いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
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民主党の問題本質の取り違え/山崎孝

2006-02-28 | ご投稿
「許すな!憲法改悪・市民連絡会」のホームページより引用

「憲法改正国民投票法」に関する質問

(前略)

民主党憲法調査会が05年10月31日に発表した「憲法提言」では、憲法改正の理由として、「その時々の政権の恣意的解釈によって、憲法の運用が左右されている」「いまや『憲法の空洞化』が叫ばれるほどになっている。いま最も必要なことは、この傾向に歯止めをかけて、憲法を鍛え直し、『法の支配』を取り戻すことである」との認識が語られています。

そうすると、「憲法の空洞化」をもたらしたのは、恣意的解釈によって憲法を運用してきた時々の政権と、それを許してきた国会に第一義的な責任があると思われますが、その責任を糾さずに憲法のほうを変えることによって「法の支配」が取り戻せるのか、はなはだ疑問です。どんな憲法を作っても、それを政府と国会が守らないのであれば、「法の支配」は実現しないのではないでしょうか。この点はいかがお考えでしょうか。

憲法改正問題が浮上してきたのは、国際社会や日本 の政治・社会の変化に現憲法が適合しなくなったからだという主張がありますが、本 当にそうなのでしょうか。むしろ、政府・自民党などの恣意的解釈による憲法の運用が限界に来たこと、いわゆる「護憲派」とされる社民党や共産党が大きく議席を減らしたこと、最大野党となった民主党が憲法改正に積極的な立場をとったことなど、日本 の政治構造の変化によることが大きいと思われます。

実際に、憲法改正の最大の焦点とされる「9条」問題では、国民の多くは9条を変える必要性を認めておりませんし、いわゆる「新しい人権」は現憲法下での立法や施策で具体化・保障できるものばかりです。民意や立法・行政の責任を度外視して憲法改正を唱えることは、立憲主義の原理からも大きな問題だと思いますが、いかがお考えでしょうか。

「憲法改正国民投票法」の問題は、自民党などの憲法改正の要求から浮上してきたもので、決して「憲法改正に中立的」な問題ではないと思います。そもそも「憲法改正国民投票法」は、憲法改正を求める人びとにとってだけ必要なもので、現憲法を守り生かすべきだと考えている人びとにとっては必要ないからです。

いわゆる「立法不作為」論も、多くの国民は国民投票法がないことによって何らの権利侵害や損失を受けていないのですから、私たちは憲法改正を求める人びとが改憲プロセスを進めるための口実として持ち出しているものにすぎないと考えざるをえません。この点はいかがお考えでしょうか。 (以下略)



この質問状は「憲法の空洞化」をもたらしたのは、歴代の政府 と国会の責任であるにもかかわらず、現行憲法だと主張され問題の本 質を取り違えさせられることを拒否しています。

「新しい人権」については、現憲法下での立法や施 策で具体化・保障できる問題=立法や行政の責任に問える問題を、国民が憲法改定問題に取り違えないことを訴えています。

2月26日の朝日新聞記事「融合のゆくえ」は、米軍再編の中間報告には、自衛隊と米軍の共同訓練の拡大が確認されたこと、米国内には集団的自衛権の行使を含め、一層の協力を期待する声が少なくない、と書かれています。

自民党や民主党内の政治家は、日米同盟から米国に要求されている集団的自衛権行使の問題の解決を、改憲して海外で武力行使可能という事柄に潜めさせようとしているようです。

自民党は集団的自衛権行使が出来る地域は限定せず、民主党内の政治家はイラクのように余り離れた地域は駄目 だが、日本の周辺地域と考えているようです。周辺とは朝鮮半島と台湾地域を想定しているのかも知れませんが、何れの地域も米国が介入の姿勢を見せているところです。日本 の防衛に取っては直接 的に関係ない地域で、米国がこの地域の問題に介入しなければ火の粉は飛んできません。

この地域は何れも基本 的には平和的な手段で問題解決の方向を追求しています。

次回はこのことに関した文章を書かせてもらいます。

目的や問題の本質を取り違え/山崎孝

2006-02-27 | ご投稿
小坂意次文部科学相は2月25日、大阪府 枚方市で開いたタウンミーティング「ニート問題を考える」で、教育基本 法改正問題について「中央教育審議会(中教書)の答申では・職業教育の充実という観点も入っている。今国会での改正を実現したい」と述べ、あらためて今国会での改正に意欲を示した。

ただ終了後の記者会見では、法案提出時期に関して国会の会期延長の有無が分からないので、特定はできない。提出環境が早期に整うよう期待している」と、見通しが不透明であることを認めた。(共同通信電子版より)

教育基本 法(教育の目 的)第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

と述べられています。「勤労と責任を重んじ」は明確に示されていて、「平和的な国家及び社会の形成者」の自覚しなければならないことも示されています。教育基本 法に示されたことを教育すればよいことです。

「平和的な国家及び社会の形成者」が「覇権主義の国家及び社会の形成者」にすることを狙っているのかもしれません。

教育基本 法改定の狙いは、先に紹介した加藤周一氏が述べた「子供の場合には、社会化の不十分のため、与えられた文化の受容へ向かう」という精神形成の特徴を利用して、愛国心を育てることにあります。愛国心は国家に従順になることではなく、客観的事実に基づき政府 の言動の見つめ悪い場合は批判することだと思います。教育基本 法がうたっている「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」という考え方の教育です。

愛国心は教育によらなくても自然に備わっているものです。人間には組織に対する帰属意識があります。トリノ冬季オリンピックで日本 選手が勝利を得ると殆どの日本 人は喜び、負けると悔しい気持ちを持ちます。愛国心を煽る時は殆どが戦争するか、国家の統制を強める時です。このことは20世紀の日本 の歴史が証明し、まだ2006年になったばかりなのに21世紀初頭から、米国の2001年アフガン戦争、2003年イラク戦争で証明されています。

正義を掲げ多くの人の命を奪う戦争が行なわれます。大変大きな取り違えです。一人の命は大切なのに、これはどういうことなのでしょう。正義は普遍的なもので、何処の国に住もうと人の命を大切にしなければなりません。戦争政策はこの基準を忘れてしまいます。愛国心が悪用されると、他国も自国も人の命の尊さを麻痺させてしまいます。

ニート問題は国民の勤労意欲にかかわる問題でもあると思います。政府 が雇用関係の規制緩和を行なったために、正社員と同じように働くパート労働者に対して、正社員の賃金水準の7割以下しか払わないような実態、企業の利益を最優先させて平気でリストラを行なうなどの勤労意欲に影響を与えている社会の状況を改善することも必要だと思います。

自民党の経済・財政政策を見ると26日の朝日新聞には、(前略)

2003年度税制改正では株式譲渡益・配当所得課税を20%から10%へと引き下げ、企業が研究開発やIT関連投資をすると法人税が控除される減税案が柱になった。

 中低所得者向けの大型減税は選択肢にならなかった。財政悪化でそれだけの原資がなかったし、国民全体の懐を温めて消費を支えるより、大企業や資産家の投資意欲を刺激した方が少ない財源で景気浮揚効果が期待できる、という考え方が政府 内に強かった。高額所得者と企業に手厚い減税と規制緩和で1980年代の米国景気を回復させたレーガン政権と、その焼き直しともいわれる現ブッシュ政権初期の大型減税がモデルになった。

 2005年春を境に株式市場に活気が戻ってくる。資産家だけでなく、必ずしも所得が多くない若者までもがインターネット取引の普及で株式市場に招き寄せられた。

 個人投資マネーの流入で最も恩恵を受けたのが、ライブドアに代表される「将来の成長」が期待された新興IT企業だった。新興企業の経営者は自社株からの配当収入が減税されていたから、その面でも大いに潤った。

 神野直彦・東大教授(財政学)は「貧者より富者、勤労所得より金融所得、個人より法人を優遇するバブル税制のあだ花としてライブドアが出てきた」と指摘する。(以下略)

このようにニート問題の背景には政府 の真面目 に働くことが空しいと感じる人も出てもおかしくない経済政策が大きく関っています。このことも踏まえてニート問題は考えるべきだと思います。

小坂意次文部科学相は、教育基本 法には問題がないのに、国民が問題の本 質を取り違えることを狙っています。

この問題の本 質の取り違えは、憲法改定問題でも起こっています。若い世代の人で「9条マガジン」の掲示板でみかけるのは、改憲問題を自衛隊の存在させる問題として捉えている向きがあります。

自衛隊で国の独立を守る(反論 国の真の独立は外交にしかできない。世界有数の軍事力の自衛隊を持っていても、安保理に日本 を加えると米国の票をもう一票増やすとか、米国のポチなどと言われている。攻められる時を考えてのことだろうが、日本 は700年以上も攻められては居ない。日本 が将来攻められるという具体的根拠も無い。仮に攻められても今の自衛隊で反撃は出来る。)

自衛隊が必要で治安維持の役目 を果たす(反論 60年安保闘争時、政府 の一部に自衛隊の出動が検討された。このように反政府 の大規模な抗議行動の弾圧のために使用される可能性があることに注意の目 を向ける)

国内外の災害の救援で自衛隊が必要(反論 護憲を考える人たちの中にも自衛隊が国内外災害の救援活動に反対しない人が多い)

自衛隊と憲法規定との一致をはかりたいというのが、若い世代の改憲の理由となっています。これは、自民党の改憲の目 的を大きく取り違えています。

次回は、民主党の「問題の本 質を取り違え」を狙った例を紹介します。

矛盾に満ちた公明党の改憲態度/山崎孝

2006-02-26 | ご投稿
 公明党の赤松正雄厚生労働副大臣(衆院議員)が、自民党、民主党、公明党などの改憲派議員でつくる憲法調査推進議員連盟(中山太郎会長・自民)の副会長に名を連ねていることが23日までにわかりました。

 現職の副大臣が、改憲論議の先頭に立つということは公務員の憲法尊重擁護義務(憲法99条)に抵触します。一昨年の同議連総会で野沢太三法相(当時、参院議員・自民)が同議連副会長に就任したことを本 紙(「しんぶん赤旗」)が指摘し、野沢氏は同職を辞任しました。

 赤松氏は昨年6月、公明党外交・安保部会長として9条改憲私案を発表。現行の憲法9条に「領域保全のために必要最小限度の自衛力を持ち、これを行使することまで禁じたものではない」という規定を付け加える9条改悪の提案を行いました。公明党は今年中に改憲案のとりまとめを行います。同党は「9条の問題は当然論議になる」(太田昭宏党憲法調査会座長)としており、改憲手続きを定める国民投票法案の今国会成立を目 指すことを与党幹事長会談で確認しています。

 また、民主党から岩国哲人、北橋健治両衆院議員が同議連副会長に新たに就任しました。(2006年2月24日「しんぶん赤旗」電子版引用)

赤松氏の9条改憲私案、現行の憲法9条に「領域保全のために必要最小限度の自衛力を持ち、これを行使することまで禁じたものではない」という規定を付け加えるという考えは、現行憲法の内閣法制局の解釈では個別的自衛権を持つとしていますから、改憲してまで付け加える必要性が無い規定です。現に政府 は内閣法制局の見解に基づいて自衛隊を持っています。このことを公明党支持者の方はよく理解して欲しいと思います。

太田昭宏公明党憲法調査会座長の「9条の問題は当然論議になる」という考えと、2005年11月27日のNHK番組で太田昭宏氏が語った「自衛軍についてわが党は賛成できない。現憲法の平和主義は大事な項目 」との関連がよくわからない。平和主義を守ることは憲法9条に手を加えないことではないかと思います。憲法改定の潮流に乗ることと矛盾します。このことも公明党支持者の皆さんは理解して欲しいと思います。

2005年9月28日の朝日新聞「この人に聞きたい」で、公明党代表神崎武法氏が述べた、憲法の「9条の1項と2項は堅持し、集団的自衛権の行使は認めない。そこは揺るがない。9条で合意できなければ、連立そのものに響いてくる」という考えは、憲法を変えてはならない立場と一致しています。神崎武法氏が述べた「憲法の「9条の1項と2項は堅持し、集団的自衛権の行使は認めない。そこは揺るがない。9条で合意できなければ、連立そのものに響いてくる」の言葉を、私は重く受け止めて信じたいと思います。

明確にしなければならないのは、自民党の改憲の目 的が、自衛隊と憲法の整合性を図る目 的ではなく、国民の自衛隊と憲法の規定がなんとなくぴったりとしないという気分に乗じて改憲気分を煽る。自衛軍による国際貢献を売りにして、海外で武力行使が出来る規定にする=集団的自衛権行使の解釈を自衛軍による国際貢献に潜ませる。日米協調との関係で集団的自衛権行使の必要が生まれたときは、海外で武力行使の規定を拡大解釈して適用するなどが考えられます。

自衛隊を自衛軍という軍隊にするという規定は、軍隊は個別的自衛権も集団的自衛権も持つものというのが国際社会の概念と言われますから、この軍隊の概念を国民は知って欲しいと思います。

この軍隊という概念を想定して、自民党新憲法草案の作成を推進した枡添議員は、「集団的自衛権の議論はもう済んだ」と述べているのだと思います。

とても気前の良い話とその他/山崎孝

2006-02-24 | ご投稿
麻生太郎外相は、2月20日の衆院予算委員会で、沖縄の米海兵隊約7千人のグァム移 転費用を日本 が負担することを「日本 の国益につながる」と述べました。

移 転対象とされているのは、米海兵隊の司令部要員や後方支援部門が中心です。しかし、実際に県民の重圧になっている部隊は、臨戦態勢維持のために横暴な訓練を繰り返す実戦部隊です。これを麻生外相は「7千人減るというのは極めて大きな数字だ」と沖縄の負担軽減になると強調しますが、沖縄県民にとって、移 転計画は「負担軽減」といえるものではありません.

沖縄の実戦部隊は、いまも数々の被害と苦痛を与えています.

例をあげれば、∇米海兵隊普天同基地のヘリが市街地にある沖縄国際大学に墜落(2004年8月)

∇金武町では住宅地と隣り合わせにあるキャンプ・ハンセン内で都市型戦闘訓練。

日米両政府 が移 転方針を打ち出した際、地元紙は社説で「歩兵や砲兵など実戦部隊が残るのであれば基地の『危険性』はそのまま残る。数さえ減れば負担軽減になるという考えは欺瞞と言うしかない」(沖縄タイムス、昨年10月30日付)と批判。基地を抱える自治体の首長からは「将校がいなくなり前線兵士だけが残れば、沖縄はサファリパーク状態だ」(辺土名朝一北谷町長=当時)という声まであがりました。

更に日米両政府 は名護市沖には海兵隊の航空部隊のために最新鋭基地の建設の負担も検討しています。(以上「しんぶん赤旗」電子版を参考)

日本 政府 は在日米軍のために「思いやり予算」を組んでいます。2005年度の「思いやり予算」は、2378億円です。これは中小企業対策費の1・4倍 だということです。

「思いやり予算」の使い道は、米軍基地で働く人の給与と社会保障費など、基地施 設の建設費(米兵の住む住宅も含む)、米兵が使用する水道・光熱費などです。

このような日本 が負担をしている在日米軍は、国際法違反といわれたイラク戦争に日本 から出かけています。

共同通信の電子版は、イラクなどを管轄する米中央軍のキミット計画副部長(陸軍准将)は2月21日・ワシントンで記者会見し、イラクで活動する自衛隊に関し「(航空自衛隊の)C130輸送機の活動変更に関する決定がなされるだろう」と述べ、空自の活動拡大に期待感を示した。

米側としてはイラク南部サマワで活動している陸上自衛隊の撤退を想定、クウェートを拠点に主に自衛隊の物資を輸送しているC130 3機がバグダッドなどの米軍拠点まで活動範囲を拡大することを示唆しているとみられる。

キミット准将は日本 の貢献に謝意を表するとともに「日本 政府 がサマワから撤退する決定をしても、将来も貢献を継続すると理解している」と述べ、日本 の貢献継続を暗に要精した、と伝えています。

日本 政府 はイラクでの航空自衛隊の後方支援活動は継続するとの方針と朝日新聞は既に報道しています。

小泉政権はイラクの人道復興支援を看板にイラクに自衛隊を派遣しましたが、米国がイラクで日本 に本 当に行なって欲しいことは、治安維持活動(戦闘行動)であり、米軍の後方支援活動なのです。



私の自民党改憲の狙いという文章に対して、このブログに改憲派のコメントがありました。自民党の改憲目 的は、国際社会の平和と安全を維持するための活動に参加するだけ…誇大妄想は止めてとあります。

誇大妄想とは一人或いは極めて少数の人が抱く現実とかけ離れた想念をいいます。しかし、「九条の会」は2004年6月10日にアピールを発表して以来、1年半余りで全国に4000を超す組織が結成されて、その組織には多くの人たちが結集しています。アピールには、改憲の意図を『日本 をアメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります』と書かれています。これを見れば誇大妄想という表現は妥当ではありません。

「九条の会」の発起人のひとり大江健三郎氏はノーベル文学賞を受けて世界的に評価されて、外国の大学の講義を受け持ったことがあり、昨年は外国講演を行っております。「九条の会」が述べていることが誇大妄想と思うのであれば、誇大妄想を抱くような人物を外国の大学が招くはずがありません。

「九条の会」の発起人のひとり加藤周一氏は、朝日新聞に毎月文章を書いています。新聞の連載タイトルは「夕陽妄言」ですが、新聞社が毎月文章を書いてもらっているということは、読者にその考えが理解されている証左であります。大江健三郎氏の文章も毎月連載 されています。

2006年2月22日の「夕陽妄言」は「人生3期」というテーマで次のような文章を書いています。

『幼年では家庭、中年では職場、どちらの場合にも集団の圧力は圧倒的である。したがって行動様式も相似る。子供の場合には、社会化の不十分のため、与えられた文化の受容へ向かう(「良い子」の定義)、中年の場合には、社会化の行き過ぎのため、大勢順応主義へ向かう(かつての組織への忠誠、今日の個人の安全保障)。そこから大勢順応保守主義を破る個人の、市民としての、独立の精神は、容易に成立し難い。もし一身独立しなければ、福沢諭吉が指摘したように、一国独立することもないだろう』。

この文章は市民意識がしっかり確立されていない現在の日本 社会で生きる日本 人の精神形成を分析しつつ、日本 の外交課題である自主独立の問題を指摘しています。「妄言」とは逆の文章です。

国際法違反と国連事務総長に言われたイラク戦争に、日本 政府は米国を支持し自衛隊を派遣した行為が「国際社会の平和と安全を維持するための活動」でないことは明らかで、将来的にもこのような活動が「国際社会の平和と安全を維持するための活動」になりうる筈がありません。

小泉首相は2005年9月28日の衆議院の代表質問に改憲について次のように答弁しています。

憲法9条や自衛権のあり方には様々な議論があるが、戦後60年のわが国の歩みを振り返れば、国民が軍国主義を否定し、国際的な平和と安定に積極的に寄与していることは国際的に理解が得られている。憲法改正議論も、この方向を堅持しながらわが国の実態に合致するものを模索すべきだ。大いに国民的議論を深めてほしい。

首相が言うように「国民が軍国主義を否定」仕切ったといえるでしょうか。先にブログで紹介した小泉政権の閣僚の歴史認識ではそうとはいえません。

東京裁判に関する麻生外相の答弁は「少なくとも日本の国内法では犯罪人扱いの対象になっていない。戦争犯罪人とは、極東軍事裁判所の裁判によって決定された犯罪者だ」朝日新聞の記者は、日本が責任を問うた人たちではないというわけであると書く。安倍官房長官も「まさに戦勝国によって裁かれた点において責任を取らされた」と述べ、同じ認識を示したとも書いています。

「国際的な平和と安定に積極的に寄与」も、外国から、日本 を安全保障理事会に加えると米国の票をもう一票増やす。また米国のポチなどと言われていますから、日本 の外交的権威からは余り誇れることをしているとは思えません。

小泉首相の考え「わが国の実態に合致する」憲法という考えを、現在の自民党政治の実情と結びつければ、2006年1月18日の日米防衛首脳会議で、ラムズフェルド国防長官にイラクの治安維持に参加を要請されたように、日米協調を将来的にも保つためには、外国での武力行使に参加する現実的な課題があります。この課題を果たすことの出来る憲法にすることが「わが国の実態に合致する」憲法と言えます。

「九条の会」はこのような自民党政治の現実から出発して、憲法を守ろうとしています。

首相候補者の歴史認識/山崎孝

2006-02-23 | ご投稿
2006年2月22日付け朝日新聞記事を引用させていただきます。

(前略)東京裁判に関する麻生外相(65)の答弁だろう。

「少なくとも日本 の国内法では犯罪人扱いの対象になっていない。戦争犯罪人とは、極東軍事裁判所の裁判によって決定された犯罪者だ」

日本 が責任を問うた人たちではないというわけである。14日の予算委で民主党の岡田克也前代表(52)に問われてのことだ。安倍 官房長官(51)も「まさに戦勝国によって裁かれた点において責任を取らされた」と述べ、同じ認識を示した。

麻生、安倍両氏とも、東京裁判を受は入れた日本の立場を否定はしない。質問した岡田氏にしても「勝者が敗者を裁いた側面はあるし、そのときに無かった罪が作られて裁かれた部分もある」と述べた。安倍氏が答弁した通り、判決を受諾しなければ「独立を果たすことは出来なかった」ことも間違いない。

ただ、では自分たちは誰の責任を問うたのか。岡田氏の考えはそこに向かう。日本 は当時、そして今に至るまで、あの戦争を総括しないままではないか――。

戦後の日本 政治は、その欠落を時々の政府 見解で埋めようとしてきた。戦後50年の1995年、自社さ政権当時の村山首相は談話を発表し、侵略と植民地支配に「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。靖国神社参拝をやめようとしない小泉首相(64)も、昨年の談話ではこれを踏襲している。

予算委での閣僚答弁ではそこに留保がつく。安倍 氏も麻生氏も、政府 見解としてはこれにならう。だが安倍氏は「侵略戦争をどう定義づけるかという問題も当然ある」と述べ、麻生氏も「(連合国軍最高司令官だった)マッカーサーも侵略戦争のみとは言い難かったと認めている」と語った。

あの戦争について「きちんと政府 としても検証することが必要だ」。そんな岡田氏の主張に対しては、両氏とも歴史家に委ねる」と受け入れず、谷垣財務相(60)も「それこそ学問と健全な国民の判断に任せることだ」と語って退けた。(以上)

首相候補者と見られる人たちの歴史認識は、戦争犯罪は外国が認定したもので日本 人が認定したものではない。日本 人が自身の手で戦争犯罪を認定していないという状況は、ドイツと比べて大きな違いです。

政府 見解を頭からは否定しないけれど個人としては承服しかねると思っているようです。歴史家に委ねるとしていますが、図書館にある日本 の指折りの3冊の百科事典の記述は日本 の戦争は侵略戦争となっています。歴史を歪曲するのが得意な自由主義史観の学者の見解が、日本 社会で幅をきかすのを待っているのでしょうか。そのために扶桑社の歴史教科書を普及するのに安倍 氏は特別に力を入れるのでしょう。

朝日新聞の記事に出てきた、マッカーサーの見解は、米上院軍事外交合同委員会で「日本 には固有の資源がない。石油、ゴム、錫等の多くの原材料がない。もしこれらの原料の供給が断ち切られたなら1千万人以上の失業者が発生する。だから彼らが戦争に突入した主たる動機は自衛のためだった」と述べたことを言います。

この発言はフィリッピンを統治し、中国市場も狙っていた米国の観点です。決して植民地化された側の観点ではなく、公平な見方とはいえません。

自衛とは基本的には国際的に認められた領土に対して他国から攻撃を受けた場合の反撃行為であることは誰でも知っています。自存するには、他国の資源に頼らなくてはいけない場合がありますが、相手国が了解した交易で手に入れるのが正常な方法です。戦後の日本 は交易で資源を手に入れています。

安倍 氏は「侵略戦争をどう定義づけるかという問題も当然ある」と述べていますが、義和団事件議定書・日清・日露・日中戦争の経緯を見ます。

義和団事件議定書は、北京にいる外交団が義和団のような反乱軍に包囲されるような事態が再び起こらないよう北京と海岸との間の要点を占領する権利を清朝政府 との間で日本 も獲得した。その翌年、天津全市への駐兵権も獲得。しかし、日本 に割り当てられた兵数は1570人であり、配置地域は北京公使館区域、山海関を中心に天津以東とされていた。

遼東半島は、日清戦争で勝ち日本が手に入れたが、三国干渉(ロシア、フランス、ドイツ)で中国に返還した。その後ロシアが遼東半島を租借した。日露戦争に勝ってロシアから租借権を日本が手に入れた。日露戦争では日本はロシアから長春・旅順間の鉄道を手に入れて、この鉄道を警備するため地域が限定されて駐兵権が認められた。この軍隊が関東軍と言われる。

1931年9月、満州事変が起きる(関東軍の謀略による列車爆破事件)これを契機に関東軍は軍事行動を起こす。1932年1月、関東軍錦州を占領。1932年3月、満州国建国宣言。9月に日満議定書調印で同盟関係になる。1933年3月、国際連盟が満州国を認めず(ドイツもイタリアも認めず)日本 は国際連盟を脱退。1937年7月、盧溝橋付近で日本 軍と中国軍の間に数発の発砲事件が起き、これを契機に日本 軍は華北へ軍事行動を起こす。8月には上海で日中両軍交戦しこれ以降日中全面戦争へ。

この経緯で明らかなのは義和団事件議定書や日露戦争で手に入れた兵数や駐兵地域を守らず、それ以外の中国の領土に侵入して占領地を拡大してゆく状況です。このような状況を国際社会は侵略と規定するのではないでしょうか。

満州国を正当化する主張がありますが、1933年の国家の権利義務関係に関する「モンデヴィデオ条約」には、国家に必要な資格は、永続的住民の存在・明確な領域の存在・自国住民による政府の実効的支配・他国との外交を取り結ぶ能力を持つとされています。この基準に照らしてみると満州国は国防・治安・交通は日本に委託して、中央や地方の政治は日本 人官僚が実権を持ち、満州人が政府 の支配をしていません。これでは国際連盟は認めようもありません。

以上、日清・日露・日中戦争・満州国に関して述べたことは、日本 の出版社が出している数冊の本 に書いてあることを集約したものです。これが谷垣氏の「それこそ学問と健全な国民の判断に任せることだ」ということではないでしょうか。

私は山本 薩夫監督「戦争と人間」3部作を劇場でみていましたが、昨年12月にレンタルビデオで再びみました。この映画は劇映画ですが、歴史的事件を織り込みながら物語が展開して行きます。新興財閥が関東軍と結託して中国での商売を拡大してゆく状況も描いています。ノモンハンの戦争のところで物語は終わっています。この映画の時代考証を行なっていたのが「九条の会」発起人の一人澤地久枝さんでした。澤地久枝さんはこの映画の原作者五味川純平さんの助手をしていたと私の記憶にあります。

当時の政治家、官僚・軍人の中には中国占領を拡大させると米英と衝突し経済制裁を受けるという認識がありながらも、外国に派遣していた軍隊を政府が統制できず暴走させ既成事実を作られて、大きな戦争になってしまったのが日本の歴史です。このことを認識する澤地久枝さんは、海外で武力行使が出来る憲法にするということは絶対に許されないと思っているのだと思います。

日本 人の多くは既成事実に馴らされる傾向があり、政治家は勇気のある決断に欠けるところがあります。

映画の第1部は「運命の序曲」でした。小泉政権下で戦争をしているイラクに自衛隊を派遣し、海外で武力行使の出来る改憲へ具体的に作業はじめた日本 のこの時代が、再び戦争を行なうような歴史の「運命への序曲」であってはならないと思います。

アラン・ブロサ氏の「ミメティスム」/山崎孝

2006-02-22 | ご投稿
2006年2月20日付け朝日新聞より

暴力や憎しみの連鎖を断ち切るために、哲学の見地から「ミメティスム」という概念を提起するアラン・ブロサ氏が、東京大学に客員教授として招かれ2月上旬 まで滞在した。ミメティスムのアジアにおける意味や、3カ月間の日本 滞在で感じたことなどを聞いた。(聞き手は渡辺延志記者)

自分のしたことを条件反射的に相対化する論理を、ブロサ氏はミメティスムと指摘する。「わが国だけが悪いのではない。他国もやっている」といった論理だ。「仕返し主義」「模倣の論理」などの訳語が研究者の間で候補にあがっている。(中略)

学校を例にブロサ氏は説明する。校庭で子どもがけんかをしていた。「どっちが先にやったんだ」と先生が2人に尋ねる。「あっちです、先生」――双方から同じ答えが。

植民地支配、アジアや太平洋での戦争などをめぐり公然と繰り返される日本 の政治家の問題発言などは、そうした「校庭シンドローム」ともいうべきレベルの議論だ、とブロサ氏は指摘する。(以下略)

日本 の自由主義史観の学者はこの「ミメティスム」と同じ考え方で、「当時の世界の支配思想は植民地主義であった」とか、これの変形した主張の「現在の価値観で当時の価値観を批判してはいけない」と主張しています。

この主張は被植民地の人たちの、反植民地主義の思想で抵抗した歴史の事実が認識されていません。世界の支配思想といっても西欧列強の国だけを対象にしているだけです。いわば、泥棒しても何人かで行なえば悪くないといっているようなものです。

「現在の価値観で当時の価値観を批判してはいけない」という主張は、歴史に学ぶ姿勢が欠落しています。人間の歴史は過去と現在に学びそこから新しい理想・理念を打ち立てて、その理想のもとに人々が結集して理想を実現するために戦ってきています。

日本 の自由主義史観の学者は「中国、朝鮮に対しては、悪いこともしたが、いいこともした」という主張があります。

先に紹介した麻生外相の主張「日清戦争のころ、台湾という国を日本 に帰属することになった時に、日本 が最初にやったのは義務教育です。…結果として、…台湾という国は極めて教育水準が高い国であるがゆえに、今の時代に追いつけている」も同類です。

1996年1月から6月にかけて産経新聞に連載 されたものを藤岡信勝氏がまとめた「教科書が教えない歴史」はこの立場で書いた人たちの文章を掲載 しています。この文章は井上友幸氏がホームページで「新説・日本 歴史第20弾・新しい歴史教科書を見る」で要約して紹介しています。詳 しくは検索してお読みください。

「悪いことも良いこともした」という主張は、相対化することにより、悪かったことをあいまいにしてしまう論法だと思います。歴史の主要な側面と付随的に生まれた側面を一まとめにしてしまい、その国を支配し資源の略奪とその国の人たちを搾取するという植民地主義国家の目 的を不問にする論法です。

ブロサ氏は、西ドイツでは60年代に、若者たちが「父親たちが何をしたのか」を問いつめることなどを通して、ミメティスムから大きく転換、政治指導者も国民の圧倒的多数も、ドイツ人の名において第三帝国の下でなされた戦争犯罪の責任を引き受けるようになった、と述べています。

国の歴史をどのように認識するかは、国の未来をどう設計するかに大きな影響を持つと思います。日本 人は敗戦を契機に過去の軍国主義の歴史を見つめ直して、日本国憲法という設計図で日本 の未来を築こうとしました。この設計図の基本的考えは民のための国家でした。民のための国家は、戦争はしません。しかし、「ミメティスム」を脱却できない自由主義史観の学者たちは、改憲を視野に入れて日本 の将来像を書き換えようとしていました。その基本 は国家のための民という考え方です。大日本 帝国憲法への回帰です。

井上友幸氏の「新しい歴史教科書を見る」では、「辛亥革命の発信地は東京だった(入川智紀・日本 教育研究所研究員)を要約した文章があります。主張は清朝打倒運動を起こし日本に亡命した孫文を日本人が助けたことを根拠にしています。孫文は兄が居たハワイに赴きそこで教育を受けて中国の近代化には清朝を打倒して共和制にならなければという考えを確立しています。発信地?というならばハワイの方が妥当です。革命は中国民衆の政治的覚醒とそのエネルギーにより為されたものです。孫文が日本に対して王道か覇道かと厳しい問いかけを行なったことも考慮にいれない主張です。

「新しい歴史教科書を見る」では、日本 企業が朝鮮にダムを幾つか作り、それが朝鮮工業発展の原動力となったと述べています。しかし、ダム建設の目 的は朝鮮の人のためではなく企業の利益を上げるのが最大目 的であったことは否定できません。その一つの1926年の水豊ダム建設は日本 窒素が全額出資と書かれていますから推して知るべきです。日本 窒素と合併することになる朝鮮窒素の工場では日本人は「朝鮮人が死んだって風が吹いたほどにも感じない」残業で疲れ果て座り込んでいる朝鮮人を木刀で殴って働かせたと日本人自身が書いています。(高崎宗司著「植民地朝鮮の日本 人」)

日本 が朝鮮人のために朝鮮を統治したとするならば、人間の誇りを奪うような朝鮮語を制限して日本 語を押し付ける、創氏改名や、日本 への強制連行、兵隊に狩り出すなどはしなかったでしょう。

自分たちの都合の良いように歴史を解釈して「新しい歴史教科書を見る」は書かれています。

井上友幸氏は韓国のことを日本 の戦争責任を全面的に押し出して韓国国民に訴えるよりも「ロシアから中国へと進出してきた共産主義ともたたかった韓国として位置付け、その勇気と独立の尊さを語り伝えたほうが、明るい国づくりが出来ると思う」と述べています。

この考えは韓国の歴史を正確に把握していません。韓国民衆の歴史は、北朝鮮の共産主義や関係する組織との一切の関りを持つなとする「国家保安法」を悪用し、自由と民主主義を奪った独裁政権との戦いで勝利を勝ち取った歴史です。なぜならば、独裁政権下で死刑判決を受けた金大中氏が大統領に選ばれ、民主化の推進と包容政策を実行したことにより、盧武鉉政権下で鄭東泳統一部長官は「いまや国家保安法の時代から南北関係発展法の時代へと移 りつつある」と述べているからです。

沖縄からの訴え/山崎孝

2006-02-21 | ご投稿
2月19日、朝日新聞「声」欄より

 観光地沖縄の現実の姿見て 大学生(沖縄県宜野湾市 21歳)

3年前、東北出身の私は琉球大学に入学し、寮の友達と話に花を咲かせていると、突然爆音が会話を遮った。驚いて窓の外を見上げると、真っ黒な物体がすぐ近くを飛んでいた。それが米軍のヘリを初めて見た瞬間だった。

今年1月17日、訓練中の米軍F15戦闘機が沖縄本 島東沖に墜落した。2004年に沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した持と比べ、全国的にはあまり騒がれていない。だが、その戦闘機からは油が漏れ、事故現場の海では大変な被害を被っている。それにもかかわらず、訓練は再び開始され、住民の恐怖は募るばかりだ。

車で走ると、迷彩をほどこした車が追い越していく。高台に登ると、上空の米軍ヘリから人が手を振るのが見える。授業もヘリの音に中断され、地元紙の1面の見出しには「米軍」の文字が毎日のように躍る。これがリゾート地、沖絶のもう一つの姿だ。

この現実と人々は日々戦っている。年間500万人を超す観光客に、沖縄の海だけではなく現実も見てほしい。(以上)

私はこの文章を読んで、2001年9・11多発テロ事件以降に沖縄で起きたことに対する地元大学生の本 土の人々への訴えを思い起こしました。

大学生は朝日新聞記事で、在日米軍の軍事基地や施 設がテロに襲われる恐怖心から米軍基地が集中する沖縄への観光旅行が激減したことに対して本 土の人々に次のような点を述べていました。

沖縄に米軍基地が集中する現状を放任し、また、日本 の安全を図るためと称して安保条約を容認している。ところが安保条約により、もたらされる危険が発生すると、その危険が一番起こるとみなす沖縄には突然こなくなる。これにより土地が米軍基地に占拠されて産業を発展させられなくて、観光産業が支えの沖縄の経済を脅かすようなことを平気で行なうと述べて、本 土人の自己本 位の心と行動を批判していました。

私は次のことも思い起こしました。沖縄の音楽グループ「ネーネーズ」は歌で訴えています。

「平和の琉歌」桑田佳佑作詞・作曲 沖縄詞知名定夫

この国が平和だと 誰が決めたの 人の涙も渇かぬうちに

アメリカの傘の下 夢をみました 民を捨てた戦争の果てに

蒼いお月様が泣いております 忘れられないこともあります

愛を植えましょう この島へ

傷の癒えない 人々へ 語り継がれていくために(以下略)

私たちが沖縄に住む人たちに応えられることは、国家の安全保障を軍事に頼らない心を持つしかありません。平和憲法の示す道を歩むことだとことだと思います。

安保条約は、本 来、日本 の安全と極東の平和のために結ばれたと説明されていました。しかし、橋本 政権とクリントン政権による政府 間協定で、アジア・太平洋の地域まで適用範囲を拡大、現在では世界的な範囲まで拡大しています。

その結果、イラク戦争で空母キティーホークの艦載 機は、5375回出撃し、約390トンもの爆弾を投下して多くのイラク人の命を奪った。三沢と嘉手納の米空軍機も空爆に加わった。沖縄駐留の海兵隊もイラク占領後に派兵された。在日米軍基地は戦争の出撃拠点である。そんな基地の維持費として日本 は年間6万6千億円もの国費を使っている状況になっています。

安保条約の本 来の目 的とは無関係な運用を止めるべきだと思います。

安保条約の第10条(条約の終了)の規定は、「日本 区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を失ったと日本 政府 及びアメリカ合衆国が認めたときまで効力を有する」となっています。この規定をクラウス・シルヒトマン氏は、国連による集団安全保障体制が出来れば安保条約は効力を失うと読み取っています。このことは国連でなくても地域の集団安全保障体制が出来ればよいと思います。

日本 政府 は本 来ならば、武力で国際紛争を解決してはならないと定めた日本 国憲法の精神を生かして「日本 区域における国際の平和及び安全の維持」のための努力をしなければならない立場です。

現在、東アジア共同体構想が話し合われ始めています。しかし、その議題がある「東アジアサミット」(12月)を控えた2005年11月16日の日米首脳会談で小泉首相が「日米関係が緊密であればあるほど、中国、韓国をはじめアジア諸国とよい関係を築ける」と述べたことについて、姜尚中東京大学大学院情報学科教授は、「日米同盟という二国間関係だけが基軸であり、その他のアジア諸国との関係はその従属変数にすぎない」と述べて、日本 政府 は日米同盟にこだわり続けていると指摘しています。

この姿勢が東アジアサミットでは中国と主導権争いを行ない、集団的自衛権行使の出来る改憲に走るのだと思います。

整合性の無い前原氏の論理/山崎孝

2006-02-20 | ご投稿
民主党の前原代表は2月17日、日本 外国特派員協会で記者会見し、中国の軍事力について「多くの国民が脅威を感じる。それは事実だと思う」と、「中国脅威論は世輪としてあるという認識を示した。その一方で、「中国とは環境、エネルギー・感染症、北朝鮮の核開発などの問題が山積みだ。長い大切なつきあいを続けていかなければならない」として、友好関係を重視している点を強調した。

前原氏は党の外交・安保政策について「非武装中立、日米同盟の即刻破棄など非現実的な考え方を取らない。これを強調しすぎると自民党とどこが違うかという批判を党内で受けるが、(政権交代しても)安全保障のスタンスが変わらないという安心感を国民に与えることが必要だ」と述べた。(朝日新聞電子版より)



中国の脅威を述べていながら、友好関係を重視する発言は論理的な整合性がありません。

前原氏は先制攻撃論さえ持っていて昨年発行の雑誌「論座」の対談記事でも否定をしていません。日米安保に対する姿勢は自民党と変わらない考え方です。このことは米軍の外国での軍事行動に対する支援活動を日本 が積極的に参加していることを日米安保は近年進化をとげていると米側は認識して、更に変革を期待しています。これは自民党の安保政策のほとんど容認することになります。

軍事的な事柄は、片方だけが脅威を感じる性格のものでありません。日本 の軍備やその使い方も相手に脅威を与えます。

日米安保は中国も視野に入っています。日米は相手のミサイルを非力化するミサイル防衛網の開発と配備の計画を進める。現在は陸上と海上から迎撃ミサイルを発射するタイプのシステムですが、米国は宇宙から攻撃できるシステムを考えています。

自衛隊の軍備は世界有数で、さらに海外での武力行動を支援する高速輸送艦の導入も決めています。

そしてこのような軍備を持つ自衛隊が在日米軍との一体化を計りつつあり、巨大な世界で飛びぬけた軍事機構が出来上がります。

更に前原氏は海外で武力行使が出来る憲法を持つという考えです。これらのことが、中国が脅威と感じない筈はありません。

前原氏が友好関係を重視する姿勢と中国の軍拡が脅威と述べる論理的な整合性を計ろうとするのであれば、

自民党の進めるミサイル防衛網開発と配備に反対、自衛隊の軍事超大国の米軍との一体化に反対、自民党の海外での武力行使が出来る憲法に反対するから、

中国は日本 国民が脅威と感じるような軍拡はしないでほしいと、日本 外国特派員協会の記者会見で述べることではないでしょうか。そうすれば前原氏の「長い大切なつきあいを続けていかなければならない」という、ソフトな心は中国に伝わると思います。

自民党と同じの“安全保障のスタンスは変わらない”という考えでは中国は理解しないでしょう。総合的な事実に基づいて考える国民の多くはそう思います。

血と鼎の話/山崎孝

2006-02-19 | ご投稿
私は現在、阿辻哲次著「部首のはなし 2」という本 を読んでいます。この本 で得た知識や「中国古典物語」などで得た知識をもとに文章を書きます。

「血」という文字は、皿の中に血液が入っている様を形にしたもので、紀元前1300年頃の甲骨文字にあるということです。古代の祭祀で何かの道具を神聖化するときに動物の血を使うために容器に入れた、この形が文字になったとされます。

中国の春秋戦国時代は12カ国に分かれていて、斉(周)・宗・陳・楚・秦の国が大きかった。この時代は覇者の地位をめぐり攻防を繰返したが、こうした中で近隣諸国との緊張を緩和するために同盟を結んだ。同盟を結ぶことを「会盟」、その同盟で結ばれた誓約書を「盟書」といわれました。

同盟を結ぶときは「盟書」を読み上げて確認して、生贄になった牛の耳の血を参加者は啜った。実際は唇に血を塗るだけの場合が多かった。このことから会盟の主導権を握ることを「牛耳を執る」、いわれました。後の諺「牛耳る」となります。

「鼎」は中ふくらみの胴体に足が3本 または4本 ついた調理道具ですが、祖先に対する神聖な祭りに使用されたために道具以上の価値が与えられました。

春秋戦国時代に楚の国は急激に勢力を伸ばして大軍を率いて北上し、当時の盟主の国であった周との国境付近で武力を誇示するデモンストレーションを行なった。この事態に周は楚に慰問のために使者を派遣した。そのとき楚王は使者に周の王室に置かれている鼎の大きさや重さを訊ね、鼎を楚に運ぶ用意がある意志をほのめかした。使者は鼎の大きさや重さは「徳にあり、鼎にあらず」と楚王に答えました。

春秋戦国時代は「王道と覇道」かが問われた時代でもありました。王道は徳の力をもって主導権を握ること、覇道は軍事力で主導権を握ることだといわれます。

かつて孫文が日本 に問い掛けた言葉です。石橋湛山が一切の植民地を捨てて日本 は徳の力で欧米列強に対抗せよと説き、この徳の力に欧米列強は大義名分を失うと述べています。

今日の学者の一部は、石橋湛山の言葉に学ばす、植民地主義は当時の世界の支配思想だから、日本 は悪くないと日本 の侵略と植民地主義の歴史を正当化しています。

徳目 の一つに国際間の約束を守ることが上げられます。今日の世界の「盟書」は国連憲章だと思います。だが徳目 は力がない、軍事力だという人もいます。

イラク戦争で世界の世論は米国の覇権主義に大きな反対の声をあげており、米国は国際社会の信用を大きく失います。軍事力でフセインを倒した米国は、イラク人にも信用されてはいません。

憲法の前文には、われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しょうと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う、と述べられています。平和の維持、専制と隷従、圧迫と偏狭を排除するという徳目 を行うことを日本 は世界に誓っています。

先に紹介しましたが、改めて紹介します。

イラク戦争に反対し米国務省を辞任した元外交官のアン・ライトさんは「一般教書演説では、弾丸ではなく言葉の外交政策が語られなくてはならない。ならず者国家を力で押し付ける外交政策をやめなければ他国からの信頼は取り戻せない」と訴えました。

米国に現在最も必要な徳目 を語っています。しかし、米国は太平洋上で今までにない規模の軍事演習を行なう計画を立てています。相変わらず軍事力を柱にして世界を牛耳るつもりなのでしょうか。中国への牽制の意図があると思われます。

「他国人を殺しに行かせる」権利/山崎孝

2006-02-18 | ご投稿
平和憲法を持つ日本 を「歴史の先行者」と述べたクラウス・シルヒトマン氏を先に紹介しました。「世界」3月号の記事の中で、更に次のように述べています。

日本 に関して言えば、国際連合による集団安全保障の土台となる憲法第9条を維持し続けたことによって、国際法の優位と原則の維持に長い貢献をしてきたといえる。

日本 の戦後政府 は60年の長きにわたり「武力不行使」の政策を掲げてきた。それによって得た国際的な信頼の深さは計り知れない。日本 国民は政治家たちを軌道からはずさないようにし、監視しつづけた。それによって、平和への貢献に重大かつ決定的な役割を果たしてきた。

いったい国家主権をよりどころに「他国人を殺しに行かせる」権利が、どうして各国の政府 にはあるのか、実に多くの人々が問い直したいはずだ。

私は最近、ユネスコ本 部に手紙を送り、「日本 国憲法第9条」を、平和を維持する文化モニュメント、即ち「世界遺産」に指定するようアピールした。

パリのユネスコ本 部からの返答は、以下の通りだった。「ユネスコは参加各国の主権を尊重しなければなりません。したがって、特定国家の憲法についてコメントすることは不適当です。しかし、日本 が今までなして来たように、集団安全保障に向けた思想的、政治的な歩みに重大な関心を寄せることの大切さは、もちろんです」

さて、真の「主権者」たる日本 国民にボ ールは投げ返された。憲法第9条こそ、未来の世代も平和を享受できる、その名にふさわしい「世界遺産」ではないだろうか。(以上)

戦前の日本 は大東亜共栄圏とか自存自衛という国家主権をよりどころに「他国人を殺しに行かせる」権利なるものを度々行使した。しかし、敗戦により反省して国家主権をよりどころに「他国人を殺しに行かせる」権利なるものに封印しました。

戦後、米国は冷戦下では共産主義から自由を守る、近年はテロへの報復及びテロ組織の殲滅と称してアフガニスタンへ侵攻、次いで大量破壊兵器の脅威という嘘をつき、嘘がバレルとフセインの独裁からイラク人の解放とかに大義を変えて「他国人を殺しに行かせる」権利なるものを行使し正当化しました。国連憲章は、いかなる国の領土保全及び政治的に独立した組織への侵害を禁止しています。

現在、自民党政権はこのような米国に同調して、「他国人を殺しに行かせる」権利の封印を解こうとする憲法改定作業を具体的に開始しました。日本 の「国際法の優位と原則の維持に長い貢献をしてきた」歴史の流れに対する大きな逆行です。