IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

ぶどうの木の剪定をしたけれど・・・

2009-01-25 14:23:20 | 晴耕雨寝


青空がきれいだ。
「こたつむり」の毎日だが、あまりに空が青く澄み、気分も軽くなってきたので、ぶらぶらと戸外をぶらついていたら、母が畑を耕運機で耕せという。
「何を植えるの?」と聞くと、「いんげん」と「きゅうり」を蒔くのだと・・・ちょっとムッとして、「まだ1月!!、苗が霜で凍ってしまうじゃないの」というと「ああ、そう・・・もう、3月になったかと思ってさ」なんてのたまう・・・大分ねじが狂ってきたようだ。付き合っていられないですよ!
で、ぶどうの剪定をすることにした。このぶどうは、もうずいぶん長い期間、実を付けたことがないという代物だ。母が植えたもので、勝手に切り倒すとうるさいから、もっぱら、犬小屋の日よけに利用しているだけだが、それでも、毎年、剪定だけはしている。枯らさないでいれば、何時か実がなることもあるかも・・・という淡い望みもかすかに持っているのだが・・・。
一応、ネットで「ぶどうの剪定」を検索して勉強をするけれど、剪定を始めると、もう、どうでも良くて、じゃまぽいところをバチバチと切り落としてしまい、気がつくとスッキリ状態となる。これでは実がなる筈がない。でも、何時の日か、たゆまぬ勉強が実って(?)立派な房の実のなる剪定が出来るようになるだろう・・・と勝手に思っているんですが・・・。

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シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第10回目)

2009-01-17 13:34:15 | 旅の足跡2

1999年(平成11年)9月12日~9月20日
北京→トルファン→カシュガル→アクス→クチャ→コルラ→ウルムチ→北京


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国内のシルクロードを、8回に渡って訪ねてきたが、著しく変化する街では、古の風情を捜し求めるような旅になってきており、もう、旅を終わりにしても良いかも知れない・・・という思いが掠める。

1986年に、タクラマカン砂漠を定期乗合長途バスでひたすら走りぬける横断旅をしたが、もう一度タクラマカンへ行って見よう・・・そして、中国は終わりにしよう・・・と、今回、この旅に乗った。
主に、タクラマカン砂漠に点在する遺跡を訪ねる企画である。

前の旅では、ウルムチからカシュガルまで、3泊4日かかった砂漠越えは、今回は、一気に、飛行機で1時間半程で飛び越えてしまった。
古はラクダで現代は飛行機が砂漠の船ということであろうか・・・そう言えば、道路しか無かったタクラマカン砂漠に鉄道が敷設され、近々、開通されるとか言っている。
かつて、艱難辛苦を味わったカラクリ湖への道のりも、快適なドライブウェイになり、景色を楽しむ余裕もできて、全く別な場所へ来たかのようである。
マルコポーロが聞いたら、彼はどう反応するだろうか・・・隔世の感であろう。

しかし、あまりにも短い期間に、これほど急激な変化をするという事は、この地に住む人々に、どんな恩恵と影響をおよぼしているのだろうか・・・沿岸部の都市で感じた「何事にも金、金、金」を思うと多少の不安も感ずるが、そんな事、余計なおせっかいと言われるかも・・・。

しかしながら、私は相変わらず砂漠が大好きだ。
何にも無いようでいて、いろんな事を奥底に秘め、厳しい現実の姿を屹立し、決して媚びない。
でも、じっと目を凝らし、耳を澄ますと、ひっそりと歴史があり、植物があり、風は流れ、美しい風紋を残し、そして何よりも、そこには広々とした地球がある。

中国でのオアシス路は、砂漠と共存する人間の営みに深く触れることが出来たと思う。
変化を目の当たりにして思うのは、数年、もしくは数十年もすれば、この道筋は砂漠ではなく、青々とした畑の続く道となるのも、絵空事だと片付けられないかも知れない・・・マルコポーロやキャラバン隊の命を掛けた冒険も想像できないという状況に変化するかも・・・という事だ。
それも良しではないか・・・と思っている。

私は十分に砂漠を楽しみ、生きているシルクロードに触れる事ができたのだから・・・・。


「トルファン高昌故城・・・城は年々拡大している?ような・・・」

「ウルムチ市内で」

「ウルムチで 絨毯織る女性と作品」

  

 「馬に挨拶をする友人」

「カシュガルの町角で」

「カラクリ湖への道で」

「カラクリ湖への道で・・・川のような、湖ような・・・」

「これがカラクリ湖です」

「タクラマカン砂漠のドライブイン・・・トラック野郎ばかり」

「ドライブインの食堂で・・・フェルメールの絵のような・・・」

 

「やがて、キジル千仏洞」

「クズルカハ遺跡で」

「現代のキャラバンサライ・・・コルラ駅」

d.h

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我が家の庭を彩る花(水仙)

2009-01-15 09:43:29 | 晴耕雨寝


[すいせん]1月15日が休日ではなくなったのは何時ごろからだったのか・・・伊豆半島の先端に「爪木崎」という所がある。そこは野性の水仙の自生地で、観梅前の花として、1月15日の休日には恒例のように出かけていた・・・「水仙の観賞」というより「水仙の香り」を楽しむためと言うべきか・・・。
岬の先端に灯台が立つ以外、何も無い場所で、さすが伊豆といえども海からの風は容赦なく吹きつけ、きゅっと体を引き締め、寒さをこらえたものだった。
灯台に続く道の土手に野生種の水仙が群生している。いや、そこここにあるという感じ・・・わぁーと一面に・・・ではなくて、風の当たらない窪みにひっそりけなげに・・・という風情だ。
しかし、それらが放つ香りはかなり強烈だった。寒風の中で「野性水仙、ここにあり」と存在を誇示するかのような香りに私は圧倒された。花びらはバラ程でもないが、数枚の八重咲きて゜、触れただけでも、ずっと私に付きまとうように香り続けている。「別天地」というのはこういう所のとこだ、いや、ここが「別天地」なのだとさえ思った。
それから、冬の閉塞感を開放できる「爪木崎の水仙」は、私にとっての癒しの場となり、しばしば出かけることとなるのだが、しばらくすると、近くには駐車場と熱帯植物園も出来、観光客により一層の感動を与えるためか、それとも観光客が押し寄せたために野生水仙が枯れたのか、新しい株が人の手で植えられたようで、薫り高い野生種と違う花(一般的な水仙)をみるようになり、風に乗り、そこはかとなく水仙は香るけれど、最初に感じた強烈さは無くなってしまった。
もう、20年近く訪ねていない。
今、思い返すと、勘違いをしていることもあるかも知れないと思う。
元々、野生の水仙ではなく、植えられたものだったかも・・・単に種類の違う水仙に遭遇しただけかも・・・今でも変わらぬ香りを放っているのかも・・・唯、最初の感動を感ずることは、多分、もう無いだろう。

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バイオリズムがどん底です

2009-01-13 18:09:00 | この頃思う事
新年を迎えたというのに、私のバイオリズムは、ずっと、どん底を這いずり回っている。
否、昨年の暮れからかも知れない・・・何も思い浮かばないし、何も手につかない。しかし、飢えてしまう人がいるから、3度の食事は機械的に支度するだけで、一日中、殆ど口を聞かない日が続いている。
先日、重い体をやっとの思いで動かして「書道教室(これだけはと思う気持ちもあって・・・)」には行ってきたけれど、家に帰っても復習をするどころか、硯も洗ってない・・・テレビもつけているだけ・・・新聞を読む気がしない・・・本なんてとても読めない・・・もう、最低の日々だ。
勤めている頃にも、時折、こんな状態になった。やっと体を持ち上げて会社に行く(会社には行くんだよね、食べなきゃならないから・・・)。家に戻っても食事の支度をしたくないから、帰り道に出来合いのお惣菜を買ってくる。使った食器はシンクに放り込んで洗わない。そのうちシンクは山のようになる。1週間くらい経つと使える食器も無くなり、「あぁ、シンクを片付けなくては・・・」と思い始めるのだ。そして、また元のような普通の生活バターンに戻っていく。今、思うと、私の体が、張り詰めた心を、自動的に休めいてたのかも知れない。
今日、元会社の友人から「旧交を温める会」のお誘いが来た。日々の生活と違う空気を体が察してか、やっと、私の頭が回転してきたような気がする。まずブログから始めよう・・・と思った。

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我が家の庭を彩る花(蝋梅)

2009-01-07 10:05:43 | 晴耕雨寝


[ロウバイ] 寒い!・・・毎日「こたつむり」状態である。そう、炬燵に縮こまり、クピだけ出している。これから「大寒」を経験しなければならないというのに、もう、「冬眠」したい気持ちだ。
「半日村」の我が家に日が当たるのは午前10時過ぎ、ようやく私も庭に出る。ポカポカと背中が暖まる・・・太陽というのは本当にありがたいものだと感謝の一時に、そこはかと匂う香りがある・・・そうだ、「ロウバイ」の香り・・・。
庭には無秩序に「つばき」「さざんか」「石楠花」「ざくろ」「さくら」「ロウバイ」その他何種か、雑多な庭木を植えてある。手入れをしないから勝手気ままに成長していた。一昨年、私は、その枝をバサバサといい加減に切り落としたのだが、風通しは良くなったものの、昨年はそれらの木々の花はあまり付かなかった。「ロウバイ」はチラホラと咲いたような・・・あぁ、そうか、やたらに切ってもダメなんだ・・・とその時に気づいたので、昨年は少しだけ丈を摘めて置いたのだった。
その故か、今年はいっぱい花を付け、庭中に香りを放っていた。
「半日村」にも「春夏秋冬」は巡って来る。花の少なくなった冬の庭では、春はまず「梅の花」だろうが、我が家では、まだ咲いていない。けれど、この「ロウバイ」が、一番先に、春の訪れを感じさせてくれたようだ。
「こたつむり」状態は、もうしばらく続くことだろうが・・・。 d@)4qef
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一年の計は元旦にあり・・・・

2009-01-01 13:32:42 | この頃思う事

[2009年初日の出 写真提供・TTさん]



2009年元日・・・63回目の元日は、おだやかに恙無く迎えた。
一年の計は元旦にあり・・・というけれど、63回ともなれば、相変わらずで、これといった計画も浮かばない。ただ、健康で過ごそうという思いはある。勿論、肉体的な事も大事だが、今の私にとっては、精神的に如何に健康であるかということなのだ。
退職してからは、意識的に、所謂、仕事・職業に関わることを遠ざけてきた・・・新しい何かを見つけたくて・・・まだ「これだ!」と思うことは見つけられないでいる。但し、母の衰えが見え始めている。ここに私の存在意義があるのならば、まず、精神的に柔軟でなければならないと思うからだ。つぶれないように、のめりこまないように、しなやかに、楽しく、そして、出来たら美しく・・・今年の目標に向かってチャレンジの開始である。

[元旦の富士]

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