いせ九条の会

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日本は民主主義の国と思っているが将来は?/山崎孝

2006-06-02 | ご投稿
2006年6月2日付け朝日新聞「声」欄掲載文

抗議の元教師 罰金判決とは

東京地裁は5月30日、高等学校の卒業式の始まる前、保護者らに国歌斉唱時に起立しないよう呼びかけた元教師に対して、威力業務妨害罪で20万円の罰金刑を言い渡した。

私はこの判決は事の本質を捉えていないと思う。国旗・国歌法が成立したとき、当時の小渕首相は学校で、国旗・国歌の強制はしないとする趣旨の答弁をしている。そうした法の精神を逸脱して強制を行った東京都教育委員会の不当な行政を考えれば、元教師への情状酌量を欠いている。

この判決は東京都教育委員会が元教師を刑事裁判にかけた目的である、国旗・国歌の押し付けに反対する教師を萎縮させる狙いに客観的には裁判所が手を貸し、法の番人である裁判所自らが法の精神の逸脱にも手を貸した判決である。

私たちが厳粛であるべき卒業式を元教師が乱したことはいけないという一般的常識にとどまって事の是非を判断し、元教師のやむにやまれぬ教育現場における思想信条の介入への抗議の心を酌み取らないならば、日本の将来への禍根を残すと思う。戦前の歴史を見れば、一つの価値観に基いて子供を教育した。思想信条の弾圧の後に戦争がやってきている。(以上)

「私たちが厳粛であるべき卒業式を元教師が乱したことはいけないという一般的常識にとどまって事の是非を判断し、元教師のやむにやまれぬ教育現場における思想信条の介入への抗議の心を酌み取らないならば、日本の将来への禍根を残すと思う」の文章は、私が東京地裁のテレビニュースを見て、妻に話しかけたとき、妻が一般的な常識論で私に反論したことから、これはいかんと思って書いた文章です。

イラクで日本人人質事件が起きた時も、政府は外務省がイラクは危険だから行ってはいけないという海外渡航情報をだしていた。しかし人質になった人たちはこれを無視してイラクに行ったのは悪いと主張し、国民の少なからぬ人がこの常識的な主張に同調しています。肝心なのはその事件が起こった背景に対する認識を欠いては真実を把握したとはいえないと思います。

「戦後60年を問い直す」(岩波書店)という本の中で、間宮陽介(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)さんは次のように述べています。

戦後50年から戦後60年までの5年間は、あっという間だった気がします。これからの5年間はどういった5年間になるか、いまが非常に大きな岐路だと思います。一歩間違うと、戦前以下の状況になるかもしれません。

 いまは憲法の上ではデモクラシーが保障されています。しかし2001年に小泉首相が靖国神社に参拝したとき、安倍晋三官房副長官(当時)は、「大切なのは何年も連続で参拝することだ。二年、三年たっても日本は軍国主義にならない。民主的な自由な国のままだ」と発言しました。

デモクラシーがあるから盗聴法をつくっても大丈夫、デモクラシーがあるから「日の丸・君が代」を法制化しても大丈夫……といって、さまざまなことをこの間やってきました。最後は、デモクラシーがあるからデモクラシーをつぶしても大丈夫」ということになってしまうのでしょう。(以上)

日本社会は人より違う意見、いわゆるその時代の常識とされている考え方と異なる意見や行動は、コミュニティー・共同体の調和を乱すという風に取られる傾向をまだ持っている社会です。しかし、政府などが、憲法に規定した理念=常識に背く行為を見逃していけば、その一つ一つが積み重なって日本は非民主的な国となり、自由と民主主義の社会で自由に生きたいと願う日本人にとっては、息苦しい社会になっていくと思います。今度の東京地裁判決を常識という観点で捉え、背景で動いている国家権力の民主主義への反動を見逃していては、間宮陽介さんが指摘したようなことになると思います。

自民党などの政治家は、軍隊を持っているのが普通の国=常識だと主張しています。しかし、先に紹介した朝日新聞の憲法に関する世論調査結果でも明らかなように、自衛隊を憲法に明記すると考えた人の中でも、多くの人は軍隊は拒否しています。「軍隊を持つ」は現在の日本国民の常識とはなっていません。また、日本国民の多数はカンボジア型のPKOを望んでおり、武力行使を伴う国際活動は常識としてはいません。この常識を変えられないようにしなければと思います。

日本が米国と一緒に日本や米国の領域外で、武力行使を行うことが常識とされないためにです。英国みたいにイラクで100人以上もの戦死者を出さない為です。高田健さんは伊勢市の講演で、自衛隊の人たちに、憲法9条が貴方たちの命を守っていると、呼びかけていると話されました。真実だと思います。