いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
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米国のテロ報告書で考える/山崎孝

2006-04-30 | ご投稿
朝日新聞や毎日新聞の報道によりますと、米国務省は4月28日、2005年、世界のテロの実態をまとめた年次報告書を公表し、イランを「最も活発なテロ支援国家」と非難しました。また、昨年1年間のテロの発生総件数は約1万1100件、死者数は約1万4600人で、件数の約30%、死者数の55%がイラクでの発生だと説明しています。

この報告で注意しなければならないことがあります。テロ行為が世界の人々から厳しく批判されるのは、対立抗争し暴力や武力の応酬をする勢力とは無関係な人たちを無差別に巻き込み殺傷することにあります。

この性格や図式に当てはまることが、米国の起こしたのアフガン戦争やイラク戦争で起こっています。そして、アフガニスタンでは少なくとも1万人以上、イラクでは3万人以上の人が犠牲になっています。これらの事柄は米国の指導者の念頭にあまり入っているとは思えません。

アフガニスタン攻撃では国際テロ組織を倒すことが出来ず、イスラム教徒に犠牲者を多数出したため、米国は世界のイスラム社会と対立を深めました。フセイン政権は大量破壊兵器を保有せず、国際テロ組織とも関係がありませんでした。フセイン統治下のイラクでは、今のようなテロは起こっていませんでした。米国のイラク攻撃でフセイン政権が倒れ、無政府状態が起こったためにその間隙に乗じて国際テロ組織をイラクに呼び寄せる結果となっています。

イラク戦争から世界ではスペインのマドリード、イギリスのロンドンで大規模な国際テロ組織によるテロ事件が起こっています。かつて日本はイスラム圏には行為を持たれていましたが、米国のイラク攻撃を支持して自衛隊をイラクに派遣したために、外交官や民間人が標的となり犠牲者も出しています。

4月13日、イランの核問題で、ライス米国務長官はマッケイ・カナダ外相との会談後、イランが核開発問題で国連安保理議長声明の要請に応じない場合、安保理で「すべての選択肢を検討する」と語り、制裁や軍事行動に道を開く国連憲章第7章に基づく安保理決義の採択を目指す意向を示しています。ライス長官は、イランが濃縮活動の停止を求める議長声明をあくまで無視する場合、「その挑戦に対し何らかの結果が必要になる。我々は安保理で可能なすべての選択肢を検討する」と述べています。マッケイ外相は制裁には理解を示しながらも、「(中東地域の)不安定な情勢を悪化させる極端な措置を取るとは思わない」と語り、軍事行動には警戒感を示しました。

4月28日の朝日新聞報道は、ブッシュ大統領は「同じ考えを持つ国々で強い連合を作ろうとしている」と語り、ロシアや中国が制裁に反対した場合は、「有志連合」型制裁へ動く可能性にも含みを持たした、と伝えています。

軍事行動で可能性があるのは、イラン核施設と見られる場所への攻撃でしょう。このようなことを行なえば、国際テロ組織を孤立させなければテロとの戦いには勝てないのに、仮に攻撃が行なわれたら、国際テロ組織にイラン攻撃の報復を期待する人たちが出ないとも限りません。

国際連合の総意より、同じ考えを持つ国々で強い連合=有志連合の方向に傾く米国の態度に日本は無縁ではありません。

日本国憲法は優れたソフト・パワー/山崎孝

2006-04-29 | ご投稿
4月24日付け朝日新聞「時流時論」で、渡辺靖慶応大学教授(文化人類学・アメリカ研究)は、日米のソフト・パワーに関して述べていました。以下はその文章です

先日、「ソフト・パワーと広報・文化外交」と題するシンポジウムがハーバード大学で開かれ、バネリストの一人として参加してきた。

 ソフト・パワーとは、強制や報酬ではなく、国の魅力によって望む結果を得る能力のことで、具体的には、その国の文化、政治的な理想、政策の魅力を指す。

古くは、「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」という『孫子』の思想などとも通底する概念であるが、ハード・パワー(軍事力や経済力)のみで論じられがちな国際政治を構成する、もう一つの看過できない力として、近年、注目を浴びている。

 この言葉の提唱者である同大のジョセフ・ナイ教授は、核抑止論の権威として、あるいは元国防次官補として、ハード・パワーの重要性を誰よりも強く認識している人物であるが、ハード・パワーのみに依存しているかのようなブッシュ政権の外交手法に対し、警鐘を鳴らし続けている。

 ソフト・パワーを軽んじることは、ハード・パワー行使の正当性を揺るがすなど、結果的に、政策目標遂行のためのコストを高めてしまうからである。例えば、トルコが国内の反米感情への配慮から米軍の基地使用を認めなかったことが、結果的に、米軍のイラク攻撃の選択肢を制限してしまったことなどは、その好例である。

 シンポジウムの席で私が、日本における、近年の対米イメージの悪化を例に、アメリカのソフト・パワーの低減を憂慮したところ、ナイ教授が、「とはいえ、アメリカにはメタ(上位の)・ソフト・パワーがある」と述べたのが印象的だった。

 ソフト・パワーには様々なものがあり、その意味や評価はその時々の状況や文脈あるいは見る側の立ち位置によって変わり得るが、アメリカには自らを批判できる「器の大きさ」や「自省力」があり、それこそがアメリカの魅力や活力の源泉であるという意味で、あえて「メタ」と称したようだ。

 9・11以降、ブッシュ政権への批判が、あたかも「反愛国的」ないし「反米的」であるかのように見なされる風潮が続いた。さらなるテロヘの恐怖や、戦時における拳国一致の必要性などは理解しつつも、アメリカ社会が、その誇るべき「器の大きさ」や「自省力」を失いつつあるのではないかという懸念が高まった。

 星条旗を掲げながら反戦・反政府デモを行ったアメリカ国民は、そうした憂慮を表明していた。また、アメリカ国外の反米感情にしても、そこには往々にして、アメリカヘの期待の裏返しという側面がある。

 その意味で、ブッシュ政権に対し、同じ共和党内部からも批判が公にされるようになった昨今の状況は興味深い。ハリケーン「カトリーナ」への対応、CIA(米中央情報局)情報の漏洩、出口が見えないイラク情勢、令状なしの国内盗聴、不法移民対策など、わずか1年足らずの間に、まるで振り子がふれるように、同政権へのまなざしは急速に厳しくなっている。

 そうした批判は、その動機や妥当性はともかく、公の場で自国の政府や政策を批判できる自由――つまりは「不同意への同意」を原則とする民主主義――の健在を感じさせるものである。ナイ教授の発言は、こうした動向を見据えつつ、アメリカ社会の自己変革力への期待を込めたものだったように思えた。

 シンポジウムの後、テキサス州ヒューストンヘと移り、ライス大学で開かれた「東アジアにおはる協力と挑戦」と題するフォーラムで講演を行った。同大と日本の外務省の共催によるもので、アメリカで影響力を増す南部地域のアメリカ人若手実務家たちと、2日間にわたって議論が交わされた。

歴史教科書問題、靖国参拝、対アジア外交など、日本におけるナショナリズムの台頭を憂慮する声は予想以上に多かった。

同盟国・日本がアジアで孤立することや、この地域の不安定要素がさらに増すことが、アメリカ外交の選択肢を狭めてしまうことへの現実的な懸念がそこにはあった。と同時に、これら一連の動きのなかで、日本が自らのソフト・パワーを喪失してしまうことは、まさに9・11以降のアメリカの二の舞いではないかと失望する声もあった。

 さきのサッカー・ワールドカップにおける韓国チームヘの熱い声援や、今に続く韓流ブームを引き合いにしながら、「ナショナリズムの台頭」という紋切り型の言説ではくくれないような、懐の深い、新たな意識が見られることは、私も指摘した。とはいえ、東アジア諸国の相互依存が深まるなか、たとえ過渡的な現象であるにせよ、反動的な強硬論や扇情的な制裁論が共鳴を得やすくなっている状況への疑念は根強い。

 今、問われているのは、そうした短視眼的な言説に政治空間を収赦させない――そして、相互不信の連鎖によって外交を袋小路に追いやらない――ためのメタ・ソフト・パワーの強靭さである。政治が「魅力と正当性と信頼性をめぐる競争」(ナイ

教授)になりつつある今日、そうした強靭さを示してゆくことこそ、中長期的な視点において、国力や国益の源泉になるはずである。(以上)

日本は15年戦争からの「自省力」により日本国憲法を持ち、国際社会は第二次世界大戦からの「自省力」により、国連憲章を生み出しています。

国際社会からソフト・パワーで認められている国は、幾つかの調停外交を行なったスウェーデンやノルウェーなどでないでしょうか。

渡辺靖教授は「自省力」もソフト・パワーの一つだと述べています。米国の「自省力」は継承性という点では不満足です。ベトナム戦争で泥沼に嵌ったことが、イラク問題に生かされませんでした。ベトナム戦争では米兵の犠牲が大きくなり始めた時に戦争への疑問・反省が生まれ、反戦運動が大きくなりました。イラク戦争でも同じことを繰返しました。「自省力」もその時限りではなく、しっかりとした継承性が大切だと思います。人命を失う前、戦争をする前に歴史経験で得た「自省力」を生かして欲しいと思います。そのためには米国政府の政策が、絶えず国連憲章に適っているかどうかを照合して欲しいと思います。

小泉首相は、「靖国参拝を批判するのは中韓だけ」と何回も述べていますが、渡辺靖教授のフォーラムでの経験は違っています。小泉首相は自らの靖国参拝問題では「自省力」がありません。日本の政治家の中にも、歴史認識、靖国問題、イラク戦争支持などに「自省力」を見出すことは難しい状況です。

渡辺靖教授は、反動的な強硬論や扇情的な制裁論が共鳴を得やすくなっている状況を過渡的な現象であると、日本の「自省力」に期待してやや楽観的な見方と取れます。

しかし、政府は教育基本法案を4月28日に閣議決定しました。国民が改定教育基本法の危険を十分理解しないまま今国会を通過してしまうような状況があります。教育基本法改定は愛国心教育の強制というハード・パワーに類似した要素を持ち、思想信条に国家的な枠をはめて、国民を統率する狙いを持っています。また、自民党の新憲法草案は自衛軍という軍隊で、「公の秩序を維持」するとあります。そして軍事裁判所を設けています。周辺事態法や有事法制などを発動した場合、政府の統制に従わない国民を軍事力というハード・パワーで押さえ込もうとする発想です。戦争をしていた時代への回帰の考えを持っていますから、国民が教育基本法や改憲を許せば、日本社会は恒常的な偏狭的民族主義が表れていることになりかねません。今でも「公共の福祉」という概念を歪曲して、有事法制に従わない国民を処罰する考えを持っています。

現在、日本の偏狭な民族主義は、他国の偏狭な民族主義を誘発し、他国の偏狭な民族主義は、また日本の偏狭な民族主義を煽るという悪循環に陥っています。この状況を継続させて自民党は改憲に利用しないとも限りません。

日本国憲法は優れたソフト・パワーです。政治の理想を前文には、われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しょうと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい、と謳っています。政府はこの理想にふさわしい政策を実行すれば、その政策自体も、日本のソフト・パワーになると思います。緒方貞子さんが述べた「人間の安全保障」に合致する政策だと思います。

正反対の政策を実行する自民党政府/山崎孝

2006-04-28 | ご投稿
4月27日付け朝日新聞は、「米軍再編3兆円負担 政府法整備に着手 今国会での成立は微妙」という見出しで以下の文章の記事を掲載しています。

政府は、在日米軍再編に伴う海兵隊グアム移転に必要な費用負担の根拠となる「在日米軍再編関連法案(仮称)」の国会提出に向けた作業に着手する。基地周辺地域振興への交付金創設なども盛り込む。ただ、「日米合意」が優先されるなか、米政府が「3兆円」になるとした日本側負担の財源をめぐる政府内の調整は後回しで、法整備が今国会の会期内でできるのかは微妙な情勢だ。

 米軍再編をめぐり、日本政府は5月初めにも日米の外務・防衛閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)を開いて米軍再編の最終報告」に合意し、国会開会後の小泉首相とブッシュ大統領の会談で再編の成果をアピールする-という段取りを描いている。

 同時に政府はグアム移転贅を負担するための根拠や受け入れ自治体への交付金制度創設などを定める関連法案を今国会に提出・成立することを目指している。予算措置は07年度以降に計上する方向で調整を進める。

 ただ、日本側負担の細かい内訳や財源については「スキームが固まっていない」(額賀防衛庁長官)のが現状だ。歳出削減に取り組む財務省と、防衛予算とは別枠の費用負担を求める防衛庁との調整は手間取りそうだ。

 さらに法案に基地周辺の地域振興策や交付金制度を定める場合も、国会提出は遅れそうだ。沖縄県が普天間移設先の計画変更に同意していないため、「地元同意が前提になるので時間がかかる」(政府関係者)ためだ。

一方、小沢民主党代表は「(米国に)言われて国民の税金を使う小泉政権、政府・自民党のあり方が問われる」と政府批判を強めている。政府がグアム移転の完了時期すら明記できずに巨額の負担に応じるなら、審議が紛糾するのは必至だ。

 ローレス米国防副次官が日本側負担を3兆円規模と言及したことも、日本政府に波紋を広げる。

 小泉首相は26日夜、「『日本の負担が軽すぎる』との米国の世論に配慮しているのでしょう」と首相官邸で記者団に語った。政府高官も「米議会に報告するために、わざと大きくしている感じだ」と説明する。米側負担の「少なさ」を米国民や米議会にアピールする狙いとの受け止めだ。

 ただ、日本政府関係者は「(神奈川県座間市への)米陸軍第1軍増の移転費用などを考えると、そのくらいはかかる」と語る。防衛庁は昨年10月の在日米軍再編「中間報告」の段階で再編経費を2兆円規模と試算していたが、グアム移転費用などは、当初の予定よりも膨らんでいるからだ。(以上)

4月27日付け「しんぶん赤旗」電子版より抜粋

 すでに日本は「思いやり予算」(在日米軍駐留経費負担)として、年間二千三百七十八億円(二〇〇五年度)もの税金を、米軍のために提供しています。

 沖縄の米軍基地を県内でたらい回しにするためのSACO経費や基地周辺対策費などを加えた、在日米軍の駐留のために負担している経費総額は、年間で六千四百七十九億円(同)に達します。

 在日米軍再編で米側が要求する約三兆円を、六年間で換算すれば、年間五千億円。その経費が上乗せされれば、年間一兆円以上を米軍のために負担することになります。

 政府自身が前例のないことを認める在沖縄米海兵隊のグアム移転費はじめ、これだけの巨額の経費を、米軍のために注ぎ込むことは、主権国家としての財政のあり方として、重大な問題を投げかけるものです。

 小泉・自公政権はこの間、介護保険施設の居住費(ホテルコスト)・食費を自己負担とする改悪や、障害者に負担を強いる障害者「自立支援」法の実施など、国民への「痛み」押しつけを連続的に強行してきました。そのうえ今国会では、高齢者に負担増を押しつける医療改悪法案の成立も狙っています。

 ホテルコスト導入、障害者への負担強化、今回の医療改悪(〇六年十月実施分)で減らされる年間の国費は、合計で約三千二百六十億円。それをはるかに上回る費用を、在日米軍再編のためにつぎ込もうというのです。

 三兆円もの費用を投入して実施するのは、在沖縄米海兵隊のグアム移転や、キャンプ・シュワブ沿岸部への新基地建設(沖縄県)、キャンプ座間への米陸軍新司令部の創設(神奈川県)、岩国基地への米空母艦載機部隊の移駐(山口県)などです。

 こうした再編計画を打ち出した昨年十月の日米共同文書は、その「指針となる考え方」として、「米軍のプレゼンスは不可欠」「(在日米軍の)能力は強化」をあげました。ブッシュ米政権による先制攻撃戦略を支える米軍基地態勢の恒久化・強化こそが、基地再編の目的というわけです。

 だからこそ、基地を抱える自治体・住民は「基地の恒久化・強化は許されない」「黙っていると百年先も基地の街」と、一斉に立ち上がったのです。

 世界中から非難を浴びている、米軍の先制攻撃戦略のためには、自治体・住民が反対しても三兆円――。小泉政権が、これに踏み出せば、基地周辺住民だけでなく、小泉政治のもとで「痛み」を押しつけられてきた日本国民全体に、その怒りが広がることは避けられません。(以上)

同日「しんぶん赤旗」電子版は、別の記事で「約三兆円もの負担を日本国民に強いるもので、国民一人当たりにすれば約二・五万円、四人家族で約十万円もの負担になる」と指摘しています。先日のNHKの番組では障害者「自立支援」法が実施されたために、働いて施設で得るわずかな収入よりも、施設利用費用の方が上回り、生活ができなくなり、施設の利用を諦め家に引きこもる障害者が何人も出ている、まだ利用している人の中にも家計との関係であと何ヶ月間施設を利用できるのかと心配している家族の声も伝えていました。

自民党政府は、在日米軍再編に伴う海兵隊グアム移転に必要な費用負担の根拠となる「在日米軍再編関連法案(仮称)」を準備しています。今までにも米国の政策に加担するため、テロ対策特措法を制定してインド洋で海上自衛隊が米艦船などへ無料の給油活動。イラク復興支援特措法を制定して、占領地の住民の宣撫工作と同じ性格を持つとも指摘された自衛隊駐留地における公共事業の提供、そのため、サマワの商人は自作自演の自衛隊歓迎の横断幕が出現したりしています。しかし、日本国民には次々に負担を押しつける法律の改悪を行なっています。

そして、在日米軍の再編は自衛隊との一体化も狙いで、一体化が進めば、日本は米国の政策と異なった安全保障に関する政策は非常に困難になると自衛隊制服組に指摘されています。日米同盟偏重を改め、多国間による安全保障を追求し、日米間のバランスをとるようにしなければならないと思います。

財政再建を急務とする日本政府ですが、米国には日本の負担をあまり顧みずに協力をする。一方、国民にはストレートに次々に負担を押しつける。これが改憲の具体的作業を進める自民党の姿勢です。この姿勢の自民党は改憲して集団的自衛権行使が手に入れば、国民の大反対を無視して、米国の戦争に参戦することは容易に想定できます。

日本側負担の細かい内訳や財源については「スキームが固まっていない」(額賀防衛庁長官)と朝日新聞は伝えていますが、「スキーム」とは、公的な計画・計略・陰謀という意味が含まれていますから、政府の宣伝に国民は騙されないように注意しなければならないと思います。

緒方貞子さんの意見で考える/山崎孝

2006-04-27 | ご投稿
4月26日付け朝日新聞「グローバル化にどう向き合うか」というテーマの記事に、国連高等弁務官を10年間務め、現在は国連の「人間の安全保障諮問委員会」委員長に就いている緒方貞子さんに対するインタビューがありました。以下はその文章です。

―米国と国連の対立が目立ちます。

 「米国は第2次世界大戦後、自分の主導で国連をつくり、世界の安定をはかろうとした。戦勝国の力のバランスも考え、安全保障理事会(安保理)で協調する仕組みをつくった。冷戦中にそれはあまり機能せず、東西陣営のバランスによって安定をはかってきた」

 「冷戦が終わり、世界の問題は多様化、多元化している。絶対的な軍事力を保持しているとはいえ、米国だけで対応できる状況にはなく、国連への期待が強まった。だが、米国には一貫して、国連に統治、命令される意図はない。自分の権力の維持、世界秩序の安定のために国連を使おうという考えはあるが、使える場合と使えない場合がある。その結果、非常に恣意的な政策が出てきていると思う」

 一国連の機能を強化するにはどんな方法があるでしょうか。

 「安保理の役割をどう考えるかが鍵になる。大国、とくに安保理の常任理事国である5カ国の利害が一致しない時は、国連の外での決着しかない場合もある。だが、大国が最低限でも合意できることは何か、大国が関心を寄せないことで行動が必要な場合は何かと、知恵を出していくのが安保理なんです」

 「国連を軸にした集団安全保障も時代に即した応用が必要だと思う。常設の国連軍ができるめどはないが、欧州連合(EU)やアフリカ連合(AU)の地域軍など新たな形が出てきている。時代の実態に合わせて役に立つことを実行するというのが大事です」

 ―平和や人道主義のために武力介入が必要な場合もありますか。

 「国連難民高等弁務官をしていた時のことでした。ボスニア・ヘルツェゴビナの戦争は、終盤で敵対する民族の虐殺を防ぐために北大西洋条約機構(NATO)軍が空爆し、セルビア軍を抑えて戦争終結に導いた。あれをみていて、軍事力の行使も必要な場合もあると思いました。平和的な交渉ですべてが解決するほど、世界は甘くはないのです」

 ―武力介入は安保理決議が前提でしょうか。

 「決議によって武力行使を国連が正当化するのは極めて難しい作業だが、あった方がいい。一方で現実には、大国の利害は対立しがちです。ボスニア戦争では、ボスニア国内の国民からも武力介入を期待する声があったが、米国が慎重な態度をなかなか崩さなかった。安保理は大事だが、安保理至上主義では解決できないケースもありうる。やはり国際政治、安全保障というのは生ものですからね。ただ、イラク戦争での米国のような予防戦争は容認しにくい」

 ―安全保障面で日本はどんな国際貢献をしていけばいいでしょうか。

 「ひとつは『人間の安全保障』。端的に言えば、暴力や貧困、人権侵害などで苦しむ文民を守ることだ。この考えは日本が国際社会に広める役割を担ってきた」

 「紛争後の『平和構築』でも、日本がやれることは多い。自衛隊が最適なら自衛隊でいいし、治安維持のための警察など非軍事的な分野で貢献できることはたくさんある。憲法の解釈はしゃくし定規ではなく、役立つ枠組みを決める方向で扱ってはどうでしょうか」(以上)

緒方貞子さんは、「平和や人道主義のために武力介入が必要な場合」はあるとは述べていますが、それはあくまで、平和や人道に真に役に立つ枠組みで行なうべき、と私は理解します。

緒方貞子さんが日本に提起した『人間の安全保障』は、現在の日本は無論のこと出来ます。紛争終結後の『平和構築』=PKOの活動は、1992年の成立のPKO協力法で可能となっており、PKF(停戦監視などの軍事部門で本隊業務とされる)の活動は2001年に凍結解除を行なっています。改憲しなくても「非戦闘地域」であれば可能です。紛争終結後なら「非戦闘地域」は十分に存在します。緒方さんは「イラク戦争での米国のような予防戦争は容認しにくい」と言っていますから、それに加担するのは純粋な国際貢献とはいえません。

自民党はここまでは法律的には可能にしておきながら、なおも改憲を狙うのは、日米軍事同盟による集団的自衛権行使にこだわるからだと思います。緒方貞子さんが指摘しているように、米国は国連に統治、命令される考え方はない。その結果、日本の集団的自衛権は、米国の非常に恣意的な政策のケースに発動される可能性があると考えなければなりません。国民はこの点を十二分に考慮して改憲問題を考えて欲しいと思います。

アーミテージ氏の意見を考える/山崎孝

2006-04-26 | ご投稿
4月25日付け朝日新聞「新戦略を求めて」というシリーズでアーミテージ前米国国務副長官に対してのインタビューがありました。その一部を紹介します。

―9・11以降の米国の戦略は。

 「米国は9・11以降、伝統的に輸出してきたものを変えてきた。それまでは希望と楽観主義を世界に輸出してきたが、今は怒りと恐怖を送り出している」

 「米国は、『テロとの戦い』、正しくは『過激主義との戦い』にあまりにも注意を奪われた結果、より大きな『中核的な利益』を無視してしまっている。その一例が、世界全体の利益がアジアにシフトしているという潮流だ」

―米国の地域戦略の基本は、覇権国や覇権主義的な同盟の出現を許さないということでは。

「米国に取って代わろうとするのであれば、だ。米国とともに世界の舞台に立ち、支援してくれるのであれば歓迎する。しかし取って代わろうとするのであれば、当然反対する」

 ―その意味で中国とは、衝突コースにあるのでは。

 「必ずしもそうではない。問題は中国が米国に取って代わろうとしているかどうかだ。複数政党制が達成できれば、覇権を求める傾向は弱まるだろう」

 ―日米同盟はどう進化すべきだと考えますか。

 「この地域で我々は、20年を超える平和と安定を維持し、経済発展も実現した。両国関係は強固なものだと思う。日本が最終的に憲法9条の問題を解決すれば、両国関係はより一層、対等なものになる。この地域は、日本が安全保障を含むあらゆる問題に、全面的にかかわることで利益を得ると思う。私はインドネシアのユドヨノ大統領が『歴史問題を日本に対抗する形で使うつもりはない』と言ったのを聞いて、大変うれしく思った。驚くかもしれないが、地域の多くの国々は日本を、中国より不安を感じないより良いお手本とみている」

 ―日本が地域での役割を拡大することについてはどう思いますか。

 「好ましいことだと思う。インド洋津波に対する救援で、日米が協力できたことと、自衛隊が歓迎されたことにはとても元気づけられた。イラクやインド洋での活動もある。日本は国際社会の賓任ある一員として立派にやっている」(抜粋は以上)

アーミテージ氏が言う「日本が最終的に憲法9条の問題を解決すれば、両国関係はより一層、対等なものになる」=日本が改憲して集団的自衛権を行使できる国になったら、日米同盟は対等平等になるとは私は思えません。アーミテージ氏は「米国とともに世界の舞台に立ち、支援してくれるのであれば歓迎する」と述べているように、米国が主導する政策に、他国が米国を支援してくれるという「従」という考え方を示しています。ましてや米国が国連と対立した時に、日本が国連の立場、あるいは国際社会の良識の立場に立てるか、はなはだしく疑問です。

「両国関係はより一層、対等」と述べていますが、現在、対等な日米関係なのでしょうか。政府は、米軍のグアム移転費用の総額の59%にも当たる約7200億円を負担するような従属的な態度です。政府が当初、米国に主張してきた負担額の2倍にも膨らませ、新たに法律を作らないとこの費用の支出に対応できないと言われています。このような負担をしながら、国民の力の弱い層には「改革」の名のもとに負担を増大させています。

沖縄の海兵隊戦闘部隊の多くは従来の基地に残るため、沖縄の米軍基地の基地機能は低下せず、しかも米軍再編は、グアム基地の機能強化が目的に含まれていて、海兵隊の移転は米国の意向にも沿っているといわれます。

政府は在日米軍基地の経費を負担する言いわけに、在日米軍は日本に対する抑止力になっていると言います。この抑止力は極めて抽象的にしか説明はできません。日本に在日米軍基地が存在するようになったために、歴史的にあった日本への侵略、あるいは国境での武力衝突が起こらなくなったという事実があれば抑止力があると理解できます。しかし、戦後60年間の歴史の事実として残ったのは、在日米軍が他国を攻撃するために在日米軍基地を利用したという事実だけで、その米軍の攻撃の対象国になったのは、日本と紛争を起こしている国ではありませんでした。日本に対する脅威も冷戦時代はソ連、ソ連の脅威が言われなくなったら、今度は中国や北朝鮮の脅威の宣伝が盛んです。日本と中国は政治的に対立はしていますが、小泉政権になってから起こりました。

日中の経済的関係は相互扶助の関係です。最近のNHKニュースは中国の東北部「満州国」であった大連は、今は日本の企業が多く進出して、大連市は日本の企業の便宜をはかるため、更に日本企業の誘致を図るために、市民に日本の企業ノウハウを勉強させる教育組織を作り教育を行なっていると伝えていました。中国が経済の相互扶助関係を破壊してまでも、日本を攻撃する利益はどこにあるのでしょうか。中国などの脅威を根拠にした米軍の抑止力は、具体的事実に裏づけを持ったものではなく、抽象的で観念的なものです。

アーミテージ前米国国務副長官は、自らも関った米国の政策が「怒りと恐怖を送り出す」政策と述べています。今までも米国は「希望と楽観主義を世界に輸出」のみ輸出していたのではありません。アジア地域においてもベトナム、ラオス、カンボジアの国家の独立と統一・国家主権に介入してきました。

アーミテージ氏は、かつて「アーミテージリポート」で日本の集団的自衛権の不行使は同盟の障害と述べ、今また「日本が最終的に憲法9条の問題を解決」と、アーミテージ氏は集団的自衛権行使の課題に触れています。

軍事力で国威の発揚をしたい日本の政治家、あるいは力を誇示し他国より上位に立ちたい、国内外で威張りたいなどの願望を持つ、権力志向の強い政治家が望むのが、個人より国家に重点を置き、自衛隊を軍隊にする憲法です。この憲法下の自民党政府であれば、自民党の政治家の体質に合う、米国の覇権主義的な政策に、武力行使までして加担することを想定しなければなりません。

追記 アーミテージ氏が紹介したインドネシアのユドヨノ大統領の日本に対する好意的な言葉ばかりではあのません。

シンガポール前首相のゴー・チョクトン上級相は「日本の指導者はすべて事実に基づき判断を下さなければならない。事実上、日本はこの問題(小泉首相の靖国参拝)で外交的に孤立した状態におかれている。他のアジア諸国はすべて、また米国さえも日本の立場にはくみしていない」と述べていることも忘れてはいけないと思います。

アーミテージ氏は、小泉首相の靖国参拝を、中国は国内のナショナリズムに利用しているとして「中国が不満を言い続ける限り、継続をすべきだ」と述べながらも、「日本の教科書には、不正確で不快感を与えるものもある。これを是正すれば、靖国問題よりも何よりも、日本が歴史を正しく理解していることを示すことになる」と述べています。首相の靖国参拝と日本の歴史教科書に表れた歴史認識とは不離一体のものです。小泉首相は「追悼」と言っていますが、首相の靖国参拝を支持する日本遺族会の古賀誠会長は「首相の靖国参拝の定着は英霊の顕彰という意味で大きな課題」「他の追悼施設は不要」と考えています。この認識は戦死者の慰霊を超えた日本の過去の戦争への肯定へと繋がる考え方です。

「新戦略を求めて」のインタビュー記事の中で、金大中前大統領は、アジアの中で日本の姿をどう見ているかの質問に答えて、「周辺国から信頼されていないどころか、ますます右傾化している。一番心配なのが若い国会議員や若い世代だ。過去に日本が何をしたかを知らないから反省できない。だから本当の謝罪がない。象徴的なのは靖国神社参拝だが、小泉首相も、国民が右傾化しなければ靖国にこだわらないはずだ」と述べています。

日本の右傾化は私も感じていて、的外れではないと思います。そして、金大中前大統領は引き続き次のように述べています。

「『いつまでも昔のことを言っているか』という態度では、反日的な空気が出ても、止める勇気も意欲もなくなる。米国と手を握れば大丈夫という態度も印象を悪くしている。『もっとアジアの友人になる努力をすべきだ』という方向に変わるかどうかで将来が決まるだろう」。

現在、日本のジャーナリストが自民党の首相候補者に提起しているのが、格差社会の是正問題と悪化している中国や韓国との関係をどうするか、です。自民党内でもそのような問題意識はあると言います。外交問題は金大中前大統領の指摘と符合しています。

九条を守る宗教家たち/山崎孝

2006-04-25 | ご投稿
4月24日付け朝日新聞「声」欄に次の文章がありました。

イラク平和へ 宗教家の役割 主婦 土橋聡子(甲府市 58歳)

 イラクに派遣され帰国した米兵の申には、心に傷を負った人が多いらしい。精神的に不安定になり、虚脱感に悩まされたり、家族を虐待ないし殺したりした人もいると、4月初めにラジオで聞いた。

 それに対して米政府がとった対策は、従軍牧師を派遣して、兵士の話をよく聞いてやることだという。だが、聞くことによって兵士の心の傷がどれほど癒されるのだろうか。日常とは異なる世界に放り出され、流血の場面を絶えず見るという緊張状態の中に置かれてしまった兵士が、それで十分に慰められるとは、私にはとても思えない。

政治家にも宗教家にもそれぞれの役割があって、宗教家には彼らにしか語れないことがある。まず、平和を語り「剣を収め」るよう諭すことだ。派遣される牧師が信条としている聖書には「剣を取る者は皆剣によって滅びる」「できるならあなた方に関する限りすべての人に対して平和を求めなさい」とある。

 派潰牧師は兵士に対し、この聖書の言葉をこそ語ってほしいと思う。(以上)

日本ではこのように宗教者が戦場に赴き、兵士を慰めることが起こらないように、「宗教者九条の和」の方たちが、憲法を守るために活動されています。

2006年4月20日付け「しんぶん赤旗」電子版より

国民投票法案反対 宗教者が署名 国会に 「平和実現した憲法壊さないで」

 憲法改悪のための手続き法案である国民投票法案に反対して、宗教者が宗派を超えてつくる「宗教者九条の和」は十九日、国会請願署名提出の集いを国会内で開きました。七十人の宗教関係者が参加し、集まった七千五十九人分の署名を提出しました。

 集会では、「宗教者九条の和」呼びかけ人世話役の村中祐生元大正大学学長・天台宗慈照院住職があいさつしました。「署名活動は遅々とした歩みかもしれないが、一つの行動が大きな影響を与えていきます。仏教は日本の文化をつくってきました。文化の根本は平和です。平和を実現した憲法を壊してはいけない」とのべました。

 集いには、日本共産党の吉川春子、仁比聡平両参院議員や赤嶺政賢衆院議員秘書、民主、社民両党の国会議員が駆けつけました。仁比議員は「自民党が憲法草案を提示し、改憲の政治日程が具体的にされる中で、与党が国民投票法案を“手続き法だからいいんじゃないか。中立な公正なルールを進める”というのは詭弁(きべん)にほかならない。みなさんの一筆一筆の署名や一言一言が国会を揺さぶり、憲法を守りいかしていく力になる。私も全力を尽くしたい」と話しました。

「宗教者九条の和」の呼びかけ人には、白柳誠一カトリック枢機卿や宮坂宥勝名古屋大学名誉教授・総本山智積院化主・真言宗智山派管長などが名前を連ねています。(以上)

 「宗教者九条の和」のホームページを見ますと、呼びかけ人は日本人が信仰する宗教(新興宗教以外)の宗派を網羅しています。

「文化の根本は平和です。平和を実現した憲法を壊してはいけない」の言葉は、その通りだと思います。昨日、以前は音楽の教師をしていて、現在バイオリン教室を開いている方と話をしました。その方は小学校の授業をしている時に音楽の時間が減らされてしまった、と話しました。今の学校で心を豊かにする教育が十分されていない感じを受けました。

戦前の文化の根本は軍国主義で、その文化が国民を無謀な戦争に動員することができました。先日、NHKの番組「純情きらり」は、盧溝橋事件が起こり中国戦線が拡大して行く時代に、町の人が戦場に若者を送り出す場面で、若者の妹は「君、死に給うことなかれ」と書いた横断幕を掲げました。それを見た町の人たちは妹に石を投げました。音楽家を目指す主人公は、出征兵士の妹をかばっていました。その妹は主人公の友人でした。主人公の姉で、教師をしている姉は今のような時代は、やがてクラシック音楽は邪魔者扱いされるようになる予感を抱いて妹の志望を心配していました。人の心を豊かにし、優しくするひとつに音楽があります。優しい心は命を大切にする心となります。命を大切と思う心は、忠君愛国のイデオロギーと対立します。

現在の日本政府も自らの政策責任を棚に上げて、「自己責任」を主張し、人質になった人の命より国家の権威を守る方を選んでいます。これを殆どのマスコミはテロに屈してはならないとして同調しています。テロとの戦いは人の命を守るための戦いなのに、テロリストと同じ論理で、目的・大義のためなら、人命を代償にする、大義があるなら犠牲は二の次、または止むを得ないという論理に陥っています。日本人を標的にされるような政府の政策を厳しく追及し、人命を優先しなければならな筈なのに残念に思います。日本のマスコミは「いざかまくら」となった時は大丈夫なのでしょうか。イラク戦争開始の頃のワシントン・ポスト「戦争に向けてうち鳴らされるドラの音に警戒や疑問がかき消されていった」ようにならないのでしょうか。

そのためには、集団的自衛権行使に歯止めをかけた憲法を守らなければならないと思います。まさか、国の最高法規、憲法に明確に規定されていることに違反する政府の戦争行為までマスコミは、論理的には擁護は出来ないと思います。

明るいニュースがありました。米軍の艦載機の岩国基地移転に反対した岩国市民は、その政策を掲げる井原勝介氏を新しく合併した岩国市長に選びました。また、米軍嘉手納基地の航空自衛隊との共同使用が争点だった沖縄市長選では、それを容認しない立場の候補者、東門美津子氏を沖縄市民は選びました。米軍に寄り添った日本の安全保障という自民党の大義より、軍事基地により脅かされない、自らの市民生活の安全確保を選びました。

台湾地域の情勢を考える/山崎孝

2006-04-24 | ご投稿
4月20日の米中首脳会談は、【台湾問題】について、米国は「一つの中国」政策を堅持する。現状を一方的に変えることに反対し、挑発的行動を避けるよう求める。中国は米国が台湾独立に反対してきたことを評価する。台湾は不可分な中国領土の一部で、平和的な中台統一をめざす、ことが確認されました。

日本の次期総理を目指している麻生外相は、本年2月に福岡の講演の中で台湾を「国」と繰返しています。また、同じく総理を目指す安倍官房長官は、2月28日の記者会見で、陳水扁政権の台湾独立志向の動きに「台湾は現状を変更する意思はないことを明確にしている」、一方的に変更されることのないよう行動するとも述べており、その点で我が国と基本的な考え方は同じだ」と、陳水扁政権の動きが国際社会、特にアジアでは「中国は一つ」という国家の現状認識を変更してゆく動きなのに、現状は二つの政権があるという方にポイントを置いて陳水扁政権を擁護しています。中国は一つという日中国交回復時の日本政府の態度と比べると考えがぶれ始めています。米国が台湾政権に避けるように求めた「挑発的行動」と同じで、中国への挑発的な発言とも言えます。緊張緩和を望まないような姿勢です。

台湾有事には、米国は1979年に制定した国内法の「台湾関係法」により武力介入する可能性があり、そうなれば日米安保により、在日米軍基地が発進基地になる可能性が生まれ、その場合、国際的には日本は攻撃対象にされます。台湾地域は日本が1999年に制定した「周辺事態法」の対象地域で、その法律が発動、連動して有事法制も発動される可能性があります。従って中台関係は日本の平和にとっても重要な問題です。

この台湾地域情勢を分析した論文が「論座」2006年5月号に掲載されています。タイトルは「中台安定化時代のはじまり」で、ロバート・S・ロスボストンカレッジ政治学教授の執筆です。以下、その論文の抜粋です。

対中関与路線という賭けに出た国民党

台湾の有権者はこれまでも陳の独立路線を積極的に支持してきたわけではなかったが、それでも野党勢力は、陳の独立路線を批判することには慎重な姿警とった。特に最大野党の国民党は、北京との関係改善を主張すれば市民の支持失うのではないかと懸念した。だが、04年12月の台湾立法院選挙で民進党が敗れたことで大きな機会が生まれ、国民党は見事そのチャンスを生かすことに成功する。

 05年3月、中国の全国人民代表大会(全人代)は、「台湾が独立を宣言すれば、中国は武力行使も辞さない」とする反国家分裂法を採択し、これを受けて台湾では反中感情が高まりをみせる。しかしそれでも、国民党主席の連戦(李登輝時代の副総統)は4月に北京を訪問するという賭けに打って出た。1949年以来、台湾の主要政党の党首が中国を訪問したのはこれが初めてだった。

 連戦と胡錦涛は台湾独立に反対する共同声明を発表し、ともに「一つの中国」に合意した92年合意を再確認した(ただし台湾は「一つの中国」の意味の解釈については独自の見解を持っている)。さらに連戦は北京大学での感情を込めた演説で、中国の過去の栄光を称え、台湾と中国の協調という前向きの未来への抱負を語った。連戦の北京訪問直後に行われた世論調査では、台湾の有権者の56%が彼の北京訪問を支持し、 46%が中台問題に対処するには国民党が最もふさわしい政党、だと答え、同じ質問に民進党だと答えた有権者はわずか9・4%だった。

 連戦が北京を訪問して以降、他の野党政治家たちもこの流れに続き、「中国側も中台の貿易と文化交流の拡大に前向きである」というメッセージを持ち帰った。国民党は、陳総統を迂回して北京と交渉し、農産物輸出をめぐる中国市場への優遇アクセス権を引き出すことに成功した。さらに国民党と中国の台湾事務弁公室は、中台間のコミュニケーションを促し、台湾企業の中国におけるビジネス上の問題の解決を支援する組織を立ち上げた。実質的に、北京は、台湾における政治勢力としての国民党の後押しをしていた。

国民党の新戦略はうまく機能し、05年12月の地方首長選挙はでは民進党に圧勝した。23の議席やポストが争われたこれらの選挙で陳総統の民進党は六つの議席とポストを確保しただけで、残りはすべて国民党を中心とする野党連合が制した。選挙では、民進党の汚職、中国への政策が大きな争点とされた。これらの地方選挙でも、有権者は投票を通じて安定した中台関係、現実的な外交・経済政策がとられることを望んでいることをはっきりと示した。

 選挙以降、陳と民進党に対する支持率は急落し、12月の世論調査によれば、陳総統を支持しているのは有権者のわずか10%、経済界のわずか5%で、民進党への支持率も18%に低下した。こうしたなか、民進党の内部では分裂の兆しが見え始めている。現実路線への転換を目指す若手政治家は、「台湾独立原理主義」の立場をとるベテラン政治家たちと党内で主導権争いを始めている。

 この新たな政治的現実に対応しようとしない陳は、国民党の中国との交渉路線を非難し、中国側交渉者の台湾入りを拒否し、野党政治家が北京と交渉してまとめた非公式合意の受け入れを拒絶した。陳は05年元旦の演説で、独立と新憲法の制定をまたしても訴えた。それだけではない。台湾の経済界が民進党を離れ、国民党を支持するようになり、政府の世論調査でも、有権者の75%以上が貿易の自由化を求めているにもかかわらず、海峡間の経済関係への制約を強化すべきだと主張した。1月になると中国は2頭のパンダを・台湾に寄贈すると申し入れ、台湾市民もこの提案を受け入れることを強く望んでいるが、陳政権は、北京の「パンダ外交」の目的は「中国の脅威に対する台湾の警戒心を弱めることにある」と主張し、この申し入れを受け入れることに難色を示している。

一方、国民党への市民の支持は上昇している。 05年12月の選挙を受けて、08年の総統選挙では現台北市長の馬英九が国民党の総統侯補になると考えられており、最近の世論調査では80%の支持を得ている。馬英九は独立路線への反対を表明しており、彼自身が交渉に関係していた中国との92年合意を支持し、台湾の経済成長を促進するために、中国との貿易を自由化し、中国との船便やフライトの直接乗り入れを実現することを求めている(現在のところ貨物と来客は香港を経由しなければならない)。

 すでに指摘したように、台湾の有権者はこれまでも一貫して独立を宣言することには否定的だった。リスクがあまりに大きすぎるからだ。中国の台湾に対する軍事的・経済的影響力が増大すればするほど、リスクは大きくなる。アメリカには、こうしたリスクから台湾を完全に守る力はない。中国のミサイル攻撃から台湾を守る力はワシントンにはないし、中国との経済交流に代わるような経済的利益を台湾に与える力もない。いずれにせよ、すでに100万人以上の台湾市民が中国で生活しており、今後ますます多くの台湾市民が中国での教育や経済上の機会に恵まれるようになれば、台湾独立への横運はますます衰えていくだろう。(中略)

ロバート・S・ロスボストンカレッジ教授は、米国の現在の考え方を

 かねてワシントンは、米中戦争を誘発する危険がある以上、台湾の独立に向けた動きをアメリカの安全保障に対する脅威とみなしてきた。だが、ロバート・ゼーリック国務副長官が05年9月にまとめた米中開係に関する包括見直し文書には、台湾に関してはわずか三つの中立的な文章が盛り込まれただけだった。これは、アメリカが中台関係の現状に満足していることの証左である。いまや台湾独立の気運は廃れ、米中戦争のリスクも低下しており、東アジアにおけるアメリカの利益を擁護していくに適した環境が生まれつつある。(以上)

私は今まで新聞や雑誌などが伝えた中国と台湾の関連する情報をお伝えしてきましたが、この論文はとても詳しい情勢分析をしています。米中首脳会議で中国は「平和的な中台統一をめざす」と言明しています。この論文を見れば中国の政治姿勢、台湾の野党と住民の多数はその方向を望み歩んでいます。

台湾地域の情勢を念頭に入れて中国の脅威を宣伝する人もいますが、論文の分析からは根拠が見出せません。中国の軍拡政策を根拠に脅威を述べる人もいますが、中国の政策を総合的に見れば脅威と取れる政策が突出しているとはいえません。従って中国の脅威を口実にして、改憲して「自衛軍」という軍隊を持ち、軍事体制の強化をはかる必要はありません。

政治家の靖国神社参拝が意図するもの/山崎孝

2006-04-23 | ご投稿
2006年4月22日付「しんぶん赤旗」電子版

国会議員96人が靖国参拝 自民・民主など 政務官6人参加

 「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は二十一日朝、東京・九段の靖国神社で集団参拝を行い、自民、民主などの国会議員九十六人(衆院六十二人参院三十四人)が参加しました。閣僚、副大臣の参拝はありませんでしたが、総務省の桜井郁三、環境省の竹下亘の各氏ら政務官六人が参拝しました。

 靖国神社は日本の侵略戦争を「正しい戦争」と正当化する宣伝センターの役割を果たしており、政治家の参拝は侵略戦争正当化論を後押しするものです。

 同会の尾辻秀久幹事は、竹島周辺海域での海洋調査問題の起きている中での参拝について聞かれ、「そういうことは意識していない。いつもの通りのお参りだ」と答えました。

 日本遺族会の古賀誠会長は、小泉純一郎首相や次期首相の参拝について「遺族会としては、首相の靖国参拝の定着は英霊の顕彰という意味で大きな課題」としながら、「お参りになる、ならないは首相の心の問題だ」と述べました。

 会の幹部が衆院千葉7区補選の応援で欠席するなど昨秋の百一人には届きませんでしたが、八十余人という例年規模を上回る参加でした。代理出席を含めると百九十人にのぼります。

 自民党議員のほか、民主党の鈴木克昌副幹事長など民主党、国民新党の議員の出席もありました。

4月21日付朝日新聞抜粋

記事には、日本遺族会会長でもある古賀誠元自民党幹事長は参拝後の記者会見で、中韓両国のA級戦犯合祀に対する批判について「私は常にお参りする時は心の中で分祀している。お参りする一人ひとりの心の中の問題だ」と述べ、政治問題化すべきではないとの考えを示した。(中略)

 古賀氏は記者会見で、新たな国立追悼施設の建設を求める声があることについては「認めるわけにはいかない。靖国神社こそ唯一の追悼施設だ」と批判。小泉首相や後継首相の参拝に関しては「総理の心の問題として、冷静な気持ちで見守っていくことが大事だ」と語った。(以上)

「論座」2006年5月号掲載、「新しい歴史教科書をつくる会」前会長八木秀次氏は、西部邁氏との対談で、首相の靖国参拝は続けるべき、それは安全保障の問題でもある。首相の靖国参拝は国のために殉じた英霊を公的に顕彰することである。国に殉じたのに後の政府が顕彰もしてくれないとしたら、誰が今後、国のために殉じようと思うかと話しています。

日本遺族会古賀誠会長は、小泉純一郎首相や次期首相の参拝について「遺族会としては、首相の靖国参拝の定着は英霊の顕彰という意味で大きな課題」と英霊の顕彰という意味を上げ、「靖国神社こそ唯一の追悼施設だ」と述べています。この発言は靖国神社以外の施設では、英霊の顕彰は出来ないと理解できます。

靖国神社参拝の政治家の、心の中に秘めたものを考えて見ます。「英霊の顕彰」とは、侵略戦争であった15年戦争での兵士の功績・任務を讃えるという意味を客観的には持ちます。この兵士の任務は国・軍に命令されて、他国の領土で、人間の心を封じ込めて、他国の人を殺傷した行為が客観的には含まれております。日本の領土が攻撃された祖国防衛ならば、その功績を讃えても不自然ではありません。この場合も何故日本が攻められたかは明確にしなければなりません。真のガンマン精神だったか、です。

「国に殉じたのに後の政府が顕彰もしてくれないとしたら、誰が今後、国のために殉じようと思うか」という考えは、再び国に殉じる若者を育て上げなければならないとする考え方で、自民党の教育基本法改定に秘められた心根です。今日の日米軍事同盟の関係で考えられることは、日本を守るだけではない戦争を想定しなければなりません。憲法を守らなければならない必然性がここにあると思います。日本の外交は憲法の前文の精神を生かして、日本が攻撃を受けないよう、そして世界の平和に貢献しなければならないと思います。

今回の新聞報道をよく読めば、政治家の靖国神社参拝は、単なる戦死者の追悼ではないことが明らかで、靖国神社の政治的メッセージと同調していることが明瞭になりました。

原爆資料館、国の重要文化財に指定へ/山崎孝

2006-04-22 | ご投稿
2006年4月22日付け朝日新聞記事から

広島の平和への思いを伝える、広島市の広島平和記念資料館(原爆資料館)と世界平和記念堂が、戦後の建築として初めて重要文化財に指定されることになった。文化審議会(阿刀田高会長)が21日、この2件を含む12件の建造物を重要文化財に指定し、群馬県の舟部桃赤岩地区など5カ所を重要伝統的建造物群保存地区に選定するよう、小坂文部科学相に答申した。

 記念資料館は丹下健三氏(1913~2005)の設計。平和記念公園の中心施設として55年に開館。戦災から立ち上がるかのようなピロティなどが特徴で、国際的に高い評価を受けた初の戦後建築といわれる。

 54年に献堂された記念聖堂は、広島から世界平和の実現を祈念する先駆的建築。つつましくも威厳を備えた、村野藤吾氏(1891~1984)の代表作の一つだ。

また、ドイツ人建築家ブルーノ・タウトが日本に唯一残した旧日向家熱海別邸地下室(静岡県熱海市)も指定される。そのほかは以下の通り。(以下省略)

旧日向家熱海別邸地下室などは、過去の人の業績を顕彰して、後世に伝えていくため、国の重要文化財に指定されるのだと思います。しかし、広島平和記念資料館(原爆資料館)と世界平和記念堂の持っている意味は、建物を造った人の業績を顕彰し後世に伝えようとするものだけではないことは言うまでもありません。原爆投下による惨禍の意味を、現在の日本と世界の政治に生かしていくこととつながるものでなければと思います。

2005年広島市平和宣言は次のように述べています。

被爆60周年の8月6日、30万を越える原爆犠牲者の御霊(みたま)と生き残った私たちが幽明の界(さかい)を越え、あの日を振り返る働突(どうこく)の刻(とき)を迎えました。それは、核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、継承と目覚め、決意の刻でもあります。

 この決意は、すべての戦争犠牲者や世界各地で今この刻を共にしている多くの人々の思いと重なり、地球を包むハーモニーとなりつつあります。

 その主旋律は、「こんな思いを、他の誰にもさせてはならない」という被爆者の声であり、宗教や法律がそろって説く「汝(なんじ)殺すなかれ」です。未来世代への責務として、私たちはこの真理を、なかんずく「子どもを殺すなかれ」を、国家や宗教を超える人類最優先の公理として確立する必要があります。

 9年前の国際司法裁判所の勧告的意見はそのための大切な一歩です。また主権国家の意思として、この真理を永久に採用した日本国憲法は、21世紀の世界を導く道標です。(以下省略)

「核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、継承と目覚め、決意の刻でもあります。」

という言葉と正反対の発言が過去にありました。

1999年10月、防衛庁の西村慎吾政務次官(自由党)は、「フライディー」という週刊誌掲載の対談記事で、日本は核武装の検討が必要という意味の発言をして、追及を受けて辞任に追い込まれています。

「サンデー毎日」の2002年6月2日号の記事は、安倍晋三氏は、5月、早稲田大学の構内で行われたシンポジウムでの発言を掲載しました。安倍晋三氏は「原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね」「日本は非核3原則がありますからやりませんけども、戦術核を使うということは、昭和35年(1960年)の岸総理の答弁で『違憲ではない』という答弁がされています」などと述べて、核兵器を肯定するかのような発言をしています。このような考えをしていた人物が、次の総理大臣の最有力候補になっています。

2004年の広島市平和宣言では、イラク戦争を厳しく批判し、2005年の広島市平和宣言は、「日本国憲法は、21世紀の世界を導く道標」と述べています。この考えと正反対の位置にあるのが、現在の自民党政府です。

小泉首相の「常識」論を考える/山崎孝

2006-04-21 | ご投稿
4月20日の朝日新聞に5年間の小泉改革について述べた記事かありました。日本の安全保障・外交面の検証でした。以下記事の抜粋です。

防衛庁ができてから今年で52年。その間、安保関連の法制定や法改正のうち約6割は小泉政権が手がけた。テロ特措法やイラク特措法、有事法制、平和維持軍(PKF)の凍結解除も実現した。石破茂・元防衛庁長官は「戦後に積み残された宿題は小泉内閣で相当終わった」と話す。

 なぜ、可能だったのか―。テロ特措法案の国会審議で首相が連発した「常識論」があった。

 首相は01年10月の国会質疑で派遣自衛隊の武器使用について「仲間が危機にひんしていれば常識で助けることができる。もう常識でやりましょう」と語り、「神学論争はやめよう」とした。

 さらに「自衛隊も海外派遣していい、というのがほば常織的になってきた」「常識的に自衛隊はほとんどの国民が考えれば、『戦力』と思う」などと発信を続けた。

 憲法解釈で争点となってきた戦力不保持や集団的自衛権の不行使、武力行使の一体化論など、歴代政権がガラス細工のように組み立ててきた理論は、首相の「常識論」で大きく揺らいだ。

 「憲法解釈で社会党が反発、国会が紛糾した55年体制下ではあり得ない答弁。高い支持率を誇る首相の『常識論』は国民にも受け入れられた」。外務省幹部の解説だ。

 安全保障環境も、首相を後押しした。古川貞二郎・前官房副長官は「北朝鮮のテポドン発射や9・11テロなどが起き、国民の安全保障への意識も変わった」と指摘する。

 小泉流「常識論」は、イラクヘの陸上自衛隊派遣につながっていく。

 「原稿はいらない。おれがしゃべるから材料をくれ」。米国がイラク空爆を事前通告してきた03咋3月19日、首相は事務方にそう指示した。翌日に記者会見を控えていた。

その会見で米国の武力行使開始を理解し、支持いたします」と明言。「米国は日本への攻撃は米国への攻撃と見なす、と言っているただ一つの国だ。日本を攻撃しようと思ういかなる国に対しても、大きな抑止力になっていることを国民は忘れてはなら㍍い」と力を込めた。首相は「日米同盟」の意味合いを端的に表現した。(中略)

 福田康夫元宮房長官は、首相の外交政策について、こう総括する。

 「外交を見直す機会にはなったが、新しいものの組みたてができていない。マイナスと言われても仕方ない」

 ポスト小泉を選ぶ9月の自民党総裁選。日米関係と東アジアの関係をどう再構築するのか。次期首相の構想が問われる。(以上)

首相の述べた「常識論」を考えてみます。「仲間が危機にひんしていれば常識で助けることができる。もう常識でやりましょう」について、戦争に懲りた多くの日本人は、このような危険な状況に陥らないようにしたいと考えて、国際紛争に武力を用いないとした平和憲法を堅持して、敵国を作らないことを考えました。そのために学者は全面講和を主張しました。60年安保闘争を行ないました。

「自衛隊も海外派遣していい、というのがほば常織的になってきた」「常識的に自衛隊はほとんどの国民が考えれば、『戦力』と思う」について、現在の多くの国民意識・常識は、自衛隊が海外で活動することが出来るという活動内容は、外国の災害救助活動・真の人道的支援ならば良いです。1992年のカンボジアPKOには、当時の多くの学者や国民は反対しています。日本の警察組織を海外に派遣することは、何れは自衛隊が海外に派遣されて軍事と関る活動への突破口にされると考えたからでした。この懸念は2001年のテロ対策特措法や2003年のイラク復興支援特措法で、戦争をしている他国軍隊の後方支援として現れています。

「常識的に自衛隊はほとんどの国民が考えれば、『戦力』と思う」について、国民の大多数の考えは、専守防衛のための『戦力』というのを常識としています。集団的自衛権行使のための『戦力』ではありません。米軍は日本を守ることのみに活動してはいません。むしろ、ベトナム戦争やイラク戦争で明確に示されたように、他国を侵略するために日本にある軍事基地を最大限利用しています。

小泉首相の述べた「米国の武力行使開始を理解し、支持いたします」は、決して国際社会の常識ではありませんでした。

改憲の狙いや教育基本法改定の狙いは、日本の軍事組織が米軍と共に共同行動するのが、日本国民の「常識」にするための企てだと考えます。

国際社会の常識は、日本国憲法や国連憲章で明らかにしているように、侵略行為をしない、武力による威嚇はしない、国際紛争の解決を武力で解決しないが、基本原則・世界の常識にしています。先に私が紹介したように、米国はこれらのことを一番守らない実績を持っています。このことを抜きにして憲法改定問題を考えてはならないと思います。