに、全く、気が付かなった「百日紅」。如何に、自分が、俯いてばかりの日々だったかを知らしめてくれた・・・反省!
拙き我がブログを「中国自由旅」を掲載した頃からお付き合いくださっている先輩ブロガーさんから、あるご提示を頂いた。
それは、私が、十数回も関わり合いを求めた「シルクロードの旅」で、何が一番、心に残ったかを掲載して欲しい・・・という事だった。
はたっと考えてしまった、どこも楽しかったし、面白かったし、でも、どこの記憶も、あんまり定かでないし(アルバム30冊くらいあった旅の写真は、すべて破棄してしまった)・・・というのが真実だからだ。
正直な所、私は、立派な建造物(世界遺産を含めて)・美しい景色・美味しい食べ物・有名貴重な産物(お土産品も)等には、殆ど(全くと言ってもイイかも)、興味を持たないので、記憶として残らない。
だから、「スゴイねえ!綺麗だね」と言われれば、「そうね、綺麗ね」と答えはするものの、それ以上の表現を示さないので、友人からは、「誘って来て迷惑だった?」と言われてしまうくらいなのだ(一応、我が身を弁護するなら、誘われたことを迷惑とは思ってないし、綺麗だから綺麗ねと返事はしたし、それ以上の意図は無いつもりなのだ)。
そんな私が、何故に「シルクロードの旅」に嵌まったのか・・・・確かに、日本では味わえないカルチャーショックはあった。
敢えて結論のようなものを捻り出せば、その土地、土地には、姿・形は見えないものの、かつて、利益を我がものにという野心(欲?)があったにしろ、艱難辛苦を乗り越え、この厳しい道(砂漠の道にしろ、海の道にしろ)を往来した人々の息遣いが感じられたから、否、感じたかったから・・・それは、只々、「日々是好日」で過ごしていた私には、違ったエネルギーを貰えた・・・シルクロードの風は最高だったな・・・と。
とは言っても、現在の世、そこに住んで居る人たちの日常生活に共感を感じたのも事実だ。
たかだか数日の観光で訪れ(シルクロードに関する旅には、15回、出かけたが)、ちょいと覗き見る・・・だけで「知ったかぶり」は出来ない日常があるという事は承知の上で言うならば、ギリギリの自然環境の中で懸命に生きる姿は、もう、私自身が、当に忘れていた事だった(子供時代(昭和20年~30年代)には、彼らの100分の1、否、1000分の1くらいの経験はあったけれど・・・)。
東京という大都会の中に住み、大自然の厳しさも感じず、便利さが当たり前となっていた自分に、「目を覚ませ!」と叱咤されているような現実の体験は、意外と、居心地よさを感じていたようにも思う。
それと、行く先々の街で、つかの間の出会いであっても見せてくれる素直な笑顔(特に子供たちの)が最高に素敵だった。
多分、そんな出会いに引きずられて、飽きずに通った「シルクロード」だった気がする。
その当時の、中国、中央アジアの国々、イラン、トルコ、南インド、西インド等々、シルクロードの香りを求めて旅したどの村、どの町でも、脅威にさらされながらも大自然と寄り添い暮らす人々の姿は、今、私が生き続ける上での知恵を示唆してくれた・・・と思えるのだ。
だから、旅に於いての、結構切ない経験(飛行機のチケットが取れなかったり、宿泊所が満杯でバスの床で寒さに震えながら寝たり、国境を越える定期乗合バスを降りた(正式には降ろされた)ら、人っ子一人見えない荒涼とした場所だった・・・とか、朧気ながらの記憶で)さえも、今は、有意義だったと思える。
締めとして訪れた「シルクロード東の終着点・奈良」の街をのんびり散策したのも、自分勝手に達成感を感じた忘れ難い思い出だ。
こんな文章では、先輩ブロガーさんへの答えとしては見当違いかな?と思いながも、旅をこんな風に捉える人間も有りかも・・・と、思って頂けたら嬉しいですね。