いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
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何が世界平和の現実的脅威か/山崎孝

2006-07-31 | ご投稿
【子どもら57人が死亡イスラエル軍爆撃で】7月31日共同通信電子版より

レバノン南部カナで30日午前1時半(日本時間同午前7時半)ごろ、住民が避難していた建物をイスラエル軍が誤爆し、中東の衛星テレビ、アルジャジーラによると、子ども37人を含む民間人ら57人が死亡した。レバノン情勢激化後、1回の空爆では最悪の被害。当時は全員が就寝中だった。

 レバノンのシニオラ首相は事件を非難、即時停戦をあらためて要求して、同日予定されたライス米国務長官との会談を拒否した。長官はレバノン訪問を延期、31日には帰国の見通し。

 国連安全保障理事会は30日午前、緊急会合を開催。アナン事務総長は同会合で「われわれは最大限の表現でこの空爆を非難しなければならない」と述べた。(以上)

「誤爆」としていますが、イスラエル軍はクラスター爆弾や白燐弾を使用する。国連の印がついた建物を国連が何度も警告しているのに攻撃して国連停戦監視要員4人を犠牲にする。今回のレバノン攻撃が始まってから既に600人以上が犠牲になり、ほとんどは民間人であるこのことを考えれば、無差別攻撃と言えます。

米国はレバノンの事態に対して即時停戦に賛成しませんでした。30日のイスラエル軍爆撃で子どもら57人が死亡の事態を受けてようやくイスラエルに爆撃停止を求める意見に同意しました。(31日午前7時のNHKニュース)。

国連監視要員を死亡したことを受けた27日の安保理議長声明では、全会一致が原則のために、「国連要員に対するイスラエルの意図的な攻撃を非難する」という文言を米国の反対で削除をされています。

米国は北朝鮮やイランの核保有に対しては強圧的な態度を示しますが、イランの核保有の場合は将来的な性格ですが、現実に起きている600人を超す殺戮を直視せずにイスラエルを擁護します。米国の平和に対する脅威はご都合主義そのものです。

国際世論がテロを厳しく批判するのは、目的のために一般市民を無差別に巻き込むことにあります。誤爆と称する無差別爆撃も、テロ事件と同じ結果を生んでいます。あるいはそれ以上の犠牲を伴っていてテロも無差別攻撃も同じ性格のものです。核兵器の脅威もこれから持とうとする国も既に持っている国も同じ脅威です。核を保有する国家の性格を問題にするのであれば、欧州の世論調査の結果の観点も必要です。(イラク戦争など現実に起こしている米国の政策を正確に捉えて、イランよりも米国の方が脅威と見る)

米国に対して、秘密収容所の全廃を国連専門家委員会が要求していることが7月30日「しんぶん赤旗」の電子版で報道されています。以下はその報道です。

 ジュネーブからの報道によると、市民的および政治的権利に関する国際規約(国際人権B規約)の履行状況を監視する国連の専門家委員会は7月28日、米国が「テロリスト容疑者」用に設けている「秘密の収容所」をすべて閉鎖するよう求めました。このような施設は国際法に違反すると断定しています。

 同委員会は、このような収容所の存在について「信頼でき、争う余地のない」報告があり、米国は「極秘裏に、秘密の場所に何カ月もあるいは何年間も」人々を拘束してきたと指摘。「すべての秘密収容所を廃止するべきだ」と強調しました。さらに、赤十字が求めている被拘束者との面会要求に米国は応じるべきだと述べました。

 同様の要求は五月に開かれた国連拷問禁止委員会でも出されています。

 専門家委員会はまた、米国がこれまで用いてきた長期にストレスを与えたり、眠らせないなどの尋問手法は拷問と見なされうると表明。米国が今後は繰り返さないと確約していることを評価しながらも、国際法違反だったと認めていないことに遺憾の意を表しました。

 これらの人権侵害行為に対する米国の捜査には「公平性と実効性」の点で疑問が残るとも指摘しました。さらに、同国の「愛国者法」で政府の警察権限が拡大され、電話の盗聴やEメールの監視が無制限に広げられていることに警告し、同法の改正を呼びかけました。(以上)

ブッシュ政権の平和に対する態度、人権に対する態度は極めて矛盾したものを持っています。問題なのは、このようなブッシュ政権を自民党政府は、自由と民主主義、人権の価値観を共有するとしていることです。そして日本国民は、その価値観を世界的に拡大する政策に同調して、その妨げになっている集団的自衛権の不行使の憲法を変えようとしている方向に直面する。しかもこの方向を強力に推し進めようとする安倍晋三氏が次の総理大臣に最有力視されていること、不思議なことに世論調査では支持が高いとされることです。私たちは事実を正確に見て判断をしなければならないと思います。

自民党総裁選挙に関した7月28日のパネルディスカッションで、「アメリカ重視かアジア重視か」という質問に対して、安倍氏は、「挑戦的な質問だ」とやや気色ばんで、「日米関係は他で代替できない関係だ。日本が外国から攻撃されたら、若い兵士が命をかけて日本を守る国はただ一つ、アメリカだ」と述べた。(29日の朝日新聞報道を参考)7月31日午前7時のNHKのニュースは安倍晋三氏が「憲法も教育基本法も占領下のものだ。日本、自らが作らなければならない」と持論を語っていました。憲法草案を作る経緯は、時の政府が帝国憲法にあった天皇大権を残すような改憲案を出した為に、GHQに主導権を奪われた点はあったとしても、問題はその法律の内容です。その内容の平和主義は国連憲章に全く合致して、それよりも進んだところがあります。EUが多国間で国家理念を共有し、東南アジア諸国連合がASEAN憲章で加盟各国が国家運営の規範とすべき理念を摸索する動向の中で、国家主義的な色合いを強める自民党新憲法草案は世界の動向と逆向しています。

2003年8月30日、安倍晋三官房副長官は金沢市内の講演で、北朝鮮が米国に求めた不可侵条約について「万が一、北朝鮮が日本を攻撃した時に、米国が北朝鮮に報復することができなくなる。米国が反撃しないとなると、安心して日本を攻められるじゃないか、となる」と述べ、米朝の不可侵条約に反対の立場を表明した。米朝が不可侵条約を結ぶということは、情勢は北朝鮮が核武装計画を放棄し、外国との対話路線を確実にし、友好交流を促進するという、平和の方向になるということだと思う。だが、安倍晋三官房副長官は、後ろ向きに捉え北朝鮮の日本攻撃の懸念を先に考える。私には不思議な発想としか思えない。東アジアの緊張緩和を望んでいないのであろうかという文章を書いたことがありますが、前述のパネルディスカッションの「日米関係は他で代替できない関係だ。日本が外国から攻撃されたら、若い兵士が命をかけて日本を守る国はただ一つ、アメリカだ」の発言と合わせて考えると、今まで以上の外交政策における視野狭窄が心配されます。


米国と同質の過剰な攻撃性を露呈したイスラエル/山崎孝

2006-07-30 | ご投稿
【レバノン内相:イスラエル軍の無差別攻撃を非難】(毎日新聞7月29日電子版より)

 【ベイルート高橋宗男】レバノンのフアトフアト暫定内相は28日、ベイルートで毎日新聞と会見し、レバノンへの攻勢を強めるイスラエル軍が「民間人を攻撃対象に選んでいる」と述べ、無差別攻撃を非難した。また、戦闘を続けるイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラを政府がコントロールできないことを暗に認め、早期停戦実現が困難な状況にもどかしさをにじませた。

 同国保健省のまとめによると、イスラエル軍のレバノン攻撃開始後の死者数は400人を超えた。依然約200人が、がれきの下敷きになったままとみられ、負傷者も約1800人に上る。フアトフアト暫定内相は死傷者の大半が民間人だとし、12歳以下の子供が35%を占めると説明。「イスラエルは民間人居住区を意図的に狙っている。ヒズボラではなく、民間人に対する戦争だ」と強調し、イスラエル軍の無差別攻撃を非難した。

また、イスラエル軍の民間人を標的とした攻撃について、一つの砲弾から大量の子爆弾を広範囲に拡散させる「クラスター弾」や、触れると高温で人体を焼く「白リン弾」などが使用された疑いがあると指摘。

「違法性を立証するため、土壌調査や被害者の医学的検査を急いでいる」と述べた。

レバノン政府がヒズボラヘの影響力を有していないとの指摘には「彼ら(ヒズボラ)が国家を防衛していると主張している以上、強くは出られない」と説明する一方、「これ以上の危機の拡大を防ぐため一刻も早い停戦が必要だ」と強調。「アラブ・パレスチナ囚人とイスラエル兵の交換を含む包括的な停戦条件が必要になる」との見通しを示した。

一方、暫定内相はイスラエルに「平和は勝利によってではなく、他者を許容することから生まれる。この戦争は双方に破滅的な未来をもたらす可能性がある」と警鐘を鳴らし「中東地域における真の平和を望むのであれば、まずパレスチナ紛争を解決すべきだ」と主張した。(以上)

【ライス氏中東訪問は焦点の誤り】(7月29日朝日新聞より)

 クリストファー元米国務長官は28日付の米紙ワシントン・ポストに寄稿し、イスラエル・レバノン危機の沈静化を目指したライス国務長官の中東訪問について「焦点を誤った外交」と批判した。

「殺毅をやめさせることに焦点を置くべきだ」と即時停戦の重要性を主張。ブッシュ政権が敵視するシリアを「重要な参加者」と位置づけ、同国との早期対話を促している。

 クリストファー氏はクリントン政権1期日の93年から4年間、国務長官を務めた。寄稿文では、今回の状況について、長官時代の93年と96年に、イスラエルとレバノンのシーア派武装組織ヒズボラが武力衝突した状況に似ていると指摘。当時は即時停戦を最優先したと振り返り、ライス長官がヒズポラの武装解除を念頭に「恒久的で」「持続可能な」事態解決を掲げ、即時停戦交渉の提案を拒んだことを「特に失望した」としている。

 さらに、両年ともヒズボラを支援するシリアを巻き込むことで停戦合意を成立させたとして、同国との関係を悪化させたまま改善を図らないブッシュ政権を「北朝鮮やイランの状況が示すように、嫌悪する国々との対話を避けることはフラストレーションや失敗を招きがちだ」と批判した。(以上)

先に紹介していますが、英国のキム・ハウエルズ外務担当閣外相は7月22日、イスラエルによるレバノン攻撃について、「イスラエルが行っているのは明らかに局部攻撃ではなく、コミュニティー全体への攻撃であり、それによって多くの人々が死亡している。攻撃に貫かれている論理を私はまったく理解できない」と語っています。

これは、クリストファー元米国務長官が米政権の、ヒズボラの武装解除を念頭に「恒久的で」「持続可能な」事態解決を掲げ、即時停戦交渉の提案を拒んだことを「特に失望した」とのべたことと同じ意味だと思います。

イスラエルは米国がイラク戦争で使用した無差別攻撃兵器の一つの砲弾から大量の子爆弾を広範囲に拡散させる「クラスター爆弾」や、触れると高温で人体を焼く「白リン弾」などが使用された可能性があります。7月28日の毎日新聞電子版には、今月12日のイスラエル軍の攻撃開始後、レバノンで調査を続けている国際人権団体「ヒューマンライツ・ウォッチ」(HRW)は「民間人居住区へのクラスター弾の使用は国際法に抵触する可能性がある」とイスラエル軍を非難。市民を巻き込む形の無差別攻撃に対する懸念が強まっている。

レバノン南東部のイスラエル国境に近いブリダ村の運転手、アフマド・アリさん(45)によると、イスラエル軍の砲撃を避け、自宅の地下室に避難していた19日午後3時ごろ、被弾した天井から小さな爆弾が転がり込み爆発。室内にいた16歳から1歳の子供7人を含む12人全員が負傷したという。アリさんは21日にベイルートに運ばれたが、両足を切断した、とあります。

米国と全面的な協力関係にあるイスラエルが、米国の持つ過剰な攻撃性と同様の体質となってしまっています。日本の政治家たちも北朝鮮のミサイル発射で見られたような攻撃的因子を、もともと持っていますから、米国の過剰な攻撃性に共鳴することを心配します。そのためには言葉では共鳴出来たとしても、行動が出来ないよう歯止めをする憲法を守らなければならないと思います。

7月30日の「朝日川柳」に「日本と異母兄弟のイスラエル」(作者は埼玉県吉田茂松さん)というのがありました。なかなか鋭い表現の川柳です。

ヒズボラは、1982年にイスラエルがレバノンに侵攻した時に生まれた抵抗組織です。武装闘争だけでなく住民への福祉活動も行っています。1992年に総選挙で議席を得て2005年にレバノン政府に閣僚を送っています。私は過激な行動は賛成できません。なによりも、イスラエル人とアラブ人双方が、レバノン暫定内相の言葉「平和は勝利によってではなく、他者を許容することから生まれる」、「中東地域における真の平和を望むのであれば、まずパレスチナ紛争を解決すべきだ」だと思います。イスラエルはパレスチナにおける拡大した占領地を、分離壁を築き固定化するようなことを止めなければと思います。1992年8月に締結した、パレスチナとイスラエルの共存を基本にした「オスロ合意」の原点に立ち戻ることが大切だと思います。これを破壊したのはラビン首相の暗殺後、政権を取ったネタニヤフ氏です。

双方が武力闘争を続けていても誰も勝利は出来ず、悲劇とそれに伴う憎悪が生まれるだけです。これを見ても武力で国際紛争を解決しないとした日本国憲法の理念の真理が証明されています。

人の命を統計学的に考える政治家/山崎孝

2006-07-29 | ご投稿
「マガジン9条」7月26日号で、「改憲的護憲派」と自称する小林節さんは、編集部のインタビューに答えて次のように述べています。

本当にこれは恥ずかしい話だけど。私は権力者の子でも、金持ちでもないし、むしろハンディキャップを負って生まれて来たから、子どもの頃はいじめられたことしかなかった。それで「勉強するしか道はない」と思ってガリ勉をやって、アメリカのハーバード大学へ留学し、帰ってきて慶応大学の教師になった。

 当時は憲法学者で改憲論を唱えるのは珍しくて、しかも右翼的な大学じゃないから、けっこう若くして自民党の改憲派の勉強会に呼ばれて、参加するわけですよ。権力者サークルの中に、年の若い僕が「先生、先生」と誘われる。僕に二世、三世議員と同じような感覚になって、ズレていったと思うんです。

 たとえば9条論でいえば、非武装中立で国を守ろうという人がいたら、「それで襲われて滅びたらどうするのか、それは非常にプライドのないことだ」と反論をしていた。万が一抵抗して戦争になっても、一部の人が死ぬことによって、全体が残ればいい1億人を生かすために、1万人が戦争で死ぬなんてことはあるだろう。1万人もコストのうち」なんて、数字上のゲーム的な感覚があったわけですよ。これはまさに権力者の感覚だと思う。

 まず自分が戦争に行くなんて思っていない。自衛隊に行かせて、自分自身は国家の中枢だから安全なところにいる。そういう感覚で私も議論していた。ただ、売られた喧嘩は買わなかったらやられるし、占領された国の男は強制労働か反発すると殺され、女は犯される、というのが歴史の示すところだという考えに、今も変わりありませんが。

 その意味で、戦争というのはさせちゃいけない。だからよく管理された民主的な軍隊を持つことによって、攻められない、攻めにくい国だというプレゼンスは必要だと思う。ところが軍隊というものは、本来的に非民主的だということに最近気づいた。いま、それで悩んでいるのです。

 それはそれとして、人の命というものを統計学的に考えていたわけです。ところがいま57歳だけど、34歳のときに初めて子供ができた。

生まれてきた赤ちゃんをウチの家内があるときギュッと抱きしめて「よくぞウチに生まれてきてくださいました」なんて挨拶しているんだよね。赤ん坊は抱きしめられて、息苦しくて顔が一瞬引きつるわけ。ところが、愛されて抱かれているんだとわかったら、子どもはヘナッという顔に変わる。そういう姿をたまたま目撃して、ちょっと感ずるところがあった。この命も一つの命だ1万人も誤差のうちなんて、そういう議論をしていたけれど、もっと、戦争と命の問題を深く悩みながら考えるべきではないかと。

それから戦争映画や戦記物なんかを見たり読んだりすると、ゾッとするようになった。それを家内につぶやいたら、「よかったわ、あなたにそういう感覚ができて。あなたは優秀で尊敬していたけど、怖い、人だと思っていた」と言うんだよ(笑)。まあ、手前勝手ですけどね。子どもを持って、命の尊さがわかったんですよ。(以上)

私はこの「人の命というものを統計学的に考えていた」という言葉で、二人の二世政治家の言葉を思い起こしました。

既に紹介をしていますが、2004年4月4日、イラクで息子を亡くした母親シンディ・シーハンさんは、ブッシュ大統領に「大統領に会って聞きたいことがある。なぜ、私の息子を殺したのか、息子は何のために死んだのか」と訴えました。これに対してブッシュ大統領は「崇高な使命に払われた犠牲には価値がある」と答え、人の命より大切な国家の使命があるとの考えで答えています。ブッシュ大統領はイラクの民間人の死者が3万人出ていることを自らが認識し、米兵の戦死者が2千人以上出していても平然としております。この感覚は国家の使命と比べて人の命を統計学的に考えている証左です。

安倍官房長官は著書で、日中戦争、太平洋戦争で多大な人命を失ったことより「先輩たちが真剣に生きてきた時代に思いを馳せる必要があるのではないか」と、かつて日本の有様を肯定しています。そして、2年前の対談集で「われわれの新たな責任は、日米安保条約を堂々たる双務性にしていくことだ」「軍事同盟とは“血の同盟”だ」と述べて、人の命より権力者の視点で国家の使命を優先させています。

朝日新聞7月27日の記事「自民党はタガが緩んでいる、敵地攻撃論『我が耳疑った』には次のように書かれています。

ワシントン=小村田義之】訪米中の山崎拓・自民党前副総裁は26日、ワシントンで記者会見し、安倍官房長官らの「敵基地攻撃」発言について「自民党全体が、戦後の軍事大国にならない、専守防衛、非核三原則という基本的な安全保障政策、原理原則を忘れたような感じがある。タガがゆるんだ感じがある」と厳しく批判した。

山崎氏は党の安全保障調査会長で、国防族の中心的存在だが、最近の安保論議には黙っていられなかったようだ。

会見で山崎氏は、先の北朝鮮のミサイル発射後の党の会合で、若手議員が敵基地攻撃論をぶったと紹介。「私は驚愕し、我と我が耳を疑った」と振り返った。その後の安倍氏らの発言を踏まえ、「今のような茫漠たる議論で国会答弁などを引用して言うと、あたかも今この時点でやるかのごとく、かつその能力があるかのごとく誤解されてしまう」と指摘。「ここは引き締め時だと感じている」と語った。

山崎氏は北朝鮮への対応について「経済制裁は一つの方策だが実効がないことも事実だ」との認識を示し、対話による解決の重要性を強調した。(以上)

民主党の若手議員のなかにも勇ましい軍事論を唱える人もいるといいます。

「権力を持つ側が勝手に決めた国家の使命なるものと比較し、人の命というものを統計学的に考える」政治家たちに惑わされて、60年間戦争で人の命を奪い奪われなかった世界に誇るべき実績を持ち、人の命・個人の尊厳を大切にする大事な憲法を失ってはならないと思います。

ここからはテーマを変えて述べます。

自民党総裁選のブロック大会が東京から開幕しました。そのパネルディスカッションで、安倍晋三氏は「憲法も教育基本法も占領下で出来た。国としてのアイデンティティーは素晴らしいものがあるから世界に発信していきたい。そのために、憲法改正についてしっかり議論していきたい」と述べています。

アイデンティティーの一つである日本の伝統文化の多くは、大陸の先進文化を取り入れて日本人が巧みに日本化したものです。憲法は占領下に出来たと否定的に捉えています。憲法も日本人が明治時代に自由と民主主義という世界の先進的思想を学び日本で実現しようとした思想・理念です。国家権力の弾圧を受けたために獲得できなかった思想です。明治から数えればその追求の歴史は100年の歴史をもっています。自由と民主主義は決して占領下に日本人が突然理解できないまま押し付けられたものではありません。自由民権運動の中で中江兆民や植木枝盛らは人民の自由と権利を主張し、大正デモクラシーの時代には吉野作造の民本主義があり、昭和の治安維持法下の時代も自由と民主主義を求める人たちもいました。そして1945年12月には高野岩三郎らの「憲法草案要綱」が発表されて、GHQの憲法問題を担当したラウエル中佐から「この憲法に包含されている諸条項は、民主的でかつ承認できるものである」言われています。これと同じ理念が日本国憲法に取り入られています。これをみれば日本人の自由と民主主義を求める運動は伝統があります。

前記のパネルディスカッションで、安倍晋三氏は北朝鮮をめぐる「国連決議は私と麻生外相の『ダブルA』で原則を決め、初めて国連安全保障理事会の主役となった。国益を守るため、時には主導権を握る外交を展開するべきだ」と述べました。

しかし、実態はすでに周知のように「朝日新聞」は、「外務省幹部が7月13日、『7章にこだわらない』と発言すると、安倍氏は外務省に『(最後の)1分1秒まで立場を貫け』と指示」と報道。「こちらはすでに第7章を40条(暫定措置)に限定するところまで譲歩しているではないか」という安倍長官の“不快感”を表明したことも伝えています。日本が最後までこだわった国連憲章第7章を前提にした安保理決議は採択されませんでした。主役にはなれたとはいえません。

正確な事実認識をしなければと思います。

憲法は現在以上の拡大解釈は出来ない/山崎孝

2006-07-28 | ご投稿
共同通信7月28日電子版より

【拡大解釈歯止めなら検封 9条改正で民主・枝野氏】

 民主党の枝野幸男憲法調査会長は27日、都内で開かれた憲法改正に関するシンポジウムで、9条改正について「(自衛隊の活動範囲拡大に)枠をはめる改正なら話をする余地がある」と述べ、専守防衛を堅持し、拡大解釈に歯止めをかける改正ならば積極的に検討したいとの考えを強調した。

 自民党の葉梨康弘衆院議員は「今の憲法のままでは相当広い解釈ができる。政権が変わっても『国のかたち』が変わらないように、平和主義を国際社会に宣言していくことが必要ではないか」と大筋で同意。

 一方、社民党の福島瑞穂党首は「歯止めをどうかけるかという議論より、歯止めをなくす議論が進んでいるのではないかと危惧している」と指摘した。(以上)

枝野幸男氏は「専守防衛を堅持し、拡大解釈に歯止めをかける改正ならば積極的に検討」という意見を考えてみます。これは不思議な言い分です。歴代政府や内閣法制局の憲法見解は、日本が攻められた場合に発動する個別的自衛権行使は可能。しかし、日本が攻められていない場合の同盟軍を支援する武力行動に当たる集団的自衛権行使は出来ないです。

武力によって国際紛争を解決してはならないとする憲法の精神を守ったとは言えない、テロ特措法やイラク特措法でも、盛り込まなければならなかった規定は「非戦闘地域」で自衛隊は活動をする、でした。要するに日本の領域外では武力行使が出来ないという条項です。これ以上の拡大解釈は出来ません。

枝野氏が国際貢献を想定して「自衛隊の活動範囲拡大」といっても、既に日本は国連平和維持活動が出来る法律があり、自衛隊はその法律に基いて活動を行っています。国民の多くもカンボジアで行ったようなPKOが一番良いと考えています。集団的自衛権不行使の歯止めの規定を外したい為に、自民党は改憲をすることが明白なのに、理屈にならない理屈を述べて、国民を改憲の潮流に乗せようとしているだけです。恐らく改憲の条文に海外で武力行使が出来る仕掛けを忍ばせておいて、次なる日米同盟に使う為の「拡大解釈」を行おうとするのではないかと推察されます。

自民党議員が「政権が変わっても『国のかたち』が変わらないように」と枝野氏の主張に同調したように、民主党政権が出来ても、自民党と変わらない日米同盟を基本としますから、集団的自衛権行使を求める米国の要求に平和主義と国際協調という『国のかたち』は絶えず動揺することは予測されます。現憲法の「真の平和主義」の規定を守ることが大切です。

一番大切なのは政治家の政治理念だと思います。力を信奉して軍事的傾向の政治なのか、相手を信用することを基本に置き、対話を基調にした政治を行なうかです。力を信奉する政治は中東の悲惨な状況を見れば、問題の根本的解決は出来ないことは明らかです。対話を行い双方が折り合うことが可能な妥協点を見出す、合理的な妥協以外に解決する方法はありません。合理的な妥協点は平和的共存に見合うものでなければと思います。

【参考 イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法の抜粋】

第二条 政府は、この法律に基づく人道復興支援活動又は安全確保支援活動(以下「対応措置」という。)を適切かつ迅速に実施することにより、前条に規定する国際社会の取組に我が国として主体的かつ積極的に寄与し、もってイラクの国家の再建を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に努めるものとする。

2 対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない。

3 対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施するものとする。(以下略)


ネガティブな“詫び証文”ではなく歴史の教訓/山崎孝

2006-07-27 | ご投稿
政府の「敵基地攻撃」論は、必要最低限の措置で、他に手段が無い場合の「敵基地攻撃」は先制攻撃ではないという解釈をとっていますが、「敵基地攻撃」が論じられた時期にも問題があるとして自民党内でも批判が出ています。7月27日の朝日新聞記事には、実際は「現実問題として攻撃着手の判断は非常に難しい(安倍官房長官)」被害を受けた前に攻撃に踏み切る選択は事実上難しいと見られる、と書かれ、加藤紘一元幹事長は講演の中で「向こうが意図して騒ぎ回ったことに応じて、わんわん騒ぐだけでなく、懲らしめた次に幅広い外交活動をする感覚を持たなければ、大人の国の対応ではない」と述べたことが書かれています。

この日本の「敵基地攻撃」について7月24日「しんぶん赤旗」電子版に次のような記事がありました。

【「敵基地攻撃」に強い警戒 東南アジアの各紙が表明】

 北朝鮮のミサイル発射問題で日本政府の重要閣僚から、「先制攻撃」論や「敵基地攻撃」能力の保有という露骨な軍事的対応発言が出たことにたいし、東南アジアの新聞からは、強い警戒心が表明されています。

 マレーシアの中国語紙、南洋商報は二十一日、「日本は、北朝鮮のミサイル発射を誇張し、日米軍事協力の強化と新たな軍事力増強の口実にしている」と報じました。

 同じくマレーシア紙星州日報は十二日、「日本は『平和憲法』で武力の使用や戦争を仕掛けるのを禁じられているのに、北朝鮮のミサイル発射を利用して『平和憲法』に挑戦している。麻生外相は、日本には先制攻撃の権利があるとのべ、額賀防衛庁長官は、日本が限定的な攻撃能力を持てるとのべた」と指摘。日本の軍事的役割拡大は、「かつて日本のアジア侵略の被害を受けた国にとっては脅威であり、危機と感じられる」とのべています。

 シンガポール紙聨合早報は十七日、「日本で『先んずれば人を制す』という奇襲理論が再現した」と題する同紙元論説委員、黄彬華氏の論評記事を掲載し、こうのべています。

 「日本には歴史上、パールハーバー奇襲という記録がある。戦後は、自衛隊増強に道を開くために、『先制攻撃』の主張が断続的に出されてきた。北朝鮮がテポドン・ミサイルをもてあそぶ策略を繰り返し、日本がそれを軍拡の絶好の口実にしている。これは、東北アジアの安定を破壊し、恐ろしい結果をもたらす」

 黄氏の記事は、日本でのこうした動きが韓国の政府やメディアから厳しい批判を引き起こしていることにふれ、「日本はミサイル危機での主導権を高めようと目いっぱい利用したが、むしろ逆に日韓両国間の溝は拡大した。これは、日本のアジア外交の徹底的な失敗のもう一つの証拠である」と結んでいます。(以上)

外国の新聞の論調から浮かび上がるのは、日本政府が平和憲法の規定を守っている状態であれば、安心と信用が出来るということです。

安倍官房長官のように平和憲法の精神を示した前文を「敗戦国としての連合国に対する“詫び証文”のような宣言」と捉えることがいかに間違っているかがわかります。ネガティブな“詫び証文”ではなく、日本が悲惨な戦争から学んだ教訓で、この教訓を堅持していることこそ、日本がアジアで信用され、生きていけることなのです。


アジアの動向に照らし日本の現状と方向を考える/山崎孝

2006-07-26 | ご投稿
7月24日から開かれている東南アジア諸国連合(ASEAN)で次のような共同声明が採択される模様です。

ASEAN 外相会議が採択した共同声明案の要旨(毎日新聞26日の電子版より)

東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議が25日採択した共同声明案の要旨は次の通り。

一、北朝鮮のミサイル発射が地域の平和と安定に影響を及ぼしかねないことを憂慮、6カ国協議再開へ向けASEAN地域フォーラム(ARF)の活用を期待。

一、ミャンマーの国民和解の進み具合に懸念を表明、民主化へ向け目に見える前進を期待。拘束中の人々の早期解放と対話を要求。

一、パレスチナ、レバノンヘのイスラエルの過剰な武力行使に重大な憂慮を表明、即時停戦を要求。

一、東ティモールのASEAN活動参加で合意。

一、地域統合を加速し、ASEAN共同体の実現を2020年から15年に前倒しする方策を討議。

一、加盟各国がジャカルタに常駐代表を置くことを準備。12月以降、ASEAN憲章の起草チームを設置。

一、ASEAN人権機構の創設へ向けた取り組みに留意。

一、東アジア共同体の形成は、ASEANがけん引役となるASEANプラス3(日中韓)が主導することで合意。

一、ARFはASEANが主導することを確認。バングラデシュのARF参加を歓迎。(クアラルンプール共同)(以上)

7月28日から開かれるASEAN地域フォーラム(ARF)は、2000年7月に韓国が誘ってから北朝鮮も参加し、それ以来連続して参加しています。その他に米国、カナダ、ロシア、EU、インド、モンゴル、パキスタンなどもARFに参加します。

ASEAN憲章は、ASEANがEUみたいな強固な政治的共同体になるために、加盟各国が国家運営の規範とすべき理念やそれを守らない場合はASEANが制裁措置をとれるような条項を盛り込むことを検討しています。

採択される予定の共同声明には、東アジア共同体の形成は、ASEANがけん引役となりASEANプラス3(日中韓)が主導することで合意、という内容があります。このASEANプラス3の中に入っている日本は同じくプラス3の中国、韓国と現在対立関係になっています。

これを見れば、国際的役割を果たす為には、自民党政府は中国、韓国と共通し起きている歴史認識を以前の政府の見解と行動を守り、現在の歴史認識が象徴している首相の靖国神社参拝を止めて、現在の主要閣僚の靖国神社と同じような歴史認識を改めることが求められています。歴史を正視することをアジアからも迫られていると言えます。

また、東アジア共同体の形成は、ASEANがけん引役となりASEANプラス3(日中韓)が主導する、という考え方は、中国がアジアで恐れられるより信頼され、平和なアジアの未来に役割を果たすよう期待されていることが読み取れます。

これを見れば、日本の政治家や言論界が叫ぶ中国脅威論や中国が経済政策に失敗して崩壊するという中国崩壊論がアジアの国の認識と合わないことが明らかです。中国の経済はバブル的要素がありますが、中国は市場経済をコントロールできる人材を外国に留学させて多数養成していますから、失敗が起こるとしても破綻まで至ることはないと思います。中国は文化大革命という国家を破綻寸前まで追い詰めてしまった状況から立ち直っています。なによりも日本にとって最大貿易相手国の中国が破綻することが、日本の国益になるはずがありません。

政治家や言論人の一部は自らの反共イデオロギーで中国脅威論や中国崩壊論を唱えています。中国のある側面だけを誇大に取上げて、日本国民の敵愾心を煽る目的に用いてはいけない。客観的に見て中国の悪いところを指摘することは大切ですが、隣人として友好的で建設的な意見を述べることが大切と思います。

共同声明案にある「地域統合を加速し、ASEAN共同体の実現を2020年から15年に前倒しする方策を討議」の方向は、自民党政府が時代に合わないとして憲法を変えてまで、日米同盟という二国間軍事同盟を更に強化していく方向が、多国間による安全保障を追求するASEAN共同体の実現の方向と合わないことが明確になっています。日本は日中韓と共同体を主導することを期待されているのに、中国を仮想敵国と位置づけて日米同盟を強化することは、自民党の安全保障政策が大きな矛盾を孕んでいることを意味します。

この矛盾を解消するためには、徹底した対話を基調とした憲法の理念を生かしていく道しかありません。

共同声明案は「パレスチナ、レバノンヘのイスラエルの過剰な武力行使に重大な憂慮を表明、即時停戦を要求」となっていますが、親米の英国さえも米国に異論を唱える事態が起きています。安倍官房長官は、米国と普遍的価値観を共有すると言われます。イスラエルの民間人の多数を犠牲にする行動を米国は止めようとしません。ヒズボラを倒す目的の為なら人命を犠牲にしても止むを得ないと考えるのでしょうか。

参考情報 7月24日「しんぶん赤旗」電子版より

【ロンドン=岡崎衆史】英国のキム・ハウエルズ外務担当閣外相は二十二日、イスラエルによるレバノン攻撃について、「イスラエルが行っているのは明らかに局部攻撃ではなく、コミュニティー全体への攻撃であり、それによって多くの人々が死亡している。攻撃に貫かれている論理を私はまったく理解できない」と語りました。

 発言はイスラエルによるレバノン社会全体への攻撃に強い懸念を示したもの。ベイルートでメディアに語りました。

 同氏の発言は、イスラエルによるレバノン攻撃が激化し死傷者が増える中、これまでイスラエルに寛容だった英政府の中からも非難の声が強まっていることを示すものとして注目されます。

 同氏は、「もしも(イスラム教シーア派民兵組織)ヒズボラを追跡するというのなら、ヒズボラのみを追跡すべきであり、レバノン全体を対象にすべきではない」と述べ、イスラエルによるレバノン国民全体を巻き込む軍事行動を非難。「こうした状況をできるだけ早く終わらせなければならない」として、民間人攻撃をすぐにやめるよう求めました。

 ハウエルズ氏はまた、ライス米国務長官の中東訪問について、「インフラ施設の破壊、多数の子どもたちや人々の死などレバノンで起きていることを米国が理解することを望んでいる」と述べ、イスラエルの大規模軍事行動を容認する米国政府に現実認識を改めるよう求めました。

 一方、クレア・ショート元国際開発相は、BBCのインタビューで、「多くの人々がイスラエルの対応は度を越していると考えており、英国は、戦争犯罪を批判し、即時停戦を求めなければならない」と訴えました。

参考情報 毎日新聞 7月23日電子版より【レバノン情勢 対応の違い鮮明に 仏などの欧州と米国】

【パリ福井聡】レバノン情勢をめぐり、フランスを中心とする欧州諸国と米国との対応の違いが鮮明になっている。即時停戦を求めるフランス、ドイツ、スペインに対し米国は「一方的停戦は平和につながらない」と主張。イラク戦争時の対立を解消し、協調関係を摸索してきた仏独と米国との対立の再来も懸念されている。

 21日エジプト入りしたドストブラジ仏外相は、「イスラエル軍とイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラの戦闘はきわめて深刻な事態にあり、放置すればレバノン崩壊につながりかねない」として即時停戦を提唱した。スペインのサパテロ首相もイスラエル軍とヒズボラ双方を非難した上で「イスラエル軍の即時攻撃停止」を要請。シュタインマイヤー独外相も22日、「レバノン南部の状態はひどく、停戦実現が最大課題だ」と訴えた。

 これに対し、ライス米国務長官は「即時停戦は(ヒズボラの背後で糸を引くイランとシリアによる)古い中東の概念に基づく。我々は今、新たな中東の生みの苦しみの過程にある」と、即時停戦には否定的な立場を表明している。

 アリヨマリ仏国防相は「米国が即時解決を求めておらず、国連安保理開催を阻む要因となっている」と米国を名指しで非難。シラク仏大統領は、「国連による調停推進でドイツ、スペインと一致している」との声明を発表した。

 ただイラク戦争後、米国との関係修復に努めてきた仏独は、決定的対立は避けたい意向。今後、対立回避を模索する動きも出てきそうだ。

安倍晋三氏の集団的自衛権行使の必要説を考える/山崎孝

2006-07-25 | ご投稿
安倍晋三氏は、著作「美しい国へ」の中で、集団的自衛権行使の必要性を次のような設定で説明しています。(書店で別な本を買ったついでに一部を立ち読みしました)

他国から日本に1発ミサイルが打ち込まれた。2発目のミサイルの飛来を避ける、阻止する為に米軍の戦闘機がミサイル基地を攻撃することになる。米国の兵士が日本を守るために命をかけることになる。

米国がこのようなことを行ってくれるためには、日米の信頼関係が築かれていなければならない。

日本の周辺事態に出勤した米兵が、公海上で遭難してそれを自衛隊員が救助に当たっている。そこに攻撃を受けたら自衛隊はその場から立ち去らなければならない。たとえ米兵が邦人の救助に当たっていたとしてもである。

日米の双務性を高めることは、信頼性を高め、より対等な関係を作りあげることにつながる。

というような趣旨の文章で、机上で考えて設定された話を、一般的な「常識的思考」に訴えて、集団的自衛権の必要性を主張しています。しかし、これは近年、米国が日本に軍事支援を求めている状況とかけはなれています。

日本が21世紀に入って、米国から軍事支援を求められた局面は、アフガニスタン戦争、イラク戦争に関係したことでした。(旗を見せろとかグランドにおりてきてチームに加われと言われました)

米国流のテロとの戦いと称し、一般民衆を巻き込んだイスラム原理主義政権タリバンの壊滅作戦。国連とは違う大量破壊兵器への対処の仕方、大量破壊兵器の脅威の大義がなくなると、米国流のテロとの戦いと米国流の民主主義の基準に基いた、中東における民主主義の拡大という関連の情勢からでした。

日本の周辺事態は、朝鮮半島情勢や中台関係が想定されています。これらの地域からすれば、米国の安全保障が直接的な形で脅かされる事態より、米国流の民主主義の拡大と関連した事態です。要するに他国への干渉という事態から生まれると考えられています。日本にある米国の軍事基地がこの事態の発進基地にならなければ、米国の介入がなければ、日本が介入しなければ、火の粉は飛んでこない事態です。

日本は武力による国際紛争の解決はしないという立場に立ち切る。専守防衛の立場を守る、また、中国は一つで中国の内政には干渉しないという態度を貫いていれば、基本的には火の粉は飛んでこないと考えられます。朝鮮半島の平和と安定は6カ国協議で解決する。中台関係は経済関係を強めて平和的な共存の方向を目指しています。安倍氏が想定したことは、こられの方向を堅持していれば起こりえません。日本はこの方向が崩れないように努力することが一番大切です。

安倍氏は最近、中国との関係を「政経分離」で進めてゆこうとする考え方を表明しています。かつての日中の「政経分離」はそれぞれの国の国内体制(資本主義か共産主義か)には、双方は干渉をせずに経済関係を深めてゆこうとした考え方でした。しかし、今回の政経分離の対象とする問題は、かつての日中の歴史関係に関する基本認識の違いで、中国としては対日関係における原則的な問題です。その問題が小泉首相の靖国神社の参拝で崩れていくと判断しています。中国政府は日本の国民には罪が無いが、中国へ侵略戦争を行った戦争指導者に罪があると区別して中国国民に説明してきました。この原則的な説明が、首相のA級戦犯を祀る靖国神社参拝で崩れてしまうと思い、譲れないとしています。

かつての政経分離はイデオロギーで日中双方の内政に関する事柄でしたが、安倍氏の主張する「政経分離」は、日中国交回復時に合意された事項を維持する立場ではなく、棚上げにしてしまい経済関係を進める考え方で、かつての政経分離とは性格が全く違います。

1972年9月、日中国交回復の「共同声明」は前文において、「日本側は過去において日本国が戦争を通じて中国国民に多大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と記され、1995年8月の村山首相の談話「過去の一時期中国への侵略によって中国国民に多大な災害と損害を与えた責任を痛感し、深い反省を表明する」としたことを、小泉首相の靖国参拝は、客観的には否定することにつながります。小泉首相は戦争を反省し戦死者に哀悼を表明する行為だと述べていますが、首相の参拝を支持する人たちは、靖国神社の発信する政治的メッセージ、戦争を正当化することに同調しています。安倍氏本人もこの立場に近いと思います。なぜなら、かつての日本の戦争の評価は学者が決めることだとして、自分の言葉で認めてはいません。一方著書で「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっとも大切なこと」と述べています。その当時の国民のほとんどは、自分が侵略戦争をしているとは思わず、神の国の正義の戦争と思っていました。

私は先に物事は相対的にみる必要を述べました。首相の地位にある靖国神社参拝について、1986年7月7日の「人民日報」の評論員論文は相対的な見方で意見を述べています。「中国人民は日本人民が侵略戦争で失った親族を悼むやり方に対して理解、諒解している」それなのに「なぜ侵略戦争の惨禍を受けた他国人民の感情を尊重しないのか」。この意見は道理があります、世界に通用する考え方だと思います。他国からあれこれ言われて従うのは嫌だと思っていても、道理のあることには従わなければなりません。突っぱねていれば日本はアジアで孤児になります。

朝日新聞社が7月25日の紙面で、22、23の両日実施した全国世論調査(電話)で、次の首相の靖国神社参拝の賛否を尋ねたところ、反対が60%を占め、賛成の20%を大きく上回った。今年1月の調査では反対46%、賛成28%で、今回、反対が大幅に増えた。小泉首相が9月末までの任期中に参拝することについても反対が57%にのぼり、賛成29%のほぼ2倍だった。昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀に不快感を示していた発言メモが明らかになり、首相参拝の是非を考える上で、この発言を「重視する」と答えた人は6剖を超えた、と報道しました。

私は政治的な事柄に関与はしないとした象徴天皇の認識に、国民が影響されることは余り賛成できません。昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀に不快感を示していた発言メモについては、昭和天皇がそのような認識であったか、どうかに関わらず、個々の日本人自体が歴史の事実に基いて、日本の戦争の評価をしなければならない問題だと思います。

朝日新聞の7月25日の報道は、「今回、次の首相として人気が高かった安倍晋三氏の支持層でも反対が52%で、賛成の29%を大きく上回った」とあります。これをみれば、安倍氏本人の歴史認識に忠実に従って行動することはできません。

参考 7月の沖縄タイムスによりますと、米軍嘉手納基地などへの地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の配備は、嘉手納町や北谷町議会などが全会一致で配備反対を表明した、沖縄市議会も反対の声があると伝えています。迎撃的な装備でも配備すれば攻撃の標的になることを沖縄住民は感じ取っています。

毎日新聞電子版は7月20日、中台間を結ぶ直航チャーター便が19日夜、台北国際空港から、中国上海へ向けて運行した。台湾では中国へ投資増加に伴い、経済から直行の貨物輸送便運行の要望が高まっていたと伝えています。

ベネジェラのチャベス政権の政治革新/山崎孝

2006-07-24 | ご投稿
NHKテレビは先日、「脱アメリカ宣言」のシリーズ番組として、ベネジェラのチャベス政権の政治革新を取上げていました。その番組からの情報を含んで文章を書きます。

チャベス政権は7年目に入っていますが、米国への6割に及ぶ石油輸出構造の多極化に取り組んでいます。そして石油を採掘する多国籍企業に対してベネジェラとの合弁を要求、応じない場合は資産を接収するという強い方針を打ち出しています。

チャベス氏が選挙で政権を獲得するまでのベネジェラは豊富な石油から得られる富は一部の人が恩恵を得るだけの国でした。米国流の新自由経済政策のために、物価は上がり、大量の失業者が出ていました。そのため多くの人は貧困生活を余儀なくされていました。1989年には、カラカスで一週間に及ぶ大暴動が起こり、弾圧を受けて大きな犠牲が出たと言われます。

チャベス大統領は、かつてのベネジェラを「偽りの民主主義によって、人々は飢えてきた。市場の自由にまかせたままでは、民衆の為に資源は使うことは出来ない」と述べています。

チャベス大統領は貧困層を救援、なくすために、色々な政策を実行しています。大雨で家を失った人は政府から新しい住居を提供されて、「生まれて初めて人間として認められた」と語るテレビ場面がありました。

その政策は、市民食堂をブロック毎に設けて、老人所帯や働き手のない家庭の人に食事を提供している。これに多くのボランティアが参加している。市民食堂の費用は政府が石油で得たお金を当てている。

とてもひどい住居状態(スラム街)の人の為に、新しいアパート15万戸の建設に取り掛かっている。

文盲の人のために識字教育を行っている。住民が自主管理する工場の建設が進んでいる。

ベネジェラがキューバに石油を提供し、キューバは1万人の医師をベネジェラに派遣する。この提携で全国に1万箇所の診療所の建設が進む。

このような政策を実行するチャベス政権ですが、米国のラムズフェルド国防長官は、どういう基準で判断したのかわかりませんが「選挙で選ばれた政権というが、ヒトラーも選挙で選ばれた」と酷評しています。このような政治的センスを含むのが、日本が価値観を共有するという米国です。米国が自由と民主主義を評価している一つの基準であります。チャベス政権は違いますが、独裁政権でも反米でなければ批判をしないことも民主主義を評価する基準の一つなのです。このような評価基準を含んでいる米国は、自由と民主主義の世界的拡大を狙っています。自由と民主主義に名を借りた覇権主義です。

日本政府はこれに同調、同調するための障害となる集団的自衛権が行使できない憲法を変えることを政治課題としています。

2002年4月、反チャベス派のクーデターが起きて、チャベス大統領は拘束されてしまいました。このクーデターの司令所となったのが、ベネジェラ国防省で、この国防省の中に米国の将校がいたことが明らかになっています。チャベス大統領が拘束されたことを知り、民衆の大規模な抗議行動が起きて、これを見てクーデター派(実業家、右派の軍人、カトリックなどで構成)が分裂して、チャベス大統領は解放されました。チャベス大統領を支持していた軍人たちもいました。

現在、隣国のコロンビアには、麻薬販売さえ手がけ、邪魔をする人たちを殺してしまう民兵組織があり、この民兵組織パラミタリーに元CIAの高級幹部が関与していると見られています。反チャベス派はこのパラミタリーをベネジェラに潜入させ、チャベス大統領の命を狙うよう画策しています。ベネジェラ国防省はこのパラミタリーの潜入を防止する活動を日常的に行っています。

コロンビアに米国は反左翼ゲリラの対策として軍事援助を行う。その援助でコロンビアはベネジェラとの国境に機動ヘリコプターを展開しています。米軍もベネジェラとの国境に軍事基地を置いてベネジェラに圧力をかけています。

かつて米国はチリのアジェンデ政権を倒したクーデターに関与したと言われています。これをもう一つの9・11だという米国人がいます。これも米国の素晴らしい一つの姿です。自分たちの国が受けた被害だけを絶対化せずに相対的観点を保つ、なぜこのような攻撃を受けたのかを自分の国の政策全般にわたって考えてみるという観点を失っていません。相対的観点を失わないことは歴史を考えるうえでも必要で、当時の日本人が考えていた考え方が、戦争相手に通用する論理、今の世界に通用する論理なのかを考えることを忘れてはいけないと思います。

もうひとつの9・11とは、1973年9月11日にアジェンデ大統領が、ピノチェトに大統領官邸を襲われて自決した日のことです。

アジェンデ大統領は最後に次のように国民に呼びかけたと言われています。

チリの働く者たち、今裏切りの者がのさばろうとも、裏切りに打ち勝つ日を、私は信じている。正義の道を拓くため、誇りある人間たちが、立ち上がる日がくる。より良い社会を築くため、その道をゆく日がくることを、忘れないでくれ。

既に、チリの人たちはピノチェト政権を打倒しています。彼らが行った残虐なことは世界に知られるようになりました。

現在、日本は憲法の精神を蹂躙する政治家が政権を握っています。野党の中にもそれに同調する政治家がいます。表面的には彼らが、のさばっているように見えます。しかし、憲法を大切にしたいと思う日本人もたくさんいます。アジェンデ大統領の言葉は、憲法に誇りを持つ人たちに励ましになると思います。

訂正 私は昨日「盧溝橋事件事件を契機に抗日統一戦線が結成されて、更なる抵抗にあい中国戦線は泥沼化しました」と書きましたが、抗日統一戦線は盧溝橋事件以前に結成されています。日本の中国東北部に止まらない占領支配が抗日統一戦線を更に強めています。訂正を致します。

敗戦国としての“詫び証文”宣言というような憲法観/山崎孝

2006-07-23 | ご投稿
私は先日「安倍氏は近日出す本の中で、現在の憲法でも自衛権はあり、集団的自衛権行使も出来るよう解釈をすべきとの考えを述べていると言われます」ということを紹介していますが、この情報は共同通信の電子版からの情報で、これには余り詳しく本の内容は紹介してありませんでした。これに関して詳しい内容を伝えた情報がありましたので紹介します。7月21日「しんぶん赤旗」電子版より

【特異な憲法観・歴史観つづる安倍氏が著書で侵略戦争美化】

 安倍晋三官房長官は二十日、初の単著となる『美しい国へ』(文春新書)を出版しました。現行憲法の精神を敗戦国としての“詫び証文”とやゆする憲法観や日本の侵略戦争を美化する歴史観などがつづられています。九月の自民党総裁選へ向け、政権構想の土台となるとみられます。

 このなかで安倍氏は「戦後日本の枠組みは、憲法はもちろん、教育方針の根幹である教育基本法まで、占領時代につくられたものだった」とのべ、その意図は「日本が二度と列強として台頭することのないよう、その手足を縛ること」にあったと強調。現行憲法の精神を示した前文を「敗戦国としての連合国に対する“詫び証文”のような宣言」などとのべ、「自主憲法の制定」こそ「自由民主党の存在意義のひとつ」との改憲論を展開しています。

 戦前の日本の侵略戦争については「先輩たちが真剣に生きてきた時代に思いを馳(は)せる必要があるのではないか」「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっとも大切なこと」などとして、歴史の検証をかなぐりすて、戦前への共感を表明しています。侵略戦争を推進したA級戦犯についても、「戦争の終わったあとにつくられた概念によって裁かれた人たちのことだ」などと擁護し、首相の靖国神社参拝も、「ごく自然なこと」とのべています。

 日米関係については「米国との同盟は不可欠」と日米同盟強化論を展開。米軍の戦争に公然と日本が参戦する集団的自衛権は行使できないとする政府の憲法解釈を「“禁治産者”の規定に似ている」などと攻撃しています。

 内政課題では、「セーフティネット」と「自己責任」が重視される社会をめざすとしていますが、国民の厳しい批判をあびた〇四年の年金改悪については、マクロ経済スライドの導入など給付抑制を強行したことで、「公的年金は事実上、安定した」とまったく無反省です。

 「格差問題」では、「構造改革が進んだ結果、格差があらわれてきたのは、ある意味で自然なこと」などと当然視。「教育を再生する」として、大学入学の条件に一定期間のボランティア活動を義務付けることなどを提唱しています。(以上)

安倍氏の歴史への態度「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっとも大切なこと」は、扶桑社の歴史教科書を執筆した学者らの「現在の価値観で歴史を観てはならない」と共通する歴史観です。新自由史観と言われています。

しかし、この歴史観は西欧列強が植民地主義を取っていたから、日本の当時の植民地支配も当然であった。戦後、西欧が植民地主義を克服した理念で、日本の歴史を観てはならないという主張です。これは、当時の列強の立場の価値観であって、被支配国の価値観ではありません。支配された国は植民地主義に抵抗をしています。この抵抗にあって、日本は国際連盟にも認められない満州国を建設したが、中国東北部の人々の抵抗運動にあい、更に支配を拡大するためと抵抗運動を制圧するために中国の中央部まで軍隊を進めたが、盧溝橋事件事件を契機に抗日統一戦線が結成されて、更なる抵抗にあい中国戦線は泥沼化しました。

安倍氏はその当時の植民地主義を当然視した歴史観を抱いているから、田原総一郎氏とのテレビ対談で、日本の過去の戦争は侵略戦争なのではと質問に「政治の場で論議する問題ではない。歴史学者が決めること」と発言する。(註、私の行く図書館は平凡社、講談社、学研の百科事典が置いてあるが、皆、日本の戦争は侵略戦争という考えで記述してある)

国会での答弁「侵略戦争をどう定義づけるかという問題も当然ある」、極東裁判を「まさに戦勝国によって裁かれた点において責任を取らされた」、教育基本法改定では「(教育勅語には)大変すばらしい理念が書いてある」などと述べるのです。

外交姿勢について、米国の新聞ボストングローブの社説は、安倍官房長官について「日本の平和憲法が、北朝鮮のミサイル発射台を攻撃する『自衛』を容認していると述べるだけでなく、日本は近隣諸国に対して先制攻撃を行うかもしれないと主張した」と同氏の発言を伝えています。

日本国民は、同紙の指摘「国粋主義を強く主張する新たな基調に慣れつつある国内の聴衆には奏功したかもしれない」では、いけないのです。

7月23日の朝日新聞「社説」【安倍氏独走でいいのか】のタイトルの中で、安倍氏は集団的自衛権を禁じた憲法を「政府の憲法解釈を「“禁治産者”の規定に似ている」をもう少し詳しく紹介したのとあわせて、次のように述べています。

「財産に権利はあるが、自分の自由にならない、というかつての“禁治産者”の規定に似ている」

2年前の対談集では、もっと勇ましかった。「われわれの新たな責任は、日米安保条約を堂々たる双務性にしていくことだ」「軍事同盟とは“血の同盟”だ」(以下略)

米国のラムズフェルド国防長官は「日米同盟は血が流れてこそ尊い」と日本の閣僚に述べたことがあります。これと正に符合するものです。

この符牒が合うということは、イラク戦争に例えれば英国と同じ役割を積極的に果たすと言うことです。安倍氏は中年や若い女性に人気があると言います。自分の産んだ子どもが戦場に連れて行かれて、英国のように103人以上の戦死者がでることを客観的に言えば望むということです。これは母親として普通では絶対に望みません。自分が政治権限を託す政治家をうわべのムードで選ぶのではなく、よくよく吟味して選らばなければならないと思います。

安倍氏は「格差問題」では、「構造改革が進んだ結果、格差があらわれてきたのは、ある意味で自然なこと」など当然視と述べていますが、国際機関のOESDは日本の格差を次のように指摘しています。2006年7月20日朝日新聞電子版より

【所得格差拡大を指摘 二極化、固定化のおそれ】

経済協力開発機構(OECD)は7月20日、2006年の対日経済審査報告書を発表した。所得格差問題を詳しく取り上げ「2000年段階ですでに日本の所得格差は米国に次いで2番目に高かった」と指摘。その後、格差が固定化している恐れがあり包括的な対策が必要だ、と警告している.

報告書は、所得格差の指横として生産年齢人口(18歳以上65歳以下)の相対的貧困率に着目した。可処分所得が中位置(全体の真ん中)の半分に満たない家計の割合を示す指標で、日本は小泉政権による構造改革が始まる前の2000年段階で13.5%だった。OECD加盟国の中で米国(13.7%)に次ぐ高さ。3番目はアイルランドの11.9%で、日米がず抜けていた。日本の90年代半ばの相対的貧困率は11.9%だったという.

2000年当時の日本企業は景気低迷を背景にリストラを進めていた。その結果、正規労働者と非正規労働者による労働市場の二極化傾向が強まり、格差が広がった、と報告書は分析している。高齢化も一因に挙げている。

格差の拡大を防ぐために、正規雇用を増やすための施策や、非正規雇用者への社会保険の適用の拡大が必要だと訴えている。また、所得水準が厳しい母子家庭などに社会福祉支出を振り向けるべきだと論じている。(以上)

自民党政権の構造改革は誰の為の構造改革であったかは歴然としています。多数の国民の貧困化が進む中で、大企業は空前の利益を生み出しています。国家財政の悪化を理由に庶民の「自己責任」を強化させ、庶民や社会的弱者のセーフティネットを見直してセーフティネットを悪化させる。庶民の定率減税などは見直し負担を増大させたが、法人税の税率は見直そうとはしていません。このような自民党政治の中で、安倍氏は要職についていました。

私たちはこのような政治家に日本の運命を託すことはできません。

機会を捉えて事を荒立てる性格の政治家たち/山崎孝

2006-07-22 | ご投稿
私は7月12日のブログに「日本政府や外務省の幹部の対応は鼻息が荒すぎます。北朝鮮のみならず、北朝鮮の友好国である中国をも追い詰める意図さえ窺えます」という意見を書きましたが、それが的外れではなかったことが判る新聞記事がありました。7月19日「しんぶん赤旗」の電子版からです。

【“中国はずし”狙った日本外交 各紙にみる舞台裏】

 国連安保理が全会一致で採択した北朝鮮によるミサイル発射を非難した決議をめぐって、日本政府は加盟国による経済制裁や軍事制裁を規定した国連憲章第七章を明記した制裁決議に固執しました。その強硬姿勢の背景に、“中国はずし”“中国の孤立化”の思惑があったことは、十七日付本紙三面で指摘しました。

 同日付で、各紙が報じた日本外交の舞台裏を明らかにした記事でも、同様の指摘が出ています。

【安倍氏ら主導】「日経」は、「『ロシアを取り込んでみせる。中国が拒否権を使えば、孤立するだけだ』。強硬路線を引っ張った日本政府高官は当初、周辺にこう語っていた」と指摘。十五日夜の段階でも、麻生太郎外相が「中国が拒否権を発動しても全く構わない。日本からは(先に)降りない」と語ったことを報じています。

 「朝日」も、「複数の政府関係者は『中国が拒否権を使うのなら仕方ない』と強気を崩さなかった。中国が拒否権を行使した場合に備え、中国のいない主要国首脳会議(G8サミット)で支持を訴える構想を語る関係者もいた」と紹介します。

 この強硬方針を主導したのが安倍晋三官房長官と麻生外相だったことは、各紙が一致して述べています。

 「毎日」は「外務省は当初から非難決議への譲歩を想定していたが、『安倍長官がネジを巻いた』(首相官邸筋)結果、麻生外相、谷内正太郎事務次官らが集まった7日の幹部協議で『中国に拒否権を行使させてもいい』と正面突破を図る方針を確認した」と報道。日本政府の“強気外交”を賛美する「産経」は、「第七章削除」受け入れについて、「『日本の国家としての意思を問われている。中国の拒否権行使もいとわない』と考える麻生、安倍両氏にとり『制裁』の根拠となる7章の削除は苦渋の決断だった」としています。

【常任理入り】北朝鮮の無法な行為にたいして、国際社会の一致した対処が求められているときに、日本政府がなぜ安保理の分裂覚悟という対応に出たのか。

 この点について、各紙は、強硬一辺倒で成果を得ようとする政府の姿勢をあげています。

 「朝日」は、「外務省幹部が13日、『7章にこだわらない』と発言すると…安倍氏は外務省に『(最後の)1分1秒まで立場を貫け』と指示」と報道。「産経」は、「こちらが突っ張ったから、中露は議長声明から非難決議に譲歩したんだろ」との麻生発言や「こちらはすでに第7章を40条(暫定措置)に限定するところまで譲歩しているではないか」という安倍長官の“不快感”発言を紹介しています。

 また、「日経」は、政府に「二兎を追う筋書きもあった」とし、「拒否権発動で中国が国際的に孤立 日本の常任理事国入りにつながる国連改革の議論が活発化、というものだ」と明らかにしています。(以上)

自分自身の思想信条により、機会を捉えて事を荒立てる性格の政治家は危険です。「強硬一辺倒で成果を得ようとする」ことも危険です。単独行動主義の米国の政治家でさえ、今回はイラク情勢など力の配分を考えて、多国間協調に軸足を移しました。

政府の要職にある者は、自らの信条「力の政治」を優先させてはならないと思います。状況に合った柔軟性を持つことが大切だと思います。タカ派的性格の政治家たちが、集団的自衛権行使の憲法を手に入れたら、産軍複合体制といわれ、絶えずタカ派の政治家が暗躍する米国の政策と意気投合して、覇権主義に走ることは目に見えています。

福田康夫氏が自民党総裁選に立候補しないかとが22日の朝伝えられました。これで安倍氏がますます有利な状況となります。安倍氏は今回の安保理決議への強硬対応や北朝鮮への制裁を主導した力の外交を信条とする考えの持ち主で、内政も決して庶民の状況を理解することの出来ない世襲の政治家であり、その歴史観は日本の戦争を侵略とは明確な言葉では認めない考えを持っています。1994年に当時の細川首相が中国の江沢民主席との会談で、日本の侵略について「深い反省とお詫び」の意志を表明したことと、対極をなす考え方をしていると考えられます。

改憲に賛成する人たちによく見られる「改憲して自衛隊を憲法に明記したい」と考える人たちに、安倍氏に代表される政治家らが憲法を変えようとしていることを良く考えてほしいと思います。