いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

国立民族学博物館の観点は文化相対主義/山崎孝

2008-03-31 | ご投稿
朝日新聞には読者がテレビ番組を観て抱いた感想を短文にまとめた文章を掲載する「はがき通信」欄があります。私は3月に投稿した文章を掲載していただきました。以下はその文章です。

朝日新聞2008年3月29日付「はがき通信」欄に掲載文 一部分追加

【文化に優劣はない】 23日の「フィールドへ異文化の知をひらく・国立民族学博物館の30年」(教育)は、探検家の関野吉晴さんや民博の研究者が異文化を見る視点の大切さを伝えた。かつては欧州の民族文化は優れており他の民族文化は劣っているとされた。民博では、それぞれの土地には環境に適した文化が育まれ、文化に優劣はないとする文化相対主義で展示と研究がされている。今日、保守派が日本の伝統と文化の尊重が強調されるが、文化相対主義の視点を保っているのか懸念する。(以上)

国立民族学博物館は、大阪万国博の時に大阪に出来ました。そこで世界の民族文化の展示と研究を行なっています。民族とは同じ言葉や文化を持ち生活をする集団です。民族や人類を研究する学問には、民族学と呼ばれる他に社会人類学とか文化人類学があります。民族の個別性と普遍性(違うところと似ている)を研究し、人間とは何かを探る学問と言われています。

研究する重要な手法としてフィールドワークがあります。長期間ある一つの民族の住む場所に滞在して、言語を習得し、現地の人に受容れられて研究をします。

中根千枝著「社会人類学」は、フィールドワークを次のように説明しています。《社会人類学は異なる社会の比較研究であり、第一義的なフィールドとしては、研究者の生まれ育ったとは異なる社会が対象となる。たとえば日本の研究者の場合は、少なくとも主たるフィールドは日本の外に求められる。この点については後にまたふれるが、社会人類学の研究者が民俗学や社会学の場合と大変異なるところである。このために、調査対象である社会の言語をマスターすることが必須の条件となってくる(通訳を介した調査ではよいデータは得られない)。したがってたとえ、その言語を事前に学習していたとしても、現地で自由に使えるようになるのには相当な期間が必要であることはいうまでもない。さらに人々の生活の全体のリズムを知るためには、少なくとも一年のサイク~を必要とするし、はじめての場合は、その社会についての十分な背景をもっていないので、多くのものをミスするわけで、その意味でも再度そのサイクルを繰り返すことが必要となってくる。事実、研究者がそのコミュニティの人々にとって自然な存在となり、データを得られるほど慣れてくるためには、少なくとも半年は必要である。最初は、被調査者たちも調査者になれないので、調査者の存在自体が普通の日常生活のリズムをこわしたりすることもよくあることで、調査者が彼らに自然に受け入れられるようになるまで、本当の調査ははじめられない。また、調査者がコミュニティの個々人、彼らの関係を頭に十分いれていないと、諸現象や事件の性質、物事の軽重を的確に理解することはむつかしく、たとえ観察した現象を正確に記述しても、それはきわめて皮相的で、データとしての価値が低いものといわざるをえない。滞在が長期にわたればわたるほど、同様なデータのクロス・チェックができるし、他の種類のデータとの関連性もわかってき、データが生きてくるのである。

 したがって、社会人類字の調査というのは、社会学でよく行われるようなクエスショネアによるものとか、民俗学でしばしばとられるような物知りといわれる人(この種の人はどの社会にもいる)の話をきく、といった方法は、主要部分ではない。むしろ、そうしたアプローチを避けるのである。なぜならば、対象社会の生活全体を把握することによって、特定問題について深い考察をすることを目的とするものであるから、単なる直接質問はできるだけ避けて、具体的な事象をさまざまな角度から考察することによって、調査者の最も知りたいと思うことに迫るという方法が理想的なのである。つまり、相手がかまえないで自然に表出するプロセスをとおすということが、よりよいデータを得る方法なのである。》

民族学は、19世紀は未開の文化は文明を持つ文化に進化するという社会進化論が唱えられ、欧州の民族文化は優れており、他の民族文化は劣っているとされました。この立場は植民地主義にとっては都合の良いものでした。この観点の民族学が明治時代に日本に入ってきたと言われます。

戦後になり、社会進化論に意義を唱えた米国のフランツ・ボアズの、それぞれの土地には環境に適した文化が育まれ、自然と共に生きる知恵がある。民族文化に優劣はないとする文化相対主義が日本に入ってきて、現在の民族学博物館はこの立場で展示と研究をしています。

文化相対主義は各民族を対象にした細心で綿密なフィールドワークで生み出されてきた研究成果です。ですから殊更に自国の文化を誇ることもないものです。それに日本の文化は日本独自で創造したものではなく、その骨格部分は中国や朝鮮、西洋の文化の影響を受けて育ってきています。古来から日本人が他国の文化を受容れて自分流に消化してきたことこそ深く認識すべきことだと思います。

大阪地裁が大江健三郎さんを無罪とした理由/山崎孝

2008-03-30 | ご投稿
周知のように、原告側は大江健三郎さんと岩波書店に対して名誉毀損と書籍の「沖縄ノート」の出版差し止めを求めて大阪地裁に提訴していました。

大阪地裁判決は「沖縄ノート」は戦後民主主義を問い直した書籍であるとして、著書の公共性と公益性を認定しました。自決を命令した記述も、学説の状況や文献などから「真実と信じる」理由があったと認定しました。

従って、その記述に公共性、公益性、真実性があれば名誉棄損に当たらないとして、原告が請求していた出版差し止めも棄却しました。

既にブログで紹介したように判決を受けて大江健三郎さんは、「私は今後も、沖縄戦の悲劇を忘れず、戦争ができる国にするという考えに対して、精神、道徳、倫理的にそれを拒むことが戦後の民主主義で生み出された新しい日本人の精神だと信じて訴えていきたい」と述べました。

大江健三郎さんの言葉、戦後の民主主義で生み出された新しい日本人の精神を守るということは、言うまでもなく、憲法を守り生かすことに象徴される取り組みだと思います。「九条の会」に結集している人たちの共通の認識だと思います。

大江健三郎さんの言葉を、社説の結びで触れた東京新聞の3月29日付社説を抜粋して紹介します。

【沖縄ノート訴訟 過去と向き合いたい】(前略)判決を何よりも評価すべきは「集団自決に軍が深くかかわった」とあらためて認定したことだろう。多角的な証拠検討が行われ「軍が自決用の手榴弾を配った」という住民の話の信用性を評価し、軍が駐屯した島で集団自決が起きたことも理由に挙げている。沖縄戦を知るうえでこれらは欠かせない事実であり、適切な歴史認識といえよう。

原告は、遺族年金を受けるために住民らが隊長命令説をねつ造したと主張したが、判決は住民の証言は年金適用以前から存在したとして退けた。住民の集団自決に軍の強制があったことは沖縄では常識となっている。沖縄戦の本質を見つめていくべきだ。

文部科学省は昨春の高校教科書の検定で「軍の強制」表現に削除を求めた際、この訴訟を理由にしていた。検定関係者の罪は大きかったと言わざるを得ない。

大江さんは判決後に「(戦争を拒む)戦後の新しい精神を信じて訴え続けたい」と述べた。その精神をつちかうには、過去と真摯に向き合わなければならない。(以上)

追伸 大阪地裁の判決のとても詳しい報道が、2008年3月29日付の沖縄タイムスに報道されています。沖縄タイムス社のホームページで見られます。

大阪地裁 元隊長の訴えを棄却の判決を受けて大江健三郎さんの言葉/山崎孝

2008-03-29 | ご投稿
3月28日、大阪司法記者クラブで開かれた会見で、大江健三郎さんは次のように語りました。

「沖縄ノートには、二つの島で600人の人が軍に強制されて自殺した歴史的事実を書いている。軍と国の教育を背景に軍の強制があり、悲劇が引き起こされたと考えている。私の書物が主張していることをよく読みとってもらえた」と判決を評価した。

そのうえで、「裁判の背景に大きな政治的な動きがあった」と指摘し、「2003年、日本が戦争することになる法律が整備され、二つの島民のつらい死は美しい『殉国の死』『尊厳死』だったという動きもでてきた。私は今後も、沖縄戦の悲劇を忘れず、戦争ができる国にするという考えに対して、精神、道徳、倫理的にそれを拒むことが戦後の民主主義で生み出された新しい日本人の精神だと信じて訴えていきたい」と語った。(朝日新聞と沖縄タイムスの記事より)

戦後の新しい日本人の精神を具現するお一人が大江健三郎さんだと思っています。

深見敏正裁判長は史実に基づき判決をくだした/山崎孝

2008-03-28 | ご投稿
【集団自決「軍が深く関与」 元守備隊長らの請求棄却】(2008年3月28日中日新聞)

太平洋戦争末期の沖縄戦で軍指揮官が「集団自決」を命じたとする岩波新書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、沖縄・慶良間諸島の当時の守備隊長らが、岩波書店と作家大江健三郎さん(73)に出版差し止めなどを求めた訴訟の判決で、大阪地裁は28日、請求を棄却した。元守備隊長らは控訴の方針。

判決理由で深見敏正裁判長は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘。その上で「元守備隊長らが命令を出したとは断定できないとしても、大江さんらが命令があったと信じるに相当の理由があった」とした。

この訴訟は軍の「強制」の記述削除を求めた教科書検定意見の根拠の一つともされたほか、ノーベル賞作家の大江さん本人が出廷し証言するなど司法判断が注目を集めていたが、判決は史実論争に一歩踏み込んだ形となった。

判決は、軍が関与した理由として(1)兵士が自決用の手りゅう弾を配ったとする住民証言(2)軍が駐屯していなかった島では集団自決がなかった、を挙げた。

その上で「守備隊長の関与は十分推認できる」としたが、命令の伝達経路がはっきりしないことから「本の記述通りの命令まで認定するのはためらいがある」とした。

深見裁判長はさらに、沖縄ノートの記述について「かなり強い表現が使われているが、意見や論評の域は逸脱していない」と指摘。これまでの教科書検定の対応や、学説、文献の信用性などから「記載の事実には根拠があった」と結論づけた。(共同通信配信)

【「新証言 聞いてくれた」/大江さん冷静に評価】(2008年3月28日の沖縄タイムス夕刊)

六十三年前の沖縄戦。慶良間諸島で起きた住民の「集団自決(強制集団死)」への軍関与の史実について二十八日、司法が踏み込んだ判断を示した。被告の大江健三郎さんは、著書を「しっかり読んで下さった」と評価。被告側支援者らは、涙を浮かべて喜び、元戦隊長ら原告は、顔をこわばらせた。被告側を支援してきた県内の関係者らは「判決は当然。ほっとした」「次は教科書の記述復活だ」と、一様に歓迎した。悲劇の舞台の一つ渡嘉敷島は、くしくも六十三回目の「あの日」。遺族らが犠牲者の名を刻んだ白玉之塔に手を合わせた。

「裁判所が私の『沖縄ノート』を正確に読んで下さった」「新しい証人の声をよく聞いてくれた」。判決の言い渡し後、大阪司法記者クラブで開かれた会見。作家の大江健三郎さん(73)は原告側の訴えを一蹴した司法判断について、落ち着いた表情でよどみなく言葉を連ねた。

「個人の名を挙げて、彼を罪人としたり、悪人としたりしていない」と著書の記述が元戦隊長個人を誹謗・中傷したものではないとあらためて強調した。

また、「裁判の背景に大きな政治的な動きがあった」と指摘。二〇〇三年の有事法制の成立、〇五年の「集団自決」訴訟の提起、〇七年の教科書検定で「集団自決」の記述から軍の強制性が削除された問題が、一連の流れの中で起きたと述べた。

一方、昨年九月に宜野湾市で開かれた教科書検定意見の撤回を求める県民大会について、「あの十一万人の集会が本土の人間に、この問題がどのようなものであるか知らしめた」と語った。

軍国主義に迎合した者としなかった者との違い/山崎孝

2008-03-27 | ご投稿
2008年3月27日付朝日新聞「新聞と戦争/戦後の再出発」より

 45年10月、新任あいさつに訪れた首相の幣原喜重郎に、連合国軍最高司令官マッカーサーが次のような見解を示した。

 「日本国民が何世紀もの良きにわたって隷属してきた社会の秩序伝統を矯正する必要があらう」(45年10月13日付朝日)

 敗戦から2カ月足らず。朝日は憲法改正が連合国軍から要求されたことを報じ、社説「欽定憲法の民主化」で早急な改正手続きを求めた。

 だがこの時は、改正の中身についてはあまり言及しなかった。15日付で憲法学者の美濃部達吉のインタビューを掲載し、「正しく運用すればこのままで民主主義政治に何ら差支へないと存じてゐます」との慎重論を載せた。

 「民主化」が紙面を飾る時代、最大の課題である憲法問題を朝日はどう考えたのか。法制局長官を務めた入江俊郎の文書が国会図書館に残っている。その中にある、「朝日新聞社研究室」が記した「憲法改正と天皇の大権」 (45年12月20日)と題する文章に朝日の見方がうかがえる。

 それによると、改正は最小限にすべきだとし、「国体の護持は掛け替えのない我等の生命であって、われわれはたとひ身を水火に投ずるも此の一事は断じて之を死守せねばならぬ……」。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」や統治権総攬など天皇制根幹は維持し、条約の締結など天皇の大権に一定の制限を加える案を示した。

 「検討はしていたが、紙面で読者に提起することはなかった。幅広い議論を起こすことが新聞の使命だったはずだ」。新聞の近現代史に詳しい東京経済大教授の有山輝雄(64)はそう指摘する。

朝日記者だった門田圭三(94)は官邸担当で、憲法問題を取材していた。社内には「共和制」支持者もいた。民主化は当然と思ったが、やはり天皇制はあった方がいいと考えたという。「天皇制を残すかどうか、が社会の秩序を保てるかどうかの分かれ目と思っていた」

 46年3月、天皇を「象徴」とする政府草案が発表された。朝日の社説「画期的な平和憲法」とし、主権在民、戦争放棄を高く評価。天皇の大権・の大幅な縮小も「当然の結果であらう」としている(3月7日付)。「当時は、天皇制が維持されただけで安心できた」と門田は言う。

 5月27日、毎日新聞は草案についての世論調査結果を報じた。天皇制は85%、戦争放棄は70%が賛成しており、おおむね支持を得ていたことがうかがえる。

 門田は当時、職場で憲法を議論することはあまりなかった、と振り返る。その理由についてはこう言う。

 「新聞社自体が戦後の虚脱状態から脱していなかった」(敬称略)(以上)

朝日新聞は満州事変以降から軍部に対する批判をあまりしなくなり、やがて軍国主義に加担していきます。

敗戦後、「朝日新聞社研究室」が記した「憲法改正と天皇の大権」(1945年12月20日)の考え方は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」や統治権総攬など天皇制の根幹は維持し、条約の締結など天皇の大権に一定の制限を加える案を示しています。これは1946年2月8日に政府がGHQに提出した憲法草案が、天皇大権を温存させていたのとさほど変わりません。思想的に天皇制の就縛から解放されていません。

これとは対照的に鈴木安蔵らの憲法研究会は、1945年11月5日発足し、12月6日まで6回の会合を開き憲法要綱を検討して、12月26日には「憲法要綱草案」をGHQと政府に提出しています。

憲法研究会のメンバーたちは、軍国主義の時代にも時流に迎合せず、不羈の精神を貫いた人たちでした。憲法研究会は思想的に天皇制の就縛を脱し、天皇の地位を直接的には政治に関わらせない「象徴天皇」のアイディアを示しました。天皇制の就縛から解放されなかった人たちは、軍国主義の時流に迎合してしまった人たちでした。

理性とヒューマニズムにもとづく連帯/山崎孝

2008-03-25 | ご投稿
「ジャーナリスト」600号 JCJ設立の初心に還り、未来へ!

(2008年3月25日のジャーナリスト会議のホームページより)

【大先輩が語る〝あのころ〟吉野源三郎氏らの活躍で〝連帯〟求めた草創期】橋本 進 氏(元中央公論編集者、前JCJ代表委員)

「ジャーナリスト」が600号を迎えたと聞くと、あらためて55年2月19日東洋経済講堂でのJCJ創立大会の熱気あふれる雰囲気が思い出される。レッド・パージ、日本ジャーナリスト連盟(ジ連)消滅という〝冬の時代〟をくぐり抜けてきた仲間たちの顔は、未来への展望と決意で明るく輝いていた。

JCJ初代議長の吉野源三郎氏は、戦争に有効な批判をなし得なかったジャーナリストの在り方への反省に立って、分散・孤立から連帯・交流への道を熱っぽく説いておられた。戦時下、3度の検挙の後、日中戦争開始の年に反戦の志を秘めながら人間同士のいがみ合いでなく、理性とヒューマニズムにもとづく連帯を訴えた(『君たちはどう生きるか』)氏は、敗戦後、ジ連創立に力をつくした。ジャーナリズムの社会責任と、それを果たすべきジャーナリストの権利確保を考える氏は、岩波労組初代委員長として内容豊かな労働協約締結に成功、印刷出版書記長、産別幹事の責務もひきうけた(確かな労働運動は活発な職能活動を保証する)。戦後の冬の時代には、プレスの会、知識人の会で連帯を保った。

戦時下最大の言論弾圧・横浜事件の被害者となったジャーナリストの多くは、狂気が支配した戦時体制下、理性と良識の連帯を求めた人々だった。日本編集者会(40年)を作った小林英三郎氏(改造)、渡辺潔氏、美作太郎氏(日本評論)らは共産主義運動を行ったとして検挙された。戦後、美作氏はジ連幹事長、渡辺氏、ついで小林氏は事務局長として業績を残し、美作氏はひきつづきJCJで活躍された。 産業の枠を越え、企業の壁を越えての連帯をめざしつつも、その活動基盤を支部に置くのが、初期JCJの方針であった。共同通信支部、朝日支部、とくに前者の活動には目を見張らされた。発足以来、粘り強い活動を重ね、今日機関紙100号を達成した日経支部にはお祝いと称賛の言葉をおくりたい。

レッド・パージのような暴力的形態ではないが、〝商業主義的経営体制〟等の要因で、いま再びジャーナリストの孤立・分散が余儀なくされ、読者・視聴者のアトム化も進行している。マスコミ総体が権力迎合度を強めている今日、志あるジャーナリストの連帯をどう築き上げ、広げていくか、私たちは工夫をこらして課題に応えていかねばならない。(以上)

【真実とヒューマニズムを忘れた日本の大新聞】

(2008年3月22日付「しんぶん赤旗」の論評を抜粋)

アメリカが戦争を始め日本が支持したこと自体は、やむをえなかったとして弁護する論調が依然として残っています。代表的なのは「読売」十七日付社説で、大量破壊兵器がなかったのならそれを挙証すれば戦争を回避できたはずなのに、「それをしなかったフセイン政権の側に、戦争を招いた非がある」、国連安保理が機能していなかったのだから、米英が武力行使に踏み切り日本が支持したのは「やむを得ない選択だった」というのがその言い分です。「大義なき戦争」という判断は、「あまりに短絡的」という「産経」二十一日付主張もほぼ同じ立場です。

 一方的に戦争を始めたアメリカの肩を持って、攻撃された方が悪いというのは、侵略する側の論理です。

 実際には、国連の監視検証査察委員会が大量破壊兵器の査察を継続することで事態を解決する見通しを示し、国連安保理はアメリカなどの武力行使容認の要求を拒否していたのに、一方的に開戦に踏み切ったのはアメリカとその「有志連合」です。悪いのはフセインだ、開戦はやむをえなかったと弁護するのは、歴史の事実に反します。

 なぜ五年もの長きにわたって十数万もの大軍がイラクに駐留し大きな犠牲を生んでも、治安の維持も復興の見通しも立たないのか。それは戦争そのものが大義のない無法な戦争でイラク国民の反発を買っているからです。戦争そのものが間違っていたからこそ、暴力の応酬が繰り返されるのです。

住民が持っている願いに接する署名活動/山崎孝

2008-03-24 | ご投稿
3月23日、憲法を守る賛同署名運動を行ないました。2月の署名活動は雪が降りかけてとても寒い天候になり、署名活動を中止した桜ヶ丘団地に署名活動に入りました。そこでの経験したことを少しお伝えします。

ある家では、先月、署名に来るというチラシが入っていたので待っていたが来なかったと言われました。私たちは来られなかった事情を話しました。その家の方は快く署名をしてくださいました。これまでも署名に来るというチラシを読んで待っていてくださる方たちがいました。

ある家では、門のところにお年寄りが出てこられ私たちの話を聞いて、自ら家の人の署名を貰って来ると話をして家に入って行き家族数人の署名を持ってきて下さいました。

今回の署名活動でも、署名は出来ないが憲法変えることに反対という意思表明をする方がいました。このような方には、私たちの運動の最終目的は国民投票時に改憲反対票の過半数以上の獲得で、その際には改憲反対の票を投じてくださるようにお願いしますと話します。

ある家では、主婦の方が話を聞いてくださいました。主婦の方は賛同署名用紙に署名をしました。その折、最近の政府の福祉などのサービス切り下げに対して怒りを話されました。私は軍事志向の政治は国民の生活を犠牲にしていくと話しました。

ある家では24歳の青年が私に対応しました。憲法9条に対する知識はほとんど持っていませんでしたが、かつて日本は戦争をして310万の戦死者を出したこと、その戦争でたくさんアジアの人たちの命を奪うようなことになったことを反省して日本は戦争を二度としない憲法を持ったことを話しました。そして陸上自衛隊はシラクに行って13回ほどの攻撃を受けたが、憲法の定めで戦闘行動をしなくて良かったので、シェルターに籠り安全をはかり無事に帰って来れたことを話しました。これが憲法9条を変えられてしまうと自衛隊は外国に行って戦闘行動をすることになってしまう。普段は人を殺してはいけないのに戦争という名前がつくと、殺し合いをしても良いことになってしまう。私はおかしいと話しました。青年は私の話を理解して賛同署名に名前を書いてくださいました。

ある家では、青年が話を聞いてくださいました。青年は私たちの話だけではなく、署名用紙の憲法9条の規定やそれを解説した文章をよく読んで考えました。それで納得したのか署名に応じてくださいました。青年は自分で直ぐには同意できないと思ったことでも、相手の話をよく聞いて、詳しく書いた相手の主張の文章を読んで判断をしました。民主主義の基本的な態度を身につけていると思いました。

私は署名活動に入り、住民が持っている平和への願いや政治への願いに接して、あらためて「九条の会」の大切な役割を認識しました。平和への願いを、憲法9条を守り生かすことに結集していくという役割です。憲法を守るということは、平和と生活を守ることだと思いました。

「戦争ではなく、中台の平和を望んでいる」候補者総統選に勝利/山崎孝

2008-03-23 | ご投稿
【台湾総統に馬英九氏 8年ぶり国民党政権】(2008年3月22日付中日新聞)

【台北22日共同】台湾総統選が22日投開票され、対中融和路線の最大野党、国民党の馬英九・前党主席(57)が、過去最高となる58・45%の得票率で対中独立志向の与党、民主進歩党(民進党)の謝長廷・党主席代行(61)を破り、初当選した。馬氏は5月20日に新総統に就任する。任期は4年。2000年に初めて国民党から民進党に渡った政権は8年ぶりに再び国民党の手に戻る。

馬氏は積極的な対中関係改善を公約に掲げており、民進党政権下で冷え込んだ中台関係は雪解けに向かう公算が大きい。

馬氏は当選を受け、台湾住民が「戦争ではなく、中台の平和を望んでいる」ことを示したと述べ、勝利宣言。政権交代により「民主主義がさらに1歩進んだ」と語った。

中央選挙委員会の最終発表によると、馬氏の得票数は765万8724票、謝氏は544万5239票(得票率41・55%)。投票率は76・33%で前回(80・28%)を下回った。(以上)

安倍前首相の立ち上げた有識者懇談会の具体的な研究事例に、公海上で自衛艦と並走中の米艦船が攻撃された際の日本の反撃がありました。この事例は中台軍事紛争への対応の想定も含まれています。自衛隊員がネット上に漏洩させてしまった情報も中台の軍事紛争に日米が介入することを想定した軍事演習でありました。

かように極東アジアの平和と安定は中国と台湾の関係如何が大きな鍵を握っています。その意味で中国との対話路線、経済交流の促進を掲げた国民党の候補者 馬英九氏が台湾の総統選挙で当選したことは日本にとっても歓迎すべきことだと思います。

総統選の後半にチベット暴動が民進党の候補者に追い風になり国民党の候補者に猛追しているとの報道がありましたが、台湾の人たちはチベット暴動を冷静に受け止め、中国との経済的な交流促進による生活の向上という現実的な路線を選択したと思います。

軍事志向者の特性/山崎孝

2008-03-22 | ご投稿
【死者推計10万人超 イラク戦争開戦5年】(2008年3月20日付中日新聞)

【ワシントン=立尾良二】イラク戦争は20日、開戦から5年を迎える。ブッシュ米大統領は19日午前(日本時間同日夜)、国防総省で演説し「イラクで戦う意味があるか、勝てるかと議論するのは分かるが、答えは明白だ。サダム・フセイン(元イラク大統領)の放逐は正しい決定だった。米国はこの戦いに勝てるし、勝たねばならない」と強調した。 

イラク戦争の米兵死者数は3990人、戦費は4400億ドル(約44兆円)を超えた。ブッシュ大統領は「敵に勝つには必要な代償だ」とした上で、「イラクが混乱すれば、国際テロ組織アルカイダが勢いづき、暴力やテロがイラクから拡散し、世界経済に重大な被害をもたらす」と指摘し、駐留米軍の維持を正当化した。

また、アルカイダがイラクの石油資源を奪えば「米国やほかの自由主義国を攻撃するため、大量破壊兵器の入手を図るだろう。イランも同様に再び核兵器を開発するだろう」と危機感をあおり、イラク戦争への支持をあらためて求めた。

AP通信によると、米兵以外の兵士の死者数は英国175人、イタリア33人、ウクライナ18人など。イラク側の死者数は兵士が最大で6375人、市民が同じく8万9710人と推計されている。(以上)

★イラク戦争の米兵死者数は3990人、戦費は4400億ドル超(約44兆円超)を、ブッシュ大統領は「敵に勝つには必要な代償だ」と考えています。この必要な代償の中には、世界保健機関(WHO)は3月9日が発表した推計で15万1000人のイラク人の死亡者は、ブッシュ大統領の念頭にはありません。

自らが掲げた「大義」を達成するためには、他国民や自国民の犠牲を厭わないとするのが、軍事で物事を解決しようとする人たちの特性です。

日本の軍事志向者の中には、戦死者を「神」として扱い戦死者を美化する神話を作る。アジアに対する加害行為の従軍慰安婦問題には日本軍の関与はなかった、南京事件は虐殺ではなかった、朝鮮人などの強制労働問題に日本政府の責任はない。沖縄戦での住民の「集団自決死」には日本軍の責任はないとする考えを広めようとしています。そして大東亜戦争は日本の自存自衛の行為であったと正当化しています。

これらを主張する精神構造は、ブッシュ大統領の「敵に勝つには必要な代償だ」、他国の主権を蹂躙した「駐留米軍の維持を正当化」する精神構造とさほど変わりません。共通するのは事実を正視しない、人間の尊厳を第一として考えない特性です。

イラクの治安状況は安定していると言われるけれど/山崎孝

2008-03-20 | ご投稿
【イラク侵略戦争5年/人権は「壊滅的」/市民殺害・拷問・貧困/アムネスティ報告】(2008年3月20日付「しんぶん赤旗」)

 【ワシントン=鎌塚由美】国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは十七日、米軍主導のイラク侵攻から五年たってもイラクは「大虐殺と絶望」に置かれているとする報告をまとめました。イラクの人権状況は「壊滅的」だと述べ、同国は現在「世界でもっとも危険な国の一つ」だとしています。

 報告は、「イラクでは宗派間暴力がイラク市民の命を奪っているだけではない」とし、米主導の連合軍およびイラク治安部隊による「過剰な武力行使、故意の殺人や無差別攻撃によっても(市民が)殺害されている」と述べています。「民間軍事会社」の市民殺害にも言及しています。

 米軍が「ここ数カ月のイラクの治安状況は安定している」と宣伝しているにもかかわらず、治安状況は改善されていないと強調。「法と秩序の確立は依然として程遠い」状況だと指摘しています。

 同報告によると、米軍などに拘束されているイラク人は「十歳から八十歳までの約六万人」に上ります。これらの人々の「ほとんどは起訴や裁判なしで拘束」され、イラク治安部隊による「拷問や虐待」「最近では治安部隊メンバーによるレイプ疑惑も起きて」います。

 報告はイラク市民の現状について、「三人に二人が安全な飲み水を利用できず、十人に四人が一日一ドル以下で生活している。就労人口の半分は失業中で、八百万人の人々が生存のための緊急支援を必要としている」と指摘しました。

 さらに、急進的なイスラム教徒グループの台頭によって、戦争前とは違い「女性たちの多くは、暴行や仕返しの脅しからイスラム衣装の着用を余儀なくされていると感じている」と紹介。女性や少女たちは「武装グループや治安部隊によるレイプの危険にさらされている」と指摘しました。  「経済回復」についても、開戦後に約束された「早急な経済復興には依然として程遠い」状態。「民間軍事会社を含む、治安維持」に国際的な支援金が投入される一方、貧困にさらされているイラクの人々には「ほとんど回されていない」としています。(以上)