いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

「九条の会」の認知度を高めよう/山崎孝

2007-09-30 | ご投稿
9月30日の朝日新聞は、1面トップで29日の沖縄県民大会を報道しています。以下は抜粋です。

沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、検定意見の撤回を求める超党派の沖縄県民大会が29日、宜野湾市の海浜公園で開かれた。参加者は主催者発表でu万人。米兵による少女暴行事件を横に8万5千人が基地の整理・縮小などを訴えた95年10月の大会を大きく上回る「島ぐるみ」の集会となった。参加者は検定意見の撤回と記述の回復を求める決議を採択した。

大会は県議会各派や県PTA連合会など22団体で作る実行委員会が主催。壇上には、独自に大会を開いた先島諸島の自治体を除く全36市町村の首長や議長らが並んだ。(以下略)

また、朝日新聞は独自に大会を開いた先島諸島に関して、宮古島と石垣島でも群民大会が開催され、主催者発表では計6千人が集まったと報道。

2面では、民主党の菅直人代表は記者団に「(政府が撤回に)応じないのであれば、国会の意思を問う。与党の中でも良識的な皆さんの協力を得たい」と語ったことを伝えています。

社説でも「検定意見の撤回を急げ」と題して、《伊吹前文科相は「大臣が検定に介入できるという道を私の代で開きたくない」と述べた。専門家の審議会を通ったものなので、口出しできないとの理屈だ。

しかし、これは審議会を盾に逃げているとしか思えない。「日本軍」を削除するよう最初に意見書をまとめたのは、文科省の教科書調査官だ。その意見書がそのまま審議会を通った。それをもとに文科省が検定意見を決めたのだ。

沖縄戦をめぐっては検定が変わったことがある。82年の検定で、日本軍による「住民殺害」の記述が削られたが、当時の文相が「県民の心の痛手に対し、十分な配慮がなされなければならない」と答弁し、記述は復活した。

問題の教科書は来年度から使用される。ことは急を要する。渡海文科柏はただちに検定意見を撤回すべきだ》と述べています。

7月10日付沖縄タイムスは、この教科用図書検定調査審議会の審査について、《高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の記述から日本軍の関与が削除された教科書検定問題で、政府は7月10日、閣議決定した答弁書で教科用図書検定調査審議会に提出する調査意見書を取りまとめた文部科学省の教科書調査官が、住民の証言を聴取していなかったことを明らかにした。検定決定後の表現については「日本軍の関与がなかったと誤解される恐れがある記述はない」とし、記述内容を正当化した。赤嶺政賢氏(共産)の質問主意書に答えた。「集団自決」が慶良間諸島だけでなく県内各地で発生したことの見解は「審議会では渡嘉敷島、座間味島に限らず、沖縄における『集団自決』全般に関して審議がなされた」と述べた。しかし、6月13日に文科省に聞き取りをした自民党県連の伊波常洋政調会長によると、布村幸彦審議官は「審議会では両島の事例のみを議論し、本島での『集団自決』は対象にしなかった」と述べたとされ、見解に食い違いが生じている》と報道しています。

9月14日の「しんぶん赤旗」は、「靖国」派の「新しい歴史教科書改訂版」の監修者と同じグループで活動していた経歴をもつ文科省の教科書調査官を、政府が教科書検定にかかわらせたと報道しています。

これらの報道は、審議する前に検定意見の結論が決まっていたことを示しています。

昨日「いせ九条の会」は地域に入り、憲法を守る賛同署名を行ないました。各戸を訪ね対話が出来れば署名に応じる人は多数です。ある住民から、この運動は共産党が行なっていると話されました。このような言葉は今までも署名運動をしていて出されていました。この方は憲法守る立場の人でしたが、特定の組織ための署名は出来ないと述べました。私たちの運動の目的は、国民投票で有権者が憲法改定に反対票を投じることを働きかける運動ですから、賛同署名を取れなくても残念がることはありません。

これから言えることは、「九条の会」の運動がマスメディアの報道が少ないこともあり「九条の会」の運動が広範な人たちに超党派の運動であることを良く知られていない現状を表しています。「九条の会」の運動の性格が、大変な盛り上がりを見せる沖縄の教科書検定意見撤廃の運動と同じ性格であることを宣伝しなければと思います。

沖縄の人たちの怒りを結集した県民大会は、沖縄戦という筆舌に尽くし難い歴史を背景にしています。これと同様に憲法9条は、日本人とアジアの人たちに大きな犠牲を強いた戦争の歴史の教訓を背景にしています。同じ運動のマグマを秘めていると思います。

山崎拓前副総裁 文科相に省令に基づき検定見直し申請を勧告/山崎孝

2007-09-29 | ご投稿
現在、ミャンマーの軍事政権は、軍事政権が行なっている非道を世界に伝えようとした日本人記者 長井健司さんの命を奪い、外国人記者を追放する、外国人記者の仕事を手伝うミャンマー人の現地通信員を連行したりしています。日本では沖縄戦における日本軍の非道の隠蔽(免罪)を図ろうとする文部科学省の教科書検定に抗議して沖縄県民は怒りの大集会を本日開きます。権力を握る側の「民衆に知らしめない、民衆を寄らしめない」とする行為は昔から変わりません。日本のマスメディアは「九条の会」など民主的陣営の動きは余り報道しません。ビラの配布など言論の自由は侵食され始めていますが、一応は民主主義を守られています。これを大切にしなければと思います。

【文科相に見直し要請の意向 「集団自決」検定で山崎氏】(2007年9月28日付中日新聞)

自民党の山崎拓前副総裁は28日、沖縄戦で日本軍が「集団自決」を強制したとの記述が削除された教科書検定問題で、自派閥出身の渡海紀三朗文科相に対し、省令に基づき検定見直し申請を勧告するよう要請する意向を明らかにした。沖縄県宜野湾市で開かれた地元選出国会議員のパーティーで述べた。

山崎氏は「沖縄県民が第2次世界大戦で最も大きな犠牲を払った。その犠牲の上に今日の日本の再建と発展があったということを十分考慮した措置が必要だ」と指摘。

教科書検定に過誤があったと認められた場合に文科相が検定を見直す申請を勧告できるという省令に触れ、「勧告に関して沖縄選出の国会議員とよく協議した上で、渡海文科相とも十分話し合っていきたい」と述べた。

宜野湾市では29日午後、検定意見の撤回を求める超党派の大規模な沖縄県民大会が予定されている。(共同)(以上)

日本は国定教科書ではないから、政府は検定に指図できないとする意見がありますが、文部科学省の大臣は、省令に基づき検定見直し申請を勧告するよう要請できることを私は知りました。従って総理大臣は文部科学省の大臣に要請するように働きかけは出来るのです。

2007年9月14日の「しんぶん赤旗」の主張には、「靖国」派の「新しい歴史教科書改訂版」の監修者と同じグループで活動していた経歴をもつ文科省の教科書調査官を、政府が教科書検定にかかわらせたとの指摘もあります。

明らかなのは東京都国立市議会の決議文にあるように、日本軍の関与が無ければ起こり得ず(註※)、多数の証人証言があるからこそ教科書にも記述され続けられてきた状況が、従軍慰安婦問題でも露出した旧日本軍を免罪にしょうとするグループが台頭したこと。戦死者を賛美し、過去の戦争を肯定する靖国派と呼ばれる閣僚たちが大きな比重を占めた安倍政権が生まれた。自民党の幹事長として、大東亜戦争は自存自衛の戦争とした教科書の採択を教育委員会に働きかけるよう自民党県連に檄を飛ばしたことのある安倍晋三氏が首相になってからの時期に教科書の検定意見がついたという事実です。

(註※)沖縄タイムスの記事で、沖縄戦研究者の林博史関東学院大教授は、日本軍が駐留しなかった前島や浜比嘉島などでは「集団自決」が起きていなかった事例を指摘し、「『集団自決』には日本軍が決定的な役割を果たし、渡嘉敷、座間味、慶留間の三島は軍の論理が最も典型的に表れた例だ」と述べています。

教科書検定意見の撤回 本土からも声を上げた/山崎孝

2007-09-28 | ご投稿
9月29日は、沖縄戦における住民の集団自決死に軍の強制は無かったと高校教科書の記述が書きかえられたことに抗議し、検定意見の撤回を求める沖縄の県民大集会が開かれます。これに先立ちこの集会に参加する仲井真弘多沖縄県知事は「県民の総意」と議会で述べています。

私は6月7日の朝日新聞「声」欄で、「沖縄の市町村議会の取り組みに本土の自治体議会も呼応して欲しい思う」と訴えました。嬉しいことに9月27日の朝日新聞には「本土から声を上げる」、「『意見撤回を』議決次々」と見出しをつけた記事が掲載されています。その記事を紹介します。

「集団自決」に、軍の指示や強制があったとする記述が高校教科書の検定で削除された問題で、検定意見の撤回を求める意見書が沖縄以外の各議会で相次いで採択されている。東海地方でも、名古屋市の市民団体が渡海文部科学相あてに検定意見の撤回を求める要請書を送るなど、検定への反発が高まっている。

 「日本軍の関与が無ければ起こり得ず、多数の証人証言があるからこそ教科書にも記述され続けてきた」――東京都国立市議会は21日の本会議で、こんな意見書を賛成多数で可決した。

 市民からの陳情を受けて提出者となった小川宏美市議(国立・生活者ネットワーク)は、大学の卒論のテーマが沖縄の戦後史。「過去の事実をきちんと伝えていきたい」という思いだった。

 沖縄県議会は同じ趣旨の意見書を2度可決した。その1回目と同じ6月22日、米軍キャンプ座間を抱える神奈川県座間市議会でも、従来の教科書記述の復活を求める意見書が可決された。

キャンプ座間は世界規模の米軍の変革・再編の中で機能強化が計画されている。提出者の沖永明久市議(市民の党)は「基地問題でも沖縄と本土の温度差は大きい。むしろ『ヤマト』から声を上げなくては」と話す。

 首都圏では千葉県船橋市議会の文教委員会でも可決されたが、27日の本会議での結論は微妙だという。

 高知県内では、2市1町の議会で可決。高知市議会も27日の本会議で可決の見通しだ。

 このうち、全会一致だった香南市は、旧野市町だった93年から、沖縄具志頭村(現・八重瀬町)と柿妹都市だ。提出者である保守系会派の野村正夫市議は「何度も沖縄を訪れ、多くの人に話を聞いたが矛盾は無く、今回の文部科学省の対応はおかしい」と話す。

 宮崎県の美郷町議会は28日の本会議で全会一致で可決する見込みだ。

 美郷町には戦時中、沖縄県豊見城村(現・豊見城市)から児童53人が疎開した。88年に姉妹村提携を結び、以来、子どもたちが毎年相互訪問している。今回の決議は、豊見城市側の要請を受け、甲斐保男町議(無所属)が「沖縄の力になれれば」と提案したという。

こうした動きに、沖縄県民大会の実行委員長を務める仲里利信・県議会議長(自民党)は「大変ありがたい。本土では、この問題の関心はまだ低い。うねりがもっと広がり、国を動かす力になることを願いたい」と話す。

検定意見の撤回を求める意見書を採択した議会(★は委員会通過)

東京都 国立市9/21 東久留米市9/21、千葉県 ★船橋市(9/27に本会議)、神奈川県 座間市6/22、高知県 香南市9/18 土佐清水市9/21 いの町9/21 ★高知市(9/27に本会議)、宮崎県 ★美郷町(9/28に本会議)(以下略)

福田首相は安倍政権で失った国民の信頼を取り返す決意を表明しています。沖縄県の県議会、地方議会の意見書は首相宛てに届いています。福田首相は「沖縄の総意」と本土の地方議会の意見書に耳に傾けることは国民の信頼を回復させることにつながります。

改憲して自衛隊を憲法に明記したい気持ちの人たちへ/山崎孝

2007-09-27 | ご投稿
【ミャンマー:治安部隊がデモ隊を武力鎮圧 死傷者の情報も】(2007年9月26日付毎日新聞)

【バンコク藤田悟】軍事政権に反発する僧侶や市民のデモが続くミャンマー最大の都市ヤンゴンで、軍の治安部隊は26日午後、デモを再開しようとした僧侶や学生たちに催涙ガスの発射や威嚇発砲を行い、武力鎮圧に乗り出した。AP通信が在外の亡命ミャンマー人活動家らの情報として伝えたところによると、ヤンゴンで5人が撃たれて死亡。AFP通信は100人が負傷したと報じた。軍事政権は同日夜、国営放送を通じて「1人が死亡、3人が負傷」と死者が出たことを認め、デモ参加者を非難した。

燃料費高騰への抗議に端を発したデモは、1000人以上の死者を出した88年の民主化要求デモ弾圧以来の流血事態に発展し、ミャンマー政情は一気に不安定化した。27日はアウンサンスーチー書記長率いる最大野党「国民民主連盟」(NLD)の創設記念日に当たるため、反軍政機運が盛り上がって衝突が激化する可能性が高まっている。

現地からの情報によると、軍事政権側は、10万人規模のデモが発生した25日夜以来、デモの集結地となっているヤンゴン中心部の大仏塔シュエダゴンパゴダとスーレーパゴダ(仏塔)にバリケードを築いて封鎖。市内6カ所の僧院には、ライフル銃や盾で武装した治安部隊を配置した。

しかし26日正午(日本時間午後2時半)過ぎから、僧侶や学生ら約1000人が集会禁止令を無視してシュエダゴンパゴダ付近に集まり、デモを始めようとした。このデモ隊に治安部隊が警棒で殴りかかり、催涙ガス弾を発射。少なくとも約200人の僧侶らが拘束された。

拘束を免れた僧侶たちはデモ行進を開始。学生や市民も加わりデモは約1万人規模に膨らんだ。治安部隊は再び催涙ガス弾を発射。空中に向け威嚇発砲も行った。デモ隊と治安部隊がもみ合い、騒乱状態に陥った。僧侶らはなおもデモ行進を続け、治安部隊は威嚇発砲と催涙ガス弾の発射を繰り返した。スーレーパゴダ付近でもデモ隊と治安部隊が衝突した。現場では、頭などから血を流す多くの僧侶や市民が目撃された。

デモは同日夜までに解散したが、治安部隊はヤンゴン市内の要所で厳戒態勢を続けている。軍事政権の強硬措置で死傷者が出たことに僧侶や市民は強く反発している。

NLDは軍事政権の強硬措置に対し、「歴史上最も重大で取り返しのつかない非道行為だ」と強く非難する声明を発表した。(以上)

ミャンマーの軍事政権は国営放送を通じて「1人が死亡、3人が負傷」と死者が出たことを認め、デモ参加者を非難しました。これは全くのあべこべの主張です。「公の秩序を維持」なるものを名目にすると、逆さまなことが主張できるのです。ミャンマーの市民の自由ではなく、軍事政権の自由を守るためです。

軍隊は最高権力者に握られています。従って権力者の都合のよいように用いられています。軍隊は国民を守る組織でなく国家を守るものだと自衛隊の元幹部はNHKの討論番組で述べていました。

自民党新憲法草案は、現行憲法が「第二章 戦争の放棄」となっているのを「第二章 安全保障」という考え方に変える。自衛隊を自衛軍という軍隊に変える。その自衛軍は「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命もしくは自由を守るための活動を行なうことができる」と規定しています。そして自衛軍の活動を妨害する者は、軍事裁判所に訴追できるようになっています。

60年安保闘争のとき、自衛隊を出動することが考えられましたが、国民の反発を恐れて取りやめたとも言われています。最近では自衛隊が市民団体の活動を監視していることが暴露されています。

自衛隊は災害救助などソフトな活動で国民の認知を獲得してきましたが、このような活動ばかりではないのです。

このことを、自衛隊を憲法に明記したい気持ちで改憲に賛成する人たちはよくよく考えてほしいと思います。それに自衛隊を憲法上明記するのが自民党の改憲目的ではありません。最大の狙いは日米同盟で集団的自衛権行使を可能にするためです。

福田首相の外交路線について/山崎孝

2007-09-26 | ご投稿
9月26日付朝日新聞は、新しく内閣総理大臣になった福田康夫氏の外交を次のように観測しています。

(前略)安倍前首相は「自由と民主主義という共通の価値」を持つとして、インド、豪州などとの連携を強化。麻生元外相も「自由と繁栄の弧」を掲げ、中国への牽制とも受け止められていた。

これに対し、福田氏は「どの国ともできるだけ滑らかな平和な関係を築くこと」を外交の基本に据える。「相手が嫌がることをする必要はない」として、靖国神社参拝はしないと明言。日中韓の連携強化を訴える。

また、父の福田匙天元首相が提唱した東南アジア外交の基本方針「福田ドクトリン」を発展させることにも意欲的だ。理念が先行しがちだった安倍外交に比べ、福田外交は国際協調、現実主義が、より前面に出たものになりそうだ。(以上)

朝日新聞の観測記事は福田首相の外交は《日中韓の連携強化を訴える》となっています。日中韓の連携強化を図るためには、かつて日本の侵略や植民地支配を受けた中国と韓国が警戒する改憲の方向。日本の周辺事態を想定し、中国と北朝鮮を仮想敵国にする改憲路線を変えなければ、外交の論理的な整合性を保てず、真の日中韓の連携強化はできないと思います。自民党や政権内にある改憲指向を、福田首相は押さえることが出来るのでしょうか。

私たちはそのためにも憲法9条を守る世論を高めていかなければならないと思います。

空母のための資金で、どれだけ学校が建設できるだろうか/山崎孝

2007-09-25 | ご投稿
【イラク戦争関与の英政府・軍要人/米の「対テロ戦争」批判/「空母より学校を」「あまりに軍事優先」】(2007年9月18日付「しんぶん赤旗」)

【ロンドン=岡崎衆史】ブッシュ米政権の「対テロ戦争」に代表される軍事偏重のテロ対策やイラク政策について、イラク戦争・占領に深くかかわった英国の政府・軍要人が批判の声を挙げています。

デービッド・マニング駐米英国大使は十四日付タイムズ紙のインタビューで、現在の外交の優先事項を重視しながらも、「そこを乗り越えて進まなければならない」と述べ、軍事のみに依存しない「新しい外交」を提唱。とくに、「空母のための資金で、どれだけ学校が建設できるだろうか」「イスラム過激派を懸念するのならば、マドラサ(イスラム神学校)の影響拡大を防ぐための学校をつくる人物を支援する道を見つけられないのか」と述べ、テロや過激派対策で、教育など軍事以外の分野を重視するよう訴えました。

マニング氏はまた、英国の外交が米国の「こだま」とみられないようにすべきだと述べ、ブレア前政権時代の英国の著しい対米追随外交に苦言を呈しました。

来月退職予定のマニング氏は、イラク戦争開始の二〇〇三年三月を挟む〇一年から〇三年九月までブレア英首相(当時)の外交政策顧問を務め、駐米英国大使に転身。ブレア政権下の英国の対米外交を支えてきました。

マイク・ジャクソン元英陸軍参謀長(退役大将)は十日発売の自著『兵士(ソルジャー)』で、「対テロ戦争」に関連し、「米国の対応は不十分である。あまりにも、軍事的手段にだけ焦点を当てている。国家建設や外交は、政治経済上の前進を示す上で極めて重要だ」と指摘しました。同氏は、イラク戦争直前の〇三年二月から〇六年八月まで英陸軍軍人のトップである参謀長を務めました。

米国防総省が設置したイラク占領機関・復興人道支援室(ORHA)で副責任者を務めたティム・クロス氏(英陸軍退役少将)は、二日付サンデー・ミラー紙のインタビューで米国のイラク復興政策について言及。「米国の戦後計画が重大な欠陥をもっていたのは、今では明らかだ。私たちの多くは当時(イラク戦争開始直後)すでにそう感じていた」と述べ、多くの関係者の懸念を無視して進められた米国の無計画なイラク政策を批判しました。(以上)

デービッド・マニング駐米英国大使、マイク・ジャクソン元英陸軍参謀長、ティム・クロス氏(英陸軍退役少将)など、英国の政府・軍要人らの声は、テロとの戦いで発想の転換できず、米国流テロとの戦いを支援する現在の自民党にも当てはまる言葉だと思います。英国の3人の声は自らが関わり実践した政策・行動結果の反省に立っての言葉です。

現在の地球環境は、客観的に見れば各国・民族・宗派などが個別の利益を優先し相争っている余裕などはないと言える状況です。優先的に人類共通の課題として地球温暖化への対策を強化しなければなりません。(註※)効果のほどが分からないテロリストの海上阻止を支援するために、地球温暖化に悪影響を与える化石燃料を提供する海上自衛隊の活動などは止めるべきです。

この地球温暖化の影響で住む所の乾燥化が今までより進んだため、稗、野菜、果物などが収穫出来なくなり村人の一部が村を去らねばならなくなったことを伝えたテレビ番組を見ました。「探検ロマン世界遺産」(NHK)です。番組は、西アフリカ・マリの「ドゴンの集落」を描いていました。私は番組を見た感想を読者投稿欄に投稿し採用されました。(230字以内という編集の都合で割愛された所がありますので投稿した原文をブログには載せます)

2007年9月24日付朝日新聞「はがき通信」欄掲載原文

NHKの探検ロマン世界遺産「断崖に生きるドゴンの民」は、崖の真下の斜面に家を建て、大きな共同井戸を掘り、人力で水を運び、穀物などを栽培し、自給自足に近い生活を営んでいた。村の集会所は天井を低くして議論に興奮して立ち上がると頭をぶつける構造だ。村の掟は誰とでも挨拶をする、争いを起こさない、先祖を敬うなど、物は乏しくても調和を心がけて生きる姿があった。近年、地球温暖化の影響で乾燥化が進み村を離れる人が増えた。物を大量に消費する人たちの暮らしがドゴンの生活を苦しめていた。(以上)

ドゴンの民は、電気・ガス・水道など近代的な生活インフラを備えていませんでした。それでもアルコール分のとても少ないビールを、みんなで一緒に和気藹々として飲み、和やかに暮らしていました。子どもたちにはしっかりと村の掟と伝統の祭りごとを教え、協調して生きることの大切さを教えていました。私は番組を見て、何が人間を幸せにするかを考えさせられました。

現行の憲法前文は「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」と、人類の共生と共助の精神、9条の国際問題の解決に武力を用いないとする精神、その精神に基づいた万が一のための保険のような最低限度の防衛力から持たない、軍備を無分別な覇権主義のために拡張しない考え方を生かさなければならないと思います。

憲法の精神は、ドゴンの「村の集会所は天井を低くして議論に興奮して立ち上がると頭をぶつける構造」の考え方、「空母のための資金で、どれだけ学校が建設できるだろうか」という発想の転換に通じると思います。

(※)9月25日付朝日新聞に掲載されていたバン・ギムン国連事務総長の言葉

新しい証拠が毎日出てくる。気候変動は人類一人ひとりにとっての現実となってきた。先日、米国の学者が、北極の氷が予想より早く解けていると報告した。北極海で夏季氷原の40%が2050年までに解けてしまうという。これまで、こんな事態はあと一世紀は起こらないと思われていた。

だから、気候変動が世界の政治課題の一番手に上がったのは驚くにあたらない。私は世界のリーダーを9月24日の国連の気候変動ハイレベル会合に招いた。(以下略)

月桃の花が一家全滅のガマに咲く/山崎孝

2007-09-24 | ご投稿
【自身の映像に「証言したい」/那覇で上映・講演会】(2007年9月23日付沖縄タイムス)

二十九日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に向け、「ドキュメント沖縄戦」(主催・沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会)の上映会と講演会が二十二日、那覇市の久茂地公民館であった。県民大会を前に「集団自決(強制集団死)」に関する問い合わせが相次ぎ、無料の上映会を企画。六十七人が犠牲になった座間味村産業組合壕での「集団自決」後の映像が流れ、会場は重苦しい雰囲気に包まれ、すすり泣きが漏れた。一フィート運動の会の福地曠昭代表は「上映会で自身の映像を見て、証言したいと手を上げる新たな関係者も出てきている。こうした広がりを大会成功へつなげたい」と力を込めた。

映像を見た座間味村慶留間島での「集団自決」体験者の與儀九英さん(78)=沖縄市=は「慶留間での悲惨な光景は頭に焼き付いている。映像を見て、むごたらしい惨劇が頭に浮かび複雑な気持ちになった」と声を落とした。「『集団自決』で未遂し、人相も変わるほど顔を腫らした人たちと一カ月ほど一緒に暮らしたこともある。何十年たっても忘れることはできない」と語った。

上映会後、沖縄戦研究者の大城将保さんが「沖縄戦の真実とわい曲」と題し講演。沖縄戦の「集団自決」の記述から日本軍の強制が削除された文部科学省の教科書検定について、「靖国や従軍慰安婦などの問題で、旧日本軍の名誉回復を図ろうとする勢力が沖縄に乗り込んできた」と警鐘を鳴らした。

その上で「彼らは沖縄戦を美化し、軍に責任はないと言いたいだけだ。自衛隊を強化するために、都合の悪い沖縄戦の真実にふたをしようとしている」と訴えた。

検定問題の背景に、検定そのものの在り方と大阪地裁で起こされた「集団自決」訴訟の二つがつながっていると指摘。同訴訟で、座間味島駐屯の日本軍の戦隊長だった梅澤裕氏が軍命をめぐる著作での記述で名誉を傷つけられたと主張していることについて、「集団自決」で亡くなった当時の座間味村助役兼兵事主任の妹二人が、軍命があったことを初めて公の場で証言したことを挙げ、梅澤氏側の矛盾を突いた。

大城さんは「人が人でなくなるほど極限まで追い詰められた沖縄戦の体験は底が深く、人前で語るには大変な勇気と心の整理が必要。体験者が黙っているのをいいことに軍命はなかったと言う人たちがいるが、体験者のこうした感情の理解なくしては沖縄戦の真実は分からない」と訴えた。(以上)

私はこの熱のこもった沖縄タイムスの記事を読んで、米軍が撮影した沖縄戦に関わる記録映像を日本全国の市民たちが購入した「1フィート運動」、このフィルムを編集して制作された「ドキュメント沖縄戦」を見たこと、そしてこの「ドキュメント沖縄戦」のフィルムと劇を組み合わせ、1996年に公開された劇映画「GAMA 月桃の花」を見たことを思い出しました。この劇映画は安里要江という女性の沖縄戦の体験をもとにしてストリーは作られています。

「GAMA 月桃の花」の主題歌を作詞・作曲した海勢頭豊さんは、沖縄戦の頃に咲く月桃の花が一家全滅の廃墟に咲いているのを見て歌を作ったと述べています。廃墟とは”鉄の暴風”と比喩した米軍攻撃を避けたガマと呼ばれる洞窟のことです。

沖縄戦当時の安里要江さんの家族4人の名前も「平和の礎」に刻まれています。「平和の礎」は、国家・国籍を問わず沖縄戦で亡くなられた人たちを碑に刻銘し慰霊しています。戦争は関わったすべての国に深い傷跡を残します。これが近代の戦争観だと思います。そしてこの慰霊のあり方は、靖国神社の戦争を肯定し戦死者を賛美する慰霊の作法・思想と鮮やかな対極を見せています。

「GAMA 月桃の花」の監督 大澤豊さんは、1996年8月に発行した映画のパンフレットで次のように述べています。

「玉砕」を至上命令として、「自決」を強制する軍隊・国家の倫理を拒否して地獄の戦場から生還した沖縄民衆の「こころ」としての「命どう宝」……この命の尊さを何よりも大切に考え、かけがえのないないものとして捉える「こころ」があったからこそ、あの狭隘な喜屋武半島から85000人の人々が奇跡の生還を果たすことができたのだと思います。

沖縄タイムスの9月22日付には、《9月29日に開かれる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の意義を学ぼうと、南風原高校は20日から毎朝の「読書タイム」に、全学年約九百人の生徒が教科書検定問題などを取り上げた新聞記事を読む取り組みを始めた。28日まで続ける。県民大会には教諭らが「読書タイム」などを通して学んだ生徒のメッセージを書き込んだ横断幕を掲げて臨む。幅約四メートルの横断幕に、同校九百人の平和への思いを託す。同校は29日に学園祭を開く。生徒らが県民大会に参加できるよう学園祭の延期も検討したが、中間試験やインターンシップなど過密日程を抱え日程変更を断念した。県民大会には生徒らに代わって教諭らが参加する》と報道しています。これは悲惨な戦争を次世代に伝える大切な取り組みです。

「GAMA 月桃の花」の企画・脚本を書いた橘祐典さんは、沖縄の人から「沖縄戦を単に過去のものとして描いては困りますよ」と言われたと映画のパンフレットで書いています。

沖縄戦を過去のものとしてでなく、現在の沖縄の人たちが抱き続けた筆舌に尽くし難い沖縄戦の記憶を鮮烈な形で甦らせたのは、皮肉にも日本軍を免罪にし、改憲して自衛軍という軍隊を持とうとする人たちでした。

9月29日に行われる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に、本土に住む人たちは共通の問題として関心を寄せなければならないと思います。

9月23日午後、福田康夫氏は自民党新総裁に選ばれた後、「自民党の再生を期したい。国民の信頼を取り返し、着実に政策を実行する政党に生まれ変わりたい」と決意表明をしました。テロ対策特別措置法に変わる新法などの政策は実行して貰わなくても良いのですが、沖縄県民が安倍晋三氏に要請したが無視された、沖縄県民の教科書検定意見撤回を求める声には、耳を傾けて文部科学省に是正するよう指導してほしいと思います。このことは二度と戦争の道を歩まないためには歴史の真実・戦争の実相を後世に伝えなければいけないとする沖縄県民や国民の信頼を取り返すことに当たる重要な一つの課題だと思います。

国際貢献とか、国連決議があればと限定していても/山崎孝

2007-09-23 | ご投稿
【給油軍艦、イラク作戦に 05年、米艦長「頻繁に補給」】(2007年9月22日付朝日新聞)

【カイロ=田井中雅人】テロ対策特別措置法の補給対象となるアフガニスタン周辺の対テロ作戦だけでなく、対象外の対イラク作戦にも従事していた米軍艦船が、海上自衛隊の補給艦からインド洋で補給を受けていたことが22日、米海軍艦長の証言でわかった。同じ艦船が複数の作戦にかかわることは米軍の運用上、かねて指摘されており、「対テロ」目的に限定して補給しているとする日本政府の説明と実態が食い違っていることを示している。

ペルシャ湾に展開する米空母エンタープライズのロナルド・ホートン艦長(47)がこのほど艦上で、朝日新聞記者のインタビューに応じた。ホートン艦長によると、艦長は05年当時、佐世保基地に所属する米軍揚陸艦ジユノーの艦長としてペルシャ湾周辺に展開。「当時は、いまよりも頻繁に海自の補給艦から給油を受けた。日本の貢献は絶大だった」と述べた。

艦長の説明や米海軍の資料によると、ジュノーは05年当時、イラク自由作戦(OEF)の一環として沖縄に鮭留する海兵隊をイラク国内に投入するため、ペルシャ湾北部に派遣。同時に米国主導で01年10月に始まった対テロ戦争「不朽の自由作戦(OEF)」としてテロ組織のメンバーや武器の移動を阻止する「海上阻止活動」にも組み込まれていた。この間、インド洋のアデン湾などで海自の補給艦から3回にわたって燃料、食料の補給を受けたという。

テロ特措法は、アフガン周辺で対テロ作戦にあたる米軍艦などへの後方支援に海自の活動を限定している。しかし、国際テロ組織アルカイダの活動がアフガン周辺からイラク国内にも拡大したのに伴い、米海軍は「対テロ」と「対イラク」作戦をペルシャ湾周辺で同時に展開。持措法を策定した01年当時の支援活動地域の概念が実態に合わなくなっている。

エンタープライズ空母攻撃群などの米軍艦は現在、ペルシャ湾内側の作戦海域で「対テロ」と「対イラク」作戦を同時に実施している。このため、海白から補給された燃料がどの作戦に消費されたかを見極めるのは困難となっている。

今年8月現在、米・英・豪・パキスタンなどの艦船が、ペルシャ湾外側のオマーン湾やアラビア海北部、紅海などの作戦海域(CTF)「150」のほか、ペルシャ湾南部の「152」、同北部の「158」の3海域で、活動している。

海自はペルシャ湾外側の「150」で補給活動を実施しており、ペルシャ湾内で対イラク作戦に従事する米軍艦に燃料を補給することはないと主張してきた。

海自の活動をめぐっては03年2月、空母キティホークが米補給艦経由で間接的に日本の給油を受けた後、ペルシャ湾内で対イラク作戦に従事したことが判明している。(以上)

防衛省の資料によれば、8月段階でインド洋上の海自が行なった給油活動は769回で、350回が米国艦船向けでした。約45%で大きな比重を占めています。しかも、テロ対策特別措置法の補給対象となるアフガニスタン周辺の対テロ作戦だけでなく、イラク作戦に従事する艦船にも米軍は転用していました。

このことから言えるのは、改憲して国際貢献に限定、国連決議があればと限定をして、海外での武力行使を許してしまうと、憲法規定と離れて恣意的に運用されてしまう可能性を如実に物語っています。

9月19日のアフガニスタンにおける国際治安支援部隊の活動を延長する安保理決議は、これまでなかった海上阻止行動に言及したのは、日本政府の世論工作のため日本政府に働き働きかけて米国が動き決議されています。このことをロシアは国連決議が一国の事情に左右されたとして棄権しました。いままで国際治安支援部隊の活動を延長の決議は全会一致でしたが、これが崩れたため、《各国は「分裂は日本のせい」(9月20日付朝日新聞)》だと見ています。

もともと、テロ対策特別措置法の制定は米国から「旗を見せろ」と言われたことが背景にありました。そして見落としてならないのは、何度も述べていますが、国連決議に基づく戦いであっても、アフガニスタンでの戦争で多くの住民が犠牲になっていることです。これではテロリストの行為と同じ結果です。このため米国の支援を受けているカルザイ大統領さえ、本年5月に「我慢の限界」とのべ、アフガニスタンの国連人権高等弁務官事務所は5月28日、米軍や北大西洋条約機構軍が主導する連合軍(北大西洋条約機構軍は国際治安支援部隊に所属し、米軍は別)と旧支配勢力タリバンなどとの戦闘に巻き込まれ死亡した民間人が、今年1月から4月までに最大で約380人に達したと発表し、双方に対し民間人の保護を規定するジュネーブ条約など国際人道法の順守を求めざるを得なかったのです。

9月23日の「天声人語」の中で、筆者が国連を取材していた頃、各国の思惑に配慮して、最後のわずかな言葉を換えて採択した決議があった。《その決議を根拠に、米国は強引にイラク戦争に打って出る。一言隻句の違いが、何万人もの死を左右したと言えなくもない。外交官が、それぞれの国益を背負って扱う一語が、人の頭上に爆弾を降らせもする。国連の美名のもとなら何でも是と思うのは、だから危うい》と述べています。

参考 国連決議1441は「…安全保障理事会がイラクに対し、義務違反が続けば重大な結果に直面するであろうと、再三警告してきたことを想起する」と述べた箇所があります。米国はこれを根拠の一つにしてイラク攻撃を行ないました。小泉政権・安倍政権もイラク戦争を支持するよりどころに挙げています。しかし事実は、フセイン政権は最初は査察に難色を示したが、国連の査察を受け入れて、最後まで抵抗していた大統領宮殿も査察に応じています。だから、国連の査察機関は、査察を続ければ大量破壊兵器の有無は明らかになると国連に報告しました。この報告を無視して米軍はイラク攻撃を行ないました。

思い過ごしと、取り越し苦労の意見/山崎孝

2007-09-22 | ご投稿
朝日新聞社は9月15日から17日にかけて自民党の都道府県連幹事長にアンケートを行なっています。その回答の中の、インド洋上での海上自衛隊による米艦船などへの給油活動の継続については、新法をつくり「衆院で再議決してでも継続すべきだ」の項目に42の都道府県組織が賛成しています。自民党は強行採決の連発が一因して参院選に負けても強権指向を改めません。

都道府県連幹事長の回答の中で、愛知県連は「国内世論はともかく、中止したら国際世論が許さない」という意見でありました。「国内世論はともかく」という言葉に民意の軽視を感じます。

インド洋上でテロリストなどの移送阻止活動は、192の国連加盟国で、多いときで16カ国の参加に過ぎません。現在は日本を含む7カ国になっていて、日本だけが活動を止めるのではありません。

また、韓国は、韓国人がアフガニスタンで人質になる前から、陸上での活動を本年12月をもって止めると言っていました。このことで韓国を国際社会は激しく非難したという報道があったのでしょうか。私はインターネットで毎日のように数社の新聞を見ていますが、このようなニュースを見たことはありません。従って愛知県連の意見は思い過ごしです。

大阪県連の意見は「日本の貢献がなければ、米国とその同盟国は日本の防衛のために汗を流してくれない」と述べています。

汗を流すといえば、6者協議を担当し精力的に東奔西走するヒル米国務次官補は6者協議の成功さすために汗を流していると思います。6者協議は、北朝鮮に軍事核の放棄をさせる、日朝、米朝の国交の正常化、北東アジアの平和・安全メカニズムの作業部会を設置して動いています。最終的には日本を含む東アジアの平和と安定が目的です。

6者協議は、多国間による話し合いで平和と安定を獲得しようとする一つの形態です。これを見れば大阪県連の意見は安全保障を日米同盟からしか見ない、取り越し苦労だと思います。

日本は憲法が決めた国のあり方である、国際紛争の解決で武力を使わない、とした理念に立脚して、日本独自のテロとの戦い方や国際貢献をすべきで、自民党は発想の転換をすべきだと思います。

宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」に思う/山崎孝

2007-09-21 | ご投稿
1933年9月21日に、宮沢賢治は亡くなっています。今日は「賢治忌」が営まれるといわれます。宮沢賢治の生まれた岩手県花巻市には宮沢賢治記念館があります。

1931年3月、賢治の手帳に記された詩が「雨ニモマケズ」です。(カタカナで書かれていますが、入力がしづらいのでひらかなで表記します)

雨にも負けず 風にもまけず

雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち

欲はなく 決していからず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れず

よく見 聞きし 分かり そして忘れず

野原の松の 林の陰の 小さな藁葺きの小屋にいて

東に病気の子どもがあれば 行って看病してやり

西に疲れた母もあれば 行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくていいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから止めろと言い

日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにデクノボーと呼ばれ

ほめられもせず 苦にもされず

そういうものに 私はなりたい

私はこの詩にうたわれるような人間にはなりえませんが、素晴らしいと思います。少しでも近づけたらという気持ちはありますが、なかなか難しいです。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を「九条の会」の事務局長で、本年、松阪と津で講演をされた小森陽一さんは、「ことばの力 平和の力」という本の中で次のように述べています。

(前略)戦争中は、〈雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ…〉という一節、〈一日ニ玄米四合ト/味噌ト少シノ野菜ヲタベ…〉というところだけが、配給体制に合わせる形で戦争を推進する文部省によって利用されてしまったのです。(後略)

戦前の日本は「雨ニモマケズ」にある《北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから止めろと》言う精神とは逆に、相手の屋敷内におりながら喧嘩を吹っかけました。日本は1931年9月、謀略事件の柳条湖事件(満州事変)を起こして、この事件を中国側の責任だとして軍事行動に出ます。そして中国東北部(満州)において占領地を拡大して行き、満州国という傀儡国家まで作ります。中国が日本の行為を国際連盟に訴え、国際連盟から日本の行動は正当性が(自衛行動では)無いと言われてしまいました。1937年7月には、中国か日本かどちらが発砲したか分からない盧溝橋事件をきっかけにして日本はすばやく軍事行動を起こし、中国の中央部まで軍隊を進めます。

現在の自民党の政治は《東に病気の子どもあれば 行って看病してやり》という困った庶民を助けようとする精神は希薄です。

自民党は《一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ》という自らを律する心は極めて弱く、足りない分を庶民の懐から拠出(増税や負担増)を求めますが、バブル時を上回る利益を上げる大企業にはこれを求めません。大きな政治献金を受け取るからです。

そして、米国には大判振る舞いです。自民党の政策、労働者派遣法の改定によって、低賃金や収入が不安定で家賃が払えず、ネットカフェ難民さえ出ているのに、グアム島に移転する海兵隊の家族住宅(3500戸)にまで日本政府が負担します。

現在の自民党政府の性格どうでしょうか。気にくわないと思う相手には、話し合う前に懲らしめて降参させようとする。世界一、力の強いと思う人物に付き従っていれば得になると思い、その人物が時々大きな喧嘩をして、喧嘩の相手の家にまで乗り込んで暴れてその家の人の命を奪い傷つけ、家を壊して世間から強い批判されて付き従います。

政治家たちは「雨ニモマケズ」に詠われているような、ヒューマニズムの神髄とも言える精神を、全部とは言いませんが、一定は真似をして欲しいと思います。

註 宮沢賢治は熱心な法華経の信者で、代受苦(他人の苦しみを代わって苦しむ)、利他行(他人のために身を粉にする)を実践しようとしました。この精神が今日で言うヒューマニズムとつながります。