IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

シルクロード行きつ戻りつ点々旅(おまけの旅)

2009-03-03 09:08:24 | 旅の足跡2


「シルクロード・ステップ路」の旅を終了してから丸一年、ボーッとした日々を過ごしていた。

知人達からは、「今年はどこへ行くの?」と聞かれるが、正直言って、どこも思いつかなかったし、と゜こへも行きたいと思わなかったのだ。
しかし、ある時、「シルクロード・南海路」も見なくては「ステップ路」を語れない・・・まぁ、そんな大げさな思いでは無いけれど・・・ちょっと見て見ようかという気になって・・・という訳で、2005年(平成17年)ベトナム、2006年(平成18年)南インド、2007年(平成19年)西インドの海岸線の街を訪ねたのだった。

 


[ベトナム ハロン湾で]

[ベトナム 古都フエで]

[インド チェンナイで]

[インド コモリン岬で]

ベンガル湾、インド洋、アラビア海が、ここから一望できる

[インド ゴアで]

[インド ムンバイで]


という程度で、「シルクロード・南海路」の見学は卒業し(何しろ、元々、大それた考えを持っていないので、終了するのも簡単で・・・)、ここまできたら、やはり、「平城京」でしょうと、奈良へ向かったのは平成20年の秋でした。

五木寛之著「百寺巡礼・奈良」を読んで、「正倉院」にある宝物だけではない、当時の社会の中に、シルクロード(ステップ・南海共に)に深く関わった文化があったことを知ることが出来た。

静かな奈良の街を一人で歩いていると、シルクロードに第一歩をしるした日から、この奈良に至るまでのこの長い旅を懐かしく思う一方で、いつしか私自身の生き方までも振りかえっていた。
私の「シルクロードの旅」も、「人生という旅」も、波乱に満ちた訳でもなく、たいした間違いも無く、収獲もなく、しかし、私には共に楽しい旅だったと言いたいが・・・良いですよね。


[奈良 薬師寺東塔]

[奈良 唐招提寺の築地]

[奈良 東大寺正倉院への道]

qv@

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シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第12回目)

2009-02-28 08:51:11 | 旅の足跡2

2003年(平成15年) 9月21日~9月30日
イスタンブール→チャナッカル→ベルガマ→イズミール→パムッカレ→コンヤ→カッパドキア→アンカラ→イスタンブール]

 

 

 

 

 

 

 

 

[ボスポラス海峡から旧市街を遠望する]


 

飛んでイスタンブール~・・・思わず歌ってしまったんです。

日本から飛行機で13時間弱余り・・・ついに、最終目的地イスタンブールを踏んだのだ。
1979年、NHKのTV番組「シルクロード」を見て、「シルクロード・オアシス路」を訪ねてみようと思い立ってから、行きつ戻りつウロウロと、気がついてみたら、実に、24年間も経っていた。

イスタンブール旧市街を友人とぶらつきながら(友人とは何回かこの旅を共有してきた)、決して壮大な旅をしてきた訳ではないけれど、「あぁ、着いてしまったねぇ」と感慨にふけり、その達成感を覚えると共に、何ともいえぬ虚脱感さえ感じていた。

トルコについても、私は、たいした知識を持ち合わせていないが、“ここがシルクロードだ”という場所は無いように思う。
我等が観光する場所は主に“ローマ遺跡”である。
しかし、“ローマ遺跡”があるということは“ローマ人”がいたのだから、ここでも東の文明と西の文明は混合していたはずで・・・トブカプ宮殿で出会った家族はイランのシラーズから観光に来たという。
私が先年シラーズを訪れたことを話すと、彼らはとても喜んでくれ、あれこれと話しかけてくれる。
こんな出会いが古からづーうっと有ったのだと思う。

イスタンブール旧市街、海峡沿いに大露天市場があるが、その賑わいに身を任せながら歩き回っていると、遥か遠く砂漠を越えてきた人々が彷彿として来、息遣いさえ聞こえるような気がする。

「シルクロードの旅」は、東方「長安」からここ「コンスタンチノーブル」まで、全部が繋がって訪れる事は出来なかった。
最もシルクロードに関係あるだろう東トルコは行ってないし、中東も「イラン」を訪ねたのみで、「アフガニスタン」にも「イラク」に「シリア」も「リビア」も「イスラエル」にも行かなかったのは、戦争ということもあったが、私には、あえて紛争地帯に出向く勇気が無かったから・・・かも知れない。

でも、古人(いにしえびと)も紛争地帯を避け、脈々と、また細々とでも繋げて来たのだと思っている。
この道が、何時の日か、安全でのんびりと旅が出来るように、今の私には、そう願うのみである。


 

[イスタンブールで]

[エフェソスで]

[パムッカレで]

[カッパドキアで]

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シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第11回目)

2009-02-14 09:28:50 | 旅の足跡2

[イランのタイル装飾模様]

イスラム圏でのタイル装飾を見るにつけ、宗教的というか芸術的というか、その熱意に圧倒される。
今までに目にした中国西部、中央アジアなどの地域では、美しさにの中に素朴さと力強さを感じたのだが、ここイランの模様は、あまりにも華麗で、かつ、繊細さに、しば~し、見入ってしまうのだった。


「シラーズ サーディの霊廟で」

 

「ヤズド ジャメ・モスクで」

「イスファハン イマーム広場で」

「イスファハン チェヘル・ソトゥーン宮殿で」

「イスファハン ジャメ・モスクで・・・木堀りです」

d.h

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シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第11回目)

2009-02-09 18:11:38 | 旅の足跡2

2001年(平成13年) 8月20日~8月27日
テヘラン→シラーズ→ヤズド→イスファハン→テヘラン

 

ようやく中国シルクロードオアシス路を抜けて、イランに着いた。

日本からは、現代のらくだ、飛行機で10時間余りである。
北京上空を経由したため、何度も歩いた「河西回廊」や「タクラマカン砂漠」の上空を飛んでいるのだ。

イランの首都テヘランに着いたのは夜10時。
この日はホテルに入って寝るだけである。
ベッドに横たわって、旅行社からのパンフに目を通す。
イラン、いわゆるペルシャ文明の片鱗は、我が「正倉院宝物」の瑠璃椀などに見られるようだが、私自身は、とりわけ、「これがペルシャだ」なんて意識したことはなかったが、その「モダン」というか「しゃれた」感じには興味を抱いた。
このシルクロードの旅をしたいと思ったひとつかも知れない・・・西にはいったい何があるのという思い。

シルクロードで最初に何が移動したのか知らないが、「シルク」を西に運ぶことが隆盛になった時代を経ながら、東西が活発に行き交ったのだろう。
しかし、日本にいると、東から西への移動は余り見えてこない。
正倉院にしても西から東の流れの終着点と捉えられているように思う。
それほど西からの文明は憧れと脅威を抱かせるに値するものだったのだろうと想像はしていた。
シラーズにある「ペルセポリス」の遺跡(廃墟というべきか)を目の前にして、これが紀元前のものだということに、感銘、いやショックを受けた・・・まだ、我等がご先祖さまは野山を走り回っていたという時代なのに・・・と。

このショックがシルクロードの成り立ちに関与したと痛感したのである。


[アレキサンダー大王に破壊されたペルセポリスで]

 

[笑顔が素敵なイランの人たち]

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シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第10回目)

2009-01-17 13:34:15 | 旅の足跡2

1999年(平成11年)9月12日~9月20日
北京→トルファン→カシュガル→アクス→クチャ→コルラ→ウルムチ→北京


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国内のシルクロードを、8回に渡って訪ねてきたが、著しく変化する街では、古の風情を捜し求めるような旅になってきており、もう、旅を終わりにしても良いかも知れない・・・という思いが掠める。

1986年に、タクラマカン砂漠を定期乗合長途バスでひたすら走りぬける横断旅をしたが、もう一度タクラマカンへ行って見よう・・・そして、中国は終わりにしよう・・・と、今回、この旅に乗った。
主に、タクラマカン砂漠に点在する遺跡を訪ねる企画である。

前の旅では、ウルムチからカシュガルまで、3泊4日かかった砂漠越えは、今回は、一気に、飛行機で1時間半程で飛び越えてしまった。
古はラクダで現代は飛行機が砂漠の船ということであろうか・・・そう言えば、道路しか無かったタクラマカン砂漠に鉄道が敷設され、近々、開通されるとか言っている。
かつて、艱難辛苦を味わったカラクリ湖への道のりも、快適なドライブウェイになり、景色を楽しむ余裕もできて、全く別な場所へ来たかのようである。
マルコポーロが聞いたら、彼はどう反応するだろうか・・・隔世の感であろう。

しかし、あまりにも短い期間に、これほど急激な変化をするという事は、この地に住む人々に、どんな恩恵と影響をおよぼしているのだろうか・・・沿岸部の都市で感じた「何事にも金、金、金」を思うと多少の不安も感ずるが、そんな事、余計なおせっかいと言われるかも・・・。

しかしながら、私は相変わらず砂漠が大好きだ。
何にも無いようでいて、いろんな事を奥底に秘め、厳しい現実の姿を屹立し、決して媚びない。
でも、じっと目を凝らし、耳を澄ますと、ひっそりと歴史があり、植物があり、風は流れ、美しい風紋を残し、そして何よりも、そこには広々とした地球がある。

中国でのオアシス路は、砂漠と共存する人間の営みに深く触れることが出来たと思う。
変化を目の当たりにして思うのは、数年、もしくは数十年もすれば、この道筋は砂漠ではなく、青々とした畑の続く道となるのも、絵空事だと片付けられないかも知れない・・・マルコポーロやキャラバン隊の命を掛けた冒険も想像できないという状況に変化するかも・・・という事だ。
それも良しではないか・・・と思っている。

私は十分に砂漠を楽しみ、生きているシルクロードに触れる事ができたのだから・・・・。


「トルファン高昌故城・・・城は年々拡大している?ような・・・」

「ウルムチ市内で」

「ウルムチで 絨毯織る女性と作品」

  

 「馬に挨拶をする友人」

「カシュガルの町角で」

「カラクリ湖への道で」

「カラクリ湖への道で・・・川のような、湖ような・・・」

「これがカラクリ湖です」

「タクラマカン砂漠のドライブイン・・・トラック野郎ばかり」

「ドライブインの食堂で・・・フェルメールの絵のような・・・」

 

「やがて、キジル千仏洞」

「クズルカハ遺跡で」

「現代のキャラバンサライ・・・コルラ駅」

d.h

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シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第8・9回目)

2008-12-24 16:00:33 | 旅の足跡2


敦煌・鳴沙山を望む


◎1994年(平成6年)9月2日~9月9日
[北京→西安→桂林→上海]
◎1997年(平成9年)9月9日~9月16日
[北京→西安→敦煌→トルファン→ウルムチ→北京]

第8回目の旅は特に「シルクロード」に拘った旅ではなく、たまたま「中国桂林」に行ってみたいという友人と参加したものだが、せっかく中国に行くならば、せめて、シルクロードの香りがする長安(西安)だけでも見てもらいたくて、西安のあるツアーを選んだという訳で・・・。

「始皇帝陵」「兵馬俑坑」「清華池」「大雁塔」「碑林」とお決まりコースではあるが、友人は中国の壮大な遺跡群に感激してくれたようだ・・・歴史に興味を持ったかどうかは分からないけれど・・・。
私としては、史跡はもう見慣れたものの、何か住み慣れた街に戻ってきたようで、街の空気にどっぷりと浸り、気持ちの良い滞在であった。

第9回目には、再び、三度の敦煌である。
前回の旅でちょっぴりシルクロードの香りに触れた友人も同行する・・・友人も、また、シルクロードの深みに嵌ったかな・・・ちょっと嬉しい。

訪れる度に変わってゆく中国の姿に、もったいないなぁという思いも感ずるが、その変化を楽しむのも悪くない。
ああ、ここがこんなになったのか・・・清潔になったなぁ・・・まず、道が整備されているもの・・・車が多いなぁ・・・ロパタクは、もう、居ないし・・・等など。
度々の訪問で、街が身近に感じられ、いつの間にか私自身が住民の立場になっていて、街の変り様にも(良い、悪いは別問題として)、発展するって、そういうものだよなぁ・・・と納得してしまっている。
ただ、どの街にも失くしてしまうには残念な貴重な財産(歴史的遺物だけではなく、街の佇まいとか・・・)があるということに、何時の日か、気づいてくれる事を願う。


[敦煌・三景]

[陽関にて遥か西方を望む]

[砂漠のキャラバン隊・・・否、盗賊か]

[沙州故城址・白馬塔]

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シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第7回目)

2008-12-13 12:50:09 | 旅の足跡2

1992年(平成4年)8月1日~9日
[上海→西安→敦煌→蘭州→北京]


敦煌・鳴沙山

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

86年に訪れた「敦煌」に再びチャレンジ。
前回、思い入れが深過ぎて、返って失望感を招いてしまったという教訓を、心に記して・・・。

「莫高窟」は「特別拝観窟(拝観料別徴収)」にも、十分、ゆとりをもって見学することが出来た。
要は先入観を持たないことだろう。
「莫高窟」の詳細は、旅の後、参考本を購入して、これもゆっくり復習した。

昭和62年か63年頃だったか、井上靖原作「敦煌」が映画化され、私も3回位映画館へ通った。
どちらかといえば「物語」より映画に映し出された「景色」に引かれてが本音かも・・・。
「敦煌」に関しての私の読書は、映画を見てから読むという、逆のパターンだったが、旅に選ぶときには、こういう取っ付き方も、また、良いのではと思っている・・・思い入れが少なくて済むし、本を読むにも返って新鮮な感動がある。

今回の旅では、「瓜州城」であったか「沙州城」であったか、その映画で使われたセットの城郭を見てきた。
本当に映画のセットというのはチャチだなぁ・・・の一言で・・・映画では実に感動的場面の城だったのに・・・と別なショックを感じてしまう。
敦煌には「映画のセット」を観光に使わなくても、本物がザクザクあるんだもの・・・私の本心では・・・ヤメテクレヨ・・・です。

今回の目的は「陽関」。
実に寂しいところである。
私の前にも後ろにも、右も左も、茫々と果てしなく広がる沙漠のみ・・・夕暮れの迫る「陽関」に立っていると、己の意思とは関係なくこの地に配属された古の人々に押し寄せたであろう、言いようのない「寂寥」と「不安」を、もの好きで来た私でさえ、ひしひしと迫りくるのを感じる・・・。


「敦煌映画村の入場券」

「遠く莫高窟に連なる鳴沙山」

「送元二使安西」        王 維

            渭城の朝雨 軽塵を�覗し

            客舎青々 柳色新なり

            君に勧む 更に尽くせ一杯の酒

            西のかた陽関を出づれば 故人無からん

「北京・万里の長城・・・遥か西へ続く」

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シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第6回目)

2008-12-09 09:07:19 | 旅の足跡2

1991年(平成3年)8月24日~8月31日
「北京→洛陽→西安→上海」


フリーで中国シルクロードを旅をしてから既に5年が過ぎている。
旅が終えた時、達成感というか虚脱感というか、前向きな旅心が萎えてしまったたのだ。

初心に帰って、「長安」を訪ねてみようと、第6回目の旅は「洛陽、西安」へと出かける事とした。

シルクロード全盛期の唐時代の「長安」の都は、現在の「西安」とは違う場所であったと言うが、それでも、あの過酷な砂漠を一歩一歩進んで造られたシルクロードの出発点であり、目的地であった「長安」の隆盛を感じたいと思う。

参考資料:陳舜臣著「紙の道」(ペーパーロード)を読む。
シルクロードと呼ばれた道はペーパーロート゜でもあったとのご見解である。そうよ、そうよ・・・あの道はシルクだけが主役ではなかったのだと、嬉して、楽しくて興味深い著書でした。
今回の旅に何が参考か・・・つまり、中国での紙の起源を詳しく明らかにしてくれてあり、「洛陽の紙価」の成り立ちが「目からうろこ」だったのだ・・・面白いです。


[洛陽・白馬寺前で・・・]

[洛陽・龍門奉先寺・・・大仏にはかの則天武后の面影があるとか]

[西安・城壁から市内を見る・・・正面遠く見えるのは鐘楼かな? ]

[大雁塔で・・・玄奘三蔵が持ち帰った経典が納められた]

[小雁塔で・・・]

[清華池・楊貴妃が・・・]

[秦の始皇帝陵墓で・・・始皇帝が埋葬されるとすぐに盗掘されたとか]

[兵馬傭坑で・・・撮影禁止なので、これは博物館のレプリカ]

[阿倍仲麻呂の記念碑・・・国際都市長安では異民族でも高官に採用したという、その一人である]

 「あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも」

[

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シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第5回目)

2008-12-01 17:28:34 | 旅の足跡2

1986年(昭和61年)7月12日~9月11日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北京→西寧→ゴルムド→ラサ→成都→蘭州→中衛→蘭州→ウルムチ→タクラマカン砂漠横断→カシュガル→タシュクルカン→カシュガル→ウルムチ→上海→北京


2ヶ月に渡るフリー旅は、古の「シルクロードの旅」ほどの危険なリスクはないものの、今日までは無事だったけれど、明日は何が起きるか分からないという点においては、十分、古を理解できる旅だった。
それ故に、私のような無信心な人間でも、思わず、何度も神や仏の名を口にしたくらいだから・・・。
大きなリスク(盗賊の襲撃で商品を略奪されるだけでなく、己の身の安全さえ確かでなかったはず)がありながら、古の人々が(多くはソグド人といわれる)、延々とこの道を歩き続けたのは、いったい何に突き動かされたのだろう・・・・私達と同じに、尽きせぬ興味が・・・という事ばかりではないであろうが・・・。
しかし、この「シルクロード」呼ばれる路を実際に辿っていると、人間の、見たい、聞きたい、知りたいという気持ちが何かを成すのだという事が、ふつふつと実感することがあった。
その上、この行きつ戻りつ旅を始めて(特に今回のフリー旅)、私の物の捉え方が変わったように思う・・・つまり、視野が大きく広がり、目先のことに拘らなくなった。
足元を見ずに遠くばかりに目が向いて・・・ではなく、足元の事ばかりに惑わされていてはいけないと思えるようになったのだ。
時には頭を上げて、遠くの景色を眺めてみてごらんなさい、思いがけない光を見ることがありますよ・・・でも、これは苦しい時の逃げ道ですが・・・

追伸:第5回目の旅の詳細は「中国自由旅編」に掲載してあります

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シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第4回目)

2008-11-27 12:36:38 | 旅の足跡2

第4回目の旅は「中央アジア全シルクロード」だったが、イスラム文化にどっぷり触れる旅だった。

スペインではグラナダのアルハンブラ宮殿などで体験したが、博物館のようで美しいという印象しかない。
今回は、住民が寺院で礼拝したり、豚肉を食さないなど生で感じ取る事ができた。

イスラム教に関しては(どの宗教でも)私には難しいことがいろいろあり、今、語る資格は無い。
偶像崇拝を禁じた宗教だと聞く。
でも、崇拝するものは飾りたいのが人間だろうと思う。
それ故にか、寺院や学校(イスラム教の教義を学ぶ)などの屋根や壁面は、色タイルで装飾されている。
勿論、偶像禁止であるから、所謂、アラベスク模様という花や幾何学模様が表されていた

初めは「ホーッ」とか「ウーン」とか感心しながら見ていたが、途中から「もう、この模様を再び見るチャンスは無いかも・・・」と写真に撮ることにした。
が、どこの建物を飾った物か記録してないので、今見ると、全く判断できない。
しかし、何時の日にか、再び中央アジアの国々を訪ねる機会があれば、この写真を片手に確認して歩きたいと思うが・・・もう、チャンスは作れないだろうなぁ・・・と思ってもいる私です。


「木彫り模様の門扉」

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