【「日本は同質的な国」「人権メタボ症候群」文科相の感覚欠如】(2月27日付「しんぶん赤旗」ニュース)
伊吹文明文部科学相の「(日本は)大和民族が統治した同質的な国」との発言が波紋を広げています。発言は二十五日、長崎県長与町で「教育再生の現状と展望」のテーマで、昨年改悪された教育基本法について語った際のものです。
日本には、独自の民族的存在であるアイヌ系住民や、強制連行などによって少なくない在日韓国・朝鮮人が生活しています。伊吹氏の発言は、こうした人たちの存在を見ない暴言です。
しかも、改悪教育基本法では、「教育の目標」として「国を愛する態度」など二十以上の徳目を盛り込みました。愛国心押し付けの先頭に立った閣僚に、少数民族に対する意識が欠如していることを示しました。
ところが、安倍晋三首相は二十六日、「特に問題だとは思わない」と述べ、塩崎恭久官房長官も同日の記者会見で「発言の趣旨全体を見ると、特段問題視すべき性質のものではない」と述べるだけでした。
かつて、一九八六年に中曽根康弘首相(当時)が「日本は単一民族国家なので比較的教育はおこなわれやすい」と失言し、世界中から批判を浴びました。伊吹発言は、その反省もないものです。
伊吹氏はさらに、人権をバターに例え「栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」(「朝日」二十六日付)と語ったとも報じられています。
国民に対して、生活保護の老齢加算や母子加算の廃止、国保証の取り上げなどで憲法が保障する生存権さえ脅かしておきながら、“人権を食べすぎ”などとやゆする神経にはあぜんとするばかり。北九州市では、生活保護を二度申請するも市役所に拒否され、餓死する事件まで起きています。
伊吹氏の発言は、人権感覚の欠如した自民党政治を象徴するものです。(以上)
人権をバターに例え「栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」筈なのに、成果第一主義の企業風土の中で健康が破壊され過労死が発生する。人を大切にしない政治の中で人の心が荒廃する、自分の存在に疑問を持ち、生きていても仕方がないという疎外感や諦念が生まれる、経済的な行き詰まりの理由が多く含まれた年間3万人を超える自殺者がどうして発生するのでしょうか。まことに不思議な話です。人権とは人を一番に大切にすることなのに。
2005年10月、九州国立博物館の開館挨拶の中で「日本は一民族、一言語、一文化である」と述べた大臣の発言や「(日本は)大和民族が統治した同質的な国」という発言は、異質なものを排除し「日本民族は万国に比類なき優秀民族なりとの自負心」につながる考えです。この自負心を捨てないと「真に謙虚な国際社会の一員たる再出発をなし得ないと思うが、如何ですか」というハーバート・ノーマンの問いかけが、戦後62年を経た今日、再び問いかけられなければいけない必要を感じます。
自民党は現在の時点での再出発は、安倍首相の主張する戦後レジームの脱却ですから、脱却以前の、国家が個人の上に君臨した大日本帝国憲法への回帰です。だから、自民党新憲法草案は「公(国家)の秩序を保つために個人の自由を制限する」考え方を盛り込み、安倍首相は、戦前の「教育勅語」を素晴らしいなどと国会で述べ、人の命を軽視した考えの、日米同盟は「血の同盟」と述べるのです。「美しい国」という想念は、国民の一糸乱れぬ隊列行進の姿を思い描いているのでしょう。
追伸1 2月28日の朝日新聞のコラム欄に、政治家の失言が、こつこつと仕事で信用を築いてきたビジネスマンの信用を台無しにする場合がある、との言葉があります。
追伸2 同日の朝日新聞にかつての朝鮮軍司令官・宇都宮太郎大将の日記が発見されたことが報じられていました。宇都宮大将は統治政策の「武断政治」を批判的に捉えた軍人です。日本は「3・1朝鮮独立運動」後に、懐柔を目的にした朝鮮の人たちに文化の発露を許した「文化政策」に転換しました。この政策により映画「アリラン」が生まれ、朝鮮民謡のアリランが日本人にも知られるようになりました。
宇都宮太郎は英国公使館付武官の時は、ロシア革命の革命派を援助してロシア帝国を混乱させ、日露戦争に有利状況を作りだそうとした。また、辛亥革命の時は、海外情報・諜報担当の参謀本部第2部長で政府の方針に反して孫文を援助しています。吉良芳恵・日本女子大教授は次のように述べています。「宇都宮の活動の底流には独自のアジア認識がある。中国の革命派を援助し、武断政治的な朝鮮統治を批判したのもそのためだ。彼の思想は、形を変えて長男・徳馬氏のアジア平和外交に継承された。」(以下略)宇都宮徳馬氏は私の尊敬する方です。日中国交正常化に努力し、宇都宮軍縮研究所を設立して平和の問題に生涯を捧げています。
吉良芳恵氏の言葉で皆さんが想起するのは、中国東北部で傀儡国家満州国建設のために活動した岸信介元首相とその血統を受け継いだ安倍首相のことでしよう。血はあらそえません。
伊吹文明文部科学相の「(日本は)大和民族が統治した同質的な国」との発言が波紋を広げています。発言は二十五日、長崎県長与町で「教育再生の現状と展望」のテーマで、昨年改悪された教育基本法について語った際のものです。
日本には、独自の民族的存在であるアイヌ系住民や、強制連行などによって少なくない在日韓国・朝鮮人が生活しています。伊吹氏の発言は、こうした人たちの存在を見ない暴言です。
しかも、改悪教育基本法では、「教育の目標」として「国を愛する態度」など二十以上の徳目を盛り込みました。愛国心押し付けの先頭に立った閣僚に、少数民族に対する意識が欠如していることを示しました。
ところが、安倍晋三首相は二十六日、「特に問題だとは思わない」と述べ、塩崎恭久官房長官も同日の記者会見で「発言の趣旨全体を見ると、特段問題視すべき性質のものではない」と述べるだけでした。
かつて、一九八六年に中曽根康弘首相(当時)が「日本は単一民族国家なので比較的教育はおこなわれやすい」と失言し、世界中から批判を浴びました。伊吹発言は、その反省もないものです。
伊吹氏はさらに、人権をバターに例え「栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」(「朝日」二十六日付)と語ったとも報じられています。
国民に対して、生活保護の老齢加算や母子加算の廃止、国保証の取り上げなどで憲法が保障する生存権さえ脅かしておきながら、“人権を食べすぎ”などとやゆする神経にはあぜんとするばかり。北九州市では、生活保護を二度申請するも市役所に拒否され、餓死する事件まで起きています。
伊吹氏の発言は、人権感覚の欠如した自民党政治を象徴するものです。(以上)
人権をバターに例え「栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」筈なのに、成果第一主義の企業風土の中で健康が破壊され過労死が発生する。人を大切にしない政治の中で人の心が荒廃する、自分の存在に疑問を持ち、生きていても仕方がないという疎外感や諦念が生まれる、経済的な行き詰まりの理由が多く含まれた年間3万人を超える自殺者がどうして発生するのでしょうか。まことに不思議な話です。人権とは人を一番に大切にすることなのに。
2005年10月、九州国立博物館の開館挨拶の中で「日本は一民族、一言語、一文化である」と述べた大臣の発言や「(日本は)大和民族が統治した同質的な国」という発言は、異質なものを排除し「日本民族は万国に比類なき優秀民族なりとの自負心」につながる考えです。この自負心を捨てないと「真に謙虚な国際社会の一員たる再出発をなし得ないと思うが、如何ですか」というハーバート・ノーマンの問いかけが、戦後62年を経た今日、再び問いかけられなければいけない必要を感じます。
自民党は現在の時点での再出発は、安倍首相の主張する戦後レジームの脱却ですから、脱却以前の、国家が個人の上に君臨した大日本帝国憲法への回帰です。だから、自民党新憲法草案は「公(国家)の秩序を保つために個人の自由を制限する」考え方を盛り込み、安倍首相は、戦前の「教育勅語」を素晴らしいなどと国会で述べ、人の命を軽視した考えの、日米同盟は「血の同盟」と述べるのです。「美しい国」という想念は、国民の一糸乱れぬ隊列行進の姿を思い描いているのでしょう。
追伸1 2月28日の朝日新聞のコラム欄に、政治家の失言が、こつこつと仕事で信用を築いてきたビジネスマンの信用を台無しにする場合がある、との言葉があります。
追伸2 同日の朝日新聞にかつての朝鮮軍司令官・宇都宮太郎大将の日記が発見されたことが報じられていました。宇都宮大将は統治政策の「武断政治」を批判的に捉えた軍人です。日本は「3・1朝鮮独立運動」後に、懐柔を目的にした朝鮮の人たちに文化の発露を許した「文化政策」に転換しました。この政策により映画「アリラン」が生まれ、朝鮮民謡のアリランが日本人にも知られるようになりました。
宇都宮太郎は英国公使館付武官の時は、ロシア革命の革命派を援助してロシア帝国を混乱させ、日露戦争に有利状況を作りだそうとした。また、辛亥革命の時は、海外情報・諜報担当の参謀本部第2部長で政府の方針に反して孫文を援助しています。吉良芳恵・日本女子大教授は次のように述べています。「宇都宮の活動の底流には独自のアジア認識がある。中国の革命派を援助し、武断政治的な朝鮮統治を批判したのもそのためだ。彼の思想は、形を変えて長男・徳馬氏のアジア平和外交に継承された。」(以下略)宇都宮徳馬氏は私の尊敬する方です。日中国交正常化に努力し、宇都宮軍縮研究所を設立して平和の問題に生涯を捧げています。
吉良芳恵氏の言葉で皆さんが想起するのは、中国東北部で傀儡国家満州国建設のために活動した岸信介元首相とその血統を受け継いだ安倍首相のことでしよう。血はあらそえません。