いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

読売新聞論説委員長 朝倉敏夫氏の憲法に対する考え/山崎孝

2006-06-20 | ご投稿
斎藤貴男氏は「ルポ改憲潮流」の中で、読売新聞論説委員長 朝倉敏夫氏にインタビューをしています。インタビューは2006年1月18日に行ったということです。その中の文章を抜粋します。

斎藤貴男氏の質問 確かに、新憲法草案は軽いイメージがあります。

朝倉敏夫氏の答え「日本の伝統と文化を譬えた内容を盛れないかということは、絶えず議論してきました。

実際に文章になるのは難しいんですよね。でも、現憲法の前文が、アメリカの各種政治文書を貼り合わせただけの代物だというのは明々白々だから。何回も社説でも、改正試案を出した時も指摘していますけど、あんなみっともないもの、そのままでいいはずがない。GHQの連中が一週間で作るためにパーツと寄せ集めたというのが、当時の状況だったのだと思う。そんな前文、当然、変えなくちゃならんという意識は最初から持っていました」

質問 伝統や文化を強調すると復古調だと嫌われるので、味も素っ気もないものにした。

答え 「政治上の問題でしょう。好みに属する問題に拘わると収拾がつかなくなるので、ここは簡単な、どこからも文句がつかないものにして切り抜けよう、と」

質問 第9条の問題に加えて、近代立憲主義の問題が争点にならなくてはいけないと私は思う。民間憲法臨調の提言でも主張された、国民論の領域ですね。

答え「9条の2項は誰が見たってデタラメだから。法律不信、憲法不信の根源です。いや、第一項は残しますよ。侵略戦争はしませんというのは、これは当然。後の方は要するにバランスの問題なんですよ。AかBか、白か黒かとやるのは意味がない。

護霊は国家権力の制限親筆からと言い、改憲派の方は、いや、それだけではなくて、国家国民というのは、もっと広い複雑な相対的な問題だろうと。孜々もそう思っています。あれかこれかの話ではないんです」(以上)

朝倉敏夫氏は「現憲法の前文が、アメリカの各種政治文書を貼り合わせただけの代物だというのは明々白々だから。何回も社説でも、改正試案を出した時も指摘していますけど、あんなみっともないもの、そのままでいいはずがない」と述べています。

私はこの主張は、日本と世界の歴史に対する認識が欠落していると思います。

大日本帝国憲法は天皇が国家の主権を持ち、軍隊を動かす統帥権も持っていました。言論の自由がありませんでした。これが大きく災いして、日本は軍部の専横に引っ張られて侵略戦争を行ってしまっています。この教訓を踏まえて憲法の前文の冒頭は述べられています。

「日本国民は、正当に選挙をされた国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」

国連憲章の冒頭

われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、 一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。(以下略)

同時代に制定された日本国憲法と国連憲章は、同じ精神を見出せます。決して「アメリカの各種政治文書を貼り合わせただけの代物」ではありません。今日の世界の命題「平和的共存」も提起しています。

朝倉敏夫氏の答え「9条の2項は誰が見たってデタラメだから。法律不信、憲法不信の根源です。いや、第一項は残しますよ。侵略戦争はしませんというのは、これは当然」を考えてみます。憲法が「デタラメ」ではなく、歴代の政府の政策が憲法の理念に基かず「デタラメ」だったから、日本の現状が「デタラメ」になってしまったのです。本末転倒です。

海外での武力行使を禁じた「9条の2項」が、日本が侵略戦争を起こさない、また、武力行使という形での米国の侵略戦争に加担をしない歯止めになっている、今までの歴史と今日の日本政府の政治動向に対する認識が欠落しています。

朝倉敏夫氏の答えが「日本の伝統と文化を譬えた内容を盛れないかということは、絶えず議論してきた」という答えから推察されるのは、読売新聞社が権力を行使する側と一体となり、国家の基本法を変えることに取り組んでいることを窺わせます。これでは憲法問題について、公正中立の報道は期待できません。