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Islander's diary ~離島ライフ~

隠岐諸島最南端に位置する知夫里島の自然と、日々の何気ない出来事を書き留める。時間が止まってるような、止まってないような…

お祭りです

2012-07-23 07:04:11 | 知夫里島ジオ
来る7月28日と29日、
一宮神社のお祭り、『天佐志比古命神社大祭』開催です。

神楽、子供歌舞伎、御神輿、他各種芸能、演芸が奉納されます。
江戸時代の1764~1771年ごろ、島に鯨が漂着し、
その後火災や疫病が続いたため、
鯨の祟りではないかと、その霊を慰めるため少年の手踊りを奉納したのが始まりだそうです。

野外観覧席の周り舞台を持つ芝居小屋は
知夫と淡路島文楽の2か所しかないってガイドに書いてあるけど、本当なのかな。

今月はこれから忙しくなるなあ。
今日も週末もお客さん来るし。
オリンピックも始まるしね
朝ドラから「松岡さん」が消えてめちゃくちゃ淋しかったんだけど、
バタバタしてたら気分も切り替わるさ~






ジオツアーガイドマニュアル

2012-05-26 16:30:16 | 知夫里島ジオ
こういうものを夫を介して頂きました。





こんな風に総23ページに渡って、
知夫里島の観光名所、史跡、生息する動植物などについて説明してあります。
このブログでも紹介しましたが、島の成り立ちについてもイラスト付きで解説されています。



↑この最後のページの『ガイドの心得』というのがなかなか難しい。
例えば、

・前もってお客様の地域の歴史や神社を調べておく(関連を活用)
・話す相手によって内容や知識を使い分ける
・必ずジョークやユーモアも交えて話す
・歴史や地殻変動などは情景が思い浮かぶような話し方をする

素人にはハードル高い…

でも私は友人や知り合いを案内することしかないと思うけども、
このマニュアルあったらかなり便利かな



世界ジオパーク登録に向けて

2012-05-07 10:03:05 | 知夫里島ジオ
3月でしたかね、島のあちこちにこのような
観光用の案内板が設置されました。

隠岐諸島の世界ジオパーク登録を目指す活動の一環です。
現在申請中で、7月に最終的な決定がなされるそうです。







英語で併記してあります。
外国の方が来られても万全です。
年に1人か2人、外国人観光客が迷い込んでくる(?)んだよね…
聞いてみたら、やっぱり日本マニアで日本を旅慣れてる人が多いですけどね。

登録されるかどうか結果待ちですけど、
それは別にしてもこういう案内板はあって然るべきですな。
目印になるものがほとんどなくて、道が分からないという声をよく聞きますから。



知夫里島ジオツアー第2回

2012-03-04 16:12:35 | 知夫里島ジオ
なかなか時間がなく更新できません。
ブログ友達の皆様もお訪ねできておりません~

来月からはバイト日数も減る予定なので、PCを触る機会も増えると思いますが…


さて先週日曜日のジオツアーでしたが、予告したとおり
去年の内容のおさらいから始まりました。







隠岐諸島、島前の成り立ちなどなど。

くわしくはこちらをご覧下さい→http://www.oki-geopark.jp/01ground.htm
大陸から土地が分離して日本列島が形成されていく様子が分かります。

加えて今回は、隠岐に生息する動植物のお話がありました。
オキサンショウウオ、オキニシキマイマイなどの隠岐固有種や、
天然記念物のクロキヅタ(海藻)、オオミズナギドリについてですね。

それから隠岐には南方系北方系、低山系高山系の植物が混在していること。
これは2万年前の氷河期に、海面が低下し本土と隠岐が陸続きになり、
本土で生きていた植物達が対馬海流により湿度が保たれた隠岐へと、
徐々に移動してきたからだそうです。

なるほど~、そして壮大な歴史でございますよね~



え~最後に、環境省の絶滅危惧Ⅰ種に指定されているオオウラギンヒョウモンという蝶ですが、
ガイドの方は、知夫にいたはずだけれど最近絶滅したようだとおっしゃってましたが、
私は結構見てるような気がしています。断言できないのは、あまり関心を持って見てないから、
印象が薄いからというか…
でも夫も見てると思うと言うので大丈夫なんじゃないかな。
もうすぐ春なので、こんど見つけたら写メ撮って確認したいと密かに決意した次第です。

以上、今回のツアーの報告でした。
来週はガイドブック製作するそうですよ。
隠岐ジオパークを、世界ジオパーク加盟に向けて様々に活動しているようでございます!



知夫里島ジオツアー 後書き

2011-04-02 10:46:09 | 知夫里島ジオ
島津島の渡津海岸全景です。
ピンクの矢印の指す場所に、前回紹介した生痕化石があります。

そして黄色い矢印が示す場所には、



渡津神社。

土佐日記に『わたつ海のちぶりの神に手向する ぬさのおひかぜやまず吹かなん』
という歌が、
袖中抄(平安末期の歌学書、1185-1190年頃成立)には
『隠岐の国にて知夫利崎といふにわたすの宮という神おわすなり、
舟いだすとて其神に奉幣してわたすを祈るとぞ。』という歌があります。

『ちぶりの神』 とは漢字で書くと 『道触神』。全国で広く信仰されている、
旅の安全を守る道祖神です。
知夫里島は隠岐諸島の中で一番本土に近い島。
本土から来た船にとっては、隠岐の国の玄関口であり、
反対に、隠岐からは本土への出発点であったところ。
ここ渡津海岸に航海の無事を祈って『道触神』が祀られるのも当然です。

そしてその神様の名がそのまま知夫里島の名前になったとしても
なんの不思議もありません。
新潟にも『道触神』が由来ではないかと考えられている地名があるそうです。

神島という名前の島もあるし、なんだか神様に囲まれてるというか、
神様だらけ(言葉が悪いけど)の場所に住んでる気分になります…
日本列島がイザナキとイザナミ2人の神から生まれたのだし、
日本全国どこでも、神様由来の地名が多いはず、ですよね。

この度のジオツアーに参加して、今までうっすらとしか認識してなかった
故郷の地理と歴史をかなり掘り下げることが出来て、
自分のルーツに興味のある私としてはとっても貴重な体験でした。

自分はなぜ存在しているのか、と疑問を持った時、生まれた土地のことを知るのは必然。
遠い昔の御先祖さまがいつ誕生したのかなんて、
タイムマシンでもない限り絶対答えはでないけれど、
少しでも多くのことを解明していけば、自分の存在をより明確に確認できる気がするのです。

事実と神話がクロスしてカオスになってるところを
整理しながら理解しなきゃいけないのがちょっと大変だけど。

近いうちにツアーの第2弾が開催されるというような噂を聞きました。
今度は船に乗ってとか…
楽しみです。その時得た情報はまたこのブログ上で紹介したいと思います。


上手くまとめられなくて、全然後書きになってないけれど、
これにて〆とさせていただきます。
知夫里島ジオツアー、ここまで長々とお付き合いいただきましてありがとうございました!




知夫里島ジオツアー 後編

2011-03-26 10:14:11 | 知夫里島ジオ
ツアー最終地は、私の実家のある薄毛地区です。
生痕化石(せいこんかせき・後に説明)のある島津島に向かう途中の遊歩道で
地質先生があちこち指差し始めました。
『ここにある埋め立ての岩は、ほとんど隠岐片麻(へんま)岩です。』



隠岐片麻岩って2億5千万年前からある日本最古級の岩なんだって。



どんな岩かというと例えば、
↑こんな風に雲母のかたまりになってたり。ぽろぽろ剥がせます。



↑これは人工的に白線引いたみたいになってるけど、全くの天然で入ってます。
白い部分はセキエイという鉱物で、wikiによると、中でも透明度の高いものを水晶と呼ぶと。

専門知識がないので、もひとつ価値は体感できないんだけど、
2億5千万年という数字だけはスゴイと思う私でした~

続いて橋を歩いて島津島に渡り化石見学。



矢印の打ってある部分、これは全部、古代のエビ、カニ、シャコ系甲殻類の生物の巣の痕です。
生痕化石とは動植物そのものでなく、足跡や巣や排泄物、
つまり生物の活動の痕跡のことを言います。
ここは推定560万年前の地層で、斜め横のラインがその時々の砂地面。
浅い海底だった所です。



こんなのとか、



こんなの。



とっても立体的。



もぞもぞと這って移動した痕跡も化石になってます。

西ノ島や島後では貝の化石が出るそうですけど、知夫で見られるのは
今のところこの場所のこの巣の化石だけ。
興味のある方は、この夏渡津海水浴場に行かれた時に確かめてみて下さいね~
砂浜を通り過ぎて、渡津神社に向かう途中の白い岩肌にありますよ。

実はこのあと郡地区の神社2ヵ所を訪れる予定だったのですが、
時間の都合と参加者最高齢の方(推定87歳)の「疲れました」の一言で
ここ渡津海岸でツアー終了となりました。
ここらへんのアバウトさが島っぽいっちゃあ島っぽい。

けどちょっと付け加えたいこともあるので、
後書きとしてもう一回更新したいと思います。

うまく〆られるのか、アタシ?




知夫里島ジオツアー 中編、のその2

2011-03-10 13:05:32 | 知夫里島ジオ
赤はげ山からバスで約10分移動し、国の天然記念物『赤壁』に向かいます。
駐車場から牛除け遊歩道を5分歩いて到着です。





高さ50~200m、距離約1kmに渡る赤い断崖絶壁。
携帯の写真だといまひとつ遠近感が出なくて高さが表現できないけど、(デジカメ人に貸してるから)
かなり怖いです。

画像の真ん中に垂直に走ってる白い岩と、その周囲の層になってる赤い岩、
実はまったく同じ岩(玄武岩)なんだそうです。驚き!

ここは約600万年前に噴火した時にできた地層。
中央の白い岩はマグマの通り道、つまり火口の内部です。
ここから噴火したマグマが空気中に飛び出し、酸素と結びつき一瞬にして冷やされ、
酸化鉄となり降り積もったのが両側の層。
何度も繰り返し噴火しているので、そのたびに積もっていき縞模様が作られました。

火口の通り道のマグマは地表に出ることなくそのままゆっくりと時間をかけて冷えたので、
赤ではなく白になりました。
何度もここへきて、なぜ色の違う岩が、しかも全く異なる方向に存在しているのか
ずっと不思議に思っていたけれど、これで謎が解けました。

赤壁は、火山の内側、断面を見ることができる地学的にもとても珍しい場所なのです。




赤壁の前で嬉しそうな地質の先生です。




次の目的地に出発。赤壁を背に遊歩道を下っていくと、
目の前には神島。その昔、天佐志比古の命が座していた島。
左横には大御鳥居島と小御鳥居島。小さな島2つが鳥居だったのだ。

ガイドの方によると、
隠岐地方は人口に対する神社の数、神社密度が日本一高いのだそうです。

知夫里島ジオツアー 中編、のその1

2011-03-08 21:04:03 | 知夫里島ジオ
はい、知夫里島の最高峰(笑)赤はげ山に到着です。
標高325メートル。



この島に生を受けた私はなんの疑問も持たなかったのですが、
ここ赤はげ山の頂上付近にも地下水が湧いているのは、
地質学的にはとても不思議なことだそうです。

西ノ島と中ノ島と知夫里島を総じて「島前」と呼びます。
この島前が一つの火山だったわけですが、(焼火山452mが火山の中心)
水源になるような規模の池や河川がないのに水が豊富な理由は、
現在は以下のように推測されています。

火山島の地下は水を含み易い岩で出来ていて、島の地下には真水(雨水)が溜まる。
その真水の下には、真水より重い海水を含む岩の層が出来る。
この海水が圧力をかけ、真水を押し上げ湧き水となる。

しかしこれだけの理由では300メートルの高さまで水が湧くことの
裏づけとしては十分ではないそうです。
同行してくれた地質の先生によると、
島前の地下のどこかでおそらく大きく岩盤が割れており、ストローのように
水を吸い上げているのではないかということでした。

なるべくシンプルに説明してみましたが、伝わりますでしょうか???

鳥取県の大山(1729m)の雪解け水が日本海の地下水脈を通って来るのでは、
なんて壮大な説もありますが(これは私も新聞記事で読んだ)
これも調査していないので100%否定はできないそうです。

いずれにせよ最後まで突き止める調査っていうのは、永遠に行われないんだろうなあ…


このあと火山活動についても書くつもりでいましたが、
字数もちょっと多い感じがするし、
これ以上長くなると読むのも大変だと思うので、
中篇のその2として次の更新に回します。




知夫里島ジオツアー 前編

2011-03-06 19:48:59 | 知夫里島ジオ
今日は知夫里島観光協会の主催で、
島後地区からガイドの方と地質学の専門の先生を迎え、
知夫里島の地理的な成り立ちと歴史を探訪するというツアーが開催されました。



地域おこし協力隊編集のパンフ片手に
最初に向かったのは古海(うるみ)地区。
ここは島で唯一、縄文土器が発見されてるところ。



向かって右が姫宮神社、左が愛宕(あたご)神社。
姫宮神社は名のとおり女性の神様が奉られています。(安産と授乳の神)
愛宕神社はもとは島の南西部、断崖の岩窟内にあったのですが、
明治時代に今の場所に移されたらしい。
こちらは火難から守る神様だそうです。

ここでツアーに参加してた、歴女オキマキオさんが興味深いものを発見!



愛宕神社の注連縄が取り付けてある柱?に、
なんと剣の彫り物がしてある。
これ右隣にも鏡合わせのようにもう一本彫ってありました。

すごい~かっこいい~神々しい~~~と、
地質の先生とマキオさんと私で感動(笑
でも初めてみたから興奮したけど、多くの神社にもあるものなのかも…





それから境内には8畳分くらいの小さな芝居小屋があって
昔は神楽が奉納されてたそうだけど、
その欄干に西ノ島の焼火山らしき山と、北前舟が彫ってあるのも発見。
航海の安全を祈願してたんだろうなと想像できる装飾です。

知夫里島の行政経済の中心は島の南側にあって、
北側に位置する古海地区は過疎化した島の中でも
さらに密やかに存在してるという雰囲気の集落だけど、
古代から近世にかけて、隣の西ノ島に一番近い場所ということで、
このような立派な神社が建てられ信仰されていたのかも。
縄文土器が見つかったくらいだから、人も古くから住んでたってことだしね。

なんとなく通り過ぎてるだけじゃ見つけられないものってたくさんあるんだなあと
再認識してしまいました。
その見つけた点が、もうひとつの点と繋がるとさらに面白くなって来る。

さあ、ツアーの続きは、島の最高峰赤はげ山に登って、焼火山を望むところから始まります。
知夫里島の創生の様子と豊富な水量について“ざっくばらん”に説明します。

もうしばらくお付き合い下さい