IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

2024年「お手製年賀はがき展」

2024-01-22 09:31:07 | この頃思う事

本日は1月22日・・・昨日が雨だったからか、案外、暖かな一日の始まりである。

漸く、今年頂いた「年賀はがき」の整理を始める。
最近は、印刷された「年賀はがき」も多い(基本的に安否確認としているので、それで良い・・・と思っている)が、年賀状を頂けるのは、管制であれ、お手製であれ、有難さに違いはない。

お手製の素敵な「年賀はがき」を眺めていると、作り手の姿が思い浮かび、楽しくて、自然に笑みが出て来るし、結構、心待ちしている部分もあるが、やはり、先行き諸々の条件もあり、この先、何時まで手書きで頂けるのかなと考えることもある。

我が手もとに来る「お手製年賀はがき」には、手書きのもの、彫刻彫り版画のもの、家族等の写真をコラージュしたもの等があり、いずれにしても、私には、到底、作り得ないものだと思うと、記念に残しておこうかな?な~んてことも考えたり・・・で、今回はブログに掲載して残すことにした(写真はプライバシーを考慮して除外)、それぞれの芸術作品をご覧あれ!

以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

最後の愚作品は空蘭を埋めるためのものでして、悪しからず

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相変わらず起動力不足ですが・・・

2024-01-18 10:52:49 | この頃思う事

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もう、一月も中旬に入る10日に、庭に出ると、ふぁ~と匂って来たのが「蝋梅」・・・そういえば、蝋梅の咲く時期だったのだ・・・と気付く。
毎年のことだが、我が家の「蝋梅」は花が咲き始めても落葉しない(他の家の状況はよく知らない)から、ホント、開花したのも気付かないのが通常となってしまっていて、気づいた時点で自然落葉が待てなくて、人間の手(私です)でして落葉のお手伝いをするのである。
ま、何かオカシイけれど、花の姿が目にできると、一段と香りを感じられるというのは、嗅覚的な事も視覚的な作用が、案外、大きいのかも知れない。

 

 


 

 

ボケーと過ごした正月も、既に、「七草」も過ぎてしまった。
もう、我が家(姉宅)では「七草粥」も作ることはしない。
その原因としては、まず、料理が面倒だという事、次は、お供え餅が無い(但し、3が日間食すお雑煮用餅は買うようだ)という事、そして、誰も食べたいと言わない事・・・ま、およそ理由にもならない理由で積極的に作る事を止めたみたいだ。
かく言う私自身は、あまり餅好きでない(だからと言って嫌いな訳ではないけれど・・・)から、元旦の朝、一回、お雑煮を食したら、それで一年すべてOKという感じなのだから、自ら作ろうと思う事も全く無い(エバることではないよネ)。

そんなこんなで気が付けば、既に10日を経過していて、如何にせよ、このままの状態でいるのは世間的にみっともないし、自身でも気持ちが盛り上がらないし・・・と、すっきり作戦の定番である「髪をカット」するために美容院に予約を入れた。
ともかくも、すっきりしたいから美容師さんに全面的にお任せで、清々カットと前髪の部分染めをする。
以前から美容師さんには、「あなたがプロとして、どんなことであっても、このおばさんに似合うと思う事をしてくれ、その結果をどうこう言うつもりは何もないから安心してトライして欲しい」と伝えてあったので、全面的オマカセにしても不安は感じない。
本音で言うと、もう少しこうしたらいいのでは・・・と思う事も、時折、あるが、でも、数か月すれば解決する事案なのだし、あえて注文を付けることもあるまいと考えているからだ。

12日に髪をカットした事で、随分、頭も気持ちも軽くなり、次の計画も自然に湧いてくるというものだ。
で、今のところ、一月中に友人らと3回のランチを予定し、自らの気分を挙げてから、例年の全く前途の見通しも見られない(私にとっては苦痛しかない)作業に取り掛かろうと思う。
ホント、人間の進歩とは、「3歩進んで2歩下がる」のは順調な歩みであって、「すればするほど後退する」という事実もあるのだと、半ば、諦めの境地になっている私なのだ。
でも、頑張るしかないのも事実なのだから・・・放り投げることも出来ないもの私なのである。

 

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ボケ~と3が日を過ごして・・・

2024-01-05 08:57:59 | この頃思う事

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今年は「センリョウ」が、例年に比べても綺麗な姿を見せてくれている(傍らに植えてある「ムラサキシキブ」は色づかないうちに実が落ちてしまったのに)のを見る度に、にんまりとするのを抑えられない自分が可笑しい。
ま、それなりにお世話をしたことが結果を出したのかも・・・という気持ちがどこかにあるんですよね。

 


 

 

今年の年賀状は、来なかった人もあり、今年で中止すると宣言された人もあり、大体、2割程度が、事実上、今年で終了になる感じだ。
私自身があれこれ迷うことなく結果が出て来たことに「それでいい」と、却って安堵感すら覚える。
ただ,その内の一人には、このまま「はい、了解しましたよ」と済ませて置けない気持ちもあり、時間があれば、一度、会って置こうと思っている、あくまでも、自分自身の為であって、あちら様には迷惑かも知れないけれど・・・

 

 ←本物のエスプレッソ(拡大してよ~く見て下さい)

先日、東京・新宿の「イタリアンカフェ」で「本場エスプレッソ」を味わう機会が有った。
私は、珈琲には目が無いと自認しているけれど、高級とか本場ものとかには、さほど、気に掛けてはいない。
ただ、美味しい珈琲を、静かな環境で、ゆっくりと味わえたらそれでよし・・・という感覚だ。
で、その「本場イタリアンカフェ」で味わった「本物のエスプレッソ」に私は驚いた・・・という話をしたい。
確かに香りと味は良かったのは事実、でも、出てきたカップの中の量に我が目を疑ったのである、少ない!とても少ない量で、これって中身を入れ忘れたんではないの?、そう、二口啜ると(飲んだのではない)カップは空になった。

誰に聞いても、「エスプレッソ」とはそういうものであって、その店は正しい流儀だと言うが、私は納得できない、飲めない程の量は必要は無いが、此れしきの見た目(あくまでも量に拘る)で商売し、「これが本場の常識だ」と言われることに納得出来ないのであるよ。
まぁ、お前には本物を味わう常識も持っていないのか・・・と非常識な自分を、全世界に晒されたようで逆切れたのかもしれないが、一方で、此れしきのものを出されて、しっぽを振って満足!満足!と諸手を挙げて協賛する人間の方が狂っている・・・とさえ思えたという訳で。
結果として、私には「本場エスプレッソ」を味わう知識も常識もないと理解したが、珈琲飲みを自称する者として、この商売、何か許せないなぁ・・・と感じる気持ちも尊重したいと思ったのであった。

最近、これって「常識」なのか「非常識」なのかを判断できない出来事に出くわす機会が多いように感じている(多分、自分自身を装おう事が苦痛になってきたのだろう)が、かと言って、「常識」「非常識」で色分けをするのではなく、私にとって心地良いか、また相手にとって迷惑でないかで、冷静に判断出来て行ければいいと考えるようになった。
実は、昨日の夜、手術を前にしている知人から電話が来た、多分不安な気持ちが重なって、その負担を払いたかったのだと思うが、私は、「そういう話は医者に問いなさいね、医者には答える義務があると思う。私には何も判断できない。但し、お見舞いに行く予定をしてるから連絡は必ずしてね」と、もしかすると、知人には冷たく感じたかもしれない返答をした、世間的には「非常識」な態度と言われそうだが、でも、これは私の出来る精一杯の「常識の範囲」なのだから。


何もしない3が日中、目的も無く配信映画をボーっと見ながら、いつの間にか、またしても埒の明かない思いを巡らしている・・・そうスッキリ思い切れないのも、私の持っている「現在の常識」か。

 

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〝本年もよろしくお願いいたします〟

2024-01-01 03:09:54 | この頃思う事

元旦の富士山(令和6年1月1日 午前9時 撮影)

 


 

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