いせ九条の会

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右翼の金看板、ナショナリズムのお株を奪った学者、政治家たち/山崎孝

2006-08-31 | ご投稿
8月30日の朝日新聞に、加藤紘一氏の実家に放火した容疑者が逮捕された事件に関してコメントが載っていました。

【右翼の弱体化象徴する事件】日本の右翼に詳しい松本健一・農沢大教授(日本近代精神史)の話 右翼の人は、常に自分の死に場所を探す傾向がある。自殺の舞台として靖国問題で中国の主張に理解を示してきた加藤氏宅を選んだと考えられる。ただし朝日新聞社で自殺した野村秋介氏のように、相手に自分の主張をぶつけてから腹を切るのが、本来の彼らのやり方だ。だが、今回は加藤氏が留守中の犯行で、主張もよくわからない。

 これまで右翼が金看板としていたナショナリズムを最近は保守派政治家が体現してしまう。それによって厳近の右翼は、以前に比べて思想的な背景が希薄になった。自分の中にアイデンティティーを作りだせないために、外に無理やり敵を作る。今回の犯行は、そうした右翼の弱体化を象徴する事件だと考える。(以上)

安倍官房長官のブレーンには、親米保守の岡崎久彦氏や中西輝政氏らがおります。お二人の思想的傾向は所属する「皇室典範を考える会」が出した声明でわかります。声明は、皇室の男系継承を維持するためには、旧皇族の皇籍の復帰さえ求める考え方をします。象徴天皇より復古主義的な天皇像を望んでいるといえます。中西輝政氏は靖国神社が発行する「やすくに」にも寄稿しています。

朝日新聞8月29日「安倍晋三研究」という記事には次のような安倍氏の政治行動が書かれています。

(前略)憲法と教育へのこだわりは、筋金入りだ。1994年末に自民党がまとめた「新宣言」の草案に、自主憲法制定の項目が抜けていることを知ると、若手議員らで党執行部に抗議。「新しい時代にふさわしい憲法」との文言が盛り込まれた。

 1997年2月、現農水相の中川昭一氏らと「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げた。歴史教科書の従軍慰安婦問題に関する記述には、裏付けがない」と削除を要求。その年の5月の衆院決算委員会分科会では「教科書会社は営利を上げるために、内容を『社会主義化』することによって利益を上げている」と強調した。

 近著「美しい国へ」で教育について「戦後日本は、戦争の原因と敗戦の理由をひたすら国家主義に求めた。その結果、戦後の日本人の心性のどこかに、国家=悪という方程式がビルトインされてしまった。戦後教育の蹉跌のひとつである」と記した。戦後の国家観が「教育のゆがみ」を生んだとの考え方だ。(以下略)

安倍氏は歴史の事実に基いて負の歴史を述べることを「自虐史観」と批判し、1995年の「植民地支配や侵略的行為」に「深い反省の念を表する」とした戦後50年決議の採決を欠席しています。

戦前の日本国民は「天皇の臣民」で、国家主義そのものでした。この就縛から解放したのは憲法で、近代的な日本の姿である国民主権、自由と民主主義、平和主義のあり方に是正し、これに基く教育基本法を制定しました。安倍氏はこのような是正を「戦後教育の蹉跌」と捉えています。

従来の教科書を「自虐史観」と批判した「新しい歴史教科書を作る会」会長を務めた八木秀次氏も安倍氏のブレーンの一人です。

戦死者を哀悼ではなく尊祟する、戦争の歴史を肯定的に捉える「自虐史観」の主張、そして国家主義に郷愁を抱く学者や政治家が、松本健一氏の意見「右翼の金看板としていたナショナリズム」のお株を奪ってしまったと言えます。

葛飾マンションビラ配布事件無罪判決/山崎孝

2006-08-30 | ご投稿
【政党ビラの配布 無罪 住居侵入にあたらず 目的・様態 “社会通念上は正当” 】 (8月29日「しんぶん赤旗」電子版)

 東京都葛飾区のマンションで日本共産党の都議会報告などのビラを配った荒川庸生(ようせい)さん(58)が、住居侵入罪で不当に起訴された弾圧事件の判決公判が二十八日、東京地裁で開かれました。大島隆明裁判長は、「社会通念上、本件のようなビラ配布は禁じられておらず、正当な理由がないとは言えない」とのべ、荒川さんに対し無罪(求刑罰金十万円)を言い渡しました。憲法で認められたビラ配布の自由の正当性を認め、違法捜査をもって言論・表現の自由を妨害した警備公安警察・検察のあり方を厳しく問うものです。

 判決後、荒川さんは弁護団と記者会見し、「常識的な判決に敬意を表したい。検察にはこれ以上言論・表現の自由を犯罪におとしめることはやめてほしい」と述べました。

 判決は、マンション廊下を「住居」にあたると判断。そのうえで、ビラ配布について「目的が決して不法なものではない」と認定。共同住宅への立ち入りは、共同住宅の形態、立ち入りの目的・様態などにてらし、社会通念上容認されるか否かによって違法性は判断されるという基準を示しました。

 荒川さんの行為は、昼間の時間帯に、誰にもとがめられることなく、鍵のかかっていないマンションの共用部分に短時間立ち入っただけと認定。ビラの内容も、住民がプライバシーを侵害されるという不安を抱くことも少ないとし、「住居侵入罪を構成する違法行為とは認められない」としました。

 弁護側は公判で、「マンション住人による現行犯逮捕」は存在せず、事後的ねつ造によるもので、単なるビラの投函に、家宅捜索などの過大で恣意的な捜査を行うなど、違法捜査の上に立件された事件だと主張。「過大で違法な捜査であり憲法違反」であるとして公訴棄却を求めてきました。その点について、判決は違法性を認めませんでした。

表現の自由 芽吹いてきた 荒川庸生さんの話

 憲法で保障された重要な権利が、ここしばらくないがしろにされ、有罪という判決が続きましたが、この八月二十八日、無罪を勝ち取れたことは、この国の民主主義や言論・表現の自由がまた芽吹いてきた日だと確信しています。

 私は公判のなかで、市民感覚に立って判断していただきたいと申し上げてきました。私は、マンションの開放廊下に静かに入ってポスティングすることが犯罪であるとの認識はまったくありませんでした。これが一般市民常識だと思います。

 二十三日間の勾留、一年半に及ぶ裁判は、普通の人間にとって、とてつもなく重い負担です。私への求刑は罰金十万円でしたが、支払わなければならなかった損害は、ことばでは表せません。表現の自由にたいする弾圧事件は、警察、とくに公安警察はやめていただきたい。

 無罪を確定させるためにも、控訴を許さない。私も頑張ります。みなさんも、お力を貸してください。(以上)

★判決と関連した28日の朝日新聞記事抜粋 判決は……そのうえで「ドアポストへの立ち入り目的は、集合ポストでは商業ビラに紛れて捨てられる恐れがあるためで、滞在時間はせいぜい7、8分」と短時間だったことを指摘。さらに、このマンションではピザのチラシも投函されているが、投函業者が逮捕されたという報道もないうえ、40年以上政治ビラを投函している被告も立ち入りをとがめられたことはないという点を踏まえ、「現時点で、ドアポストに配布する目的で昼間に短時間マンションに立ち入ることが明らかに許されない行為だとする社会的な合意がまだ確立しているとはいえない」と述べた。(以下略)

私たちはマンションにビラを配布する時は、一階のポスト入れではなく、各戸のドアにビラを配布します。このような行為を今まで何度も行ってきましたが住人に咎められたことはありません。裁判所が常態となっていた「投函業者が逮捕されたという報道もないうえ、40年以上政治ビラを投函している被告も立ち入りをとがめられたことはない」という事実を指摘したことは賢明だったと思います。

40年も同じようにビラを配布してきたのに、2004年12月に事件が起こったことは、2004年1月に自衛隊がイラクに派遣されてから、戦争に反対する勢力に国家権力があからさまに牙を向けてきたことは明らかです。自民党政府は有事法制を制定して、国民を戦争体制に動員できる体制を自治体レベルで整えつつあります。国家が戦争の方向に向かう時は必ず言論の自由に対して弾圧を加えてきます。戦争に至らなくても、民主主義に反する強権政治にはつきものです。政治活動や言論活動をしない人が言論弾圧は他人事と思って無関心にいると段々酷くなり、かつては大衆歌謡の恋愛の歌さえ制限された時代がありました。言論弾圧の初期の段階に、市民が気がついて効果的に対処しないといけないと思います。


アジアの相互依存関係を破壊してまで戦争を行う理由は?/山崎孝

2006-08-29 | ご投稿
先日、天児慧・早稲田大学教授の『現在のアジア情勢は「協力や相互依存が深化して、やがてうねりとなっていくであろうアジアの連帯・統合への胎動である」という言葉を紹介しました。8月27日の朝日新聞は天児慧・早稲田大学教授の述べたアジア地域の「協力や相互依存の深化」の状況を日本企業を取材して報道しています。この記事を紹介します。

【ものづくりアジア分業】インドネシア産の車体パネル、フィリピン産の変速機、マレーシア産のステアリング部品……。アジアの7カ国で作られた自動車部品が運び込まれてくる。シンガポール港の一角にあるトヨタ自動車の部品物流基地だ。

 フォークリフトが、部品を行き先の組み立て工場ごとに仕分けし、40分後にはそれぞれ積み上げた。ここから再びアジアを中心とする11カ国の工場に向けて出て行く。

 トヨタは2004年、アジアでの分業を活用した「新国際多目的車(IMV)」を発売。アジアで動く部品量は大幅に増えた。「部品の9割以上を域内で賄うからこそ割安な車を出せる」と、タイ現地法人の佐々木良一社長は言う。

 アジアでの部品調達・供給網が太く、密になったのは、域内で各国間の自由貿易協定(FTA)が増え、国境の壁だった関税が下がったからだ。

 キャノンの家庭用インクジェットプリンターの場合、中高級機種は技術力の高いタイ工場、低価格機種は人件費の安いベトナム工場で生産。各工場には中国が金型や特殊部品、日本が半導体などの基幹部品を供給する。

 日本を含めたアジア各国がその持ち味を生かしながら仕事を分担する態勢が出来上がっている。

 松下電器産業のアジアでの生産規模は国内を上回る。域内で購入する原

材料・部品総額は年間1兆2千億円に上る。山本亘苗・資材調達本部長は「日本とアジアは運命共同体だ」と言う。

 東アジア域内の貿易比率は5割を超え、欧州連合(EU)の6割に迫る。とりわけ日中の相互依存は際たつ。日本の対中貿易額(含む香港)は2004年に米国を抜きトップになり、昨年の貿易総額は約25兆円だった。中国商務省グローバル企業研究センターの王志楽主任は、「日本と中国は一体のサプライチェーン(供給連鎖)となっている。日本企業の技術とブランド力、中国に進出した工場でのコストダウン効果が相まって国際競争力が増している」と指摘する。

 日本は戦後、米国と安全保障でも経済面でも運命共同体として歩んできた。だが、21世紀に入り、経済面でアジアの重みは増し「東アジア共同体」という言葉も首脳たちの間で語られる。

 経済の相互依存は日中などの政治的な緊張を和らげるのだろうか。

 経済同友会の北城代表幹事は「日本は、中国が国際社会の責任ある一員になることを支援すべきだ。経済連携を深めることは一つの安全保障になる」と話す。(以上)

1985年の日本の貿易は北米向けが32.9%ありましたが、中国向けは6.2%に過ぎませんでした。この時点での日本外交を米国一辺倒だとの批判に対して国益が大切といわれれば幾分かの言い分がありました。しかし、現在は新聞報道のように大きく変わっています。中国脅威論を唱える政治家は国益を軽視していると言われても有効な反論は出来ないと思います。

中国脅威論は、中国が日本に戦争を仕掛けると主張することです。「日本と中国は一体のサプライチェーン(供給連鎖)となっている。日本企業の技術とブランド力、中国に進出した工場でのコストダウン効果が相まって国際競争力が増している」という状況、アジア域内での「協力や相互依存の深化」の状況を破壊してしまうことです。日米が周辺事態に想定している中国と台湾の関係は、台湾の企業が中国大陸に進出して台湾の人たちが100万人以上大陸で働いています。中国大陸からは台湾への観光旅行者が2005年は約385万人に達し、台湾当局は2008年までに500万人増やす計画です。これは台湾が警戒心を解いて部分開放から全面解放に切り替えたからでした。中国大陸の人たちのお金の使いぷりはとても良くて台湾観光業の人たちは歓迎しているということです。このような共存関係を紛争を起こして破壊してどのような利益をえることが出来るでしょうか。

かつて日本が中国に戦争を仕掛けたこと、700年以上中国が日本に侵攻していない歴史を無視して、中国は戦争を仕掛ける国であると主張する人たちは、新聞に報道されている状況を上回る中国側の利益を戦争はもたらすとことを論理的に説明しなければならないと思います。単に中国が軍事費を拡大している理由だけでは中国脅威論を唱える根拠になりません。

日本が軍事超大国そして何度も侵略戦争を行う米国と軍事組織の一体化を図り、空中給油機部隊の編成、高速輸送船の導入など専守防衛ではなく、海外での武力行使を想定した軍拡を図る。そしていままで歯止めをしていた外国での武力行使が出来る憲法に変える政治的動きが、かつて日本に侵略されたアジアの国に脅威を与えていないとは言えません。

中国脅威論は、軍隊を持つという軍事志向の改憲へ世論の下地を作るための一つの政治宣伝です。この中国脅威論はいかに日本とアジアの現実を直視していないかが分ります。

「憲法・平和を語り歌うコンサート」/山崎孝

2006-08-28 | ご投稿
8月27日に私は「憲法・平和を語り歌うコンサート」に行きました。第2部の笠木透さんがメインの出演者でした。笠木透さんは日本のホークソングが社会的メッセージを発していたころ活躍したの歌手で、60年安保闘争を体験しています。私はその著作「鳥よ鳥よ青い鳥よ」という日本植民地支配に抵抗した朝鮮半島の人たちの抵抗の歌を集めたCDブックスを持っています。

笠木透さんは「ピース・ナイン」という歌を披露しました。この歌は笠木透さんの作詞です。「鳩は平和をはこぶ鳥/九の鳥と書くのだから/カタルーニァの鳥も日本の鳥も/ピースピースとさえずる/この世は九で十分なのさ/鳩よ世界の空で鳴け/ピースピースピース ピース・ナイン」という洒落の入った歌詞でした。また、1947年に文部省が発行した「新しい憲法のはなし」の「戦争の放棄」の章を朗読し、それに関連する歌を披露しました。

第1部は「いせ九条の会」のホームページの管理を仕事や音楽活動で忙しい中でなさっている管理人さんが出演してギターの弾き語りをしました。顔見知りの「いせ九条の会」の会員が混じるグループなどが出演して、合唱や器楽演奏を披露しました。

この会の主催は「自由と文化を愛する9条の会(仮称)」が主催しています。「文化は自由と平和の中で花開く」を基本にして、9月に「自由と文化を愛する9条の会(仮称)」の結成準備会を予定していると言います。

大衆歌謡が太平洋戦争が始まると自由が大きく制限され、軍歌を作りうたわされたことを見るだけでも文化の自由はなくなります。NHKの連続ドラマ「純情きらり」は、その様子、音楽と絵画がそのような状況になったことが描かれています。

文化は、ある対象を表現する場合でも、色々な表現の仕方をします。そして人は心根の違いによってさまざまに解釈をします。

本居宣長の歌に「敷島の大和心を人間はば 朝日に匂う山ざくら花」があります。この歌は戦争の時代では、大和心を潔く散る桜と結びつけ宣伝されてしまいした。しかし、本居宣長は「もののあはれ」を追求する心を持っていました。

平安朝時代は、実生活に役に立たない机上の学問を指して漢才と言い、それと対置する表現として、実生活に役に立つ学問、生きた常識・生きた知恵として大和心という言葉を用いたと言うことです。「うちの亭主(世間の男)は、なんて馬鹿なんだろう、きっと大和心がないに違いない」というような使われ方をしていたと言うことです。

農民は、山桜の咲き具合によって、ワセ(早稲)の山桜がたくさん咲く年はワセ稲の出来が良く、ナカテの山桜がたくさん咲けばナカテの稲が良く、オクテの山桜がたくさん咲けばオクテの稲が豊作になると考えていたと言います。潔く散るというような美学は持ち合わせていません。

山田洋次監督作品「ふるさと」は、農村の青年が統一劇場のミュージカルの自主公演を成功させ、自分たちの力を知り、村人を喜ばせた達成感を味わい、生きる喜びを知る場面の背景に桜の花が満開に咲く場面を用いています。決して桜は潔く散る花ではなく、厳しい冬の時期に花の咲く準備をする。そして咲いた後は次の春に花を咲かせる準備をします。

「海行かば 水漬くかばね 山行かば 草生すかばね 大君の 辺にこそ死なめ かえりみはせじ」という「海行かば」を、笠木透さんはこの歌は大君のために死ぬ覚悟をうたった歌ではなく、大伴家持が自分は天皇の傍にいつも居ますよとアピールする意味。朝廷への就職活動をするために用いた歌だとステージで述べました。

文化は民族の違いを際立たす側面もありますが、民族・人種の違いなく、人間は共通の感性・心を持っていることを理解させます。それゆえに世界的に読まれる文学作品があり、世界的に愛される音楽作品、世界的な絵画・彫刻などがあります。

人間は国家が違っても、冷静に辛抱強く話し合えば、最終的には理解しあい、共存するための妥協点を見出せると思います。そのようにしなければ、戦争で解決しようとすれば、大きな犠牲を伴い真の勝者は生まれません。

国連憲章は世界の人々の理性が生み出した憲章です。日本政府の外交政策は、憲法の理念とそれと繋がる国連憲章に基いたものでなければならないと思います。


言論の自由へ権力の介入について/山崎孝

2006-08-27 | ご投稿
徳川幕府の政策は「よらしむべし、しらしむべからず」だったと言われています。この基本的な考え方は、今でも権力を握る側に生きていること。ただし、今日では権力の側には都合よく加工・操作された情報はマスメディアを利用して盛んに流すこと。これに対抗するには、自由と民主主義・平和主義を基本にした情報を独自に民衆に伝達しなければならない。そのひとつにビラ宣伝があることを私たちは周知しています。

このビラ配布に対する国家権力の介入は、自衛隊の戦争イラク派遣の時期から目立ち始めています。しかし、一般紙ではあまり報道がなくて報道しても小さな扱いなので、あまり知られていません。8月25日「しんぶん赤旗」電子版に共産党の活動家に対する権力の介入が、まとまった形の報道がされていましたから紹介します。以下からは記事の文章です。

 ビラの配布という市民の日常の当たり前の行為が不当にも起訴され裁判となっている四つの事件が、現在きわめて重要な局面を迎えています。

 二〇〇三年いっせい地方選挙で大分県豊後高田市の日本共産党・大石忠昭市議が、告示前に後援会ニュースを配布したことを戸別訪問、文書違反、事前運動として起訴された大石事件で、大分地裁が今年一月、罰金十五万円、公民権停止三年の不当判決を出しました。

 「選挙の自由をひろげ大石さんを守る会」は七月に開始された控訴審で、さらに公正裁判を要求する署名を大きく集中することなど、世論と運動を広げるために奮闘しています。

 国公法弾圧堀越事件と世田谷国公法事件は、目黒社会保険事務所勤務の堀越明男さんが〇三年十、十一月、厚生労働省勤務の宇治橋眞一さんが〇五年九月、いずれも休日、居住地や職場から遠く離れた場所で職務と無関係に、「しんぶん赤旗」号外などを集合ポスト等に投函したことが、国家公務員法・人事院規則の政治活動の制限違反として起訴されたものです。

 堀越事件は、警視庁公安部主導の大がかりな尾行など捜査の違法性や、国公法は憲法、国際自由権規約に違反、職務の公正な執行を侵害しておらず罰するに値しないなどを論証しましたが、六月に有罪判決が出されました。有罪の理由は、勤務時間外でも公務員の政治活動を少しでも認めれば、それが累積して「行政の中立的運営に対する国民の信頼を損なう」という時代錯誤のものでした。ところが、罰金十万円に執行猶予二年という異例の判決で、有罪の理屈がいかに根拠がないかを自認、ここに弁護側の立証と支援運動の成果が表れています。弁護団と「国公法弾圧を許さず、言論表現の自由を守る会」は、控訴審で一審判決を全面的に打ち破るためにとりくみをいっそう強化することにしています。

 世田谷国公法事件の公判では、住居侵入で逮捕しながら国公法違反で起訴したことに対し、集合住宅の郵便受けへのビラの投函という、もともと住居侵入に当たらない行為で逮捕して集めた証拠をもとに、国家公務員だからと国公法違反で起訴したことの不当性、国公法が憲法と国際自由権規約に違反することを立証するために全力をあげています。

 さらに、葛飾マンションビラ配布事件は、〇四年十二月、葛飾区の後援会員・荒川庸生氏が開放型マンションの各戸郵便受けに日本共産党の葛飾区議団だよりなどを配布したことを住居侵入だとして起訴されたもので、東京地裁の判決が二十八日に言い渡されます。マンションの郵便受けに政党の政策や活動を知らせるビラの配布は、何よりも憲法の保障する言論・表現、政治活動の自由として最大限に尊重されなければなりません。「葛飾・ビラ配布の自由を守る会」は裁判勝利をめざす7・19総決起集会を成功させ、わが国に基本的人権を根づかせようと運動を強めています。

 ビラ配布に対する弾圧は、国政や地方政治の民主的改革を願う国民の要求と運動を抑えつけようとする攻撃にほかなりません。ビラ配布四裁判に勝利することは、私たちの要求と運動を発展させるための言論表現の自由と権利を確立するたたかいです。

 国民救援会などで、これら言論弾圧四事件のネットワークづくりの努力もすすめられ、各地で新たな支援の輪が広がっています。いまこそ、憲法改悪の動きを打ち破り、わが国に言論表現の自由、選挙・政治活動の自由、公務員の市民的政治的自由を確立するたたかいとして、国民的な世論と運動を発展させようではありませんか。(日本共産党法規対策部 岡田光司)(以上)

本年6月に発表された日米共同文書「新世紀の日米同盟」には、自由、民主主義、市場経済、法の支配、人間の尊厳及び人権といった価値観を共有すると謳われていました。

しかし、日本は自由と民主主義、法の支配、人間の尊厳及び人権といった権利は侵食されています。多様な価値観を基礎におく民主主義社会にとって言論の自由は欠かせないものです。法の支配の問題では、裁判所は憲法判断を回避する傾向にあります。人間の尊厳及び人権の問題では、毎年、3万人は超す自殺者の中に市場原理主義のもとで経済的破綻が理由で自殺を選んでしまった人たちが多く存在しています。

日本は世界に向かって、自由と民主主義、法の支配、人間の尊厳及び人権を大切にしていると言える資格があるのでしょうか。

自由と民主主義、人間の尊厳及び人権など、そして戦争はしないとした憲法の規定は人間の尊厳を最も大切にする理念だと思います。その憲法を「占領下でできた。憲法改正についてしっかり議論したい」と言って、先日は「憲法改正の指導権を発揮する」と発言する人が与党の総裁に一番有力されています。これからの日本の自由と民主主義の行方が懸念します。

ビラ配布弾圧事件に関る公務員は、憲法第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ、の条文の規定をよく認識して欲しいと思います。


安倍氏「恒久法」制定を目指す/山崎孝

2006-08-26 | ご投稿
安倍官房長官は8月25日、都内の講演で、自衛隊の海外派遣について、恒久的な法律が必要だ、それにより機動的な対応が可能になる。首相になった場合は、恒久法の制定を目指す考えを表明しました。

万が一、一緒に活動している外国部隊が攻撃を受けたら、黙って見ていていいのか、真剣に考えないといけない、とも指摘しています。

イラク派遣の陸自が英軍などの警護を受けた例を挙げて、派遣部隊の武器使用緩和を検討すべきだとも述べています。(26日の共同通信電子版を参考)

今までの自衛隊を海外に派遣する法律には「非戦闘地域」で活動することが規定されていました。紛争を起こした勢力の戦闘が終息していることを前提していました。従って一緒に活動している外国部隊が攻撃を受けた場合に自衛隊が支援する行動を前提にしていません。これは集団的自衛権行使と関る問題で、明らかに現行憲法の解釈改憲を狙っています。

現在、国連の平和維持活動で注目されているのは、レバノンの停戦監視のための国連部隊の派遣です。8月25日、EUはアナン事務総長も出席した緊急の外相会議を開き、EU加盟各国がレバノン国連暫定軍への参加を増強することを決めました。各国の意思表明した派遣規模を合わせると7000人に達して、国連の目標の1万5000人に対して大きく前進することになりました。

安倍官房長官の演説には、レバノン国連暫定軍への言及がなかったかあったのか報道にはありません。サマワの例を挙げたところを見ると、米国を中心にした有志連合型への自衛隊の派遣が念頭を占めているようです。

このところ安倍官房長官の話すことは、日本版「国家安全保障会議」の組織を作るとか、自衛隊を機動的に海外派遣をする「恒久法」の制定とか、軍事志向の話が相次いでいます。安倍氏を支持する人たちはこのことを認識する必要があると思います。

朝日新聞の8月21日から22日にかけての電話による緊急世論調査では、安倍氏の支持は53%となっていますが、自民党総裁選で議論して欲しいことは「経済的な格差の是正」32%、「消費税のあり方」29%、「アジア外交」15%、「憲法改正」7%といった結果でした。相次ぐ安倍氏の発言内容は国民の願いとは乖離しています。安倍氏は国民生活を改善する意欲より、軍事で国威を示したい意向が強いように思われます。

「九条の会」に結集する人たちや憲法を守ろうとする人たちは、安倍氏の政治と対決して政治宣伝を行い、憲法を守り活かす運動をしなければと思います。

維新の志士と現代の靖国神社参拝にこだわる政治家/山崎孝

2006-08-25 | ご投稿
私は8月19日のブログへの投稿で産経の社説を批判しました。「特に、春秋の例大祭は、安政の大獄で刑死した幕末の思想家、吉田松陰らすべての国事殉難者を慰霊の対象としており、終戦記念日の参拝とは違った意義をもつ。」このくだりに対して「産経の社説は想像力が欠如しています。一例を上げれば、国事殉難者として名前を上げた吉田松陰は、外国を排他する尊皇攘夷・鎖国では、これからの日本は立ち行かないと考え、外の世界を見ようとして密航を企て処罰されています。この吉田松陰の外の世界との関連で日本を捉える視点と、小泉首相の隣国を無視する排他性を帯びた外交姿勢とを比較してみる想像力が働きません」と述べました。この批判とよく似た発想をして、論考を深め発展させた文章がありました、紹介します。

8月23日の朝日新聞の「オピニオン」頁「世界の窓」欄で、天児慧早稲田大学教授は、「幕末の志士から何を学ぶ」と題して、首相の靖国神社参拝にこだわる政治家と吉田松陰や坂本竜馬らと比較してその先見性を述べています。

天児慧さんは、小泉首相は執務室に吉田松蔭のブロンズを飾っていることを一例にあげて、靖国にこだわる政治家らを、維新の志士の何に憧れ、尊敬しているのだろう。新しい日本の国造りに命を賭したカッコ良さか、と述べています。

靖国にこだわる政治家を「未来へのメッセージを示すこともなく、国際社会からの孤立化と日本のプレゼンス低下をものともせず、ひたすら『靖国という過去』に固執し、自我を通し続けることがいかに愚かなことであるか」と批判しています。

維新の志士たちを「彼らの凄さは日本が『鎖国の平和』をむさぼっている時代に、いち早く新しい変化の徴候を嗅ぎ取り、それがとてつもなく重大なことだと受けとめたことにある。藩という狭い世界を打ち破り、世界を視野に入れて日本の行く道を指し示したことにある。そのために勇気と知恵を持って『西欧列強の侵略』をかわし、旧体制を打破して新体制を打ち立てることに全力を投じたことにある」と述べています。

そして、現在のアジア情勢を「協力や相互依存が深化して、やがてうねりとなっていくであろうアジアの連帯・統合への胎動である」と述べています。これの具体的説明を2005年の国内総生産(GNP)は、日本、中国、韓国、香港、台湾だけで8兆ドルを超え、これに東南アジア諸国連合を加えるとほぼ9兆ドルとなる。域内の貿易・投資・技術移転なども急速に拡大している。これはEUの13兆ドル強、米国の12兆ドル強に次ぐもので、緩やかながら、すでに世界第3位の経済圏が生まれていることを指摘しています。

アジア域内の技術移転の例では、日本が中国に進出して中国の労働者を指導していた金型産業では、技術を習得した中国人労働者が独立して企業を立ち上げて日本企業の手ごわい競争相手になっています。中国企業は全体として競争力が増して近い将来、日本企業にとって手ごわい競争相手になると言われています。これに対抗して日本と台湾が連携して中国に進出する動きが強まっていると言われています。中国はこれを歓迎しています。台湾は中国大陸進出企業に優遇措置をしています。日本が政治的に対立していては競争力に悪い影響を与えます。

天児慧さんは最後に「アジアの現実と新しい胎動を直視し、歴史の使命感を感じて欲しい」と述べています。

天児慧さんは「新しい日本の国造りに命を賭したカッコ良さか」と靖国神社参拝にこだわる政治家を批判していますが、これは形ではなくて、情勢を的確に把握してその流れに過ちのない日本の対応する考えだと思います。

この観点で過去と現在を見れば、日中戦争は、中国人の抵抗を過小評価して泥沼にはまり、日米戦争では米国の国力を過小評価して生産力と科学力に対して神風精神で対抗して敗北、国土を焼け野原にして310万の日本人と犠牲と他国に多大な損害を与えたがこれに対する反省を真っ当にしない。現代においてはイラク戦争では戦争で国際紛争を解決しないとした憲法の理念を放棄して、国連加盟国の多数が日本国憲法の理念を実践する動向を読み間違い、戦争を支持し加担した。その反省すら政府はしていません。これを見れば歴史に学ぼうとしない者は、現在と未来において盲目になるの通りです。人間は過ちは犯しますがそこから教訓を学ばなければと思います。

自民党総裁選では小泉政権が損ねた隣国との関係をどう改善すべきなのか争点にせよと言う意見のある中で、安倍官房長官が政権公約で打ち出したのは日本版「国家安全保障会議」でした。これの狙いは日米同盟が主眼と言われています。日米同盟は冷戦時代の産物で、冷戦が終わり15年経った今でも変えようとせずに逆になおも強化します。中国とはこれも冷戦時代の産物であった「政経分離論」を持ち出してきます。しかも日本が仕掛けた戦争に関る歴史の認識問題を棚上げにする政経分離ですから従来のものより異質の性格のものです。これで良好な日中関係が成立するはずがありません。天児慧さんは「…いかなる言い分はあれ、仕掛けたのは日本だった。そこを十分に認識したうえで両国の人々の気持ちに配慮し、信頼と協力の関係づくりに全力を尽くすのが我々の使命であるまいか…」と述べています。

時代の大局的な流れの方向が政治統合さえ俎上にのぼっている時代において、国の上部構造と下部構造に当たる政治と経済を分離する主張は時代錯誤です。吉田松陰を祀る吉田神社さえある出身地の安倍氏は、吉田松陰の思想に見習い、天児慧さんの言われる「アジアの現実と新しい胎動を直視し、歴史の使命感を感じて欲しい」の言葉に耳を傾けて欲しいと思います。

言論の自由は史実に基いて報道し論評しなければ/山崎孝

2006-08-24 | ご投稿
【南京虐殺事件:「ニセ証人」扱いの中国人被害女性が勝訴】(毎日新聞電子版 2006年8月23日)

【南京・大谷麻由美】1937年の旧日本軍による南京虐殺事件について、日本で出版された本で「ニセ証人」と名指しされ、名誉を傷つけられたとして、中国江蘇省南京市の中国人女性、夏淑琴さん(77)が、本の著者の東中野修道・亜細亜大教授らと出版社「展転社」に160万元(約2320万円)の損害賠償などを求めた訴訟の判決が23日、南京市玄武区法院(地裁)であった。同法院は夏さんの主張を全面的に認め、東中野氏らに160万元の支払いと、日中両国の主要紙での謝罪掲載などを命じた。

中国の裁判所で、日中戦争の被害者をめぐる訴訟の判決が出されたのは初めて。しかし、中国での判決は日本で強制執行されないため、夏さんは今後、日本の裁判所に強制執行の申し立てをする可能性もある。

判決では、夏さんが8歳の時、南京虐殺事件で旧日本軍によって家族7人を殺害され、夏さん自身も左肩など3カ所を刀で刺された被害者と認定。東中野氏らが著書の中で、事件の証人としての夏さんの存在を疑問視したことは「夏さんの名誉を損害し、人格を侮辱した」と述べた。

勝訴の判決を受けた夏さんは23日、南京市内で記者会見を開き「非常にうれしい」と振り返った。

東中野氏は昨年1月、夏さんに対して、名誉棄損の事実はなく、損害賠償訴訟の債務不存在の訴えを東京地裁に起こした。これに対して夏さんは今年5月、東中野氏を相手取り、1200万円の損害賠償と謝罪を求める反訴を起こしている。

一方、「展転社」(藤本隆之社長)は23日、判決について「裁判の名を借りたわが国の『言論の自由』に対する挑戦であり、内政干渉以外の何ものでもない」と反論するコメントを発表した。(以上)

南京虐殺事件関連では、李秀英さんが松本俊夫さんと出版社「展転社」を相手にニセ被害者扱いをされたとして、1999年に東京地裁に提訴して勝訴し、高裁でも勝訴、最高裁で勝訴が確定しています。

南京虐殺事件関連で、民主党河村たかしさんから出されていた質問趣意書に対しての政府答弁書を、本年8月22日の閣議で決定した。南京虐殺事件は否定できないという内容でした。

「展転社」の社長の「裁判の名を借りたわが国の『言論の自由』に対する挑戦であり、内政干渉以外の何ものでもない」」のコメントは、日本人として恥ずかしい思いがします。歴史を知らない日本人、特に若者たちに対して、史実に基かない書物を出すことは悪影響を与え、ひいては日本の信用を落とます。

言論の自由といえども、事実に基いて報道し、論評しなければならないと思います。

帝国憲法下の精神を克服できない人たち/山崎孝

2006-08-23 | ご投稿
自民党は1956年の「靖国法案要綱」に、靖国神社の役割を「国事に殉じた人々を奉斎し、その威徳を顕彰し、もって国民道徳の高揚を図る」としていました。

東大名誉教授の小堀桂一郎氏は、総理大臣のみでなく天皇による参拝が実現すれば「国民のモラルに非常に良い影響を与えることが出来ると」という考えを示しています。

この考えは天皇の赤子なるもので組織された軍隊の内部で日常化していた新兵に対するいじめや暴力行為をどう説明をするのでしょうか。

昔ばかりではありません。朝日新聞8月22日の「愛国を歩く」には、ある若者は「国のために命を投げうった人に敬意を示すのは国民の責務です。生まれた国を大切にするのは当然でしょう」という言葉を紹介し、このような考え方をする若者がインターネットで集まってくると書き、このような若者たちが話すのは、今の日本が乱れているのは、戦後教育のせいだと断言する。アルバイト先のコンビにでは、中高生が大声が騒ぎ、食べかけのアイスを店の前に捨てて行くのだと言う」と書いています。

教育基本法第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない、という考えをこの若者たちは学校で教わらなかったようです。

朝日新聞は、靖国神社に集まる若者が「その口から飛び出す『愛国』という言葉に、影は微塵もない。61年前、日本人の体験の奥底にぎりぎりと刻み込まれたはずの喪失と悔恨が、決定的に欠けている」と書いています。

寺島実郎氏は「世界」9月号で「デンマークという国」と題した文章で、内村鑑三の「戦いに敗れて、精神に敗れない民が真に偉大な民である」という言葉を紹介しています。これは、デンマークが1864年のドイツ・オーストリアとの戦争に敗れ、国土の三分の一を失ったが、エンリコ・ムリオス・ダルガスは「外に失ったものは内で取り戻す」と呼びかけて、1866年に「原野開発会社」を設立、ひたすら開墾地を守る防風林を植林し、農地を増やし協同組合方式で付加価値の高い酪農などの農業を目指した。そして「農産物大国」の基礎を築いたことを指して述べた言葉だと言うことです。

「戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大な民である」この言葉は、敗戦で失ったものは大きいが、旧来の考え方を克服して革新的な考え方、理念で国家を築く必要性を示唆しています。日本はこの考え方を日本国憲法に取り入れました。

しかし、この革新的な考え方を否定した、右傾化する言論界の動向に影響された若者たちが、大日本帝国憲法下の考え方を現代において再生産しています。

これは日本人の一部に、「戦いに敗れて、精神も敗れたまま革新できず、旧来の考え方のままでいる」人たちが蠢いていること、それも政治の動向に影響を与えるポジションにさえいます。これと対決しない限り、憲法を守ることも生かすことも出来ません。安倍官房長官は8月22日の自民党総裁選の演説で、改憲のリーダーシップを取ることを言明しました。

ドイツの国連レバノン暫定駐留軍参加の態度から考える/山崎孝

2006-08-22 | ご投稿
ドイツ政府は、レバノン南部で停戦監視にあたる国連レバノン暫定駐留軍に参加する意志を表明していますが、キリスト教社会同盟の党首は「歴史的な背景から軍の投入は難しい」などと強い反発を示しています。世論調査も連邦軍の派遣について、反対が59%、賛成が37%で、反対の考えの方が上回っています。これは戦闘に巻き込まれれば、ユダヤ人に銃を向ける可能性が生まれるためです。

メルケル首相は、8月17日、イスラエルやレバノン沿岸などの監視活動にあたる海軍部隊を派遣する意向を示し、あくまでも後方支援に限り、戦闘に及ぶ可能性のある実戦部隊の派遣を否定しています。

ドイツはホロコーストというドイツの歴史の背景を背負って、国連平和維持活動をせざるをえません。日本と違うところは、国外でドイツの軍隊が行動することにドイツから侵略された国々から異論が出ないことです。

日本は、自民党が国際貢献と称して、自衛軍が海外で武力行動が可能にする憲法改定の動きに警戒心をもたれています。これは歴史の清算を済ましていないことや、日本の外交が覇権主義、単独行動主義の米国に追従しているからだと思います。

米国は国連レバノン暫定駐留軍に参加する方針ではありません。これも国連と協調を重視していない従来からの態度が表れています。日本政府に国連レバノン暫定駐留軍に参加についての今のところ意見がないのは米国の態度に影響されているのかも知れません。もっともレバノン情勢は完全に戦闘行動が終息したとは言えませんから、PKOに関する日本の法律をすんなりとは適用できません。

歴史認識にかかわることで言えば、8月20日の「サンデープロジェクト」で、片山虎之助参院幹事長は、田原総一朗氏の安倍官房長官の政権構想に「偏向教育の是正」の主張があることについて質問されて「日本が善意でやったことや結果として良いことも中にはあるには違いない。バランスよく教えることが必要だ」と答えています。

これは、自由主義史観の立場の学者らが、朝鮮半島で日本はダムを建設したりしているとして日本の植民地支配を肯定することのひとつの材料にしています。この考え方を想起する考え方です「泥棒にも三分の利」があることを主張するのに似ています。ようするに日本の植民地支配や侵略の歴史を肯定したい気持ちがあると言うことです。これは歴史から真摯に教訓を学ぶという態度ではありません。そして、この言葉は朝鮮半島の人たちの心を傷つけるに違い有りません。

日本もドイツのように戦争の歴史に立脚する考え方を持ち行動する。歴史の教訓を汲み取った憲法規定の範囲内で、国連平和維持活動を行えば良いと思います。