Islander's diary ~離島ライフ~

隠岐諸島最南端に位置する知夫里島の自然と、日々の何気ない出来事を書き留める。時間が止まってるような、止まってないような…

知夫里島ジオツアー 後編

2011-03-26 10:14:11 | 知夫里島ジオ
ツアー最終地は、私の実家のある薄毛地区です。
生痕化石(せいこんかせき・後に説明)のある島津島に向かう途中の遊歩道で
地質先生があちこち指差し始めました。
『ここにある埋め立ての岩は、ほとんど隠岐片麻(へんま)岩です。』



隠岐片麻岩って2億5千万年前からある日本最古級の岩なんだって。



どんな岩かというと例えば、
↑こんな風に雲母のかたまりになってたり。ぽろぽろ剥がせます。



↑これは人工的に白線引いたみたいになってるけど、全くの天然で入ってます。
白い部分はセキエイという鉱物で、wikiによると、中でも透明度の高いものを水晶と呼ぶと。

専門知識がないので、もひとつ価値は体感できないんだけど、
2億5千万年という数字だけはスゴイと思う私でした~

続いて橋を歩いて島津島に渡り化石見学。



矢印の打ってある部分、これは全部、古代のエビ、カニ、シャコ系甲殻類の生物の巣の痕です。
生痕化石とは動植物そのものでなく、足跡や巣や排泄物、
つまり生物の活動の痕跡のことを言います。
ここは推定560万年前の地層で、斜め横のラインがその時々の砂地面。
浅い海底だった所です。



こんなのとか、



こんなの。



とっても立体的。



もぞもぞと這って移動した痕跡も化石になってます。

西ノ島や島後では貝の化石が出るそうですけど、知夫で見られるのは
今のところこの場所のこの巣の化石だけ。
興味のある方は、この夏渡津海水浴場に行かれた時に確かめてみて下さいね~
砂浜を通り過ぎて、渡津神社に向かう途中の白い岩肌にありますよ。

実はこのあと郡地区の神社2ヵ所を訪れる予定だったのですが、
時間の都合と参加者最高齢の方(推定87歳)の「疲れました」の一言で
ここ渡津海岸でツアー終了となりました。
ここらへんのアバウトさが島っぽいっちゃあ島っぽい。

けどちょっと付け加えたいこともあるので、
後書きとしてもう一回更新したいと思います。

うまく〆られるのか、アタシ?




知夫里島ジオツアー 中編、のその2

2011-03-10 13:05:32 | 知夫里島ジオ
赤はげ山からバスで約10分移動し、国の天然記念物『赤壁』に向かいます。
駐車場から牛除け遊歩道を5分歩いて到着です。





高さ50~200m、距離約1kmに渡る赤い断崖絶壁。
携帯の写真だといまひとつ遠近感が出なくて高さが表現できないけど、(デジカメ人に貸してるから)
かなり怖いです。

画像の真ん中に垂直に走ってる白い岩と、その周囲の層になってる赤い岩、
実はまったく同じ岩(玄武岩)なんだそうです。驚き!

ここは約600万年前に噴火した時にできた地層。
中央の白い岩はマグマの通り道、つまり火口の内部です。
ここから噴火したマグマが空気中に飛び出し、酸素と結びつき一瞬にして冷やされ、
酸化鉄となり降り積もったのが両側の層。
何度も繰り返し噴火しているので、そのたびに積もっていき縞模様が作られました。

火口の通り道のマグマは地表に出ることなくそのままゆっくりと時間をかけて冷えたので、
赤ではなく白になりました。
何度もここへきて、なぜ色の違う岩が、しかも全く異なる方向に存在しているのか
ずっと不思議に思っていたけれど、これで謎が解けました。

赤壁は、火山の内側、断面を見ることができる地学的にもとても珍しい場所なのです。




赤壁の前で嬉しそうな地質の先生です。




次の目的地に出発。赤壁を背に遊歩道を下っていくと、
目の前には神島。その昔、天佐志比古の命が座していた島。
左横には大御鳥居島と小御鳥居島。小さな島2つが鳥居だったのだ。

ガイドの方によると、
隠岐地方は人口に対する神社の数、神社密度が日本一高いのだそうです。

知夫里島ジオツアー 中編、のその1

2011-03-08 21:04:03 | 知夫里島ジオ
はい、知夫里島の最高峰(笑)赤はげ山に到着です。
標高325メートル。



この島に生を受けた私はなんの疑問も持たなかったのですが、
ここ赤はげ山の頂上付近にも地下水が湧いているのは、
地質学的にはとても不思議なことだそうです。

西ノ島と中ノ島と知夫里島を総じて「島前」と呼びます。
この島前が一つの火山だったわけですが、(焼火山452mが火山の中心)
水源になるような規模の池や河川がないのに水が豊富な理由は、
現在は以下のように推測されています。

火山島の地下は水を含み易い岩で出来ていて、島の地下には真水(雨水)が溜まる。
その真水の下には、真水より重い海水を含む岩の層が出来る。
この海水が圧力をかけ、真水を押し上げ湧き水となる。

しかしこれだけの理由では300メートルの高さまで水が湧くことの
裏づけとしては十分ではないそうです。
同行してくれた地質の先生によると、
島前の地下のどこかでおそらく大きく岩盤が割れており、ストローのように
水を吸い上げているのではないかということでした。

なるべくシンプルに説明してみましたが、伝わりますでしょうか???

鳥取県の大山(1729m)の雪解け水が日本海の地下水脈を通って来るのでは、
なんて壮大な説もありますが(これは私も新聞記事で読んだ)
これも調査していないので100%否定はできないそうです。

いずれにせよ最後まで突き止める調査っていうのは、永遠に行われないんだろうなあ…


このあと火山活動についても書くつもりでいましたが、
字数もちょっと多い感じがするし、
これ以上長くなると読むのも大変だと思うので、
中篇のその2として次の更新に回します。




知夫里島ジオツアー 前編

2011-03-06 19:48:59 | 知夫里島ジオ
今日は知夫里島観光協会の主催で、
島後地区からガイドの方と地質学の専門の先生を迎え、
知夫里島の地理的な成り立ちと歴史を探訪するというツアーが開催されました。



地域おこし協力隊編集のパンフ片手に
最初に向かったのは古海(うるみ)地区。
ここは島で唯一、縄文土器が発見されてるところ。



向かって右が姫宮神社、左が愛宕(あたご)神社。
姫宮神社は名のとおり女性の神様が奉られています。(安産と授乳の神)
愛宕神社はもとは島の南西部、断崖の岩窟内にあったのですが、
明治時代に今の場所に移されたらしい。
こちらは火難から守る神様だそうです。

ここでツアーに参加してた、歴女オキマキオさんが興味深いものを発見!



愛宕神社の注連縄が取り付けてある柱?に、
なんと剣の彫り物がしてある。
これ右隣にも鏡合わせのようにもう一本彫ってありました。

すごい~かっこいい~神々しい~~~と、
地質の先生とマキオさんと私で感動(笑
でも初めてみたから興奮したけど、多くの神社にもあるものなのかも…





それから境内には8畳分くらいの小さな芝居小屋があって
昔は神楽が奉納されてたそうだけど、
その欄干に西ノ島の焼火山らしき山と、北前舟が彫ってあるのも発見。
航海の安全を祈願してたんだろうなと想像できる装飾です。

知夫里島の行政経済の中心は島の南側にあって、
北側に位置する古海地区は過疎化した島の中でも
さらに密やかに存在してるという雰囲気の集落だけど、
古代から近世にかけて、隣の西ノ島に一番近い場所ということで、
このような立派な神社が建てられ信仰されていたのかも。
縄文土器が見つかったくらいだから、人も古くから住んでたってことだしね。

なんとなく通り過ぎてるだけじゃ見つけられないものってたくさんあるんだなあと
再認識してしまいました。
その見つけた点が、もうひとつの点と繋がるとさらに面白くなって来る。

さあ、ツアーの続きは、島の最高峰赤はげ山に登って、焼火山を望むところから始まります。
知夫里島の創生の様子と豊富な水量について“ざっくばらん”に説明します。

もうしばらくお付き合い下さい






闘う私

2011-03-04 11:54:16 | その他
なんのことはない、夢の中の話です。

窓にべったりと、髪の毛も皮膚も真っ白な青年の霊が
張り付いていたんです。

現実とは正反対に、夢の中の世界では度胸があって大胆な私
窓をバンバン叩いて、『あっち行け!』と追い払いました
するとその霊はいったん離れましたが、またすぐにとなりの窓に張り付きました。
そしてまた窓を叩く私。

そこで目が覚めました。

夢の中だと、痛みを感じないのをいいことに、
たとえ大怪我しても大丈夫大丈夫って
あっけらかんとしてめちゃくちゃ強いんだよね。

現実の世界でもこんな風にたくましくありたいですが、
やっぱり無理…