いせ九条の会

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本土が沖縄化されてゆく/山崎孝

2006-06-29 | ご投稿
2006年6月26日付け朝日新聞コラム欄『風考計』若宮啓文論説主幹の文集より抜粋

(前略)沖縄では地元の沖縄タイムスも琉球新報も、今年はことのほか「憲法」の特集記事が目立っている。憲法に寄せる沖縄の熱い思いは健在だ。

そもそも、かつて沖縄が渇望した祖国復帰は「平和憲法の国」への復帰だった。基地が引き起こした人権揉欄の数々やベトナム戦争への出撃など、沖縄の現実が憲法の対極にあったからだろう。屋良朝苗・琉球政府主席(後の県知事)は復帰を目前にして「沖縄を憲法普及の原点に」と訴えたし、平良良松・那覇市長は「憲法の心を沖縄の心にしよう」と語った。那覇市は85年、憲法9条を刻み込んだ「平和祈念碑」を建てている。

 だが、願いは報われなかった。

 戦後の日本は平和憲法の一方で日米安保条約をもち、ふたつの微妙なバランスの上に生きてきた国である。そんななか、沖縄は復帰の後も自ら望んだ「憲法」ではなく、ひたすら「安保」の方を請け負わされてきた。それがこの島の悲しさであり憤りではないか。辺野古で見られる基地反対の情念は、そう考えないと理解できまい。

 いや、自分たちが平和憲法の下に入ることなど、もとから幻想だったのだと言うのは、反骨の言論人として知られるの基地にあぐらをかいてきたのではないか――。新川明さん(75)だ。沖縄があればこそ本土は平和憲法を享受してこられたのだ。9条を守れという本土の運動すら、沖縄の基地にあぐらをかいてきたのではないか――。

 この5月、日米の外交・防衛閣僚による「2プラス2」の協議で、新たな「在日米軍再編案」が合意された。

普天間基地の移転とともに沖縄海兵隊の一部をグァム島に移し、米軍用地も若干返される。嘉手納基地の戦闘機の一部を本土の自衛隊6基地に分散し、訓練は日米共同に。一方、米国から陸軍の中枢機能(第 1軍団司令部)を神奈川県の座間基地に移し、アジアから中東までにらむことになる。

沖縄の負担を本土が分かち合うのはいいとして、これは日米同盟の中身を一気に深めることでもある。少しオーバーに言えば、「本土の沖縄化」を進め、日本全体を「安保の列島」にするということか。沖縄が熱望した憲法そのものも改正論議に揺れている。

 間もなく訪米する小泉首相は、民主主義という「共通の価値観」による同盟の強化をブッシュ大統領とうたい上げるという。だが、国際世論の反対を押し切ってイラク戦争に突入した米国の反省も、中国などとの関係を損なった小泉外交の反省もないまま、米国の軍事戦略にどんどん組み込まれていくのが本当によいことだろうか。(後略)

2006年6月27日付け朝日新聞「論壇時評」で政治学者の杉田敦さんは、次のように指摘しています。

 国民不在の場で国策が定義されるという手法は、本土の「沖縄化」というべき、最近の米軍再編にまで受け継がれている。そして、国家の無謬神話を維持するために、個人の運命や名誉など一顧だにしないという酷薄さは、ドミニカ「棄民」たちが半世紀にわたって味わわされ続けてきたものである。(以上)

本土の沖縄化の一番の特徴は、米陸軍の中枢機能(第1軍団司令部)を神奈川県の座間基地に移し、アジアから中東までにらむことになることにあらわれ、次に基地周辺の住民の生活環境悪化が更に進んでしまうことだと思います。

在日米軍の再編は、日米の軍事司令部を隣接、密接に連携させ、専守防衛ために持つとした自衛隊が海外活動に大きく比重を移して変質してゆきます。その変質する過程において自衛隊の海外活動に障害となる平和憲法を変えることが、自民党政府の政治課題となってきています。