1986年7月23日(水)
-ゴルムド~西蔵高原へ-
宿代 5元(西蔵高原の旅社)
(レート 1元=約42円)
午前6時、ラサ行きの定期汽車(バス)は出発した。
くどいようだが、この時間は北京時間である。
西寧よりもっと西に位置しているゴルムドの街は、当然、真っ暗だ。
西洋外人は前の座席に陣取っているのに、何故か我等は一番後ろの座席を割り当てられ、是が苦難の始まり・・・だった。
汽車は、徐々に明けて行く街を後に、高度を上げて行く。
目前には雪を頂いた山々、多分5千メートルを超えているだろう山々が迫り始めていた。
しばらく行ったところでトイレ休憩。
ここでは大地に直接返すしか無いのだが、ぐるっと見渡して見ても、我が姿をさえぎってくれる木も土手も見当たらない。
ええぃ・・・女は度胸だ・・・と草むらの・・・しかし、丸見えの・・・陰で用を足した。
それにしても、お尻が寒い。
道路はアチコチに大きな穴ぽこが開いていて、汽車は走り抜ける度に、大きくお尻をバウンドする。
席が一番後ろの我等は、バウンドする度に、屋根に頭をぶつけるほど跳ね上がり、そして、座席にドサッと落とされる。
高原定期汽車の運ちゃんは、構うことなく、ひたすら、ひたすら走り続け、我等も、ひたすら、ひたすら飛び跳ね、落下し続ける・・・もう、胃腸の配置が変わってしまったようだ。
ゴルムドからは、もう、8時間走り続け・・・10時間走り続け・・・15時間走り続け・・・ついに17時間走りつづけて、午後11時過ぎ、土砂降りの雨の中、西蔵高原の真っ只中(真っ暗なのでどんな場所か分からないけれど・・・)の、とある旅社前で停車した。
さあ、それからがたいへんだった。
乗客は、小さな窓口に向かって、本日の宿を確保に殺到した。
当然、私がWさんの身の安全を図るために、体力を提供しなければならないのに、長時間の汽車揺れのため、体力も気力も失い、壁にもたれて立っているのがやっとの有様。
ようやく、Wさんの頑張りで、部屋を確保し、中に入ると、薄暗い電気がボーと点いてはいるが、何が何だか分からない。
手探りでベットにたどり着くも、女性西洋外人が、だれそれと離れたとか、くっついたとか、ゴチャゴチャ騒いでいて、我等も落ち着く事が出来ないのだ。もう、黙って寝てしまえよー・・・わがまま外人メ・・・過激ですみません・・・ともかく、何でも良いから、早く、横になりたいのですよ。
布団は、雨のためか高度のためか、じめじめと湿気ており、我等は、持参のバスタオルで体を包み、別の一枚を頭から被って、ようように横たわった。
私の体の中で、すっかり配置換えした胃腸が、元に返るべくゆっくり移動をしている・・・そんな気がする。