いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

以心伝心の悟りの境地で行なう教科書検定/山崎孝

2006-03-31 | ご投稿
 文部科学省は3月29日、2005年度の教科書検定結果を発表しました。対象は主に高校1年生が来年4月から使う教科書です。これに関する新聞三紙の報道を紹介します。

2006年3月30日付け朝日新聞夕刊記事より

 「政府の立場に沿わない書きぶりは絶対に認めないという姿勢だった」と、29日発表された高校教科書の検定での文部科学省の「こだわり」について、社会科の教科書編集者らは戸惑う。検定意見が集中したのは、小泉首相の靖国神社参拝に対する司法刊断、イラク戦争と自衛隊派遣、領土問題の3項目。「教室での議論が生まれない」と心配する声も聞かれた。

 「裁判での違憲判断は傍論。判決正文は国が勝訴なのに、それが理解できない取り上げ方はどんなものか」

 文科省の教科書調査官は、小泉首相の靖国神社参拝に違憲判断を示した04年の福岡地裁判決を取り上げた大手教科書会社にこう指摘したという。

 別の教科書会社も、年表に「04年4月小泉首相の靖国神社参拝に福岡地裁が違憲判断」と事実を書いたが認められず、結局「参拝について福岡地裁判決」と直し、違憲部分を削除した。

 福岡地裁判決の記述をあきらめ、東京高裁が合憲、大阪高裁が意見と判断したと両方を書いて合格した社もある。

 文科省は「事前に首相官邸サイドに相談した事実はない」と説明する。

 米国のイラク改革を「先制攻撃」とした記述や自衛隊の多国籍軍参加に関する記述に、ことごとく検定意見がついた。

 文科省は「『先制攻撃』は国際法上禁止されている侵略攻撃という意味だ」と説明。そのうえで「(対イラク軍事行動は)先制攻撃や予防攻撃には当たらない」とした小泉首相の国会答弁を検定意見の根拠に挙げた。

 「非戦闘地域での後方支援」や「多国籍軍への参加」という書きぶりもすべてはねられ、「人道復興支援活動」だと明記することを求められた。

文科省は政府見解に基づき、「自衛隊は復興支援という目的に限って多国籍軍に参加したことが明確でないと、誤解を生む」としている。

 外交上の焦点となる竹島と尖閣諸島の問題を取り上げる教科書が増えた。今回申請された教科書のうち、地理と現代社会、政治・経済では9点が新たに盛り込み、大半の教科書に掲載される。

 目立つのは「日本固有の領土」の明示を徹底した点。現在の教科書と同記述でも、検定意見で修正する例もあった。

2006年3月30日付け「しんぶん赤旗」電子版より

 文部科学省は二十九日、来春から主に高校一年生で使われる教科書の検定を公表しました。

戦時中の従軍慰安婦について「日本軍により慰安婦にされた」という記述を「日本軍の慰安婦にされた」と書き直させ、軍の責任をあいまいにするなど、侵略の事実を隠そうとする検定がおこなわれました。(山崎註 1993年8月4日「河野内閣官房長官談話」朝鮮人慰安婦の「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行なわれた」)

 検定ではこのほか、南京大虐殺の犠牲者数を二十万人とした教科書に対して「諸説を配慮していない」と書き直しを求めました。

自衛隊のイラク派兵について「戦時中のイラクに自衛隊が派遣された」と書いた教科書は、派遣先は「非戦闘地域」だとする政府の主張に従って「主要な戦闘終結後も武力衝突がつづくイラクに…」と書き直されました。

 現代社会の申請本にあった「ジェンダー・フリー」という言葉が削除されるなど、女性の権利にかんする記述を書き直させる傾向も目立っています。(山崎註 ジェンダー・フリーは男女の役割を否定するものと自民党政治家は捉えていて、この言葉を使う男女の共同参画計画の協議が出来ないケースが生まれています)

2006年3月30日付け毎日新聞電子版より抜粋

南京事件の配述

旧日本軍が多数の捕虜や市民を殺害した南京事件「教科書記述をより公正でバランスのとれたものにする」として前回検定後の02年度に設けられた検定のバランス基準が適用され、犠牲者数については20万人程度のほか、30万人以上という中国の主張に加え、「日本国内では十数万人などの説もある」との紀述が追加される修正も行われた。(山崎註 犠牲者の数字を幾通りも記せば、事件の信憑性に疑問を持つ生徒も出てくるでしょう)

中韓両国から激しい反発を呼んだ小泉純一郎首相の靖国参拝。清水書院の現代社会では、年表の04年4月に「小泉首相の靖国神社参拝に福岡地裁が違憲判断」と記述した。しかし「下級審に過ぎず、請求も棄却された」(文科省)ことから「誤解の恐れのある表現」と意見がつき、「小泉首相の靖国神社参拝について福岡地裁判決」と判決内容が全く分からない表現に修正された。(以上)

自民党は扶桑社の教科書の採択運動に失敗していますが、これの変化球として、文科省の検定をターゲットにしたかもしれません。文科省は「事前に首相官邸サイドに相談した事実はない」と述べていますが、結果的には、教科書検定官はお上の心を察して以心伝心の悟りをひらき、自民党政府の意に適う教科書にするため手直しをしました。

小泉首相は国民が嫌悪してきた自民党の金権体質、密室派閥体質を暗示した「自民党をぶっ潰す」の言葉で、国民の異常な人気を獲得し、その人気に乗じて、歴代自民党政府が果たせなかった有事関連法制を制定、現在は全国自治体が有事法制に対応できる作業に入っています。国民を戦争に動員できる態勢を整えつつあります。その総仕上げとして改憲の具体的作業を進めています。改憲されてしまった場合は、有事法制の発動は日本が攻められた場合だけとは限らないでしょう。現在でも武力攻撃事態を日本周辺で日米が一緒に行動していた場合に、米軍への攻撃は日本への攻撃と見る見方があり、さらに日米再編で自衛隊と米軍の一体化が進めば、日本独自の政策判断は難しくなると自衛隊幹部は述べています。

これらの動きと関連して「戦争で最初に犠牲になるのは真実」という言葉が、教科書検定の世界に露骨に及ぶ事態になってきました。憲法を守るためには教科書をめぐる動きも国民に宣伝しなければと思います。

「九条世界会議」と「爆弾より堤防を作れ」/山崎孝

2006-03-30 | ご投稿
2006年3月25日付け「しんぶん赤旗」電子版より

“日本の憲法9条守れ”仏でも大きな反響 国法協が会見

 【パリ=浅田信幸】「日本国憲法の九条を守れ」の運動の国際化をめざし訪仏中の国際法律家協会(国法協)の新倉修会長は二十三日、パリで記者会見をおこない「想定外の成果があった」とし、「九条と平和」をテーマとした市民レベルの国際会議(「九条世界会議」)の二〇〇八年東京開催に向け「非常にいいスタートを切った」とのべました。

 「九条世界会議」は日本のピースボートや国法協らが提唱しているもので、その準備に向け海外に代表を派遣するのは今回が初めてだといいます。国法協の一行は、国際民主法律家協会に加わるフランスの「法と連帯」協会の招待で訪仏し、パリの法律家や平和運動、元レジスタンス闘士の組織などと懇談し、九条を守る意義などについて意見を交換しました。

 新倉会長はこれらの出会いを通じて「フランス人の間にも九条のことを正確に力強くとらえている人がいることを発見した」と感想を語りました。

 記者会見では司会を務めたロラン・ベイユ国際民法連副会長も発言し、日本の憲法九条を守るたたかいへの支援が「世界の憲法に九条を書き込ませる」たたかいとも連動する意義を指摘し、グローバルキャンペーンの推進に取り組むとの立場を表明しました。(記事以上)

最上敏樹著「国連とアメリカ」より

人類を解放できる力は一つしかありません。それは人類自身の力、すなわち世界の道義的な力を結集することによって得られる力です。そして、国際連盟規約には世界の道義的な力が総動員されているのです。(ウッドロウ・ウイルソン、1919年9月25日)

ウッドロウ・ウイルソンは国際連盟の規約を前記のように述べましたが国際連盟は「世界の道義的な力」を結集できずに、第二次世界大戦を防げませんでした。国際連合になった今も局地的な戦争・紛争は起きています。だが、それを調停する働きは国連だけではなく、北欧諸国などに見られるように、道義の力を発揮して調停に乗り出すようになっています。そして世界には平和のために活動する民間組織が幾つもあり、日常的に「世界の道義的な力」を結集する活動があります。

道義の力を大きく結集し示したのは、2003年に米英のイラクの侵攻を国連加盟国の多数は認めず、米国に同調した政権下の民衆の多くも認めませんでした。国際連盟の時代より道義の力を結集し平和を守ろうとする世界の世論は遙に強くなっています。

記事に書かれていたように、フランスの「法と連帯」協会が平和憲法を支持して日本の国際法律家協会をフランスに招待しました。1995年5月には世界の約700のNGOが参加して開かれた「ハーグ平和アピール」会議で、「各国議会は日本国憲法第9条のような、政府が戦争を禁止する決議を採択すべきである」とアピールに掲げました。日本の憲法は世界平和に役に立つ理念と評価を受けています。

人類の歴史を大きく観れば、理想・理念を掲げて歩み続け、理想・理念の実現に努力を行ない、理想・理念の世界的な普遍化にも取り組みました。現在は、自由と民主主義、平和を維持する原則である「相互不可侵の原則」を頭から否定できる国はありません。日本が平和憲法を捨てる根拠は何もありません。

「しんぶん赤旗」2月21日付け電子版を見ますと、米国人は道義を示しました。

米国でイラク開戦三周年となる二十日、退役軍人とハリケーン被災者による「平和と正義のための行進」がニューオーリンズ市内中心のルイ・アームストロング公園で終結し、地元の人たちが大きな拍手と歓声で行進団の到着を迎えました。

 約四百人が集まった集会では、ハリケーン被災者支援団体の代表や兵士の家族らのほか、イラク帰還兵が登壇しました。

 二〇〇五年十月にイラクから戻ったマイケル・ミランドさんは「謝罪したい。イラクの人たちには私の国と私個人がやったことを。まだイラクにいる兵士の兄弟姉妹たちには、まだ帰国を実現させていないことを。(メキシコ)湾岸に住む人たちには(ハリケーン被災で)助けてあげられなかったことを」と述べ、大きな拍手を受けました。

 二度目のイラク行きを拒否し九カ月間投獄された経験を持つカミロ・メヒアさんは、西海岸でもイラク戦争反対の平和行進が行われていることを紹介。同行進を先導するフェルナンド・スアレス・デル・ソラルさんが携帯電話を通じて行進の様子を話しました。

 ミズーリ州からイラク帰還兵の息子と行進に参加したティナ・リチャーズさん(43)は、「これほどニューオーリンズの町が破壊されていることに驚きました。行進に参加してすばらしい人たちに会えて息子は傷を癒やされたようです」と語っていました。

 二十日午前、行進最後の行程の出発点となったシャルメット国立墓地で、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などの退役軍人が訴え。第二次大戦時に欧州戦線で病院列車の衛生兵だったジーン・グレイザーさん(81)は「米国よ目を覚ませ」と、ブッシュ政権の戦争政策を批判しました。

 最終行程はハリケーン・カトリーナで水没し、ニューオーリンズで最も被害の大きかった地域を含む約八キロ。参加者は被災から六カ月を経てもまだ建物の残がいが山積みにされたままの道路を歩き、「爆弾ではなく堤防を造れ」と訴えました。

 沿道の人々が玄関から出てきて手を振り、行き交う自動車が次々とクラクションを鳴らして行進団に連帯を示しました。

戦争で最初に犠牲になるのは真実/山崎孝

2006-03-29 | ご投稿
2006年3月26日「しんぶん赤旗」電子版より

安全な国で働きたい陸・海・空・港湾労組 憲法考える集い

 陸・海・空・港湾労組二十団体は二十五日、「憲法と私たちの安全を考えるつどい」を東京都内で開きました。「有事」のさい真っ先に戦争協力させられる労働者が、憲法改悪の動きについて学び、行動しようと開かれたもの。純中立労組でつくる憲法改悪反対労組連絡会が協賛し、航空機の乗務員や海員、港湾、建設労働者など七百人余が集まりました。

 主催者あいさつした航空安全会議の大野則行議長は、「日本が安全な国であってほしい、安心して働きたいという私たちの願いを守ってくれたのが平和憲法だった」とのべ、「憲法が変えられたら、働く者の権利や、自由にものをいう権利はどうなるのか」と問いかけました。労組こそが平和の問題で発言しなければならないとのべ、行動を開始しようと訴えました。

 評論家の佐高信氏が「憲法をめぐる特権と人権」の題で講演。弁護士の坂本修氏(自由法曹団団長)が「自民党の改憲案とはなにか」について話しました。

 労働組合の代表が登壇し発言しました。「平和だからこそ物をつくれる。戦争は破壊するだけ」(全建総連)、「戦争で最初に犠牲になるのは真実。知る権利、言論、表現の自由を守るため、メディアで働く私たちも共同をすすめる」(新聞労連)、「平和のシンボルでもある国民のための天気予報を守る」(全気象)、「国民保護法に基づく業務計画の説明が会社側からされている。平和な鉄道事業を守る」(国労)と、相次いで決意表明しました。

(記事以上)

「戦争で最初に犠牲になるのは真実」は、正にその通りだと思います。そして、真実は戦争が終わった後でわかるのではなく、始まる前に多くの人がわかり、政府の戦争政策を防がなければならないと思います。しかし、多くの国民が真実を知ることが出来るかどうかは、マスメディアの報道の仕方に大きく影響されます。

イラク戦争の開戦時に、自国政府の主張に重きをおいて編集したワシントン・ポストは「戦争に向けてうち鳴らされるドラの音に警戒や疑問がかき消されていった」と述べて、2004年の報道検証で反省しましたが、イラク人の多くの命が奪われ、米兵の少なからぬ命が奪われた後でした。ニューヨークタイムスも同時期に反省しています。日本もイラク戦争を支持した新聞社もありました。

日本の憲法は、日本が攻められた時だけしか交戦権が発動出来ないとされています。日本は蒙古軍に攻められた以外に攻められてはいません。日本が戦争に巻き込まれる一番の可能性は、憲法が変えられてしまって米国に参戦を要求された時だと思います。憲法の歯止めを失ってはならないと思います。

平和憲法の理念である武力によらない国際紛争の解決に徹すべきだと思います。「武力によらない国際紛争の解決」に重要なのは、人間の誠実さ、大局を見据えた物事の道理と真理を理解しあうことであり、国民に虚偽を宣伝する必要はありません。

高校生の模擬の憲法改正授業/山崎孝

2006-03-28 | ご投稿
3月26日の朝日新聞に高校生たちが、模擬の憲法改正授業を行なったという記事が掲載されていました。以下は記事の文章です。

 「平和主義」や「基本的人権の尊重」といった法律の知織を丸暗記するのではなく、その意味を考え、自ら使いこなす主権者を育てる。そんな「法教育」の試みが各地の教室で始まっている。立命館宇治高校(京都府宇治市)では、国会で動きのある憲法改正に正面から取り組み、自分たちの改正案をつくって模擬投票した。法曹関係者と学校との連携も広がりつつある。

憲法改正の授業に臨んだのは、同校で「政治経済」を選択する2年生43人。担当は杉浦真理先生。「憲法を正しいものとしてありがたく拝むより、自分が社会をつくる主人公だと意識して改憲の是非を判断できることが大切だ」と考えた。

 昨秋、憲法学習を始め、「高校生からわかる日本国憲法の論点」の著者で司法試験塾長の伊藤真さんが講演した。憲法99条が天皇や国会議員、公務員らに憲法を擁護する義務を課していることから、伊藤さんは「憲法は国民ではなく権力者を縛る法だ」と語った。

 そのうえで、生徒たちは改正の手続きを定める国民投票法案を議論。対象の条文を一括して投票にかけるのではなく、条文ごとに○×をつけて投票者の意思をはっきりさせる方式に決めた。

 次は肝心の憲法改正案づくりだ。まず、グループに分かれ、各グループから選ばれた「国会議員」が改正案を検討。議員の3分の2以上の賛成を得た案(別表)を提出した。

 9条はグループごとにまとめた段階で、守るべきだとしたのが全8グループ中四つ。変えるべきだと主張したのは二つ。形勢不利とみた改憲派「議員」は、人道支援や平和協力活動に道を開く第3項を現在の条文に加えて賛成をとりつけ、改正案に9条を入れるのに成功した。

別表 憲法改正の案文 第9条 戦力の不保持、交戦権の否認をうたった現在の1,2項に第3項として「前2項を原則としたうえで、戦争による被災地への人道支援、平和協力活動を目的とした場合のみ自衛隊の海外派遣を可能とする」を追加する。(註 山崎 公明党の考え方に近い案か。その他の案文は省略)

 ほかに盛り込んだのは犯罪被害者の権利を保護し、日本国民の要件を緩めて在日外国人に門戸を開く改正点だ。

 異色なのは、改正手続を定めた96条が改正の対象になったことだ。今の憲法では各議院の3分の2以上の賛成で発議され、国民投票で2分の1以上の賛成を獲得しなければならない。しかし「議員が3分の2、国民が2分の1はおかしい。過半数で国民の意思とは言えない」と異論が出て、3分の2と2分の1を逆転させる案にした。

 投票前、議員の生徒が改正案を説明した。質問が集まったのは9条だった。「人道支援の項を付け加えても現状と同じでは」「平和協力活動とはどこまでかあいまいで拡大解釈される」

 そうして生徒は紙の箱に次々と投票、9条改正だけが否決された。

○×式の投票に△を書いて無効になった用紙もあった。ドイツから来た日独両方の国籍を持つ留学生だ。「日本のことをよく知らないで投票し、みんなの出した結果をゆがめてはいけないと思った」と話した。

杉浦先生は投票用紙に別の欄を加えていた。改正条文を一括して問われたら○か×かを問うものだ。結果は×が過半数で、条文ごとの投票と食い違った。ある生徒は言った。「9条を守るためには他の条文の改正を犠牲にしなければいけない」。「やはり逐次で問う方が民意を反映できる」と改めて確認した。

生徒たちは授業の感想用紙に書いている。

「憲法は完璧だと思っていたが、人権を守れているかと調ペると、欠陥が見えてきた」「憲法は漠然としたイメージしかなかったが、実は自分のそばにある存在だった」

(法曹関係者と学校との連携に関する文章は省略、記事以上)

私は高校生たちの民主主義の理解は相当なものだと感心しました。

生徒が発言した「9条を守るためには他の(より民主的な)条文の改正を犠牲にしなければいけない」という意見は、自民党などが進める憲法改定問題の本質に迫る考え方だと思います。憲法第9条は、何も足さない、何も引かない状態で、平和主義の真価が発揮されると思います。

世界情勢を正確に捉える必要/山崎孝

2006-03-27 | ご投稿
2006年3月26日付け朝日新聞記事抜粋

太平洋戦争の末期、近衛文麿元首相(1891~1945)が中国の蒋介石政権との間で和平交渉を摸索したことを示す一等資料が見つかった。近衛が書き写し、家族の鏡台に隠していたもので、交渉の可能性を探るため北京で行われた会談の内容などが記録されていた。

近衛の娘の山本斐子さん(74)昨年秋に発見した。母の縫子さんが使っていた三面鏡の、鏡と化粧台の間に外からは分からないように作られた引き出しに隠されていた。便箋23枚に万年筆で書かれていた。斐子さんら家族によれば、すべて近衛の筆跡だという。(中略)

北京にあった燕京大のレイトン・スチェアート学長を仲介役にして、蒋介石政権と和平交渉ができないかを模索した記録とわかった。内訳は、スチェアートから近衛への手紙の訳文など1939年のものが2点、近衛の側近がスチェアートの秘書と会談した45年5月の記録が2点。スチュアートはルーズベルト米大統領、蒋介石と親しいことで知られていた。

 1945年5月の2点は、会談の内容が一間一答の形で記録されていた。「和平問題に蒋介石は自由に対応できるのか」と日側が尋ねると、「直接全面和平は希望するところだが、日中和平は対米関係とは切り離せない」との回答。「中国を圧迫、侵略する必要も力も日本にはもうない。疑うのをやめてほしい」と日本側が話すと、「その通り。戦争をやめよう」と答えていた。(後略)

「中国を圧迫、侵略する必要も力も日本にはもうない。疑うのをやめてほしい」と、当時の近衛文麿の側近が中国に対する侵略という認識を示し、近衛文麿自身も、このように書かれた文書を保管していました。しかし、現在の小泉政権の一部閣僚は中国に対する侵略性を明確には認めてはいません。

先に紹介した2006年2月22日付け朝日新聞記事より。

2月14日の予算委、東京裁判に関する麻生外相の答弁。「少なくとも日本の国内法では犯罪人扱いの対象になっていない。安倍官房長官の答弁「まさに戦勝国によって裁かれた点において責任を取らされた」と述べ、同じ認識を示した。

戦後50年の1995年、自社さ政権当時の村山首相は談話を発表し、侵略と植民地支配に「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。予算委での閣僚答弁ではそこに留保がつく。安倍氏も麻生氏も、政府見解としてはこれにならう。だが安倍氏は「侵略戦争をどう定義づけるかという問題も当然ある」と述べ、麻生氏も「(連合国軍最高司令官だった)マッカーサーも侵略戦争のみとは言い難かったと認めている」と語った。(記事以上)

先日の朝日新聞「声」欄に、ご自分が中国に出征した体験と見聞をしたことを書いた男性は、安倍氏の「侵略戦争をどう定義づけるかという問題も当然ある」というあいまいな発言を批判していました。主権国家にその国の了承を得ない地域に軍隊を駐留させ軍事行動を起こすことや殖民を行なうことが主権の侵害や侵略行為であることは常識です。中国東北部「満州」に当時の日本政府が多くの開拓農民を国策として送り込んでいます。ソ連軍の進撃により在留する日本の民間人を守るべき任務を持つ関東軍が民間人により先に逃亡した結果、中国残留日本人孤児の悲劇を生んだことは殆どの日本人は知っています。軍人も民間人もソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留されて、過酷な労働を強いられ異国の地で命を落とす悲劇も生まれています。関東軍自体が日露戦争で得た権益である長春・旅順間の鉄道守備兵としての任務と駐留範囲を大きく逸脱して中国の主権を侵害しています。これだけの歴史的事実だけでも中国に対する日本の侵略を否定できません。

当時の日本政府が中国情勢を正確に把握しなかった歴史的事実があります。1931年9月に関東軍が満州事変を起こし、日本が主導して国際連盟が認めなかった「満州国」を建国。1937年7月に盧溝橋事件が起きてそれを契機に日本軍は華北へ戦線を拡大。これに危機感を抱いた中国人は第二次国共合作で抗日戦線を強固なものにして、同年12月には中華民国臨時政府を樹立しました。

「週刊朝日百科 日本の歴史」によれば、当時、尾崎秀実は、「北支問題の新段階」という論文で、盧溝橋における日中衝突は、「世界史的意義を持つ事件としてやがて我々の眼前に展開されるだろう」と述べ、さらに華北問題が全中国の問題であり、日本が相手にしているのは全中国民族であることの重要な意義を論じています。

しかし、近衛内閣は1938年1月、「国民政府を相手とせず」と声明し、中国人が挙国一致で抵抗する情勢を正確に把握せず、軍事力で威嚇して打撃を与えれば屈服すると考えました。中国の広大な大地を利用した長期持久戦略で中国戦線は泥沼にはまります。私が「単騎、千里を走る」の映画で中国のとてつもない広さを見てこの戦略を連想したのです。

2006年2月22日の朝日新聞報道は、「国民政府を相手とせず」とした近衛文麿が軍部に露見しないよう密かに中国との和平工作を摸索するような結果となったことを明らかにしました。

情勢を正確に把握することは重要です。米国はベトナムとイラクでこのことで大失敗をしています。米国に追従する小泉政権は世界が注視しているイラク情勢の認識は、先に紹介した3月20日の安倍官房長官記者会見のような有様です。さらに世界の動向が多国間による安全保障体制を追求しているのに、憲法を変えてまで二国間の軍事同盟を強化してゆく道を急いでいます。

追記

2003年6月4日付け朝日新聞「声」欄 掲載文

「イマジン」が流れたシーン

 篠田正浩監督の最後の作品といわれる「スパイ・ゾルゲ」の特別試写会を見ました。「ゾルゲ事件」は、日本のほこ先がソ連か、それとも南方かを探り出し、南方に向けるという機密情報などを約8年間に渡ってソ連に打電していたスパイ事件でした。

映画では、中共軍と共に行動し中国革命の鼓動を世界に知らせた米人記者スメドレーが、事件の重要人物であるゾルゲと尾崎秀実とを上海で引き合わせるシーンがありました。尾崎秀実は中国戦線拡大はいずれ米国との戦争につながると考え、それを避けようとして、ゾルゲは共産主義の自由と平等の理想を信じ、ソビエトを守るために、ともに行動しました。

映画は二人の信条の無残な結末を描き、ラストシーンにジョン・レノンの曲「イマジン」を流します。人間同士の殺りくがなく愛のあふれた世界を歌い、湾岸戦争時の英国や9・11テロ後の米国で放送を控えられた曲です。

尾崎秀実は映画で「私は国民を裏切る行為はしていない」と語ります。平和は国家ではなく、人類という世界の枠内で考えなければならないというメッセージだと思いました。

寺川史朗氏の講演会で学ぶ/山崎孝

2006-03-26 | ご投稿
3月25日に開かれた「いせ九条の会」主催の寺川史朗・三重大学憲法学助教授の講演会に私は参加しました。寺川史朗先生のレジメの題は「憲法改正と国家像の転換」でした。自民党新憲法草案は何を転換したのか、講演から学んだことを書いてみます。

自民党新憲法草案の前文に次の言葉があります。

「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し…」この言葉を寺川先生は「愛国心」を調達するものとして「わが国固有の歴史、伝統、文化」「日の丸、君が代」で、強制的手段を用いた愛国心を国民に持たそうとしていると指摘し、自民党新憲法草案の第19条には「思想及び良心の自由は、侵してはならない」と規定しているが、これは「愛国心」という枠の中に閉じ込められた「思想及び良心の自由」であって、現憲法の政府に対する批判精神にもとづいた愛国心とは大きく異なっていることを指摘しました。

自民党新憲法草案は、現憲法にうたわれている、政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こさないとした決意、平和のうちに生存する権利などの「平和主義」の精神を削除してしまった。

寺川先生は現憲法の平和主義は、ガンマンの精神で相手を挑発しない精神である。相手を挑発して拳銃を抜かせる考え方ではないと話されました。

自民党新憲法草案の前文には、「自由主義」という言葉がある。この自由主義はフランス革命(1789~1799年)の近代のリバータリアニズムという考え方である。当時人口の9割を占めていた「庶民」のための自由ではなく、1割であった「市民」の経済活動の自由である。市民と庶民は労働契約を結び庶民はその契約で不利な立場を強いられた。(私が百科事典で調べたら、革命の新議会の中心はブルジョアと自由主義貴族であった。労働者の団結権を禁止する法律も作られた)現代の国民の最低生活を脅かす経済活動はしてはならないとする考え方(リベラリズム)とは異なっている。

現憲法にも個人の権利、思想信条の自由を制約するものとして「公共の福祉」がある。この「公共の福祉」という考え方は、他者の権利や思想信条を侵害して、自分の権利、思想信条の自由を行使してはならないとする考え方である。対等の個人と個人の関係という横方向の考え方で、権利や思想信条の自由を一定限度制約している。

自民党新憲法草案は、第12条に「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように」と規定し、第13条でも「生命、自由及び幸福を追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り」と規定している。この「公益及び公の秩序」という考え方は、国家と個人の関係を重点に置き、対等の関係ではない垂直方向の考え方である。

自民党新憲法草案の第9条の2の3では、緊急事態における自衛軍によるに公の秩序の維持活動任務が規定されている。有事法制が発動されれば、個人の権利、思想信条の自由より、公の秩序の維持活動が優先される。自民党新憲法草案の第76条3で、軍事裁判所の設置が決められているから、公の秩序の維持活動に抵抗する言動と見なされると訴追される可能性がある。

寺川史朗氏は、朝日新聞2005年8月16日掲載の大江健三郎氏の「伝える言葉/受忍しない 戦争、記憶し続ける力」の抜粋を紹介しました。抜粋された文章のそのまた抜粋の文章です。

…3年前(2002年)の7月、「有事」関連三法案が議論されていた衆議院の特別委員会で、当時の福田官房長官は、「武力攻撃事態」での国民の権利制限について政府の見解を示しました。《思想・良心・信仰の自由が制約を受けることはあり得る》。

この1年、私は「九条の会」の集まりにたびたび参加しましたが、憲法九条が、右の項(憲法第13条)といかにわかちがたく支えあっているか、そしてこの国が「戦争のできる国」に変わる時、右の項がいかにモロイものとなりうるかを、しばしば考えました。(抜粋以上)

「国家像の転換」とは、個人より国家が重視されて、国家の主導で人権も制限するという考え方である。国民が国家に命令する立場から、国家から命令される立場に逆転することであると私は受け取りました。

以上述べたことは、寺川史朗先生の講演を聴いて私が受け取った内容であります。もし、誤りがあれば私の理解の間違いです。

核兵器廃絶運動と自民党政治との関係/山崎孝

2006-03-25 | ご投稿
2006年3月22日付け朝日新聞記事より

原爆と政治、そして体験と思想は無縁でいいのか。長崎市の外郭団体・長崎平和推進協会(推進協)が証言活動をする被爆者に「政治的発言」の自粛を求めた問題で、波紋が広がっている。関係者は「言論の自由の侵害だ」と方針撤回を求めるが、推進協は拒んだままだ。

 一枚の文書が発端だった。タイトルは「より良い『被爆体験講話』を行うために」。推進協が1月20日、継承部会に所属する被爆者29人を集めた総会で手渡した。

 「意見が分かれる政治的問題についての発言は慎んでいただきたい」と記し、具体例として①天皇の戦争責任②憲法(9条等)の改正③イラクヘの自衛隊派遣④有事法制⑤原子力発電⑥歴史教育・靖国神社⑦環境・人権など他領域の問題⑧一般に不確定な内容の発言(劣化ウラン弾問題など)の順で示している。

 危機感を抱いた被爆者らがつくった「被爆体験の継承を考える市民の会」は今月13日、推進協に方針の撤回を求めた。

 代表の船越耿一・長崎大教授(60)「原爆は戦争という時代の中で落とされた。いま日本は戦争への準備を始め、核戦争の脅威も迫る。『政治』を抜きに語れない」。8項目を選んだ理由も不透明だと指摘する。

 推進協によると、以前から被爆者の証言について「話が聞きにくい」「主張が偏っている」という声が、学校などから寄せられていた。丸田徹事務局長(60)は「このままでは話を聞いてもらえなくなるし、中立性を保つことが必要だと考えた。文書は撤回しない」と話す。

推進協は83年、原水爆禁止運動の分裂をきっかけに官民一体の幅広い組織を目指して生まれた。

政治的に意見が違っても、核兵器の廃絶と平和の実現という「最大公約数」で団結しよう。今回の要請はその方針の再確認が狙いだったという。

 だが、推進協の設立に深くかかわった前長崎市長の本島等さん(84)は「一つの価値観への忠誠を強いて戦争へと突き進んだかつての道が現れた」と危機感を示す。

 88年12月に市議会で「(昭和)天皇の戦争責任はあると思う」と発言90年1月、右翼団体のメンバーに市庁舎前で銃撃されて胸に重傷を負ったが、発言を翻すことはなかった。「民主主義は少数の意見も尊重し、議論を交わせること。社会全体が言論の自由を軽視するようになるのは心細く、寂しい」(記事以上)

平和を願うということは抽象的概念に止まっています。この目的を頭から否定する人はいないと思います。しかし、平和という目的を達成するためには、その目的に適合した道や政策を選択しなければなりません。推進協の上げた②憲法(9条等)の改正③イラクヘの自衛隊派遣④有事法制⑥歴史教育・靖国神社の問題は、小泉首相と自民党政府の現実の政治から生まれている問題で、その政策は安全保障のため、国際貢献・人道復興支援、戦争犠牲者の慰霊、二度と戦争をしないため、民族の誇りのためなどと説明されています。

この政策を平和目的と矛盾すると考える人に対して、これらのことに触れるなと主張することは、この政策を黙認せよと言っていることと同じ主張となり、政治的中立となりえません。

2003年8月6日の「広島市平和宣言」は、その年に直面している平和に関る問題について、抽象的な平和への願いではなく、具体的で明確で鋭い政治的メッセージを発信しています。以下抜粋です。

今年もまた、58年前の灼熱地獄を思わせる夏が巡って来ました。被爆者が訴え続けて来た核兵器や戦争のない世界は遠ざかり、至る所に暗雲が垂れこめています。今にもそれがきのこ雲に変り、黒い雨が降り出しそうな気配さえあります。

一つには、核兵器をなくすための中心的な国際合意である、核不拡散条約体制が崩壊の危機に瀕しているからです。核兵器先制使用の可能性を明言し、「使える核兵器」を目指して小型核兵器の研究を再開するなど、「核兵器は神」であることを奉じる米国の核政策が最大の原因です。

しかし、問題は核兵器だけではありません。国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆い、時代は正に戦後から戦前へと大きく舵を切っているからです。また、米英軍主導のイラク戦争が明らかにしたように、「戦争が平和」だとの主張があたかも真理であるかのように喧伝されています。しかし、この戦争は、国連査察の継続による平和的解決を望んだ、世界の声をよそに始められ、罪のない多くの女性や子ども、老人を殺し、自然を破壊し、何十億年も拭えぬ放射能汚染をもたらしました。開戦の口実だった大量破壊兵器も未だに見つかっていません。(以下略)

劣化ウラン弾は不確定な問題ではありません。湾岸戦争とイラク戦争の米軍帰還兵に白血病が多く発症しています。テレビでも劣化ウラン弾に被弾した旧イラク軍の戦車に放射線測定器を近づけると自然界に存在している放射線よりも大きく反応した映像も放映されています。また、2006年3月24日付け朝日新聞「被爆をたどる旅」の記事にも触れられています。以下抜粋。

1999年3月、映像作家の鎌仲ひとみさん(47)が仕事場に訪ねてきた。白血病に苦しむイラクの子どもたちへの医療支援を相談された。

 白血病の原因として疑われたのは湾岸戦争で米軍が使った劣化ウラン弾。核兵器の原料や原発の燃料をつくる際に出る廃棄物を使った砲弾で、微量の放射線を出す。

 鎌仲さんが監督したドキュメンタリー映画「ヒバクシヤー―世界の終わりに」(2003年完成)には、白血病のイラク人少女や肥田さんの姿が登場する。

 肥田さんは約30カ国で被爆体験を語り、核兵器の廃絶を訴えてきた。今も週に2日は被爆者を診察し、講演で劣化ウラン弾の危険性を警告する。

 「劣化ウラン弾という具体的な問題が現れ、世界はいや応なく原爆に向き合わざるを得なくなった」。広島、長崎の被害を知らせることが、新たな兵器開発の歯止めになると確信している。

男女が平等に生きられる社会/山崎孝

2006-03-24 | ご投稿
2006年3月22日付け朝日新聞夕刊「窓」―編集委員室から―に、「アジアの女性学」と題した文章で、アジアと日本の女性たちの社会進出を比較していました。以下はその文章です。

 日本の女性が参政権を得てから今年で60年になる。昨年9月の総選挙で史上最多の43人の女性が当選して話題になったが、それでも全体の9%に過ぎない。世界187カ国のなかで105位という低率だ。これまで女性の社会参加を示す数字は、欧米先進国と比べられてきたが、今後はアジアとの比較が必要になるのではないか。

 先日、日本女子大であったシンポジウムで、韓国と中国の女子大学の先生方の迫力ある話を聞いて、そう感じた。

 今年創立120年を迎える韓国の梨花女子大学校は15万6千人の卒業生があり、多くの女性指導者が輩出している。

 95年設立の同校アジア女性研究センター長の金恩實教授によれば同校では77年に女性学の講座を開き、その後、大学院に女性学科を置いた。卒業生は他大学で女性学の講師になっているという。

 中国の中華女子学院には女性学部がある。「女性学序論」は必修となっている。張李璽学院長は「西側世界から来た女性学は伝統とぶつかる面もあるが、これまでの男性中心社会へ挑戦する力を保っていきたい」と語った。学生もどしどし教授へ注文をつけるなど、非常に積極的だという。

 シンポの基調講演で、落合恵美子京大教授はアジアの働く女性の実態調査を紹介した。日本の育児支援の貧しさに新たな光を当てる窓口となった。

 女性学は従来のアカデミズムではとらえきれない幅をもつ。アジア独自の広がりを期待したい。(越村佳代子)(記事以上)

「日本の女性が参政権を得てから今年で60年になる」と述べるように、大日本帝国憲法下の社会は男子が優先権を持つ社会でした。

この社会で生きた詩人金子みすゞ(テル)は、次のような悲しい日々を過ごしました。(「金子みすゞ童謡集」より)

…『南京玉』には、三冊の童謡集の清書後の昭和4年(1929)10月下旬頃から昭和5年(1930)2月9日まで、一時中断しながらも書き留め続けた、344の娘のことばが採集されています。(中略)夫は遊郭遊びに日を過ごし、家をあけることも多くなりました。遊郭の病気淋病さえ、テルは夫から移されたのです。心身共に傷ついたテルは、ついに夫との離婚を決意しました。昭和5年2月、離婚。

離婚の条件はただ一つ、娘をテル自身が育てたいということでした。いったんは夫もこの条件を受け入れました。しかし、その後、気持ちをひるがえして、娘をかえせと何度も手紙でいってきました。

 そして、ついに3月10日に娘を連れに行くといってきたのです。連れに来られたら、娘を夫に渡さなければなりませんでした。テルは戸籍上は、すでに母ではなかったからです。いまなら公に訴えて、娘を守ることもできたでしょう。だが、古い因襲がまだ色濃く残っている時代に、それは無理でした。

――私は娘を心の豊かな子に育てたい。あの人はそれはできないと思う。どうしよう。連れに行くという手紙が、テルを追いつめ、ある決心をさせたのでした。自らの命をかけた拒絶でした。

 3月9日、テルは娘のために、最後の写真を撮りに写真館に行き、帰り道、母と娘のために桜もちを買って帰りました。その晩、テルは三歳の娘と一緒に風呂に入り、たくさんの童謡を歌ったといいます。きっと歌い続けることで、悲しいことばが口からでるのをとどめたのでしょう。風呂から上がると、母ミチ、叔父松蔵、そして愛娘と四人で桜もちを食べ、いつもと変らず明るく過ごしたそうです。夜、テルは三通の書をしたため、カルモチンを飲みました。枕元には書と写真の預け証がきちんと置かれてありました。

夫宛の遺書には「あなたがふうちゃんを連れて行きたければ、連れて行ってもいいでしょう。ただ私はふうちゃんを、心の豊かな子に育てたいのです。だから、母が私を育ててくれたように、ふうちゃんを母に育ててほしいのです。どうしてもというのなら、それはしかたないけれど、あなたがふうちゃん与えられるのはお金であって、心の糧ではありません」

母ミチ宛てには、先立つ不幸を許して下さいということばと共に、あとに残す娘のことを頼み、「今夜の月のように私の心も静かです」と書いてありました。(以上)

男子優先の社会のあり方を根本的に改めたのが、日本国憲法であることは周知の事柄です。この日本国憲法の草案作りに活躍したのが、ベアテ・シロタ・ゴードンさんであることも、憲法を守り、生かす活動をされている人たちには良く知られています。

ベアテ・シロタ・ゴードンさんは、日本で少女時代を過ごし、日本の女性たちが無権利の状態のなかで、人生を送らねばならないことを知っていました。22歳の時にGHQのスタッフとして来日、憲法の草案つくりの一員に選べばれ、その考え方は、第14条の「法の下の平等」、第24条「両性の平等の原則」などに盛り込まれています。

しかし、両性の法の下の平等は、法律として定められていても、現在の日本人の意識は根本のところで変わったのでしょうか。最近の天皇の継承に関連することで、大日本帝国憲法下で培ったとみまがうような政治家たちの体質が露見しました。このことについて記録映画作家の羽田澄子さんは次のように述べています。(「論座」4月号より抜粋)

 いまの社会は、まがりなりにも男女共同参画社会ということが建前になっている。ところがマスコミの大騒ぎの根は、紀子さまに男の子が生まれるのではないか、そうすれば皇室典範を変えなくてもすむし、男の天皇を続けることができるという、男性優位思想の人たちのパワーに配慮した反応なのだ。驚くのは日本には、このパワーが実に強く、大量に根を張っているということである。そこには、ぞっとするような日本の社会の実態、権力に執着する男の意識が感じ取られて、ほんとうの民主主義も男女平等もまだ遠いことを思わされる。

 そういう日本だが、そのなかでも最も解放されていない女性は、皇室の女性たちではないだろうか。(以上)

私は羽田澄子さんの作品「早池峰神楽の里」を観て、民俗芸能に関心を抱いていた私はこの作品に魅せられました。3年か前の三重県の映画フェスティバルで、羽田澄子さんの作品「女たちの証言―労働運動のなかの先駆的女性たち―」を観ました。この映画は大正から昭和にかけて、社会の革新運動に参加した運動家の妻や娘たちの座談会を記録した映画で、女性たちは一様に革命家といわれた男たちが、妻との関係において、実践的には男女平等という思想を身に付けていなかったと指摘していました。今はそんなことはないとは思いますが。

2002年の作品「元始、女性は太陽であった―平塚らいてうの生涯」を観たいと思っています。

社会は法律を定めただけでは、自由と民主主義の社会とはいえません。世界の国々の状況を知り、女性たちの意見を聞いて日本人の意識を変えてゆかなければならないという課題が大きく残されています。これはこのような日本社会におく私自身も例外ではなく、このことは妻から言われるまでは気がつかないことがあります。

加藤周一氏の語る愛国心/山崎孝

2006-03-23 | ご投稿
先回は私の愛国心についての考えを述べました。3月22日朝日新聞夕刊「夕陽妄語」に、加藤周一氏が見事に多角的に「愛国心」について述べた文章があります。全文を紹介すると理解しやすいと思いますが、文章量の関係で抜粋して紹介します。全文を読んで西洋の文学(日本文学も)は余り読んだことがない私には理解が及ばない箇所がありました。

(前略)私は「愛国心」について考える。国の場合にかぎらず、その対象が何であっても――神でも、人でも、樫の木でも菩提樹でも、すみれでも野ばらでも、「愛」は外から強制されないものであり、計画され、訓練され、教育されるものでさえもない。ソロモンの「雅歌」にも「愛のおのずから起こる時まで殊更に喚起し醒ますなかれ」という(第八章四)。「愛」は心の中に「おのずから起こる」私的な情念であり、公権力が介入すべき領域には属さない。

愛国心も例外ではない。それを国家が「殊更」に「喚起」しょうとするのは、権力の濫用であり、個人の内心の自由の侵害であり、「愛」の概念の便宜主義的で軽薄な理解にすぎないだろう。(中略)

 祖国とその言葉へのハイネの強い愛着は、その国の歴史や社会への彼の激しい批判を排除するものではなかった。言論表現の自由に関して、19世紀前半のドイツとフランスの間には大きな格差があり、それが彼を七月革命の翌年、フランスへ追いたてる理由になった。ライン川の北では彼の著書が発禁になり、後には著書が入国禁止になったことさえある。ライン川の南ではパリの知織人たちが中道左派の詩人=コラムニストを歓迎していた。彼はドイツの新聞ヘフランスの状況を報告する記事を送り、フランスの公衆へ向かってはフランス語でドイツ史を説明し、警告していた。(中略)

 祖国への愛は情念である。自己批判は理性の働きである。理性的に統御されない情念は、しばしば自己陶酔を推し進めて、どこまで行くかわからない。愛国心は容易に排他的ナショナリズムになるだろう。その結果がどうなり得るかは、われわれのよく知るとおりである。ハイネは狂信的なナショナリズムへ向かったことがない。かれの知性は抒情詩の中へまで浸透し、常に鋭い皮肉となって生きていた。他方その祖国愛、または亡命地でこそ却って強められた愛国心が、彼の筆法を鈍化させたこともない。

批判は常に厳しく、しかし、自国を憎んだことはなかった。自国の過去と現状を批判するためには、相当の犠牲が必要である。故にどこの国のいつの時代にも御用詩人、御用学者がいる。ハイネがあえてその道を行かず、信念を貫いたのは、彼が愛国者であったにもかかわらずではなく、愛国者であった故である。

批判の内容に誤りがあったかもしれない。しかしそれは愛国心の有無とは全く関係がない。もし愛国心がなければ誰もその国の未来を心配しないだろうし、その国の未来に関心がなければ、個人的な損失をしのんでも――ハイネは亡命を強いられた――わざわざ国の現状と過去とを検討して直言をしないだろう。ハイネの祖国愛と祖国批判との間には、もちろん、緊張があったにちがいない。しかし、矛盾はなかった。両者は同じ源から発し、同じ目標へ向かう。理性は情念を統御し、情念は理性の働きを支える。もし路傍の花を愛すれば、その花を踏みにじる暴力に抵抗するのは――できるだけの話だが――当然であろう。(後略・加藤氏の文章は以上)

加藤氏が述べた『「愛」は心の中に「おのずから起こる」私的な情念であり、公権力が介入すべき領域には属さない。愛国心も例外ではない』という言葉を、珍妙な形で用いたのが小泉首相です。公権力を発動する立場におりながら、ご自身の心の自由を主張しました。首相に心の自由がないとは私は思いませんが、それは国家を代表していることから生まれる政治的メッセージと全く無縁の事柄においてであると思います。小泉首相の好きな演劇鑑賞などの場合です。首相の立場にあるものが、一般国民が靖国神社に参拝するのと全く違う結果が生まれます。靖国神社が果たした歴史的役割と今日においても発信している政治的メッセージ 戦争指導者を祭神にしていること、過去の日本の戦争を正しいと主張している神社に首相や閣僚が参拝した場合は、神社の政治的立場と無関係とは客観的には言えなくなります。日本国民の一定の人に理解されたとしても、日本の戦争で多くの犠牲者を出した国の人々に理解される筈がありません。ご自身の立場を隣国などの国民の立場に置き換えて考えれば容易に理解される筈です。

『理性的に統御されない情念は、しばしば自己陶酔を推し進めて、どこまで行くかわからない。愛国心は容易に排他的ナショナリズムになるだろう』の言葉は、今日の日本社会にも露出してきています。

過去に『愛国心がなければ誰もその国の未来を心配しないだろうし、その国の未来に関心がなければ、個人的な損失をしのんでも――ハイネは亡命を強いられた――わざわざ国の現状と過去とを検討して直言をしないだろう』の言葉に当てはまる日本人がいました。直言した人は国家に反逆する者として、投獄され虐殺されました。「隣組」などの仕組みで監視社会が形成され、警察に通報されて投獄はされなかった人でも非国民のレッテルが張られました。国民の殆どが忠君愛国という価値観を至上のものとして、他の価値観を理解することが出来なかったからでした。その価値観から生まれた政府の政策の結果さえ、自己陶酔した人には、人間の自然な心とリアリティーで捉えることができませんでした。いや、現実の事実で覚醒したとしても国家権力と他者の自己陶酔と衝突することを恐れて出来ませんでした。

歴史の過ちを繰返してはならないと、日本教職員組合は1951年に決議した「教え子を再び戦場に送るな」の原点、日本の教職員組合のあるべき原点に立ち返りました。

毎日新聞2006年3月21日付け電子版「日教組 教育基本法改正に反対決譲」

日本教職員組合(日教組)は21日、東京都千代田区で臨時大会を開いた。教育基本法改正問題について「愛国心などの『心』を法律で規定することは、いかなる文言でも憲法が保障する思想・良心の自由に抵触し、断じて容認できない」と改正に反対し、衆参両院での調査会設置などを求める特別決議を採択した。

また、森越康雄委員長は「勝手に自分でこけてしまう野党第1党。まさに言語道断、ぼうぜん自失の有り様だった」と発言。偽メール問題で失態を演じた民主党に苦言を呈した。(以上)

愛国心は国家によって「計画され、訓練され、教育されるもの」ではありません。それぞれの形で自然に培われるものです。

日本人、大いに愛国心を発揮/山崎孝

2006-03-22 | ご投稿
昨日、市民音楽祭を聴きに行きました。音楽祭が始まる前、ホールのロビーでは、大勢の人がWBCの決勝戦をテレビで見ていました。

音楽祭が半ばを過ぎた頃、幕間に日本が優勝したことが知らされ、大きな歓声と拍手が沸きました。そして、22日の朝日新聞トップは日本のWBC優勝のニュースでした。

一度は諦めかけていた決勝への進出は、米国がメキシコに破れてチャンスが浮上、韓国との準決勝になりました。3回も韓国に負けられないと私は思いました。そのテレビ観戦を私が見ていたら、「普段は野球を見ないお父さんが野球を観ているなんて、どうしたの」と妻が不思議がりました。この対韓国戦のテレビ視聴率は55%を超えたと言います。

このように、ほとんどの日本人は自分の生まれた国に対して、本能的な帰属意識から自分の国が勝つことを願います。特にルールに従い戦うスポーツは、無心な気持ちで愛国心を発揮できます。

対韓国戦の勝敗を決まった後で、日本人と共に見ていた韓国の人は、同じアジアの国の代表として対キューバ戦は日本に頑張って欲しいと語っています。優勝すると韓国のテレビは「最高のプレー。優勝するにふさわしい」と語り、韓国の通信社・聯合ニュースは「日本は、屈強なマウンドと申し分のない守備、打線の集中力による『スモール・ベースボール』で、ついに米国を抑えて世界一の座についた」と最大の賛辞を贈った、と朝日新聞は伝え、社説では「ナショナリズムを超えて野球に敬意を払うべきだという意識が、グランド内外で共有されているのを感じた」と述べています。

私たちが物事を見るときの基準は、民主的に決められたルールです。日本政府の政策の良し悪しを判断する基準は、日本国憲法と国連憲章の理念に適っているか、どうかだと思います。真の愛国心は、この基準に従って日本政府の言動を見守り、意見を述べることだと考えます。

22日の朝日新聞「天声人語」は「対米国戦では、飛球のタッチアップで米国の審判が疑問の判定をし、日本は敗れた。韓国にも負けて絶望感が漂う中、米国がメキシコに破れやっとよみがえった▼目の前が暗くなるようなことがあっても、いつかは光が差し込んでくることがある。決してあきらめずにいれば、最後に勝利をつかめるかも知れないことを、日本チームは身をもって示した」と述べています。

この言葉は、世界平和を願う人々、多くの人たちが幸せな生活が出来るように願う人たちに贈られた言葉と私は受け取りたいと思います。