いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

小野京子さんのダルフールでの活動について/山崎孝

2006-06-04 | ご投稿
2004年8月~05年10月にスーダン担当の国連事務総長特使補佐官を務め、咋咋11月から国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)東京事務所代表である小野京子さんは、2006年6月2日の朝日新聞で次のように語っています。

内戦はなぜ起きたかについて、スーダンダルフール地方はフランスと同じ広さで、砂漠のような乾燥地帯だ。アラブ系の遊牧民、農薬で暮らしを立てザガワ族、フル族など黒人民族が、緑地や水資源をめぐって長く争ってきた。

 スーダンの中央政府はアラブ系で、「黒人農民には何もしてくれない」という不満が、黒人の間には高まっていた。

 ザガワ族とフル族が主体になったスーダン解放軍(SLA)は、中央政府の恩人差別をこれ以上見過ごせないとして、2003年2月に武力蜂起した。

「スーダンの様々な人々の自由意思と自決権に基づく、民主的な統一国家を創造する」と訴えた。

 反政府勢力はもう一つある。バシル大統領との確執で政権から追放され、政治犯とされたトラビ元国会議長を支持する黒人イスラム教徒らが結成した「正義と平等運動」(JEM)だ。バシル政権内でアラブ系に富と樺力が偏っていることに反発し、SLAと共闘したようだ。

周辺国や国際社会のかかわりについては、アフリカ連合(AU)は2004年4月にダルフールヘの停戦監視団派遣を決議。現在、文民警察官を含む約7千人が停戦監視と治安雑持に当たっている。しかし、資金難などから十分な活動ができず、今年9月末までに国連平和維持部隊に引き継ぐことを決めた。(後略)

以上がスーダンダルフールの紛争の経過です。その紛争に巻き込まれた住民の状況について、

(前略)本年3月にパキスタンの地震被災地を視察する機会があったが、人々が生活再建に熱心に取り組む姿が印象的だった。ダルフールにはそうした活気がない。住民が心理的に深い傷を象っているからだ。自然災害と人為的な紛争との違いがそこにある。今後の復興で、心のケアや双方の対話を充実させる必要がある。

 日本では、ダルフールヘの関心がまだまだ薄い。平和維持活動(PKO)予算で日本は膨大な分担金を払っており、その相当部分がアフリカで使われている。その意味で、国民の税金の使い道に直接つながるテーマだ。そう認識すると、問題を見る目も変わってくるだろう。(以上)

先に紹介していますが、2006年5月16日、国連総会で、紛争後の復興を支えるために新設する「平和構築委員会」の常設機関である組織委員会のメンバー31カ国の中に、軍事や警察分野での人的貢献の高い国も選ばれてはいますが、小野京子さんのお話で、財政的貢献が高い理由で日本が選ばれたことが理解できます。

これも紹介済みですが、10年間、国連高等弁務官を務めた緒方貞子さんは、「紛争後の『平和構築』でも、日本がやれることは多い。自衛隊が最適なら自衛隊でいいし、治安維持のための警察など非軍事的な分野で貢献できることはたくさんある。憲法の解釈はしゃくし定規ではなく、役立つ枠組みを決める方向で扱ってはどうでしょうか」と述べています。

小野京子さんが、財政的貢献の必要性や紛争後の復興で、心のケアや双方の対話を充実させる必要がある、と述べていること、緒方貞子さんの述べたことを併せて考えれば、日本の紛争地における国際貢献のあり方が、軍隊よる武力行使を伴う活動に結びつく理由、そして、国家の根幹となる憲法を変えてまでも、それを行わなければならない必然性は見当たりません。