【タイ極貧の村 給食事情を見た】短大講師 杉谷哲也(三重県鈴鹿市 64歳)(4月30日付朝日新聞「声」欄より)
学生たちとミャンマー国境のタイ山岳少数民族の村の小学校を訪ねる機会を得た。若い女性の先生が、1人で1年生から6年生まで40人の面倒をみている。貴重な授業時間の半分近くを子どもたちの給食作りに使い、疲れ果てている。
「給食を作るために先生になったのではない」と嘆くが、「貧しい山の子どもたちにとっては、給食があっての勉強なんです」とも付け加える。
政府から支給される給食代約90円と牛乳は子どもたちの命綱だ。おなかをすかせた子どもたちを前に、先生はいっぱい話をする。子どもたちには酷ともとれるが、一番子どもたちがそろう時でもあり、教育効果が上がるらしい。
「感謝して残さずに食べます」と唱和して食べにかかる。が、一向に食が進まない。5分もしないうちに、先生は「ごちそうさま」をさせてしまった。
子どもたちは待ちかねたように教室を飛び出していく。学校に来られない弟妹のために給食を持って帰るのだそうだ。「私が休むと学校に来ても給食がもらえないのです」。極貧の村で頑張る先生の苦悩が伝わってくる。(以上)
この「声」欄に書かれたことに胸をつかれました。次に思い出したのは、私の子供の頃の学校給食のことでした。後で知りましたが、給食は米国では家畜の餌にしていると言われた米国製の脱脂粉乳のミルクでとても飲みにくいものでした。それでも当時の日本の子供にとっては貴重な栄養源であったと思います。
戦後の日本は憲法の規定で軍備に余りお金をかけず、国の力や科学技術を民生に活用しました。そのお陰で産業は立ち直り世界有数の貿易国になりました。戦前までは自存自衛といって、大規模な軍隊を持ち国力を疲弊させ、軍隊の力で他国の資源を略奪しようとして大失敗をしています。戦後は石橋湛山が主張したように国力を軍隊より民生に使い自存を図る貿易立国を目指しました。そして国力をつけた日本は財政的力により国際社会に寄与しています。
国連は1945年に誕生し、2005年に創設60週年を迎え記念式典が10月24日に開かれています。その当時のアナン国連事務総長が記念式典で特に訴えたことは、極端な貧困が富と共存していることを不名誉と考え、救う手立てがありながら、数億の人たちが飢餓や病気、環境悪化にさらされたままだ、ということでした。
紹介済みですが、国連が2000年に作成した「ミレニアム開発目標」は、1日1ドル未満で暮らす貧困層が10億人。これを半分に減らそう。5歳まで生きられない子どもは1100万人。これを3分の1に減らす。そしてすべての子どもを小学校へでした。目標達成を2015年にしています。
この目標は、憲法前文の「われらは、平和を維持し、専制と隷従を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存することを確認する」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と述べたことは、正にアナン国連事務総長が記念式典の演説の精神と一致しております。
武器使用の基準を他国より強い制限を設けて自衛隊、そして文民をPKOに派遣をすることや、財政力で国際貢献することを何も国の不名誉なことではありません。インドの女性ばかりの警察官を派遣した例があります。
国際貢献を口実にして日米同盟で用いられる集団的自衛権、“海外での武力行使の風穴を空けられる”ことは御免です。
学生たちとミャンマー国境のタイ山岳少数民族の村の小学校を訪ねる機会を得た。若い女性の先生が、1人で1年生から6年生まで40人の面倒をみている。貴重な授業時間の半分近くを子どもたちの給食作りに使い、疲れ果てている。
「給食を作るために先生になったのではない」と嘆くが、「貧しい山の子どもたちにとっては、給食があっての勉強なんです」とも付け加える。
政府から支給される給食代約90円と牛乳は子どもたちの命綱だ。おなかをすかせた子どもたちを前に、先生はいっぱい話をする。子どもたちには酷ともとれるが、一番子どもたちがそろう時でもあり、教育効果が上がるらしい。
「感謝して残さずに食べます」と唱和して食べにかかる。が、一向に食が進まない。5分もしないうちに、先生は「ごちそうさま」をさせてしまった。
子どもたちは待ちかねたように教室を飛び出していく。学校に来られない弟妹のために給食を持って帰るのだそうだ。「私が休むと学校に来ても給食がもらえないのです」。極貧の村で頑張る先生の苦悩が伝わってくる。(以上)
この「声」欄に書かれたことに胸をつかれました。次に思い出したのは、私の子供の頃の学校給食のことでした。後で知りましたが、給食は米国では家畜の餌にしていると言われた米国製の脱脂粉乳のミルクでとても飲みにくいものでした。それでも当時の日本の子供にとっては貴重な栄養源であったと思います。
戦後の日本は憲法の規定で軍備に余りお金をかけず、国の力や科学技術を民生に活用しました。そのお陰で産業は立ち直り世界有数の貿易国になりました。戦前までは自存自衛といって、大規模な軍隊を持ち国力を疲弊させ、軍隊の力で他国の資源を略奪しようとして大失敗をしています。戦後は石橋湛山が主張したように国力を軍隊より民生に使い自存を図る貿易立国を目指しました。そして国力をつけた日本は財政的力により国際社会に寄与しています。
国連は1945年に誕生し、2005年に創設60週年を迎え記念式典が10月24日に開かれています。その当時のアナン国連事務総長が記念式典で特に訴えたことは、極端な貧困が富と共存していることを不名誉と考え、救う手立てがありながら、数億の人たちが飢餓や病気、環境悪化にさらされたままだ、ということでした。
紹介済みですが、国連が2000年に作成した「ミレニアム開発目標」は、1日1ドル未満で暮らす貧困層が10億人。これを半分に減らそう。5歳まで生きられない子どもは1100万人。これを3分の1に減らす。そしてすべての子どもを小学校へでした。目標達成を2015年にしています。
この目標は、憲法前文の「われらは、平和を維持し、専制と隷従を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存することを確認する」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と述べたことは、正にアナン国連事務総長が記念式典の演説の精神と一致しております。
武器使用の基準を他国より強い制限を設けて自衛隊、そして文民をPKOに派遣をすることや、財政力で国際貢献することを何も国の不名誉なことではありません。インドの女性ばかりの警察官を派遣した例があります。
国際貢献を口実にして日米同盟で用いられる集団的自衛権、“海外での武力行使の風穴を空けられる”ことは御免です。