いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
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読売新聞論説委員長 朝倉敏夫氏の憲法に対する考え/山崎孝

2006-06-20 | ご投稿
斎藤貴男氏は「ルポ改憲潮流」の中で、読売新聞論説委員長 朝倉敏夫氏にインタビューをしています。インタビューは2006年1月18日に行ったということです。その中の文章を抜粋します。

斎藤貴男氏の質問 確かに、新憲法草案は軽いイメージがあります。

朝倉敏夫氏の答え「日本の伝統と文化を譬えた内容を盛れないかということは、絶えず議論してきました。

実際に文章になるのは難しいんですよね。でも、現憲法の前文が、アメリカの各種政治文書を貼り合わせただけの代物だというのは明々白々だから。何回も社説でも、改正試案を出した時も指摘していますけど、あんなみっともないもの、そのままでいいはずがない。GHQの連中が一週間で作るためにパーツと寄せ集めたというのが、当時の状況だったのだと思う。そんな前文、当然、変えなくちゃならんという意識は最初から持っていました」

質問 伝統や文化を強調すると復古調だと嫌われるので、味も素っ気もないものにした。

答え 「政治上の問題でしょう。好みに属する問題に拘わると収拾がつかなくなるので、ここは簡単な、どこからも文句がつかないものにして切り抜けよう、と」

質問 第9条の問題に加えて、近代立憲主義の問題が争点にならなくてはいけないと私は思う。民間憲法臨調の提言でも主張された、国民論の領域ですね。

答え「9条の2項は誰が見たってデタラメだから。法律不信、憲法不信の根源です。いや、第一項は残しますよ。侵略戦争はしませんというのは、これは当然。後の方は要するにバランスの問題なんですよ。AかBか、白か黒かとやるのは意味がない。

護霊は国家権力の制限親筆からと言い、改憲派の方は、いや、それだけではなくて、国家国民というのは、もっと広い複雑な相対的な問題だろうと。孜々もそう思っています。あれかこれかの話ではないんです」(以上)

朝倉敏夫氏は「現憲法の前文が、アメリカの各種政治文書を貼り合わせただけの代物だというのは明々白々だから。何回も社説でも、改正試案を出した時も指摘していますけど、あんなみっともないもの、そのままでいいはずがない」と述べています。

私はこの主張は、日本と世界の歴史に対する認識が欠落していると思います。

大日本帝国憲法は天皇が国家の主権を持ち、軍隊を動かす統帥権も持っていました。言論の自由がありませんでした。これが大きく災いして、日本は軍部の専横に引っ張られて侵略戦争を行ってしまっています。この教訓を踏まえて憲法の前文の冒頭は述べられています。

「日本国民は、正当に選挙をされた国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」

国連憲章の冒頭

われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、 一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。(以下略)

同時代に制定された日本国憲法と国連憲章は、同じ精神を見出せます。決して「アメリカの各種政治文書を貼り合わせただけの代物」ではありません。今日の世界の命題「平和的共存」も提起しています。

朝倉敏夫氏の答え「9条の2項は誰が見たってデタラメだから。法律不信、憲法不信の根源です。いや、第一項は残しますよ。侵略戦争はしませんというのは、これは当然」を考えてみます。憲法が「デタラメ」ではなく、歴代の政府の政策が憲法の理念に基かず「デタラメ」だったから、日本の現状が「デタラメ」になってしまったのです。本末転倒です。

海外での武力行使を禁じた「9条の2項」が、日本が侵略戦争を起こさない、また、武力行使という形での米国の侵略戦争に加担をしない歯止めになっている、今までの歴史と今日の日本政府の政治動向に対する認識が欠落しています。

朝倉敏夫氏の答えが「日本の伝統と文化を譬えた内容を盛れないかということは、絶えず議論してきた」という答えから推察されるのは、読売新聞社が権力を行使する側と一体となり、国家の基本法を変えることに取り組んでいることを窺わせます。これでは憲法問題について、公正中立の報道は期待できません。


戦場とつながる人たちの日米の反戦平和の戦い/山崎孝

2006-06-19 | ご投稿
日本では、

【戦争協力しない/軍需産業の労働者集会】2006年6月17日「しんぶん赤旗」電子版より

 三菱重工、石川島播磨重工など大手の軍需産業の労働者が「兵器生産の実態を知らせ」ようと十六日、「戦争に参加しない! 協力しない! 東京集会」を新宿区内で開きました。重工産業労働組合が主催したもの。

 防衛庁によると、テロ特措法にもとづくアフガン支援、イラク特措法にもとづくイラクへの自衛隊の「海外派兵」に伴って大手の軍需産業の技術者が艦艇や航空機、車両の保守整備に二〇〇二年七月から〇五年十二月まで、計十九回、五十七人が同行・派遣されています。

 この日、集会に先だって労働者らが防衛庁、国土交通、厚生労働両省に防衛の秘密保全に関する問題や労働の安全確保などを求める要請書を提出。午後六時から始まった集会には約百人が参加。

 ドキュメンタリー「軍需工場は、今」(日本電波ニュース社制作)を上映。このあと、フリージャーナリストの吉田敏浩氏が基調報告し、軍需産業で働く労働者らが特別報告をしました。

 集会に参加していた全日本造船機械労働組合三菱重工支部の久村信政書記長は「現場では戦争の準備が進んでいる。(明日にでも派遣されたら)弾が飛んでくる職場に行かなければならない。その実態を知らせていきたい」と話しました。(以上)

米国の市民は、

【反戦の声あげよう/イラク従軍拒否米兵 支援集会/米加国境の都市】2006年6月18日「しんぶん赤旗」電子版より

 【バファロー(米ニューヨーク州)=山崎伸治】「平和に国境はない」をスローガンに、カナダにいるイラク従軍拒否米兵を支援する集会が十六日夜、米加国境の都市バファローの音楽ホールで開かれました。約六百人の人たちが従軍拒否米兵の家族やイラク帰還兵らの訴えに大きな拍手を送りました。

 集会は、イラク行きを拒否してカナダに移り住んでいる米兵を支援し、同国政府に保護を求めているカナダの「戦争拒否者支援運動」(WRSC)の活動を助けようと開かれました。同組織のほか、反戦イラク退役軍人会、退役軍人平和会、戦死者平和遺族会、ニューヨーク西部平和センターが呼びかけました。

 イラク従軍を拒否している米兵は七千九百人から八千人います。そのうち数百人がカナダにいるとみられており、WRSCには約二十人が結集しています。

 そのうちの一人、パトリック・ハートさんは二〇〇三年四月から一年間、陸軍空挺部隊の一員としてイラクに派遣され、二度目の派遣前の〇五年九月、家族とともにカナダに移りました。集会には米国にいる父親のジムさんと母親のポーラさんがかけつけ、「息子は重大な決意をしました。私はそれを支持したい」(ジムさん)と訴えました。

 退役軍人平和会のデービッド・クライン会長はベトナム戦争時の経験を語り、「ニクソン大統領は戦争に反対しているのは少数だと言いました。多数が沈黙をしていては戦争は終わりません」と述べ、反戦の声をあげようと訴えました。

 イラク開戦に抗議して米国務省を退職したアン・ライトさんは、「私は辞職することができましたが、兵士にはそれができません。でも『違法な命令』に従う必要はなく、イラク戦争は違法な戦争だから行かなくてもよいのです」と述べました。

 反戦活動家のシンディ・シーハンさんは、「従軍を拒否する兵士は臆病(おくびょう)ではなく、より高い道徳観をもっているのです。誤った戦争で、罪のない人たちを殺したくないのです」と強調しました。

 十七日には、ナイアガラ川を挟んで向かい側、カナダのフォート・エリーで集会を開きます。


光州サミットに見る平和の声/山崎孝

2006-06-18 | ご投稿
 6月14日から開かれた光州サミットでは、南北融和に寄与したとして2000年末、ノーベル平和賞を受けた金前大統領、1990年に受賞したゴルバチョフ元ソ連大統領がともにホスト役を務めています。参加者は英国の市民運動家、メイリード・マグワイア氏ら個人7人、バグウォッシユ会議など7団体。東アジアの平和構築や民主主義をめぐってのフォーラムです。平和・人権運動家の一人として日本から土井たか子・元衆院議長も参加しています。盧武鉉大統領や韓国の統一相も参加し、北朝鮮から代表団140人が参加しています。

17日には、朝鮮半島の非核化、6者協議の早期再開を求める提言や、非武装地帯(DMZ)を「平和・生態系公園に」する宣言文の採択をしました。この宣言文を携えて金前大統領は今月末に北朝鮮を訪問して、金正日総書記と会談して説得する意向を明らかにしました。

6月17日の共同通信電子版は次のように報道しています。

【米に金融制裁解除を要求 ノーベル受賞者ら】韓国南西部・光州市で開かれていた「ノーベル平和賞受賞者による光州サミット」は17日、北朝鮮の核問題解決に向け、米国に北朝鮮に対する金融制裁を解除し、「安全の保証」を求める共同宣言を採択し、閉幕した.

宣言は、昨年9月の6カ国協義の共同声明を評価し、同協議再開の必要性を指摘。北朝鮮に対し核放棄を期待する一方で米国に制裁解除を強く要求するなど、米側に譲歩を促す内容となった。

一方、韓国と北朝鮮の平和的統一に向けて日本など周辺国に積極的な役割を果たすよう求め、アジアをはじめ世界各地での人権抑圧に対する取り組みの必要性も強調した。(以上)

北朝鮮に対して金融制裁、経済制裁という圧力を強めて譲歩をかちとるのか、それとも宥和政策や対話で相手をなだめて物事の道理を説き解決を図るのかが試されている時になっています。金融制裁、経済制裁は相手の国が孤立しない限り成功はできません。また、これで一番困るのは一般民衆で人道的とはいえません。「光州サミット」の結論は、宥和と説得です。私はこの方が上手くいくと考えます。

上海協力機構から見た中国&日本の状況

2006-06-17 | ご投稿
上海協力機構が開かれて、オブザーバーとして参加したイランのアハマディネジヤド大統領の発言に対して、中国外交部の見解が報道されています。

【「上海協力機構は第3国を標的にせず」外交部報道官】

外交部の姜瑜報道官は15日の定例妃者会見で、記者の質問に答えています。

2006年06月16日朝日新聞電子版より

―イラン大統領は本日の発音で、上海協力機構(SCO)と協力し、中央アジアヘの外部からの干渉に反対する意向を示した。名指しこそしていないが、言外に米国のことを指しているのだろう。これをどう見るか。

姜瑜報道官 われわれは一貫して、平和共存5原則と国連憲章の精神を基礎に、国と国の関係を処理することを主張してきた。われわれは、上海協力機構が提唱する、相互信頼、相互利益、平等、協議、多様な文明の尊重、共同発展の追求という「上海精神」を支持している。上海協力機構は同盟を結ばず、対抗をせず、第3者や第3国を標的としない組織だ。成立以来数年間の実践は、上海協力機構が世界と地域の平和と安定の維持、国際関係の民主化の促進、調和ある地域と調和ある世界の構築の促進に、重要な貢献を果たしてきたことを証明している。イランは主権国家だ。アハマディネジヤド大統領の発言が代弁しているのは、イランの立場だ。(以上)

関連で、2006年6月17日の朝日新聞より抜粋

別の国務省当局者は「米政府として支持も非難もしないが、関心をもって見ている」と話す。

前身の「上海ファイブ」は国境の緊張緩和を主目的に発足したが、各国は国境地帯の兵力削減などで合意してきた。この当局者は「声明を出すだけで具体的な中身のない地域機構も多いが、SCOは実質的な成果を上げてきた」とも指摘する。

 SCOは「反テロ」を名目にした合同軍事演習にも取り組んでおり、軍事協力の枠組みとしても機能している。ヘリテージ財団上級研究員のピーター・ブルックス元国防次官補代理は「どこに進もうとしているのかはっきりしない。敏感な時期に来ている」と懸念を示す。

 国務省当局者は「中ロを含めたメンバー国より、反米、反西側の組織にはならないとの保証を得ている」として、過度の懸念を抱くことは戒める。中ロとの良好な関係抜きに中央アジアの安定はありえない、と一定の理解も見せる。(記事以上)

中国は上海協力機構に参加した隣国と協力関係を結び、中国の周辺国、東南アジア諸国連合とも良好な関係を結んでいます。更に東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国と日中韓が参加する「ASEANプラス3」や、インド、豪、ニュージーランドが加わる東アジアサミットにも参加して、アジア地域の平和と安定にも取り組んでいます。中国は民主化の遅れや大国主義的意識があるというような問題がない国とは言えませんが、周辺国との協調している状況を破産させるようなことまで、日本を攻撃してくるとは思えません。前にも紹介していますが、貿易大国になった中国の輸出品には、日本やアジアの国の部品が使われているのです。

日本人の一部にある、中国の軍事費の増大や不透明さをあげて、中国脅威論を主張するのは「木を見て、森を見ず」の喩えのようなものです。それに中国の軍事費は米国、日本より少ないのです。

日本政府が軍事に傾いている状況が如実に現れた側面を報道する新聞記事があります。2006年06月16日朝日新聞より

【防衛次官、首相と訪米へ】

 小泉首相が6月末に予定している米国訪問に、防衛庁の守屋武昌事務次官を同行させることが明らかになった。29日のブッシュ米大統領との会談では米軍再編やイラク情勢なども主要な話題になる見通しで、守屋氏を同行させ、安全保障の分野で首相を補佐させる狙いがあるようだ。

 守屋氏は一連の米軍再編をめぐる対米交渉で中心的役割を担った。だが、日米両首脳による安全保障協議は、これまで外務省が前面に立つケースが多く、首相の訪米に防衛事務次官が同行するのは極めて異例だ。

防衛庁幹部は「外務事務次官も行かないのに前代未聞」と話す。(以上)

前代未聞のことが起こったことについて、ジャーナリストの前田哲男さんが、「論座」7月号対談記事で述べたことを読めば更に理解できます。

 1997年のガイドライン以降、防衛庁が外務省と拮抗するようになってきました。それ以前の安保政策は外務省主導で決めており、防衛庁の役割は非常に小さかった。1990年代半ば以降、急速に防衛庁の存在が大きくなりました。その背景には、カンボジアのPKOなど実際に自衛隊を派遣する活動が増えたことがあります。さらに今回の一連の協議で、PKOという範疇を超え、自衛隊が米国の戦略に協力するという形にまで高まっていった。

1999年に周辺事態法ができると、自衛隊と米軍の演習においても、自衛隊は単なる盾ではなく、肩を並べる関係になりました。そうなると、交渉の場でも実務的な内容が中心になり、双方の制服組が発言権を持ってくる。今回の再編協議の中でもそうした変化がはっきりと表れたのだと思います。(以上)

今回、私が紹介した中国と日本の状況を見比べれば、日本国民として何れの政府に警戒心を持たなければならないかは明らかです。

自衛隊海外派遣「恒久法」自民党素案の概要/山崎孝

2006-06-16 | ご投稿
5月28日に開かれた「いせ発『平和を守る署名』はじまりの会」で招かれた高田健さんの講演の中で、米国が起こす新しい事態に対応して自衛隊を海外に派遣するためその都度制定する法律(テロ特措法、イラク特措法)をいちいち作らないで済むように自民党は恒久法を考えていると述べたことを私は紹介しました。私はその時に恒久法は憲法9条との関係をどう扱っているのか懸念を持ちました。「恒久法」の概要では憲法9条との関係は完全に無視されています。

2006年6月15日「しんぶん赤旗」電子版の報道より

【海外派兵 国連決議なしで可能「恒久法」自民素案 治安維持活動も】

 自民党は十四日、防衛政策検討小委員会(委員長・石破茂元防衛庁長官)で、自衛隊の海外派兵を地球規模でいつでも可能にする「恒久法」の概要をまとめました。自衛隊の活動には、米軍などへの補給・輸送といった後方支援活動のほか、現行のイラク・テロ特措法などでは実施できない治安維持活動や他国要員・施設の警護活動も追加。「暴動に遭遇したというような非常事態」での武器使用まで認める内容になっています。自民党は7月中に条文化し、党内論議を進める構えです。

 自衛隊の活動としては▽国際平和協力活動▽人道復興支援活動▽停戦監視活動▽治安維持活動▽警護活動▽船舶検査活動▽後方支援活動―の七分野を列挙。このなかには「(派兵先で)軍事組織を設立するための助言、指導又は教育訓練」も含まれています。

 武器使用では、「暴動」への対処のほか、「(自衛隊の)活動の目的を達するため特に必要があると認める相当の理由がある場合の武器使用が可能」とし、正当防衛以外にまで拡大しています。

 活動地域については、「非国際的武力紛争地域」と規定。「国際的」武力紛争が起こっていなければどこでも派兵できるようになっています。米軍が、「テロ掃討」を口実に激しい戦闘を展開しているイラクなどでも活動可能になります。

 派兵の要件に、「我が国として特に必要であると認める事態」をあげ、国連決議や紛争当事者の要請がなくても、政府の判断でいつでも可能にするものになっています。

 政府・与党は、自衛隊の海外派兵のため、PKO(国連平和維持活動)法のほか、テロ・イラクの両特措法といった時限立法の制定を強行してきました。しかし、派兵のたびに法律をつくるのでは、米国の要求に迅速に応えられないとして、恒久法の検討を進めてきました。(以上)

政府は自衛隊のイラクでの武器の使用についての見解で、反米武装勢力やテロ組織は国家的組織ではないと規定して、攻撃されれば正当防衛と規定して武器の使用が出来る見解を表明していました。この見解を頭に入れて「非国際的武力紛争地域」という聞きなれない言葉を考えますと「国際」の概念は辞書には、国家と国家の交際または関係となっていますから、イラクにように、米国が武力で政権を打倒した後で、米国に抵抗する反米武装勢力やテロ組織は国家的組織でないから、そこでの自衛隊の交戦地域は「非国際的武力紛争地域」だという考え方を用いるのではないかと思います。

「我が国として特に必要であると認める事態」とは実に政府に都合のよい恣意的な規定です。綱が切れた猛犬が当たり構わず暴れ回ることを想像します。自民党の本音が表れています。自民党新憲法草案の「法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行う活動」の文言の考え方が、法律の定めるところが、恒久法が適用され「国際社会の平和と安全を確保」が「我が国として特に必要であると認める事態」になり、有志連合の活動が「国際的に協調して行う活動」になる可能性があります。

2003年12月16日、参議院外交防衛委員会における川口順子外相の答弁。

よく日米同盟関係という言葉を使いますけれども、これは日本が経済やあるいはその他の政治テロとの戦い、その他途上国への支援、そういったすべていろいろな分野において考え方を一にする、同じ価値観を持つ、自由とか民主主義とか市場経済とか、そういう国として世界のいろいろな課題に共に手を取り合って取り組んでいこうと、そういうことを日米同盟関係というふうに考えているわけでして、決して狭義の安全保障のことだけを考えているわけではない。(中略)我が国として、やはりアメリカというのはスーパーパワーであります。そして、この考え方について多くの点で共有をしているという観点で、引き続き同盟関係を、同盟関係を持っていく、維持していくことは重要であると思います。(以上)

自民党政府は日米同盟を「すべていろいろな分野において考え方を一にする、同じ価値観を持つ」同盟と考え、「同盟関係を持っていく」としていますから、米国の考える「世界の平和と安全」の軍事行動は、日本の「我が国として特に必要であると認める事態」となりうるのは必定であります。

そのために自民党政府は、自衛隊が海外活動を本土防衛と同格とする「省昇格法案」を考え、米国の軍事行動に素早く対応できるように自衛隊と米軍の一体化をはかり、さらに「恒久法」を制定し、そのための障害となる憲法9条を消滅させ、自衛軍という軍隊で、日米軍事同盟による集団的自衛権を行使できるようにするのです。

平和主義を貫く沖縄の新聞/山崎孝

2006-06-15 | ご投稿
評論家の鎌田慧さんは、「痛憤の時代を書く」(2006年5月刊行、アストラ社)で次のように述べています。

いま、(2003年12月23日)沖縄にきてこの原稿を書いている。『沖縄タイムス』、『琉球新報』ともに、自衛隊のイラク派遣には、きわめて批判的なあつかいでたのもしい。

各ページともに、さまざまな角度から、批判的な記事を掲載している。戦場とされて多くのひとびとが殺された沖縄らしく、新聞の責任を果たそうとする心意気が感じられる。

『沖縄タイムス』2003年2月11日は、「銃は向けられたら先に撃て」の見出しが、一面トップである。

 これは、防衛庁が作成していた武器使用のための「対処図」(共同通信発)の紹介で、『琉球新報』も一面のサブトップあつかいである。

 前日は、イラク派遣基本計画の閣議決定を受けて、「戦時本格活動の道開く」の見出しである。小泉首相の、米軍イラク侵略にともなう、「大量破壊兵器の脅威」から、「テロに屈してはならない」までの発言の変遷を跡づけ、無原則、場当たり主義ぶりを批判している。

 これにくらべると、本土マスコミは、小泉首相とさして変わらない無原則主義で、おのれの立っている軸足がどこにあるかわからない。読売、サンケイは論外としても、NHKの国営放送ぶりも露骨である。

 このなかで、『沖縄タイムス』『琉球新報』の健闘ぶりはさわやかだ。かつて、軍部の宣伝機関になっていた自分たちの戦争責任を忘れていないのなら、本土の新聞はここでこそ反戦の気を吐くべきだ。

 小泉首相の「自衛隊派遣は憲法の理念にかなう」にたいして、沖縄の二紙は猛反発だった。

 『琉球新報』は、1面トップで憲法前文を掲載、首相が前段の戦争をなくすという理念を無視して、その目的達成のための努力を「参戦」にかすめ盗ろうとするやりくちを暴露している。

 このペテン師的、盗っ人猛々しい政治手法を弄した、とにかくブッシュのご機嫌を損ねまいとする、哀れで無法(憲法無視)な首相のギマンを、わたしたちはいつまで見つづけなければならないのか。

 なぜ、いま、ここで反政府運動をつくりだせないのか、その責任もまた、わたしたちのものなのだ。

2006年4月「しんぶん赤旗」日曜版で、琉球新報論説委員長の宮良健典さんは次のように述べています。

 憲法改定の主な狙いはやはり9条です。米軍の戦争に「国際貢献」という名のもとに自衛隊を海外派兵していくということが見えるわけです。自衛隊のイラク派遣も9条があるからこれだけ論議になります。9条が海外派兵への抑止力になっているのです

戦前、日本に侵略されたアジア諸国から改定の意図は何かということが問われます。戦後営々と築いてきたアジアへの平和のメッセージが、9条改定で損なわれる可能性があると思います。

 いま私たちは普天間基地の問題を連日取りとげていますが、全国紙の扱いをみるとそうはなっていません。米軍再編や安保の問題は、沖縄からみると全国的な非常に大きな問題なのに、温度差を感じます。全国紙は大きな問題が起きたときには沖縄に来るんですけど、その後はあまり問題にしません。

 沖縄は沖縄戦、米軍統治下をへて本土復帰はしたものの、米軍基地は居座ってあらゆる被害を受けています。こうした経験をへて、県民には9条改定に反対する人が多い。「命どぅ宝」という平和への意識です。人権が認められなかった経験が、日本国憲法を大事に守りたいという思いにつながっています。

 国会で与党などによって憲法改定が発議されたとしても、国民投票にゆだねられます。憲法9条のもつ意味をどう伝えていくか 今年もいろいろな企画に取り組んでいきたいと思っています。


愛国者で国士の箕輪登さん/山崎孝

2006-06-14 | ご投稿
愛国者で国士の箕輪登さん

箕輪登さんを追悼する記事が2006年6月13日の朝日新聞に掲載してありました。以下は記事の文章です。

「日本の平和」強い執念

 小樽港を望むビル6階の自宅。訪れた2003年暮れ、箕輪さんは立てかけた日の丸を背に、「重装備の自衛隊を海外に出すのは法律違反」と力説した。防衛政務次官や郵政相を歴任し、1990年に衆院議員を引退。その後、脳梗塞で足が不自由になり、声を絞り出すように語った。

 自民党国防副部会長も務めて「タカ派」と目され、2004年1月に自衛隊イラク派遣差し止め訴訟を起こすと、党閑係者から批判や疑問が相次いだ。だが、考えは一貫していた。「自衛隊は専守防衛。海外には派遣しない」

 一昨年10月末、自宅で尻餅をついて動けなくなったが、「はってでも行く」と翌日の法廷に出席。口頭弁論の前には、病室で5時間以上も想定問答に打ち込んだこともある。弁護団事務局長の佐藤博文弁護士は「強い執念を感じた。政治は法律に基づいて行われなければならないという素養があった人」と話す。

終戦の直前に陸軍軍医少尉に任命され、戦争の時代を生きた。提訴後は、それまで無縁だった護憲・平和団体などの招きで、つえや車いすで、東京や速く長崎まで講演に出かけた。

 札幌市の元の自宅に石碑を置いた。

 「常に腰の坐った背筋のシャンとした人間になろう 人を信じ責任の回避をしないこと」

 その碑文通り、党道連会長として1987年の北海道知事選で推した候補が敗れた責任を取り、議員引退を表明。保革問わず、その潔さに驚かされた。

 葬儀には、自民党関係者と訴訟を支えた平和運動のメンバーらが同席。遺族が会葬者に渡した礼状には、箕輪さんが2月27日、最後になった法廷で語った言葉が添えられた。

 「(自分は)やがては死んでいくが、死んでもやっばり、日本の国がどうか平和で、働き者の国民で、幸せに暮らして欲しいなと、それだけが本当に私の願いでした。(筆者は泉賢司記者)

私は箕輪登さんに敬意と哀悼の心を捧げます。愛国者で国士であります。

箕輪登さんの憲法と自衛隊との関係に関する考え

2004年1月29日の「オホーツク新聞」箕輪登さんへの緊急インタビューより

●自衛隊は日本の専守防衛のため

一自衛隊のイラク派遣が誤りだと主張される根拠をわかりやすく聞かせてください。

箕輪 ひとことで言いますと「自衛隊が武力行使できる姿で外国へ行くこと」に問題があるんです。私は婁と2人の隠居暮らしですから黙っていればいいのかもしれませんけど、国会議員として十数年間も自衛隊法を作った専門学者から教えていただいた経験を持つ者として小泉首相と石破防衛庁長官の襲った法解釈に基づく自衛隊出動命令をやめさせなきゃいけないと思った訳です。

そもそも日本の自衛隊が「国際紛争を解決するための武力の行使や威嚇を放棄する」と宣言した憲法9条に照らして認められるのは、自衛隊法88条と76条で「我が国が武力攻撃された(おそれも含む)場合の防衛のため」という条件がついて初めて専守防衛の実力部隊として国民に認知されてきたという法的根拠をしっかり確認しなければいけませんよ。違いますか。(以下略)

先に紹介していますが私の文章を再掲します。

朝日新聞2005年12月7日付け「声」欄掲載文

 9月28日の本紙「この人に聞きたい」で、公明党代表神崎武法氏は、憲法の「9条の1項と2項は堅持し、集団的自衛権の行使は認めない。そこは揺るがない。9条で合意できなければ、連立そのものに響いてくる」と述べた。

11月27日の本紙報道によれば、NHK番組で公明党幹事長代理太田昭宏氏が「『軍』について我が党は賛成できない。現憲法の平和主義は大事な項目。1項2項を堅持する」と述べたという。

 この二つの発言で見ると、公明党は「加憲」といっているが、改憲の最大の争点は憲法9条だから、論理的には護憲になるのでは。他党との連立を維持するために、平和主義を揺るがすことがないよう願っている。

 軍隊は、個別的自衛権、集団的自衛権も共に行使出来るといわれている。改憲の賛否の分岐点は、自衛隊を自衛軍にして専守防衛を捨てるのか、否かだだろう。
 自衛隊を必要と思う人も、思わない人も、専守防衛で一致して憲法9条を守る。隣国とは敵対関係に陥らず、武力行使が不必要な環境にしなければと思う。


教育基本法改定案に接近している教育現場/山崎孝

2006-06-13 | ご投稿
現在の教育現場の一端を2006年6月10日の朝日新聞は、自社の調査結果の記事を掲載しています。

 「国を愛する心情」を通知表の評価項目に盛りんでいる公立小学校、少なくとも13都府県市区町村に190校あることが、朝日新聞の調べでわかった。かつて盛り込んでいたが削除したという学校は、少なくも122校あり、その多くが児童の内面を評価することの難しさを理由に挙げている。

 教育基本法改正案が国会に提出される中、5月下旬から6月にかけ、各都道府県や市区町村の教員会などに取材し、咋年度の通知表に「愛国心」の項目があることが判明した学校数を集計した。通知表は学校が独自に作る原則で、教委などがつかんでいない例が他にもある可能性がある。

 「愛国心」を通知表に盛り込んでいる学校数は3年前の調査では172校だった。今回は、前回の調査で把握できなかった学校が新たに判明する一方、3年の間に「愛国心」の項目を削除した学校もあり、差し引きで全体では若干の増加となった。(以下略)

通知表に愛国心の項目が盛り込まれていることと関連して、早稲田大学社会科学部教授の西原博史さんは、教育現場の姿と教育基本法改定案について次のように述べています。(「世界」7月号より抜粋)

福岡市などでは「愛国心の評価」が既に始まっています。二〇〇二年、福岡市の約半数の小学校六九校で使われた通信簿では、「社会」科目の、それも一番目の評価項目が「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を持つとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚を持とうとする」でした。翌年以降も福岡県の校長会は「愛国心の評価」を伴う通信簿をモデル案の一つとして示し続けています。こうした流れの中で考えると、

教育基本法が変えられた場合、国家にとって望ましい態度が実現できているかを評価するという姿勢が、全国的に教育現場に定着していく恐れがあります。

例えば、改定案には、「国際社会の平和と発展に寄与する態度」という文言がありますが、イラク戦争を正しい戦争だったと考えるようになることが平和と発展に寄与することである、などと押し付けられかねない。それに異を唱える教員たちの排除も容易になるでしょう。

 実際、愛国心の評価に関しては、「君が代」の歌を拒杏する姿勢は愛国的でないと評価されているのが今の日本です。東京の学校では、国歌を歌うかどうか「自分で判断してほしい」と教師が言うことすらもタブーになっています。国民として望ましい心のあり方を上から権力的に定め、学校内の上意下達システムを通じて貫徹していくことは、今の日本では決して空想上のできごとではなくなっているのです。

 教員の排除に関しては、現実に、卒業式で国歌斉唱時に起立しない教員の処分という形でかなり進んでいます。今年三月の段階では停職三方月でしたが、年度を経るごとに処分が厳しくなっていて、次は停職六方月か懲戒免職であろうと言われている。既に、国家や校長の教育方針、学習指導要領、教育目標の実現の仕方に対して異を唱える教員は排除していい、首を切っていいという方向で動き始めているのです。

 ただ、これは法的にいうと、危ない橋を渡っての既成事実化という面があります。現に裁判が複数進行していますが、たとえば昨年四月の福岡地方裁判所の判決のように、減給処分は行き過ぎだ、違法だとする判決も出ています。その他、東京都の教員処分などに関しても数多くの裁判が提起されているし、国歌のピアノ伴奏に関わる事件は一年以上も最高裁に係属している状態です。裁判所としては、子どもの思想・艮心の自由を踏まえた場合に、国歌斉唱の暴力的な強制は認めるわけにはいかない、という線だと思います.

 ところが、教育基本法の中で愛国心が教育目榛として明示されたら、教育がすべてそこに向けて組織されることを国民は合意済みということになる。この決断は、裁判所の判断にも影響してくる可能性があります。国民が愛国心教育を求めている以上、愛国心教育は思想・良心の自由の例外だと考えざるを得ない、と。

 ただ、思想・良心の自由より国民として望ましい考え方を持つ義務を優先してしまったら、そこにはもう、人権保障も民主主義もありません。(以上)

西原博史教授が「東京の学校では、国歌を歌うかどうか「自分で判断してほしい」と教師が言うことすらもタブーになっている」と述べていますが、このことについて「しんぶん赤旗」2006年6月9日の電子版で報道しています。

日本共産党の笠井亮議員は八日、衆院教育基本法特別委員会で、東京都の「日の丸・君が代」の押しつけについて「教師を人質にとった思想統制と考えています」という生徒の発言を紹介し、「これが教育上好ましいことか」とただしました。

 東京都は卒業式・入学式の「君が代」斉唱時に生徒が不起立だったことを理由に、教員を「注意」「厳重注意」にしています。

 小坂憲次文部科学相は一般論として「内心の指導をおこなっている状況があれば是正しなければならない」とのべただけでした。

 このため、重ねて笠井氏は、ホームルームで「立つも立たないもあなたたちの判断だ」とのべた都立高校教員が都教委の「注意」をうけたことを取りあげて追及しました。

 小坂文科相は「(指導の)一番最初に、内心の自由があるから歌わなくてもいいんだよといってから歌詞などを教えても覚える下地ができない」「私なりに想像してそういう感覚を持った」などと答弁。笠井氏は「大臣は現場の教師を最初から疑っている。とんでもない発言だ」と批判しました。

 一九九九年の「国旗・国歌」法制定時に野中広務官房長官(当時)は「式典等において起立する自由もあれば起立しない自由もある」と答弁しています。笠井氏は「政府の答弁と同じことを生徒に伝えるのがいけないのか」と迫りました。

 安倍晋三官房長官は野中答弁を認めたものの、「国旗・国歌について国々がどのように敬意を払っているかを教えることはきわめて重要だ」などと述べました。

 笠井氏は、「国会答弁を生徒に伝えたら教師が『注意』をうけるなど法治国家にあるまじきこと。このまま教基法が改定されれば、この事態が全国に広がりかねない。廃案にすべきだ」と強く主張しました。(以上)

自民党新憲法草案には、個人の思想信条の自由は「公の秩序」を理由に制限できるようになっています。この規定を使えば、国民が一致団結して戦争に勝利しなければならないときに、国家の秩序を乱す行為として戦争に反対することにも適用されかねません。

米国と国連の対立が起こっています。6月10日の朝日新聞報道には、マロックブラウン国連副事務総長が「国連をこっそりと外交の道具として使いつつ、国内(米国)からの国連批判(FOXニューズなどの国連を中傷するニュース)に対処しようとしないやり方では、(国連)はもたない」と発言したことに対して、ボルトン国連大使がこの発言を撤回するよう求めましたが、アナン国連事務総長は拒否しました。朝日新聞は、国連改革をめぐる米国と途上国の対立が解けない中で、今度は米国と事務局の対立という新たな火種が持ち込まれた格好だ」と書いています。

毎日新聞の6月8日の電子版では、ブラウン氏は国連経験の長い英国人で、米国政府から信頼が厚いと言われていた。今年4月にアナン事務総長の官房長から副事務総長に昇格した際には、米国よりの人事との見方があったと伝えています。

マロックブラウン国連副事務総長の「国連をこっそりと外交の道具として使いつつ」というフレーズで、以前に紹介した緒方貞子さんの米国は国連を利用できるときは利用するが、国連の言うことには従わないという趣旨の発言を思い浮かべます。

イラク戦争のように国連や国際法を無視した行動を取るのが米国です。日本が集団的自衛権行使が出来るようになれば、日本は米国と国連が対立する問題でも、米国に従い国際社会から歓迎されない武力行使を他国の領土で発動することになるでしょう。

米国はイランの核問題では初めは拒否していた話し合いのテーブルに着こうとしていますが、2006年6月12日の朝日新聞は「米政府はすでに『有志連合』による金融制裁への協力を日本政府に求め、日本側が内容の検討を進めている」と報道しています。

国連で一致しない場合でも、米国を中軸とした行動を考えています。政府はこれを国際貢献の活動としかねません。

かつては、里山があり、社会には二つの原風景があった/山崎孝

2006-06-12 | ご投稿
朝日新聞6月11日の記事「あんてな」で、高橋正太郎記者は、教育基本法の教育現場がどのように受け止めていたかを書いています。教育現場の原風景と言うべき姿だと思います。

 人間で言えば還暦に近い教育基本法。前文と計11の条文からなる短い法律だが、戦後の教育界で格別の重みを持ってきた。たとえば教員採用試験では、「教職教養」の一つとして、教育基本法の知識をはかる問題がよく出される。志願者は必死に覚えて試験に臨む。

 「ノートに書き写し、何十回も繰り返し読んだ。最後は全文をそらで言えるほどになった」と小学校の先生が約20年前の日々を振り返る。

 採用時、一人ひとりに、「教育基本法の本旨を体して仕事に当たる」という宣言書を書かせる教育委員会もある。

 教育基本法は、法律の形をとった一種の「教育宣言」として登場した。そのころ、熊本の学校で教師生活のスタートを切った丸木政臣が職員室のできごとを書いている。

 職員会議で校長が教育基本法の講義をした。格調高い前文を声に出して読み進むうちに、その声は嗚咽に変わり、講義が中断した。教え子を戦場に送った自分に民主主義や平和を語る資格があるのか? 鳴咽の理由を校長はそう説明した(岩波ブックレット「あの『青空』をふたたび」)。

 お国のための教育から、子どものための教育へ。戦後、百八十度転換した理念と枠組みを支える上で教育基本法の役割は大きかった。だからこそ「教職教養」として重んじられてきたのだろう。

 制定以来、初めて手を加える教育基本法改正案が国会に出されたが、会期の都合で継続審議になるという。この法律がなぜ生まれたのか。「水入り」になれば、改めて原点を見つめたい。

(以上)

次に日本国憲法を教育する教育現場の原風景というべき姿、教師が子供たちに話しかけている授業の風景を紹介します。(童話社の復刊「あたらしい憲法のはなし」より)

六 戦争の放棄

 みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。(以下略)

日本の原風景「里山」は多くの人は残したいと思っています。里山を残すも失うも人間の価値観と心がけ次第ともいわれています。これと同じように、国民一人一人が、日本にとって何が大切なものであるかと考え思うかですが、その中にあっても人の命と尊厳を否定することはできません。

これからはアジアで数千万人、日本人は310万の命を犠牲にした戦争の惨禍を深く自覚した、その時点の姿を思い起こし、また知らない人はそのことを知ってその主権を行使しなければと思います。

政党の離合集散の以前は、憲法を守るために、公明党を含めて社会党、共産党が国会の議席の最低でも三分の一を占めることが目標にされていた時代がありました。今は違っていますが、自由と民主主義、平和主義の憲法を守るか、失うかは最終的には選挙権の行使できる日本国民の意思にかかっています。そのためには世界と日本の姿を具体的に知ってもらい、かつ憲法の果たしている役割を知ってもらうことが大切だと思っています。

1945年8月15日以前の日本に戻ってはならないのです。

防衛庁を「防衛省」に格上げを考える/山崎孝

2006-06-11 | ご投稿
政府は、6月9日の閣議で、防衛庁を「防衛省」に格上げする「省昇格法案」を決定しました。これについて安倍官房長官は9日の記者会見で「近年、防衛問題が重要性を増すなか、諸外国と同様に防衛庁を省と位置づけ、各種の事態により的確に対応することは必要なことであり、自然な流れだと考える」と述べています。

安倍官房長官は侵略戦争を起こした反省から、日本は国際紛争を解決する手段として武力を用いないとする基本理念は念頭には無いようです。ネオコン的に相手を力で威圧して、妥協を引き出そうとする考え方を基本に持っているようです。かつては、前原誠司氏らと共に、日本は先制的攻撃能力を持つべきだという考え方を示し、日本の原爆保有に触れたこともあります。

それでは安倍官房長官のいうように「近年、防衛問題が重要性を増す」ようなことが頻発し、外国から脅かされているのでしょうか。防衛白書は「見通し得る将来、わが国に対する本格的な侵略事態生起の可能性は低下している」と分析しています。また、日本に対する「着上陸型の侵攻」も低いと述べたこともあります。北朝鮮がテポドンの発射実験を一回行ったからといって、テポドンミサイルでは日本を占領できません。相手国を占領支配してこそ戦争する利益が生まれます。国際社会から援助を受けないと自国民の食糧確保さえ不十分な北朝鮮が日本を攻撃占領する国力があるとは考えることは出来ません。

軍事力を背景にして相手を脅かして対立する問題の交渉を有利に引き出す方法も考えられますが、これを行った米国は失敗して結局は6者協議に応じたケースあり、最近はイランの核問題でも最初は強行でしたが、交渉のテーブルに着こうとする姿勢を見せ始めています。

中国の脅威が叫ばれていますが、強面のラムズフェルド米国防長官さえも、米中はステークホルダー(利害の共有者)だと、最近シンガポールで開かれた「アジア安全保障会議」で中国人学者の質問に答えています。圧倒的な軍事力で対決してばかりではいられないという認識です。

この会議には台湾も参加しています。「省昇格法案」には、自衛隊の海外活動も国土防衛と同じ本来任務という同格の扱いにすることを盛り込んでいます。台湾有事を想定した周辺事態での後方支援活動も本土防衛と同じ扱いになります。しかし、これも米中は台湾問題では、現状維持を確認しており、それに中台は経済的に緊密度を増す方向を加速させ、台湾独立を叫んだ陳水扁政権は、台湾の人たちの支持を大きく失っています。「近年、防衛問題が重要性を増す」とはいえません。

防衛庁は昇格すれば、不審船に対処する「海上警備行動」などの発令の承認を得る閣議の開催も要求できるとして、「危機に迅速に対応できる」と、その意義を強調していますが、基本的には不審船に対応するのは、海上保安庁の仕事で警察力を用いる仕事です。

海上保安庁は不審船沈没事件が起きてから、巡視船の高速化と防弾設備強化に力を入れています。本年度も高速巡視船とヘリコプターの導入を決めています。不審船の正体を明らかにするには不審船を捕縛して船を調べなければなりません。海上自衛隊ではこのようなことが上手くやれるような高速船と技術は持っているとは思えません。得意の戦闘能力で撃沈させては不審船を調べるのに困難が伴います。

私は海の記念日に巡視船に乗せてもらったことがありますが、巡視船には逃走する船を捕縛するために、キャッチャーボートが鯨を捕獲する時に使用するような銃の発射装置が装備してありました。銛を発射するとロープも一緒に伸びてゆき、逃走する船を捕縛する装備でした。

安倍官房長官は9日の記者会見で述べた「近年、防衛問題が重要性を増す」という認識は、2001年のアフガン戦争、2003年のイラク戦争などのような米軍が起こした戦争へ「的確に対応すること」を強く意識したと考えられます。