いせ九条の会

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教育基本法改定案に接近している教育現場/山崎孝

2006-06-13 | ご投稿
現在の教育現場の一端を2006年6月10日の朝日新聞は、自社の調査結果の記事を掲載しています。

 「国を愛する心情」を通知表の評価項目に盛りんでいる公立小学校、少なくとも13都府県市区町村に190校あることが、朝日新聞の調べでわかった。かつて盛り込んでいたが削除したという学校は、少なくも122校あり、その多くが児童の内面を評価することの難しさを理由に挙げている。

 教育基本法改正案が国会に提出される中、5月下旬から6月にかけ、各都道府県や市区町村の教員会などに取材し、咋年度の通知表に「愛国心」の項目があることが判明した学校数を集計した。通知表は学校が独自に作る原則で、教委などがつかんでいない例が他にもある可能性がある。

 「愛国心」を通知表に盛り込んでいる学校数は3年前の調査では172校だった。今回は、前回の調査で把握できなかった学校が新たに判明する一方、3年の間に「愛国心」の項目を削除した学校もあり、差し引きで全体では若干の増加となった。(以下略)

通知表に愛国心の項目が盛り込まれていることと関連して、早稲田大学社会科学部教授の西原博史さんは、教育現場の姿と教育基本法改定案について次のように述べています。(「世界」7月号より抜粋)

福岡市などでは「愛国心の評価」が既に始まっています。二〇〇二年、福岡市の約半数の小学校六九校で使われた通信簿では、「社会」科目の、それも一番目の評価項目が「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を持つとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚を持とうとする」でした。翌年以降も福岡県の校長会は「愛国心の評価」を伴う通信簿をモデル案の一つとして示し続けています。こうした流れの中で考えると、

教育基本法が変えられた場合、国家にとって望ましい態度が実現できているかを評価するという姿勢が、全国的に教育現場に定着していく恐れがあります。

例えば、改定案には、「国際社会の平和と発展に寄与する態度」という文言がありますが、イラク戦争を正しい戦争だったと考えるようになることが平和と発展に寄与することである、などと押し付けられかねない。それに異を唱える教員たちの排除も容易になるでしょう。

 実際、愛国心の評価に関しては、「君が代」の歌を拒杏する姿勢は愛国的でないと評価されているのが今の日本です。東京の学校では、国歌を歌うかどうか「自分で判断してほしい」と教師が言うことすらもタブーになっています。国民として望ましい心のあり方を上から権力的に定め、学校内の上意下達システムを通じて貫徹していくことは、今の日本では決して空想上のできごとではなくなっているのです。

 教員の排除に関しては、現実に、卒業式で国歌斉唱時に起立しない教員の処分という形でかなり進んでいます。今年三月の段階では停職三方月でしたが、年度を経るごとに処分が厳しくなっていて、次は停職六方月か懲戒免職であろうと言われている。既に、国家や校長の教育方針、学習指導要領、教育目標の実現の仕方に対して異を唱える教員は排除していい、首を切っていいという方向で動き始めているのです。

 ただ、これは法的にいうと、危ない橋を渡っての既成事実化という面があります。現に裁判が複数進行していますが、たとえば昨年四月の福岡地方裁判所の判決のように、減給処分は行き過ぎだ、違法だとする判決も出ています。その他、東京都の教員処分などに関しても数多くの裁判が提起されているし、国歌のピアノ伴奏に関わる事件は一年以上も最高裁に係属している状態です。裁判所としては、子どもの思想・艮心の自由を踏まえた場合に、国歌斉唱の暴力的な強制は認めるわけにはいかない、という線だと思います.

 ところが、教育基本法の中で愛国心が教育目榛として明示されたら、教育がすべてそこに向けて組織されることを国民は合意済みということになる。この決断は、裁判所の判断にも影響してくる可能性があります。国民が愛国心教育を求めている以上、愛国心教育は思想・良心の自由の例外だと考えざるを得ない、と。

 ただ、思想・良心の自由より国民として望ましい考え方を持つ義務を優先してしまったら、そこにはもう、人権保障も民主主義もありません。(以上)

西原博史教授が「東京の学校では、国歌を歌うかどうか「自分で判断してほしい」と教師が言うことすらもタブーになっている」と述べていますが、このことについて「しんぶん赤旗」2006年6月9日の電子版で報道しています。

日本共産党の笠井亮議員は八日、衆院教育基本法特別委員会で、東京都の「日の丸・君が代」の押しつけについて「教師を人質にとった思想統制と考えています」という生徒の発言を紹介し、「これが教育上好ましいことか」とただしました。

 東京都は卒業式・入学式の「君が代」斉唱時に生徒が不起立だったことを理由に、教員を「注意」「厳重注意」にしています。

 小坂憲次文部科学相は一般論として「内心の指導をおこなっている状況があれば是正しなければならない」とのべただけでした。

 このため、重ねて笠井氏は、ホームルームで「立つも立たないもあなたたちの判断だ」とのべた都立高校教員が都教委の「注意」をうけたことを取りあげて追及しました。

 小坂文科相は「(指導の)一番最初に、内心の自由があるから歌わなくてもいいんだよといってから歌詞などを教えても覚える下地ができない」「私なりに想像してそういう感覚を持った」などと答弁。笠井氏は「大臣は現場の教師を最初から疑っている。とんでもない発言だ」と批判しました。

 一九九九年の「国旗・国歌」法制定時に野中広務官房長官(当時)は「式典等において起立する自由もあれば起立しない自由もある」と答弁しています。笠井氏は「政府の答弁と同じことを生徒に伝えるのがいけないのか」と迫りました。

 安倍晋三官房長官は野中答弁を認めたものの、「国旗・国歌について国々がどのように敬意を払っているかを教えることはきわめて重要だ」などと述べました。

 笠井氏は、「国会答弁を生徒に伝えたら教師が『注意』をうけるなど法治国家にあるまじきこと。このまま教基法が改定されれば、この事態が全国に広がりかねない。廃案にすべきだ」と強く主張しました。(以上)

自民党新憲法草案には、個人の思想信条の自由は「公の秩序」を理由に制限できるようになっています。この規定を使えば、国民が一致団結して戦争に勝利しなければならないときに、国家の秩序を乱す行為として戦争に反対することにも適用されかねません。

米国と国連の対立が起こっています。6月10日の朝日新聞報道には、マロックブラウン国連副事務総長が「国連をこっそりと外交の道具として使いつつ、国内(米国)からの国連批判(FOXニューズなどの国連を中傷するニュース)に対処しようとしないやり方では、(国連)はもたない」と発言したことに対して、ボルトン国連大使がこの発言を撤回するよう求めましたが、アナン国連事務総長は拒否しました。朝日新聞は、国連改革をめぐる米国と途上国の対立が解けない中で、今度は米国と事務局の対立という新たな火種が持ち込まれた格好だ」と書いています。

毎日新聞の6月8日の電子版では、ブラウン氏は国連経験の長い英国人で、米国政府から信頼が厚いと言われていた。今年4月にアナン事務総長の官房長から副事務総長に昇格した際には、米国よりの人事との見方があったと伝えています。

マロックブラウン国連副事務総長の「国連をこっそりと外交の道具として使いつつ」というフレーズで、以前に紹介した緒方貞子さんの米国は国連を利用できるときは利用するが、国連の言うことには従わないという趣旨の発言を思い浮かべます。

イラク戦争のように国連や国際法を無視した行動を取るのが米国です。日本が集団的自衛権行使が出来るようになれば、日本は米国と国連が対立する問題でも、米国に従い国際社会から歓迎されない武力行使を他国の領土で発動することになるでしょう。

米国はイランの核問題では初めは拒否していた話し合いのテーブルに着こうとしていますが、2006年6月12日の朝日新聞は「米政府はすでに『有志連合』による金融制裁への協力を日本政府に求め、日本側が内容の検討を進めている」と報道しています。

国連で一致しない場合でも、米国を中軸とした行動を考えています。政府はこれを国際貢献の活動としかねません。