いせ九条の会

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かつては、里山があり、社会には二つの原風景があった/山崎孝

2006-06-12 | ご投稿
朝日新聞6月11日の記事「あんてな」で、高橋正太郎記者は、教育基本法の教育現場がどのように受け止めていたかを書いています。教育現場の原風景と言うべき姿だと思います。

 人間で言えば還暦に近い教育基本法。前文と計11の条文からなる短い法律だが、戦後の教育界で格別の重みを持ってきた。たとえば教員採用試験では、「教職教養」の一つとして、教育基本法の知識をはかる問題がよく出される。志願者は必死に覚えて試験に臨む。

 「ノートに書き写し、何十回も繰り返し読んだ。最後は全文をそらで言えるほどになった」と小学校の先生が約20年前の日々を振り返る。

 採用時、一人ひとりに、「教育基本法の本旨を体して仕事に当たる」という宣言書を書かせる教育委員会もある。

 教育基本法は、法律の形をとった一種の「教育宣言」として登場した。そのころ、熊本の学校で教師生活のスタートを切った丸木政臣が職員室のできごとを書いている。

 職員会議で校長が教育基本法の講義をした。格調高い前文を声に出して読み進むうちに、その声は嗚咽に変わり、講義が中断した。教え子を戦場に送った自分に民主主義や平和を語る資格があるのか? 鳴咽の理由を校長はそう説明した(岩波ブックレット「あの『青空』をふたたび」)。

 お国のための教育から、子どものための教育へ。戦後、百八十度転換した理念と枠組みを支える上で教育基本法の役割は大きかった。だからこそ「教職教養」として重んじられてきたのだろう。

 制定以来、初めて手を加える教育基本法改正案が国会に出されたが、会期の都合で継続審議になるという。この法律がなぜ生まれたのか。「水入り」になれば、改めて原点を見つめたい。

(以上)

次に日本国憲法を教育する教育現場の原風景というべき姿、教師が子供たちに話しかけている授業の風景を紹介します。(童話社の復刊「あたらしい憲法のはなし」より)

六 戦争の放棄

 みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。(以下略)

日本の原風景「里山」は多くの人は残したいと思っています。里山を残すも失うも人間の価値観と心がけ次第ともいわれています。これと同じように、国民一人一人が、日本にとって何が大切なものであるかと考え思うかですが、その中にあっても人の命と尊厳を否定することはできません。

これからはアジアで数千万人、日本人は310万の命を犠牲にした戦争の惨禍を深く自覚した、その時点の姿を思い起こし、また知らない人はそのことを知ってその主権を行使しなければと思います。

政党の離合集散の以前は、憲法を守るために、公明党を含めて社会党、共産党が国会の議席の最低でも三分の一を占めることが目標にされていた時代がありました。今は違っていますが、自由と民主主義、平和主義の憲法を守るか、失うかは最終的には選挙権の行使できる日本国民の意思にかかっています。そのためには世界と日本の姿を具体的に知ってもらい、かつ憲法の果たしている役割を知ってもらうことが大切だと思っています。

1945年8月15日以前の日本に戻ってはならないのです。