仁夫地区の小高い場所にある石の唐櫃(からと)古墳です。
集落から離れた、見晴らしの良い場所に、
わざわざ大きな岩石を運んで積み上げて作ったお墓。
つまりこのあたりで一番地位の高かった人、首長、王様のような立場の人のお墓ということです。
南側が入り口で、ご遺体の頭も南側に置かれたそうです。
天井も岩で蓋がしてあり、全体は土で覆われていました。
島根の出雲地方では、四角く盛り上げた古墳だそうですが、
隠岐で見つかっているのは円墳ということです。
この仁夫の古墳はどうだったのでしょう?
おそらくは他の隠岐地区と同じ円墳だったのでしょうが、
影響を受けているはずの出雲と形が違うのも不思議ですね。
そして、『古海の横穴墓まわりみたいに、ここにも土器あるんじゃない?』なんて
参加者が冗談半分に言ってたら、
ほんとにあった!
古代センターの先生も驚いて、観察したところ
どうも須恵器(古墳時代から平安時代まで作られていた土器)のようだということです。
あ、そうそう。似たような古墳が赤壁近くにもあります。
少なくとも古代の知夫には、2人の首長が居たことになります。
その後会場の役場に帰って、同じ仁夫地区の高津久横穴墓から出土した装飾品を見せてもらいました。
この横穴墓発見のことは当時小学生だった私もかすかな記憶があります。
勾玉は出雲玉湯町産とのことですが、注目は中央のガラス玉。
着色に使われている鉱物は日本には無かったもので、中国産であることがわかっているそうです。
本土を経由して渡ってきた可能性が高いですが…真相は知る由もありませんね。
そして耳環。今で言うところのピアスですね。
横穴墓が一般庶民のお墓であることは説明させていただきましたが、
もともと、装飾品は位の高い人しか身に付けなかったのが、
仏教の伝来によって、農民も経済力をもつようになり、アクセサリーもつけるようになったんだそうです。
このあたりはこれ以上の詳しい解説はありませんでしたが…
丸木舟を漕いで、仏教を隠岐諸島まで伝えに来た人がいたんですね~
宗教ってスゴイ…
今回の勉強会はここまで。
次回は他の遺跡を廻ります。
実は薄毛地区にある私の実家のすぐそばからも、20数年前に横穴墓が発見されました。
もう今はふさがれてしまって現存してはいませんが…
古代の、たぶん私達のご先祖様にあたる人々の暮らしを、少しずつ解明して行けたらと思います。
知夫の遺跡、ガラス玉のように、他ではなかなか見つからないものがいくつかあるようですよ。