いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

りぼん・ふろじぇくと 戦争のつくりかた/山崎孝

2006-05-31 | ご投稿
5月28日に開かれた「いせ発『平和を守る署名』はじまりの会」は、高田健さんの講演の後、「りぼん・ぷろじぇくと制作 戦争のつくりかた」のビデオが上映されました。

高田健さんが講演で述べたことで特に印象に残ったのは、先に私が紹介した天野祐吉さんの指摘、国民投票法案の落とし穴、CMが自由にやれるから資金力のある改憲側にとても有利になることを、高田健さんも重大な事柄なであると述べたこと。また、米国が起こす新しい事態に対応して自衛隊を海外に派遣するためその都度制定する法律(テロ特措法、イラク特措法)をいちいち作らないで済むように恒久法を考えていることを述べたことでした。それに「九条の会」発起人の方の記者会見にも触れました。特に大江健三郎さんの、「九条の会」を始めようというとき、私はあまり楽観的でない人間だか、この会は広がると考えていた、という言葉などを紹介しました。「九条の会」は正しく、現在の平和を願う日本国民を幅広く結集することの出来る性格を持つことが証明されています。

「りぼん・ぷろじぇくと」は2004年、有事法案をわかりやすく解説して成立を止めようとした運動から生まれたネットワークです。その著作「戦争のつくりかた」は、2004年7月に発行されています。2004年に書かれた事柄が、私たちの目の前に明確な形で表れてきています。以下、幾つかの例を挙げてみます。

「戦争のつくりかた」18ページ

戦争には、お金がたくさんかかります。そこで政府は、税金をふやしたり、わたくしたちのくらしのために、使うはずのお金を減らしたりして、お金を集めます。

みかたの国が戦争をするときには、お金をあげたりもします。

この記述に関連して今起こっている例を挙げます。

政府は2006年度予算に、定率減税の全廃で1・7兆円、介護保険料引き上げで5000億円、医療費の引き上げで3400億円、総額約3兆円もの国民負担を盛り込みました。

在日米軍再編に伴う経費の日本側負担をローレンス米国防副次官は3兆円の負担を求めています。米国の求めている金額をそのまま政府は受け入れてはいませんが、多少の減額をして受け入れる腹積もりです。年度ごとの防衛予算では、在日米軍再編に伴う経費はまかないきれない為に、別枠予算が必要になり、財政再建行っている手前もあり、予算規模は増やすことは出来ませんから、国民のために使うお金を削ることになるでしょう。政府は5月30日に、在日米軍再編の最終合意を実施する政府の方針を閣議決定しました。防衛庁は閣議決定を受け、在沖縄海兵隊グァム移転費などに関する在日米軍再編関連法案(仮称)を今国会に提出を目指すということです。

「戦争のつくりかた」22と23ページの抜粋

政府が、「これは国際貢献だ」と言えば、あなたは、そのために命を捨てることが出来ます。戦争で人を殺すこともできます。

おとうさんやおかあさんや、学校の友だちや先生や、近所の人たちが、戦争で死んでも、悲しむことはありません。政府はほめてくれます。国や「国際貢献」のために、いいことをしたのですから。

2005年10月28日、自民党は新憲法草案を決定した。9条2項で、自衛軍を持ち、その軍隊で国際貢献のために海外で武力行使を行うとした。

2006年5月、愛国心を盛り込んだ教育基本法改定案を国会に上程し、特別委員会を設けて今国会の成立を目指す。

5月30日、東京地裁は高等学校の卒業式の始まる前に保護者らに国歌斉唱時に起立しないよう呼びかけた元教師に対して、威力業務妨害罪で20万円の罰金刑を言い渡した。私はこの判決は事柄の本質を見つめていないと思います。国歌・国旗に関する法律は、国歌・国旗の強制をしないとした趣旨を盛り込んでいます。これを無視して強要を行った東京都教育委員会の不当な行政を考慮せず、教師の行った行為だけを見ています。それも妨害したとされる事実は式の開始が2分遅れただけでした。

教師を刑事裁判にかけたのは、都教委の行政に反対する人たちを萎縮させる狙いがある。或いは元教師が言葉で説得を試みた行為が発端であることを考えると、刑事罰の発動は慎重な検討が必要だった意見を新聞は掲載していました。裁判所自らが法の精神の逸脱に手を貸すようなことが起きました。

このように2004年制作の本で述べたことが現実に表れています。これから言えることは、改憲されてしまうと、自由と民主主義の理念は遠くに追いやられ、日本が戦争を行う国になることは確実です。

「戦争のつくりかた」のビデオのナレーターを務めた女優の根岸季衣(としえ)さんは、渡辺えり子さんが脚本を書いた朗読劇を、「非戦を選ぶ演劇人の会」の方たちと一緒に行っています。根岸季衣さんは「戦争を二度としたくない思いを、もっと普段から話題にできたらいいな」と語っています。国民に良く知られた芸能人の多くの方が、9条を守る立場で発言されれば、影響力は期待でき、ありがたいことだと思います。

お木曳きに見る共同体の姿/山崎孝

2006-05-30 | ご投稿
私は、「いせ発『平和を守る署名』はじまりの会」に参加した帰り道、月読宮付近で渋滞に出会ってしまった。伊勢神宮内宮に向けて、磯町「慶光院曳き」を行っていて、そのために渋滞を起こしていたのです。私は野次馬根性を起こして、幸い伊勢市営駐車場が数台の空きスペースがあったので駐車、私にとっては初めての「陸曳き」を見物することにしました。

「慶光院曳き」は、お木曳きでは一番太い遷宮用材を運び、内宮正殿の扉に用いられる木材だと言うことです。慶光院という尼さんは戦国時代に中断していた遷宮を、経費を集めて百数十年振りに遷宮を再開された方です。その功績により伊勢市磯町に領地を与えられお墓も同町にあるとのことです。「慶光院曳き」は格式があるので、内宮の宇治橋の前では宮司や職員が出迎えていました。

参加者にお話を聞きました。朝6時に度会橋を出発して、用材を載せた車をとても長いロープで、とても大勢の人で引っ張ってきて、夕方の5時過ぎに内宮宇治橋手前に到着したとのことでした。なんというのんびりゆったりでしょう。更に、宇治橋手前から折り返しておはらい町を通って、遷宮のご用材加工場まで曳いてゆくということでした。

先頭車に中学生位の子供が乗り太鼓を打ち鳴らしていました。太鼓は昔から東西を問わず士気を鼓舞するために用いられています。戦争にも用いられています。同じ道具でも用い方が大切です。

用材を載せた車の高い台には、4人の小学低学年位の子供が、伊勢音頭をベースにした伊勢音頭とは少し趣きの違う唄を歌っていました。

お木曳きの人たちは、エンヤー、エンヤーとかけ声を発し、三百メートル位のとても長い2本のロープには、幼児から高齢者までの世代を問わずに男女が連なっています。二列になっていた人たちは、時折、躍動的にロープを寄せ合い、或いは離れて戯れます。

お木曳き祭りは、現代の合理的思考、スピードを最優先させて物事を運ぶこととは全く無縁の世界でした。その世界の中で、人々はゆっくり進む時間の中で、世代を結ぶ一つの共同体を作り出していました。これはとても大切なことだと思いました。

時間を合理的に使うばかりが能ではないと言う人もいます。昔の人たちは集まるにも時間を守らないのは当たり前で、昔は私の村でも「〇〇時間」といっていました。沖縄の人たちは、「沖縄時間」といって、まだこの気風を持っていると島唄歌手の大工哲弘さんは言っていました。またゆったりとした時間で人々は交歓することが大切と言っていました。沖縄の人たちは「この国が平和だと 誰が決めたの」(平和の琉歌の歌詞)と本土の人たちに問い掛けています。

戦乱で遷宮が途絶えていたように、戦争は和やかであるべき共同体に打撃を与えます。かつての日本は戦争政策で共同体を利用して人々を監視させるなど、共同体を変質させました。

竹内浩三は、腰巻を上げて人に見せて変だと言われていた女性が、出征兵士の母親が隣の人たちと一緒に表面的には喜び、わが子を見送る姿を見て、私より皆の方がよほど変だと言ったという話を聞き、女性の発言をとても愉快だと笑ったということです。軍国主義の社会の中で人間本来の心を奪われない、社会の潮流に付和雷同をしないのが竹内浩三の精神でした。

この精神を持っていたからこそ「骨をうたふ」という詩を私たちに残し、異国の戦場で母のように慕っていた姉や夢に見たであろう懐かしい伊勢と永久に別れを告げてゆきました。いや別れざるをえない戦死という運命に陥ったのでした。竹内浩三は戦争に行くのに銃でなく、戦争を自分の目で描くために、ペンがほしいと詠っています。

黒澤明監督ご自身の夢を描いた「夢」という作品では、一つは原爆投下で兵士の隊列が黒くなって消えてしまう恐ろしいシーン。終わりの方では、水車小屋の回る村が、戦争が終わった時、村人たちは村道を笛や太鼓を奏で踊りながら行進するシーンがありました。

共同体は、本来的にはこのような村人の姿であるべき、と思います。伊勢の人々は、このような姿を祭りで表現していました。

「いせ発『平和を守る署名』」はじまりの会」で挨拶された伊勢市自治体連合会会長の方は、自治体連合で憲法9条を守る署名の取り組みをしたいと発言されて、大きな拍手を受ました。平和な世の中で幼児からお年寄りまで集い、人々が和やかに交歓する素晴らしいお木曳きの行事を行うことができるよう、また、和やかな共同体を守るための決意と私は受け止めます。

ブッシュ大統領の一番の過ち/山崎孝

2006-05-29 | ご投稿
朝日新聞5月27日付けの記事より

ブッシュ大統領「『かかってこい』、最も後悔」、ブレア首相「予想を超える出来事が起きた」

 ブッシュ米大統領は25日、プレア英首相との記者会見で「米国はイラクでの過ちから学んでいるというが、自分で一番後悔している点は」と問われ、「『かかってこい』と言ったこと」と答えた。イラク戦争後間もなく、イラク反米武装勢力について発した言葉。挑発的な表現でイスラム諸国などから反発を浴びたことに対して「間違った信号を発した」と認め「私ももう少し洗練されたやり方で自分を表現するようになった」と弁明した。

 プレア百相も、イラク戦争にあたって「大変だと覚悟していたことがそうでもなかったり、大したことがないと予想していたことがとてつもなかったりした」と、事前の見通しが甘かったことを認めた。イラクの現状が不人気だと認識しているとして、両首脳とも低姿勢が目立った。

 ブッシュ大統領は「我が国のイラクでの最大の過ちはアブグレイブ(刑務所での虐待スキャンダル)だった」とも語った。(記事以上)

ブッシュ大統領の最大の誤りとしたアブグレイブの虐待は、戦争には必然的に起こりうる副次的な出来事での誤りです。最大の誤りは国際法を破ったことです。国際機関がイラクの大量破壊兵器の有無を査察している最中に、しかも国連安保理の決議を得ることなしにイラクを先制攻撃したことです。

国際法を解説した尾崎哲夫著「世界一わかりやすい国際法入門」には次のように書かれています。

 先制的自衛権とは簡単にいえば、「やられる前に相手をつぶす」という理由で行われる武力行使になります。

 たとえば、隣国が国境周辺に武装した軍隊を結集させており、今にも攻め込んで来そうな状況があるとします。攻め込まれる脅威を感じている国が、攻め込まれることを防止するために武力を行使した場合、それは先制的自衛権の行使だといえます。確かに、攻め込まれてからでは遅いということはあります。攻め込まれる前になんとか回避したいと思うのも無理ありません。

先制的自衛権は自衛権として認められていない

 しかしながら、現実的には先制的自衛権は自衛権として認められていません。なぜならば、まだ事実として攻撃を受けていないからです。たとえ、明日にでも攻め込まれそうだとしても本当に相手国が攻めてくるかどうかはわかりません。客観的に相手国の心理や意図を事前に知ることができないのですから、明白な根拠もなく先に攻撃する先制的自衛権は認められていません。

 もし、これを認めてしまえば、世界中で先制的自衛権が発動され武力紛争だらけになってしまいます。特に核兵器の存在は先制的自衛権を発動する理由として十分なものだといえるでしょう。

 しかし、いくら相手が自国に核弾頭ミサイルの照準を合わせたからといって、相手国に先制的自衛権を発動すれば大変なことになってしまうでしょう。こうしたことから、先制的自衛権は認められていないのです。(以上)

ブッシュ大統領が「かかってこい」といったために、多くの国際テロ組織をイラクに呼び寄せテロを行う「大義」を与えた。無法なイラク攻撃やイラク人に対する無差別攻撃は、イラク内に反米武装勢力を誕生させ、テロリストも生み出しました。イラク人及びイスラム世界には、テロリストに共鳴する人たちさえ生み出しています。

米国の指導者と米国人の多数が、イラク戦争は国際法違反だったと自覚しない限り、再び過ちを繰返す可能性はあります。米兵に多数の戦死者が生まれたことのみを反省している次元に止まってはならないと思います。なぜなら、ベトナム戦争では5万人以上もの米兵の犠牲を出していますが、それをイラク戦争を当初熱狂的に支持をしています。戦争そのものに対する反省が低いと思います。

米英の指導者は少しは反省の姿勢を見せましたが、日本の政権与党はイラク戦争に加担したことを反省していません。そして先制攻撃を辞さない米国と軍事同盟を強化して、その障害となる憲法規定を変えようとしています。このことを、改憲を支持する人たちに認識して欲しいと思います。

「天声人語」が提起した問題 公共の精神を持たない政府/山崎孝

2006-05-28 | ご投稿
5月27日の「天声人語」より

政府、民主党がそれぞれに出した、教育基本法を改める法案を読む。今の法には無くて双方の案にあるのは、「愛国心」のくだりだけではない。「公共の精神」という言葉が双方とも前文に出てくる▼政府案は「公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期する」とある。民主党案では「公共の精神を大切にする人間の育成」となっている。公共心のある人間を育むことで通じている▼かなり重視していることが分かる

し、文案はなかなか立派だ。しかし、公共心が公共の利益を計ったり、公に尽くしたりする心だと考えると、法案を出した側の公共心には疑問がわいてくる▼国会議員らが国政の調査に使う目的で税金から支出される「国政調査活動費」のうち、衆院では02、03年度だけで約5千万円が、高級料亭などでの酒食に使われていた。以前からの慣行だというから、累計では更に膨大な額になるのだろう▼国会を停滞させた民主党の「偽メール事件」も、公共の利益に反するものだった。1億円もの献金を受けた疑惑にまともな説明をしない元首相がいれば、それを党全体の問題と考えない政権党もある▼「態政の神様」といわれた尾崎行雄は、きちんとした審議をしない議会を「議事堂ではなくて採決堂だ」と批判した(浅野一郎編『国会入門』信山社)。本社の世論調査では、教育基本法について「今の国会では採決をせず、議論を続ける方がよい」が7割を超えた。「愛国心」の審議より前に、育むべき公共の精神とは何かから議論を始めてはどうか。(以上)

尾崎行雄は、きちんとした審議をしない議会を「議事堂ではなくて採決堂だ」と批判したという文章で、大量に当選した小泉チルドレンと呼ばれる新人議員を思い出します。「採決堂」の要員として、自民党は先の総選挙で大量に確保しました。国民の中には立候補者の個々の識見ではなく、小泉劇場の演出にはまり投票をしてしまいました。

国会で居眠りしたり、よそ事を話したり、携帯メールを入力するような議員もその「採決堂」の一員です。

公共とは国家ではなく、自由の基本原理である、他者の自由を尊重して己の自由の尊重を考える人たちで構成される社会で、お互いの主張を調整し調和をはかる考え方だと思います。

このような社会の構成員を育む取り組みは、現在の教育基本法が定める「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」という教育目的と合致します。

個々の主張を調整するには、個人の自覚が大切ですが、大多数が大筋で合意した公平な法律やルールを設け、公平に運用される必要があります。

この状況を作り出すためには、法律を選挙で選ばれた議員らが与野党を問わず十分な審議を与えられて議論を行い調整を行う。それを国民に理解されることが大切だと思います。政党の議員数で各党に質問時間を与えるのではなく、各党とも同じ質問時間でもって質疑を行う必要があります。

公共の精神は、国家が一方的に個人を従わすことや、奉仕を求める考え方ではないと思います。

安全保障は国家の専権などといって、一方的に国民に公共精神を求め、基地周辺の自治体の首長や住民の不満を抑え込むことではないと考えます。ましてや他国の基地機能を拡大に応じて、他国の軍隊の便宜をはかることは、日本国民のための公共の精神を政府が持っているとは思えません。

日本を観察してジョン・ダワー再び曰く/山崎孝

2006-05-27 | ご投稿
2001年に発行されたジョン・ダワー氏の著作「敗北を抱きしめて」(岩波書店発行上・下)のカバーには次のように記されています。

一九四五年八月、焦土と化した日本に上陸した占領軍兵士がそこに見出したのは、驚くべきことに、敗者の卑屈や憎悪ではなく、平和な世界と改革への希望に満ちた民衆の姿であった。勝者による上からの革命に、敗北を抱きしめながら民衆が力強く呼応したこの奇蹟的な「敗北の物語」を、米国最高の歴史家が描く。二〇世紀の叙事詩。ピユリッツアー賞受賞。

ジョン・ダワー氏は同書の「日本の読者へ」の序文に、次のように記しています。(抜粋)

 …これが、この本で私が実行しようとしたことである。吉田茂のような有名人だけでなく、日本社会のあらゆる階層の人々が敗北の苦難と再出発の好機のなかで経験したこと、そして彼らがあげた「声」を、私はできる限り聴き取るように努力した。この作業をはじめた当初は、歴史のこの瞬間に耳を傾けることによって、いったい何が得られるのか、私には予想できなかった。しかしこの時代に起きた多くのことを慎重に書き進め、それが終わったとき、私はある事実に深く心を打たれていた。悲しみと苦しみのただ中にありながら、なんと多くの日本人が「平和」と「民主主義」の理想を真剣に考えていたことか!

もちろん、「平和」と「民主主義」こそ、私自身の国がたたかい取ろうと努力している当のものにほかならない。日本人も私たちと同じ夢と希望をもち、同じ理想とたたかいを共有しているのだ。それを知ることは、アメリカ人の多くの読者にとって驚きであると同時に、明らかに心が暖まり、勇気のわく発見だったのである。(以下略)

ジョン・ダワー氏は、2006年5月25日の朝日新聞のインタビューで、質問に答えて次のように語っています。(抜粋)

現在の米国は、保守派が非常に強くなって、ナショナリスティックな国になっています。ブッシュ政権はそういう性格が色濃いと思います。

米国の保守派は、日本に憲法9条を改正して、もっと軍事的な役割を果たしてほしいと考えている。その意味では、日本の保守派と目標を共有しています。

それを進めるひとつの方法が、日本の戦争責任や過去の問題をあいまいにして、日本国内の軍国主義批判を弱めることなのではないでしょうか。戦争の記憶が薄まることは、双方の保守の利益になるというわけです。ブッシュ政権は、日本が軍事的役割の増大に応じる限り、首相の靖国参拝には異議を唱えないうことではないでしょうか。(以下略)

ジョン・ダワー氏は2001年では、「日本人も私たちと同じ夢と希望をもち、同じ理想とたたかいを共有している」と語り、2006年は、米国の保守派と日本の保守派は、「憲法9条を改正して、もっと軍事的な役割を果たす」という目標を共有していることを指摘しています。

この日米の保守派の目論見を阻止するために、平和を望む日本人は、ジョン・ダワー氏が述べた『悲しみと苦しみのただ中にありながら、なんと多くの日本人が「平和」と「民主主義」の理想を真剣に考えていた』という原点に立ち返ることだと思います。

高年の世代は、この原点に立ち返って、それより若い世代は、平和と民主主義の追求してきた日本の社会を知って、各地の「九条の会」および他の会の、憲法を守り生かす運動に結集したのだと思います。

5月9日の「九条の会」の記者会見で、大江健三郎氏は質問に答えて次のように語っています。

質問 九条の会は草の根で4770を数えるというが、当初、立ち上げたときに、こういうことを予想したか、この状況をどうみるか。

大江健三郎さんの答えの抜粋 すい点というものがある。たくさんのものが集まっているという意味だ。ある方向に運動をしょうとする、声を発する、どんどん声を発していけば、声を直線と考えれば集まる点があるだろう、黒々とした点がある、それをすい点といっている。いま憲法について、日本の現実について、これではいけないと思っている人が自分の声を発していると、それがどうしても憲法というところを通らなければいけない、憲法九条というところに固まるだろう。みんなの声が固まっている。4500の声が重なってくる、そのすい点として憲法九条を守ろうということをスローガンにすればいいと考えた。(以下略)

優れた文学者らしい表現だと思います。他の発起人の方の発言は、「九条の会」メールマガジンに掲載されています。

核抑止力の理論から脱却すべき/山崎孝

2006-05-26 | ご投稿
先日は、安倍官房長官が5月の23日の記者会見で「日印閑係は歴史上最も交流が深まっている」と述べています。最近、自民党の政治家はよくインドを持ち上げています。この一つの狙いは、いちじるしい発展を見せる中国への対抗馬として、近年これも発展の目立つインドを考えているからです。しかし、中国とインドの関係も近年緊密になっていますから、自民党の政治家の思惑通りになる可能性は少ないと思います。インドを持ち上げるのは、米国との共同歩調でもあります。

日本政府が、核兵器の全廃を真剣に考えているのであれば、次の出来事に注意を払うべきです。

インドは核不拡散条約(NPT)に加盟せず、核兵器保有国になりました。このため国際社会は、核燃料ウランや原発技術などのインドへの輸出を制限しています。

しかし、本年3月に訪印したブッシュ大統領は、インドに民生用の核技術を提供する協定を結び、国際協調を乱しました。

インドはエネルギー不足解消のために、原発建設に力を入れています。米国との協定を力に、輸出制限措置の撤廃をめざしています。こうした思惑からシン政権は、米国との良好な外交関係の維持を望んでいます。

インドの核不拡散条約に加盟せずに、核兵器保有国になっている状況を認めれば、核不拡散条約に入らずに核兵器を持とうとしている国に対して、或いは核不拡散条約に入っているが核兵器を志向する国に、そのようなことはするなとは、論理的説得が困難になります。これではイランや北朝鮮を説得が難しくなります。

特にブッシュ大統領は、指導者の心がけがの悪い国(ならず者)が核兵器を持つことは危険だと宣伝しても、先制攻撃をした貴方はどうなのかと聞き返されます。

核保有国自体、核軍縮を行わずに新たな国が核兵器を持つなということは、説得力に欠けます。自らが核軍縮を行いながら、新たに核保有を行う国を防止すべきです。核保有国の政治指導者自らが核抑止力の理論から脱却すべきなのです。

日本は世界の平和に貢献するためには、日本国憲法の理念を堅持すべきで、理想を捨て軍事的抑止論に傾く「普通の国」になるというような考えは止めるべきです。

世界の人たちは、第二次世界大戦の経験を踏まえて、国際連合を作り、国際連合憲章という理念を掲げました。その理念を踏みにじる行為は、イラク戦争を行った米国が世界から強く批判され、米国は世界における権威を落としたことを見れば、世界の人々はこの憲章を生かそうとしています。その国連憲章より、日本国憲法は優れていると、世界の平和運動を行っている人に評価されています。

どちらが視野狭窄的か/山崎孝

2006-05-25 | ご投稿
5月24付け朝日新聞より

 小泉首相に靖国神社参拝の再考などを求めた経済同友会の提言を巡り、首相官邸と同友会の対立が深まってきた。首相が「商売と政治は別」と反論したことに、同友会の北城恪太郎代表幹事(日本IBM会長)は23日の記者会見で「経済も含めて国の政策は決めるべきではないか」と再反論。この発言に対し安倍官房長官は「視野狭窄的になってはいけない」と不快感を表明した。

 北城氏は会見で「会社の業績や業界の利益ということではなく、良好な日中関係のために首相に靖国参拝を控えてほしい」と改めて強調。9月の自民党総裁選の際は、靖国参拝を含む外交を判断材料の一つにし、同友会の立場を表明する考えを示した。

 提言については批判的な電話や手紙が同友会や日本IBMに相次いだという。ただ、北城氏は「多様な意見を交わすことのできる社会は健全。我々も意見に真摯に耳を懐けるが、提言の内容は変えない」と語った。

一方、安倍氏は23日の会見で「同友会側もそういうコメントを述べるのであれば、首相側の意図等についても深く考えてもらいたい」と反発。提言が、アジア外交に影響を与えるとしていることにも「少し間違っている。基本的には中国、韓国との外交だ。日印閑係は歴史上最も交流が深まっているし、ASEANとの交流も深まっている。視野狭窄的になってはいけ

ない」と語った。(以下略)

安倍官房長官の方が視野狭窄的になっています。

5月23日の朝日新聞の報道は、靖国参拝アジアに影響とマレーシア首相は懸念を示しています。以下記事です。

 5月22日から訪日中のマレーシアのアブドラ首相は、出発直前、朝日新聞の書面インタビューに答え、小泉首相の靖国神社参拝をめぐる問題について「日本と近隣諸国が、間に横たわる障害を取り除かなければ、地域の平和と協力が影響を受ける」と懸念を表明した。

 アブドラ首相は、小泉首相の靖国神社参拝が国際的な報道、論評の中で批判的に取り上げられている、と指摘。日本と近隣諸国の関係悪化で影響を受ける地域協力の枠組みとして、東南アジア諸国連会(ASEAN)10カ国と日中韓が参加する「ASEANプラス3」や、インド、豪、ニュージーランドが加わる東アジアサミットなどをあげた。

 アブドラ首相は「近年の国際社会は日本に対し、外交面でその経済力と政治力に見合った役割を果たすようシグナルを送っている」ともした。

 こうした発言の背景には、昨年12月にクアラルンプールで開かれたASEANプラス3と東アジアサミットの性格付けをめぐり、将来の緩やかな地域統合である「東アジア共同体」への影響力をにらんで、日本と中国が水面下で激しい争いを繰り広げた経緯がある。(以上)

また、5月24日の朝日新聞報道は、米元国防次官補代理を務めたカート・キャンベル米戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長は23日、都内でのシンポジウムで小泉首相の靖国参拝問題について「今起こっていることは日本のためにならない、ということで専門家の意見は一致している」と懸念を示した。

 キャンベル氏は、靖国問題に対する米国の対応について①関与すべきでない⑧「憂慮している」と伝えるべきだ、と研究者の間で両論があることを紹介。「ASEAN(東南アジア諸国連合)の多くの国が私に『何で米国は日本を非難しないのか』と言う。克服すべき問題だ」と語った。(以上)

安倍官房長官は、憲法を変えて日本は集団的自衛権を行使が出来る憲法を持ち、米国と双務の関係になり対等平等の立場になるべきだと考える政治家です。双務の関係とは、国連の意思で関係なく、世界の警察官を自認する米国に求められたら、世界の何処ででも軍事行動をする義務を負うことを意味します。安保条約の適用範囲は既に世界規模となっています。

「東アジア共同体」構築に努力することより、日米軍事同盟強化の方が大切だと思っていることは間違いないところです。

安倍氏は、次のような考え方をしたことがあり、それを私は批判しました。

朝日新聞2003年9月5日付け「声」欄掲載文

安倍氏発言は後ろ向き過ぎ

 北朝鮮の核開発問題を巡る北京での6者協議で北朝鮮が米国に不可侵条約を求めたことに、安倍晋三官房副長官は締結反対の立場を表明した。金沢市内の講演で「万が一、北朝鮮が日本を攻撃した時に、米国が北朝鮮に報復することができなくなる。米国が反撃しないとなると、安心して日本を攻められるじゃないか、となる」と朝日新聞は報道している。

 米朝が不可侵条約を結ぶということは、情勢は北朝鮮が核武装を放棄し対話路線を促進するという、平和の方向に進むことだと思う。だが、安倍副長官は、北朝鮮の日本攻撃の懸念を先に考える。私には後ろ向きで不思議な発想としか思えない。東アジアの緊張緩和を望んでいないのであろうか。

 2002年9月、日本は日朝平壌宣言に署名した。宣言は国交正常化方向への道を選び、お互いの安全を脅かす行動をとらないことを約束している。安倍副長官は平壌を訪問した小泉首相に同行した宣言の当事者であった。拉致問題が大きくのしかかっているとはいえ、この宣言の実現に向かって努力する責任を負っていると私は考える。(以上)
野中広務氏は自分の遺言として政治家は「靖国史観」から脱却すべきと、伊勢アリーナのフォーラムで述べていますが、総裁候補の中では麻生氏と共にこの「靖国史観」的な発言をする候補者です。5月25日の朝日新聞では総裁選へ7月中旬に開かれるサミット後に、出馬の正式表明をすると言います。そしてその政権の重要課題として憲法改定を掲げる意向を示しております。日本の政治はますます心配になります。

平和議連ネットが発足 民主党の地方議員/山崎孝

2006-05-24 | ご投稿
高知新聞「FLASH24」電子版より

 憲法の平和理念堅持を掲げる民主党の地方議員でつくる「平和議連全国ネットワーク」(代表・鈴木泰行北海道議)の設立総会が23日午後、国会内で開かれた。

 旧社会党系の地方議員を中心に全国から約25人が参加.「憲法前文と9条の平和理念の堅持」を活動方針の柱に据え、全国の民主党の地方議員に参加を呼び掛けるとともに、平和団体や市民グループとの連携を強化していくことを確認した。

 横路孝弘衆院副議長が、在日米軍再編に伴う日米同盟強化や自衛隊のイラク派遭に危横感を持つ地方議員のネットワーク化を提唱したのが設立のきっかけ。

 来賓としてあいさつした横路氏は「民主党と連合のブロックに、これまで憲法の(平和理念を守る)運動がなかったことを心配していた」と発足を歓迎した。(以上)

「九条の会」はいうまでもなく、思想信条や政党・政派を超えて、憲法9条を守るために人々が結集した組織です。その考えは、

「平和議連全国ネットワーク」の「憲法前文と9条の平和理念の堅持」を活動方針の柱に据える、平和団体や市民グループとの連携を強化」の考えと一致します。

連携できる組織が新たに増えたことを喜びたいと思います。

(話題は変わります)

ブッシュ大統領はこのニュースをどう思うでしょうか。

2006年5月23日付け「しんぶん赤旗」電子版より

イラクのキリスト教徒 国外へ 宗教的迫害を受け激減

【カイロ=松本眞志】イラク戦争後の宗教的理由による暴力の広がりで、イラクのキリスト教徒コミュニティーやキリスト教を信仰する少数民族が危機にさらされていると伝えられています。

 カタールの衛星テレビ・アルジャジーラの電子版十四日付によると、国際宗教的自由米国委員会(USCIRF)は今月初め、「宗教的理由を口実とした迫害による(民族の)移動に伴い、二千年来イラクに住み続けてきたキリスト教徒のコミュニティーは消滅するかもしれない」と報告しました。

古くから居住

 キリスト教徒は、イスラム教が広まるはるか以前から、イラクで生活を営んできました。一九八〇年代初め、イラクのキリスト教徒の人口は百四十万人を数えていたとされます。しかし八〇~八八年のイラン・イラク戦争や、九〇年の湾岸危機と九一年の湾岸戦争後の経済制裁がもたらした困窮により、キリスト教徒の一部が国外に移住する状況が生まれました。

 それでもフセイン政権の時代にはキリスト教徒は信仰の自由が広く認められていました。ところが二〇〇三年のイラク戦争後、キリスト教徒たちが宗教的迫害を恐れ、数万人規模で国外に逃れるケースが増えているといわれています。

 ローマ法王庁から派遣されて中東地域で勤務しているミカエル・シビタ氏は、「イラク戦争でフセイン政権が崩壊して以降、キリスト教徒に対する社会的差別が存在するようになり、過激派グループの標的となっている」と指摘します。

 〇四年八月、首都バグダッドやモスルの北方にあるアルメニア人、アッシリア人、カルデア人の五つの教会が襲撃され、十数人が殺害されました。この年、ほかにも九カ所の教会が襲撃され、キリスト教徒が住む家に、イスラム法を順守し、女性にイスラム教徒の服装をするよう警告するリーフレットが配布されるなどの事態も起きています。

商店にも放火

 狙われたのは教会だけではありません。アルコール類や音楽テープ、コンパクトディスクを販売する店の経営者は、ほとんどがキリスト教徒です。イスラム法を強要するグループによって、これらの店が放火される事件も発生しました。事件直後、四万人のキリスト教徒がシリアに、数千人がトルコに逃れたといわれています。

 シビタ氏は、現在イラクにとどまっているカルデア人、古代シリア人、アルメニア人からなるカトリック・キリスト教徒は三十万人以下になったと語っています。(以上)

私は先に述べていますが、歴史の皮肉な現象が生まれてきています。米国はイラン・イラク戦争の時にイスラム革命がイラクに波及することを恐れて、フセイン政権を支援しました。その後フセイン政権が米国と対立したために、今度はありもしないイラクの大量破壊兵器の脅威を排除する理由、イラクの石油利権も視野に入れて、フセイン政権を武力で打倒しました。米国の大義の一つとしたイラクの民主化の結果で、誕生したイラクの政権の人脈には、イランの影響を強く受ける人たちが政権に対して影響力を行使できるような側面が現れてきていると報道されています。

2003年イラク戦争開始以来、米兵は1400人を及ぶ戦死者、イラク民間人犠牲者は推計で4万人に達したと言います。これがブッシュ大統領がシンディ・シーハンさんに答えた「崇高な使命」の結果・実態なのです。これにローマ法王庁から派遣されて中東地域で勤務しているミカエル・シビタ氏が「イラク戦争でフセイン政権が崩壊して以降、キリスト教徒に対する社会的差別が存在するようになり、過激派グループの標的となっている」と述べているように、イラク戦争は熱心なキリスト教徒であるブッシュ大統領と同じ仲間のキリスト教徒の危機を招いたことを付け加えなければなりません。

戦争に立派な大義や使命を掲げても、戦争は所詮、それを裏切る手段なのです。このことを洞察しているから、日本国憲法は国際紛争の解決する手段として戦争を否定しています。自民党の改憲はこの考え方を後方に追いやっています。

参考 2005年4月、シンディ・シーハンさんは、ブッシュ大統領に「大統領に会って聞きたいことがある。なぜ、私の息子を殺したのか、息子は何のために死んだのか」と訴え、それに対してブッシュ大統領は、「崇高な使命に払われた犠牲には価値がある」と答えています。

広隆寺を訪ねて 仏様が問い掛けること/山崎孝

2006-05-23 | ご投稿
私は5月18日に、京都太秦にある広隆寺を訪ねました。広隆寺は仏教の教えで、政治を行なおうとした聖徳太子に仕えた秦河勝が、聖徳太子から仏像を賜り、それを本尊にしたということです。秦氏は朝鮮半島から日本に帰化した人たちで、大陸の文明(農耕や酒造の技術など)を日本に取り入れたと言われています。

広隆寺は、二枚舌を使うな、筋の通らないことを言うななど「十善戒」が掲示してありました。私はこの「十善戒」の一つ、「二枚舌を使うな」を読んで、小泉首相の国会答弁を思い出しました。これについては、先に首相の二重基準という捉え方で述べていますが改めて述べます。

小泉首相は16日、教育基本法改正案をめぐる国会質疑で、「愛国心」をめぐる規定について「教員は法令に基づく職務上の責務として児童生徒に対する指導を行っているもので、思想、良心の自由の侵害になるものではない」と述べ、職務として「愛国心」の指導を行うべきだという考えを述べました。教員は内心の自由を理由に愛国心の指導を拒むことが出来ない考えを示しています。

小泉首相は、靖国参拝は心の問題すなわち内心の自由を主張して批判を突っぱねている。公職にある教員は内心の自由より職責が優先するという首相の論理に従えば、国家の最高位の公職、首相の職務には重要な外交があり、己の心の問題より、隣国との関係改善という職務を優先させなければならない。

一つの言葉を自分には都合よく二通りに使えば二枚舌である。今の教育基本法は、真理と正義を愛する人を養成するのが目的です。小泉首相は今一度、教育基本法を読んで欲しいと思います。

「十善戒」というのは、人間が悪いことに染まらず、善良な行いをするようにと導く、仏教の10の教えだといいます。

「不邪見」間違った考え方をしない。「不妄語」嘘はつかない。広隆寺では、二枚舌を使ってはならないでした。「不悪口」乱暴な言葉は使わない。(石原都知事が傾聴すべき)「不両舌」筋の通らないことを言わない。「不慳貪」欲深いことをしない。「不殺生」むやみに生き物を殺さない、などです。

国家として「不殺生」をしないことを、国際社会に明確に宣言しているのが、日本国憲法です。改憲を考える政治家たちに、国宝の広隆寺の弥勒菩薩像と静かに対座してほしいと思います。

優しく慈愛に満ちた微笑で人間を見つめます。猛々しい心で国際社会と向き合う姿勢に、それで平和が達成出来るのですかと、問いかけてくると思います。また、小泉改革を進める政治家が持たねばならないのは「慈悲の心」だと、諭されると思います。

「CM天気図」の指摘を紹介/山崎孝

2006-05-22 | ご投稿
朝日新聞「CM天気図」を書いている天野祐吉さんは、5月22日付けで、国民投票法案に落とし穴があることを指摘しています。以下はその文章の前半の部分です。

テレビCMは、使い方によっては強力なマインドコントロールの手段になる。CMに限らない、どんな表現にも、多かれ少なかれマインドコントロールの作用があるけれど、CMは「くり返し」が前提になっているぶん、その作用も強力に、ときに暴力的にさえなりうる。

 そんなことを、政治家の人たちは知らないんだろうか。ついそう思ってしまうのは、憲法改定の手続きを定める「国民投票法案」の中身だ。

 そんな話はめんどくさい、なんて言わずに聞いてほしいのだが、今の与党案を見る限り、憲法改定についての国民投票が行われるときには、改定に賛成する側も反対する側も、一定期間、CMはだれでも自由にやっていいことになっている。というか、その点についての規定や制約がまったく見られない。

 おいおいおい、である。ほんとにそれでいいのかと、憲法改定への賛否以前に、ぼくは思ってしまう。もし、それでいいなら、お金をたくさん用意できる側が、圧倒的に有利になるに決まっているからだ。

CMの量の比率が1対2くらいなら、まだ表現の優劣がモノを言う。が、1対5とか1対10なんてことになったら、これはもう勝負にならない。じやんじゃん大量に流せば、表現の優劣をこえて、聴衆にマインドコントロールの作用が働きはじめることになるだろう。

 憲法はビールや化幣品を売るのとはワケが逢う。「だれでも」 「自由に」というと聞こえはいいが、憲法改定のような大間題については、意見CMが公平に行われるように、きちんとしたワクが必要だ。そういった点をどこまでしっかりつめて、この法案が作られたのか。意見CMはほんの一例で、つめのたりないところが、この法案にはまだたくさんあるようには思えるのだ。(以下略)

先の総選挙では、マスコミは面白おかしく小泉劇場型政治を報道しました。その影響力はとても大きかったといわれています。このことを考えても、天野祐吉さんの指摘は重要だと思います。小泉改革を批判する情報宣伝は圧倒的に劣勢になりました。

5月22日、朝日新聞社は自社の紙面で全面広告を打っています。

そのキャッチコピーは「言葉に救われた。言葉に背中を押された。言葉に涙を流した。言葉は人を動かす。私たちは信じている。言葉のチカラを。」でした。ジャーナリスト宣言を行なった朝日新聞が「いざ鎌倉」という時に、真理と事実に対して公明正大な新聞であることを期待したいと思います。もちろん他の新聞に対しても同様です。

財力で行なう宣伝に対抗するには、憲法を守り生かすという言葉の力、その言葉の力を身につけた草莽の力だと思います。先に紹介したベートーヴェンの言葉に励まされ、私もささやかながら力を出したいと思います。