いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

姜尚中さんの講演会に関連して/山崎孝

2007-10-31 | ご投稿
【朝鮮半島の平和協定締結は4者で 米中韓外交官】(2007年10月27日付朝日新聞)

バーシュボウ駐韓米国大使は26日、朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に移行する「平和体制協譲」について「直接的な当事者は、南北朝鮮と中国、米国の4者だ。この4者が平和体制協議に参加しなければならない」と語った。同席した韓国の千英字(チヨン・ヨンウ)・朝鮮半島平和交渉本部長、寧賦魁・駐韓中国大使も同調した。

バーシュボウ大使は、平和体制協議の開始時期について「北朝鮮が既存の核施設を無能力化した後に始めるのが良い」と主張。そのうえで「平和協定の署名よりも、非核化が先行しなければならない。北朝鮮が完全で検証可能な核と核計画の放棄をするまでは、終戦宣言に署名することはできない」と強調した。(以上)

【核無能力化「来月1日に着手」 6カ国作業部会で北朝鮮が表明】(2007年10月30日付中日新聞)

【ソウル=福田要】北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議の「経済・エネルギー支援」作業部会が二十九日、板門店の韓国側にある「平和の家」で始まった。韓国外交通商省によると、北朝鮮は十一月一日から核施設の「無能力化」措置に着手すると表明し、核放棄に向けた「次の段階」の措置を着実に進める姿勢を示した。

北朝鮮は一方で、六カ国協議の合意に基づく見返りの確実な提供を求め、重油以外に希望する支援として、発電所などの改修に必要な数百点の資機材リストを示した。

韓国と中国に続く北朝鮮への重油支援については、供与を準備中の米国に次いでロシアが提供の意向を表明。残る日本は拉致問題での前進がない限り支援は困難との立場をあらためて示した。

六カ国協議は今月、年内に北朝鮮核施設の「無能力化」とすべての核計画の申告を実施することで合意。作業部会は三十日も開かれ、北朝鮮の資機材リストを分析し、今後の支援の具体的な進め方を協議する。(以上)

バーシュボウ大使は、「平和協定の署名よりも、非核化が先行しなければならない。北朝鮮が完全で検証可能な核と核計画の放棄をするまでは、終戦宣言に署名することはできない」と強調しました。これは6者協議の行動対行動の原則を踏まえたものでした。その北朝鮮核施設の無能力化も具体的な形で進み始めています。これにより「朝鮮半島の平和協定締結」に向けても明るい見通しが出来たといえます。

姜尚中さんの講演会が11月3日に三重大学で行われます。姜尚中さんは、2006年2月22日に発行された「姜尚中の政治学入門」(集英社新書)の中で、2005年の6者協議の共同声明が出されたことを受けて、《…アメリカを加えた世界に例の見ない多国間ネットワークが、今後、構築される糸口が出来上がりました。さらに、現時点で考えられうる理想的な展開を書き連ねると、以下のようなものになるでしょう。6者協議を継続的に催しながら、朝鮮半島の非核化を推進する。同時に、朝鮮戦争終結時の休戦協定を平和協定に切り替える。6カ国による軍縮、軍備管理とセットで朝鮮半島の「中立化」を実現する》と述べています。

このうちの「朝鮮戦争終結時の休戦協定を平和協定に切り替える」課題は扉を開くところまで進展することが出来たと思います。

姜尚中さんは、見通しを立てるのには、10年間のスパンで歴史を見れば、人も社会も、その変化の度合いを読み取ることが出来る。時間の点で見れば、まったく新しいように見えたものが、以外に旧かったり、違った衣装を纏って立ち現われてきただけだったりと、いろいろ発見する機会が多くなった。そう思えるのも、私のバックグランドに、政治思想史という「干物」(姜尚中さんはその時々の事件は「生もの」と表現している)の知見があるからなのです、と述べて、政治思想史という学問の大切さを述べています。

現在、日本の将来を選択する二つの道が提起されています。一つは改憲をして二国間同盟である日米同盟を双務性にし軍事的抑止力を強化して日本の安全保障を図る道です。もう一つは現行憲法の理念を踏まえ徹底した対話・外交努力によって平和な環境を構築していく道です。どちらが合理的な選択肢でしょうか。粘り強く話し合い進める6者協議には、東アジアの平和と安定を図る作業部会が出来ています。

静岡県個人情報保護審査会は憲法の理念を守った/山崎孝

2007-10-30 | ご投稿
【教員氏名報告は不当と答申 君が代不起立で神奈川県】(2007年10月29日付静岡新聞)

神奈川県教育委員会が、県立高校の卒業式と入学式で君が代斉唱の際に起立しなかった教職員の氏名を校長に報告させていることについて、県個人情報保護審査会が「県個人情報保護条例が禁止する思想、信条に関する個人情報の収集に当たる」として、是正を求める答申を出したことが29日、分かった。

県教委は「答申を尊重する」として、2006、07年度の報告を破棄する方針。個人の思想、信条や宗教、犯罪歴などのいわゆる「センシティブ情報」をめぐっては、神奈川県と同様に条例で取り扱いを原則禁止している自治体もあり、影響を与えそうだ。

県教委は06年3月の卒業式から、起立しなかった教職員の氏名を報告するように校長に指示した。

これに対し、教職員23人が報告をやめるように求めたが、県教委は「起立しなかった理由を聞いておらず、集めた情報は客観的事実で思想信条に関する情報に該当しない」との決定を出し、報告を続けさせたため、23人のうち16人が不服を申し立てた。(以上)

静岡県個人情報保護審査会が「県個人情報保護条例が禁止する思想、信条に関する個人情報の収集に当たる」と考えた背景は、言うまでもなく、大日本帝国憲法もとで統帥権が天皇にあったこと、その統帥権を軍部に利用されて悲惨な戦争への道を辿ってしまったという日本の歴史があります。君が代がその天皇家を讃える歌であることを考えれば、君が代斉唱の際の起立に抵抗感をいだく人もあります。その抵抗感を抱いた人を校長が教育委員会に報告することは、憲法に則り定めた静岡県個人情報保護条例の規定違反にあたると考えるのは当然のことだと思います。「不適格な教師を再任しない」という教育行政の方針がありますからなおさらのことです。

歴史を振り返れば日本が戦争への方向に向かったとき、生徒の自主性を重んじる自由主義的傾向のある教師を教育界から放逐することが起きています。現在も軍隊を持ち海外で武力行使ができる憲法にすることを狙う自民党は、平和を愛する国民を育てるとした教育基本法を変えてしまっています。自民党の考える愛国心は時の政府に協力することが愛国心と思っています。政府の基本方針に反対する人を「反日的日本人」と呼ぶ人たちもいます。

状況を改善するのは軍事ではなく政治的な対応/山崎孝

2007-10-28 | ご投稿
【アフガン混乱で英軍参謀総長/状況改善は軍事でなく/政治的な対応で】(2007年10月27日付「しんぶん赤旗」)

【ロンドン=岡崎衆史】ジョク・スターラップ英軍参謀総長(空軍大将)は、二十五日放送の英スカイニューズとのインタビューで、悪化するアフガニスタン情勢について、状況を改善するのは軍事ではなく政治的な対応だとの考えを示し、軍事力への過度の依存を戒めました。

 スターラップ参謀総長は、アフガン復興活動は数十年の長期にわたるとの見通しを示した上で、「アフガニスタン問題や世界中の問題を軍事的に解決できるとの誤解が広がっているが、これは誤った認識だ」と指摘。さらに、軍事力の重要性を認めつつも「全体的にみれば、これらの問題は政治的にのみ解決できる」と述べ、紛争への政治的対応の重要性を強調しました。

 また、「人々の過去の行動に焦点を当てすぎるべきではない。今と将来を重視すべきだ」と述べ、アフガンの反政府武装勢力タリバンの元の幹部も含めた話し合いの必要性を訴えました。

 スターラップ氏は〇六年四月から英軍軍人のトップである軍参謀総長。二〇〇一年九月―〇二年一月までは、米軍のアフガン攻撃作戦を支援する英軍部隊の司令官を務めました。(以上)

ジョク・スターラップ英軍参謀総長は、悪化するアフガニスタン情勢について、状況を改善するのは軍事ではなく政治的な対応だとの考えを示し、軍事力への過度の依存を戒めました。

アフガニスタン国内で復興支援活動に携わってきた日本国際ボランティアセンターは10月12日、アフガニスタンにおける対テロ戦争と日本の軍事支援の見直しを求める声明を発表し、そのなかで、国際社会と日本政府は、対テロ戦争を見直し、敵対勢力や周辺国を含むすべての紛争当事者と包括的な和平協議を始めるべきだと訴えました。

アフガニスタン国内では5月に国会(上院)がタリバンとの交渉開始を求める決議を採択しました。カルザイ大統領は9月23日の渚基文国連事務総長との共同会見で「われわれはすでにアルカイダの一部ではなく、テロリスト・ネットワークの一部ではないタリバンとの問で、平和と和解のプロセスを通じて接触をおこなっている」と述べています。

新テロ対策特別措置法案は、他国の補給艦に給油することを禁止していません。これは間接給油という形でアフガニスタン攻撃やイラク攻撃にかかわる可能性があります。

日本国憲法は武力で国際紛争を解決しないとしています。この理念に従い軍事に関わらず、アフガニスタンの和平の動きを支援すべきです。

町村信孝官房長官の言葉を考える/山崎孝

2007-10-27 | ご投稿
【町村氏が外相見解批判 拉致めぐり足並み乱れ】(2007年10月26日付中日新聞)

町村信孝官房長官(拉致問題担当)は26日午後の記者会見で、北朝鮮による拉致被害者数人の帰国実現を拉致問題の「進展」とみなすとした高村正彦外相の見解について「ここで(進展の定義を)具体的に言って何の意味があるのか。相手に付け入るすきを与えるだけだ」と強く批判した。福田康夫首相は「積極的アジア外交」の推進を掲げているが、最重要課題の北朝鮮対応をめぐり担当閣僚間の足並みの乱れが露呈した形だ。

会見で町村氏は、外相発言について「被害者が何人帰国しそうだとか、(帰国の可能性がある)何人かの名前が出ているのではないかとの誤解を与える。そんな事実はない」と指摘。政府として「すべての被害者の一刻も早い帰国を求めるとの一点に尽きる」と述べ、対処方針は変わっていないと強調した。(共同通信)

【福田首相「進展は全員帰国」 拉致めぐる外相発言を修正】(2007年10月26日付中日新聞)

福田康夫首相は26日夜、北朝鮮による拉致問題が進展したかどうかの判断基準について「全員だ。こちらが向こうにいると言っている方々が全員帰ってくるということだ」と述べ、政府が認定する拉致被害者全員の帰国が必要との認識を強調した。数人の帰国実現を「進展」とみなすとした高村正彦外相発言を軌道修正した形。官邸で記者団の質問に答えた。

町村信孝官房長官(拉致問題担当)も記者会見で、外相発言を「ここで(進展の定義を)具体的に言って何の意味があるのか。相手に付け入るすきを与えるだけだ」と強く批判。閣内の足並みの乱れが露呈した。

首相は記者団に対し「高村大臣と話していないからお答えしにくい」としながらも、「思いは同じだと思う」として閣内不一致との見方を否定した(共同通信)(以上)

高村正彦外相の見解は、現在の6者協議の、北朝鮮の核の無能力化の方向とそれに対応した4カ国の北朝鮮への支援の具体化という進捗状況、米朝国交正常化部会での米国の北朝鮮テロ指定国家解除の方向への進展を考えれば、拉致問題の従来からの硬直した姿勢、制裁一本槍の姿勢を固執していると、日本が孤立しかねないという外務省の情勢分析の危機感からくる見解だと思います。

「すべての被害者の一刻も早い帰国を求めるとの一点に尽きる」という基準は、基準としては良いとしても、問題はこの基準にどうやって到達するかです。2002年9月17日の日朝首脳会談以降、5年経ってもいまだに拉致被害者の全貌が明確になっておらず、従来の政府の制裁一本槍の態度では、現実に少しも前進出来る兆しが表れていません。

政府の外交責任は会談で机を叩いて自国の主張をしているだけでなく、交渉の中から相手の本音を掴み分析して、具体的な形で物事を良い方向に進展させることだと思います。外交の到達すべき基準は、意地を張り合い喧嘩するのではなく、近隣諸国との「和平の環境」を獲得することであると思います。

相手の本音を掴むことは大切です。2005年に北朝鮮は6者協議で、北朝鮮の安全を保障すれば軍事用の核を廃棄すると約束します。客観的に見ても軍事超大国の米国に北朝鮮が軍事で対抗できる力はなく、これが北朝鮮の本音でした。米国はこの北朝鮮の本音に基本をおいて、ブッシュ政権内の強硬派を押さえて、北朝鮮の金融制裁を解除する方向を示し柔軟路線に転換し、2006年の暮れから今年の1月にかけて米朝の二国間協議を本格化させてこれが6者協議の推進材料となりました。

今までの路線で拉致問題が打開できないのは明白です。これを打開できる可能性を探らなければならないと思います。

渡海紀三朗文科相の国会答弁を考える/山崎孝

2007-10-26 | ご投稿
【調査官と審議委員 半数、「つくる会」と関係】(2007年10月25日付沖縄タイムス)

沖縄戦「集団自決(強制集団死)」に関する教科書問題で、検定意見の原案を作成する教科書調査官の日本史担当者と、教科用図書検定調査審議会日本史小委員会の近現代史担当委員の計八人のうち半数の四人が、「新しい歴史教科書をつくる会」が発行した教科書を監修・執筆した伊藤隆東京大名誉教授と関係があることが二十四日、分かった。伊藤氏の門下生がいるほか共同研究や共著の実績があった。衆院文部科学委員会で石井郁子氏(共産)が明らかにした。

石井氏の調べによると、日本史担当の教科書調査官四人のうち、主任調査官の照沼康孝氏、調査官の村瀬信一氏は東京大在学中、助教授だった伊藤氏の教え子だった。

近現代史担当の審議委員四人のうち駿河台大教授の広瀬順皓氏、九州大大学院教授の有馬学氏は一九九六―二〇〇〇年度にかけ、文科省の科学研究費補助金を活用して伊藤氏を統括者とした共同研究に従事していた。この研究には村瀬氏も加わっていた。

また、村瀬、照沼、有馬の三氏らは「近代日本の政治構造」という著書を共同で執筆しており、有馬氏はあとがきで「執筆者はいずれも先生(伊藤氏)が在学中、学恩に浴し」と伊藤氏への謝意を示していた。

伊藤氏は「つくる会」の発足に携わり、〇六年まで理事を務めた。

石井氏は「今回の検定意見は文科省の片寄った人選がある。歴史を逆行させる地下水脈のようなものが一貫して流れていると言わざるを得ない」と指摘し、調査官と審議委員の選考の在り方を厳しく批判した。

渡海紀三朗文科相は「一部の方にそういう色合いが見えるということだけで、物事が流れていると断定するのはいかがか」と述べ、問題視しない考えを強調した。(以上)

渡海紀三朗文科相の「一部の方にそういう色合いが見えるということだけで、物事が流れていると断定するのはいかがか」という意見についてですが、組織の一部ではなく、教科用図書検定調査審議会日本史小委員会の近現代史担当委員の計8人のうち半数の4人も、新自由主義史観という色合いのついた人物で占めています。そして組織の有り様は人事が大きく左右することを無視した意見です。どのような組織でも、どのような経歴や思想の人物を参画させるかで、その組織の運営や経営方針が変わってきます。

文部科学省に関する人事は一般的にはあまり報道されませんが、教科書検定問題と関連して文部科学省の中にあつた「歴史を逆行させる地下水脈」が、国会の場で明らかにされたのです。

歴史を逆行させる潮流は安倍政権下で際立ちました。安倍前首相は幹事長時代、自民党の地方組織に扶桑社の歴史教科書を各地の教育委員会が採択するよう運動することを指示しています。首相になると戦前の歴史の教訓を踏まえて国家のあり方を示した憲法を変えることを最終到達点とした「戦後レジーム」からの脱却と歴史の負を消滅させようとする美しい国づくりを指向しました。

安倍政権の特徴は「お友だち内閣」と言われました。その友だちの顔ぶれを見てみます。安倍政権の閣僚人事について報道した当時の朝日新聞は《中川昭一政調会長 1997年「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」会長になっている。同会は扶桑社の歴史教科書をバックアップした。同会で活動した高市早苗氏が沖縄・北方相に就任、同会事務局次長だった下村博文氏が官房副長官に就任。同会所属であった山谷えり子氏が教育再生担当の首相補佐官に就任した。下村博文氏は最近、教育再生会議のテーマのひとつに「自虐史観の歴史教科書をやめさせる」と述べている。山谷えり子氏は「いまだにレーニンの言葉を守っているんでしょうか、自虐的な内容の教科書をつくっている」と述べている》と報道しています。

そして人事について総括的に《安倍晋三氏は、「党内基盤を安定させるため、自民党総裁選で功績のあった派閥やグループに配慮しながら、首相の政治信条に近い保守色の強いメンバーを積極的に起用した人事となった」また、「…国家観や憲法観、家族観で、日本の伝統を重んじる保守的な人物が目に付く、首相の意向も相まって、新内閣の政策はより保守色を強める可能性がある」》と2006年9月27日付朝日新聞は報道しています。

20年間続き変更されなかった沖縄戦「集団自決(強制集団死)」に関する教科書記述変更は、このような安倍政権人事配置のもとで起こりました。

歴史を主体的に見据える/山崎孝

2007-10-25 | ご投稿
「マガジン9条」のホームページの読者投稿欄に、沖縄戦の住民の集団自決死問題や従軍慰安婦の問題で論争する人の大半は頭に血を上らしており、過熱した言論空間からは、冷静かつ客観的な歴史的事実を探求することが出来ない。であるから、歴史的事実の探求は東アジアの人に任せるのではなく、別な国の人に歴史の真実の探究を全面委託しては、という趣旨の意見がありました。

この意見は肝心なことが抜け落ちています。自国の歴史は自らが見据え、その歴史の教訓を汲み取り、未来の国の有り方を考える主体的態度です。この態度を放棄するに等しい意見と考えます。

主体的態度の典型的な例を挙げますと、1945年12月26日に憲法草案を発表した日本の知識人グループです。このグループがGHQの憲法草案に先駆けて発表した「憲法草案要綱」に盛り込まれた、天皇大権を削除し国民主権を明記、自由と民主、平和主義などの理念は、明治以降の大日本帝国憲法下で歩んだ日本の歴史の教訓を汲み取った理念でありました。

これは時の政府、松本国務大臣を委員長として検討した政府の憲法草案が、天皇が統治権を総攬するという大原則、国体には変更を加えないのと比較すれば、歴史とどのように向き合うか、どう評価するかの大切さを理解できます。

戦前の日本の歴史の評価の違い、国家がどのようなことで破綻したかの評価の違いが国家のあり方を決めます。現在、起きている日本の旧軍隊についての評価の違いが、近い将来、日本が軍隊を持つのか、持たないかののかのいずれかを選択することになります。

沖縄県全41の地方議会と二度にわたる県議会の教科書検定意見の撤回を求める意見書の採択は、党派を超えたものであることを見れば、冷静さを欠いた歴史の探究を背景にしたとは絶対にいえません。

2007年10月22日付「朝日歌壇」に掲載された短歌です。

お茶を断ち紙おむつも当て炎熱の抗議集会行きのバスに乗り込む 沖縄県 和田静子さん

体力は衰えても、未来に続く国のあり方を考える力は衰えず、力強い精神力が感じ取れます。この方は主体的に歴史を見据えて行動しました。中立という立場にことよせ、言論空間の中間の位置で浮遊する態度ではありません。

アジアの解放という思想/山崎孝

2007-10-24 | ご投稿
私は今年7月に刊行された本で、映画評論家の佐藤忠男著「草の根の軍国主義」岩波書店発行を読んでいます。この本の書いた趣旨を要約した本の帯には《あの平和と戦争において、民衆は指導者層や軍部に操られ踊らされただけだったのだろうか。「軍国主義」を支えた庶民の心のありようを問い直す》と書かれています。

踊らされたといえば、小泉政権はマスメディアを利用し、少なからぬマスメディアが同調した「劇場型政治」が展開されました。この戦術で衆議院は与党だけで3分の2の議席を占めてしまい、この状況に利用して「新テロ特措法案」の成立を自民党は企図しています。

「劇場型政治」の類型、北朝鮮の脅威=北朝鮮を懲らしめる宣伝。中国の脅威=中国に対抗する宣伝があります。日本人の中には一人一人が確固とした意見を持たない、あるいは持っていてもその意見を言うのを控える根強い「集団主義」があります。政治指導層はこの国民の「集団主義」を利用しようと考えています。

佐藤忠男さんは「草の根の軍国主義」の中で、1934年に作られ、記録フィルムとアニメーションの組み合わせて作った映画で、アジアの解放の戦いという思想を宣伝した「一九三六年」という作品を紹介した後、次のように述べています。

この映画の作者たちが声を大にして主張しているのは、世界は欧米の白人の強国によって分割支配されていて、アジアもすでに大部分は侵略されているなかで、日本だけが勇敢に立ち向かっている、ということです。だから日本は「東洋の明主」として、心あるアジアの人たちを従えて、アジアの解放の戦いをしなければならない、というわけです。その戦いの拠点となるものこそが南は第一次世界大戦への参戦で手に入れたサイパン死魔マーシャル群島などの南方諸島であり、北はなぜか「突如起こった満州事変」で日本のものになった満州国というわけです。

日本が満州を植民地化することに反対した国際連盟に対して日本の松岡洋右が憤然として席を立ち、その3日後脱退宣言を叩きつけてジュネーブを出てゆく様子は、私がもの心ついた頃、最高に格好いい姿として語り継がれていました。この満州が、日本軍が力づくで中国から奪い取ったものであることをこの映画は隠そうとしてはいません。ただしそれは「正義の為」「自衛の為」、「東洋の盟主」としての「使命」のためだというわけです。私がのちに、この満州で日本のための宣伝映画を作っていた満映(満州映画協会)という映画会社の幹部だった人から聞いた話では、当時の満州は主人のいない土地、中国といっても実質中国の中央政府の統治の及んでいない土地だから自分は侵略と思っていなかった、というわけです。ずいぶん勝手な理由だと思います。その勝手さは、満州を拠点にしてアジアを解放することこそが「東洋の盟主日本の使命」だと思い込みで正当化されていました。

ただし、アジアの解放という美名は、本当は怪しいものだということを、子どもだってぜんぜん気がついていなかったわけではありません。それは当時、大人たちはまた、日本は資源もない貧しい国なのに人口だけは多くて食えない人が多いから、満州をとって移民してゆかなければやってゆけないのだ、ということを喋っていたからです。小学生の頃にはよく、故郷の新潟港から出発する満州開拓移民の満蒙開拓青少年義勇隊の見送りに学校で動員されました。動員されるくらいだから満州開拓の意義などは先生から聞かされていましたが、こればかりは応募する気になれませんでした。いくらお国のためだって、町育ちで農業などはやったことの自分が満州まで行くことはないと思ったのです。どうしても日本は人口過剰で、私みたいな学歴も財産もない者はこの国からはみ出してゆかなければならないのだとしたら、酷寒の満州より、どこか南方の方がいいな、と空想したことがありました。南進か北進が。こうなると私ももう軍国主義者に近いところに居たということになるかもしれません。(以下略)

次に現在私が読んでいる戦時中の「こどもの本に描かれたアジア・太平洋」/近・近代につくられたイメージ(長谷川潮著、梨の木舎発行)という本の抜粋です。長谷川潮さんは子供向けのアジアや太平洋に関する教材を紹介した後、次のように述べています。《全体を通じて言えることは、日本はそのすべての地域を支配する(そういう表現は使っていないが)ことを指すのであり、アジア・太平洋の人々は日本に従う存在だということである。そしてそうするためには、米英、なかんずくアメリカをそこから排除しなければならないのだ》と解説しています。

そしてその思想を端的に表明した詩である7連からなる「太平洋」という詩を紹介しています。

かなた、熱帯の海から/流れ起こる黒潮/わが大日本の磯を洗いながら/北上し、東へ転じて/遥かにアメリカの大陸をつく。(第連)

日向を船出して/都したまうた国は大和/わが大日本はおほやまと/また浦安の国であるように/太平洋は/皇国の鎮めよってのみ/とこしへに「太平」の海なのである(第7連)

私は三重県の公聴広報室が作ったホームページの掲示板で、「当時の満州は主人のいない土地、中国といっても実質中国の中央政府の統治の及んでいない土地だから自分は侵略」ではなかったという主張と同類の主張を読んだことがあります。その主張は当時の清朝政府は満州を「毛外の土地」と認識していたから、日本が満州に進出しても侵略に当たらないと主張していました。これは変な主張で満州事変の頃の中華民国政府が、国際連盟に中国の東北地域「満州」における日本の侵略行為を訴えたことを都合よく忘れてしまっています。

佐藤忠男さんが述べた映画の主張《「自衛の為」、「東洋の盟主」としての「使命」のためだ》だという主張や、長谷川潮さんの解説した主張と同じの、大東亜戦争は自存自衛やアジアの解放という史観を根底にして書いた扶桑社の教科書で、現在、子どもたちの一部は教えられています。そして、新自由主義史観の人たちが多く執筆する産経新聞社の雑誌「正論」などは、中国の脅威=中国に対抗する主張が毎号掲載しています。

このような主張は現行憲法の前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」する考え方と対立する考え方です。憲法理念を生かそうとする私たちは新自由主義史観の動きを注意深く見ていなければならないと思います。

新自由主義史観の人たちが安倍政権と連携して起こした、沖縄戦における住民の集団自決死に日本軍の責任がないとする教科書の記述変更は、現在、大きな反撃運動にあっています。従軍慰安婦問題で軍隊の関与がなかったとする主張も国際的規模で批判され主張は退けられています。史実に照らせば道理がない主張です。

志を貫いた尾崎行雄/山崎孝

2007-10-23 | ご投稿
なじみの菓子であった「赤福」に関した不祥事が毎日のように報道されて、伊勢・志摩地方に住む私は気がめいってしまいます。真面目に働いてきた従業員の人たちが気の毒でなりません。

「赤福」は戦時中の女主人の品質にこだわった精神・志を大きく失っていました。しかし、民主主義と平和を守る分野において、志を貫いた人物がいました。10月21日付の朝日新聞「新しい憲法の話」の見出しは「志を貫いた尾崎行雄」でした。以下、抜粋して紹介します。

(前略)その後、本格的な政党内閣である原歌内閣ができたのもつかの間、1924年に第2次護憲運動がわき起こる。政党政治の定着が期待されていたのに、大臣の大半が貴族院議員という反動的な清浦奎吾内閣が生まれたからだ。「専制主義か立憲主義か」。この運動の中にも尾崎はいた。

 犬養が殺害された32(昭和7)年の5・15事件を経て、40年に大政翼賛会が発足。42年4月にいわゆる翼賛選挙が行われ、政党政治そのものが終わりを告げた。

 尾崎はここでも黙っていない。東条英機首相への公開書簡で、翼賛選挙は「非立憲的動作」だと痛烈に批判。そのためか、でっち上げの不敬罪で起訴されたが、選挙には通った。演説会に入場料を払ってでも来ていた選挙民の力だった。

 45年12月には、議員も責任を取ってみな辞職すべきだという意見書を議長に出したが、賛同者はなし。尾崎は46年4月の総選挙に立候補しなかったが、支持者がひそかに届け出て当選させた。

 戦後の著書で、尾崎はこう語っている。

 「なぜ敗けたか? その一は、日本人が立憲政治の運用をまちがえたことである。それは、まちがえなかったら、戦争に勝てたであろうといういみではない。本当の立憲政治が行われていたら、戦争はしなかったであろうという意味である」

 独協、東海両大学名善教授の白鳥令・日本政治総合研究所理事長は「憲政の常道とは政治の言葉であり、誰も明確には定義できない。だからこそみんなを引きつける」と言う。それを誰よりも語り、人々を引きつけた人こそ尾崎だった。(以上)

尾崎行雄の《「なぜ敗けたか? その一は、日本人が立憲政治の運用をまちがえたことである。それは、まちがえなかったら、戦争に勝てたであろうといういみではない。本当の立憲政治が行われていたら、戦争はしなかったであろうという意味である」》の言葉は、本質を衝いた言葉です。良識を持った政治指導者や議会が軍事組織をしっかりコントロールするというシビリアンコントロールが大切です。現在、自衛隊に対するシビリアンコントロールが揺らいできています。

この問題で典型的な形の発言をした人物がいます。7月の参院選で当選し政治家になった佐藤正久・元陸上自衛隊イラク派遣先遣隊長です。発言内容は、イラクサマワに駐留する陸自の警護に当たっていたオランダ軍が攻撃を受ければ「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる状況を作り出して警護するつもりだった」、「巻き込まれない限り正当防衛、緊急避難の状況はつくれない」。

この発言は、かつての関東軍が既成事実を作り、その既成事実でもって政治家や議会を戦争の方向に動かしていったことと同じ発想をしています。自民党はこのような人物を比例区で当選させています。

不可能に近い自衛隊の補給の限定条件/山崎孝

2007-10-22 | ご投稿
初めに前日のブログを次のように訂正します。海上自衛隊の「ましゅう」は9月4日に米軍の強襲揚陸艦「イオウジマ」に給油します。艦載機「ハリアー」は、9月9日~21日にかけて、アフガニスタン南部へ136回出撃しました。9月22日、「ましゅう」は9月4日、「イオウジマ」に給油します。艦載機「ハリアー」は、10月初旬、イラク南部バスラ周辺の英軍部隊を支援活動しました。これらは「イオウジマ遠征打撃群」という艦隊行動でした。

【4年前に給油量の間違い把握 海自、長官に報告せず】(2007年10月21日)

イラク戦争開戦直前の2003年2月に海上自衛隊の補給艦がインド洋で米補給艦に給油した量が20万ガロンから80万ガロンに訂正された問題で、海自が約4年前から間違いを把握していながら当時の石破茂防衛庁長官(現防衛相)らに報告していなかったことが21日、分かった。防衛省首脳が明らかにした。野党側の求めに応じて政府が22日に示す報告書に詳細が盛り込まれる。

80万ガロンのうち67万ガロンは対イラク作戦に参加した米空母「キティホーク」に給油されており、対イラク作戦に転用された疑惑が国会の焦点になっている。野党側が「組織的隠ぺいであり、文民統制上、重大な問題だ」と批判するのは必至。インド洋での給油活動を継続するための新テロ対策特別措置法案の審議にも影響が出そうだ。(共同)(記事以上)

政府が国会に提出した「補給支援活動特別措置法案」は《2 補給支援活動の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない》、《二 補給支援活動 テロ対策海上阻止活動の円滑かつ効果的な実施に資するため、自衛隊がテロ対策海上阻止活動に関わる任務に従事する諸外国の軍隊等の艦船に対して実施する自衛隊の属する物品の提供(後略)》となっています。そして、新法は米軍などの補給艦に給油する行為も禁止されておらず、間接給油を受けた艦船がどのような任務をするのかという疑問も解消されていません。

「テロ対策海上阻止活動に関わる任務に従事する諸外国の軍隊等の艦船」と規定し、自衛隊が補給できる条件を設定しています。しかし、テロ対策特別措置法のもとで、海上自衛隊の給油活動は、対イラク作戦に参加した米空母「キティホーク」を間接給油しており、朝日新聞の10月18日の記事は《……計6年間に及ぶ活動の間、海自が給油拠点としてきたインド洋では、対アフガンと対イラクの複数の作戦が交錯し、戦略環境はめまぐるしく変化した》。また、派遣された自衛隊の幹部は、現地部隊は給油する艦船の任務をいちいち再確認はしていないと述べている現実があります。このような状況の中で、テロ対策海上阻止活動に関わる任務に従事する艦船のみを区別して、海自が補給活動をすることが可能なのでしょうか。

自衛隊の補給活動以外でもテロとの戦いや国際貢献は可能です。これに関連した米国人の意見を紹介します。朝日新聞10月22日の「私の視点」欄で、ロバート・オアー氏(前ボーイング・ジャパン社長)とエドワード・リンカーン氏(ニューヨーク大教授)は次のように述べています。

(前略)ブッシュ大統領の外交政策は今やイラク戦争の泥沼化でぼろぼろになり、米国内でも拒絶する人が増えている。日本は勝ち目のない政策にあまりにも近づき過ぎた。

そうした問題点は、テロ対策特別措置法の延長や新法づくりをめぐる最近の日本国内の動きを見ても明らかだ。国際社会が日本に対し、地球規模の様々な責任を担うよう期待していることは言うまでもない。しかし、具体的に何をどうするかは、日本が決めるべき問題だ。もし、インド洋上で海上自衛隊が行なってきた給油活動が最善の策ではないと日本が判断したとしても、多くの米国人は十分理解するし、日本が他の方法でテロとの戦いやアフガニスタン復興に意味ある貢献を信頼している。(後略)

政府はテロ特措法の規定することを守っていない/山崎孝

2007-10-21 | ご投稿
「しんぶん赤旗・日曜版」掲載の米海軍の活動日誌によると、海上自衛隊の「ましゅう」は9月4日に米軍の強襲揚陸艦「イオウジマ」に給油します。「イオウジマ」の艦載機「ハリアー」は、9月9日~21日にかけて、アフガニスタン南部へ136回出撃しました。

9月22日、「ましゅう」は9月4日、「イオウジマ」に給油します。「イオウジマ」の艦載機「ハリアー」は、10月初旬、イラク南部バスラ周辺の英軍部隊を支援活動しました。

9月16日の参院予算委員会で日本共産党小池議員の質問に答え、石破防衛大臣は「テロ特措法は、アメリカのOEF(アフガニスタンにおける不朽の自由作戦)を排除した法律ではない」と述べました。

テロ特措法の基本原則は(1)政府は、協力支援活動、捜索救助活動、被災民救援活動その他の必要な措置(「対応措置」)の適切かつ迅速な実施により、国際的なテロリズムの防止・根絶のための国際社会の取組に我が国として積極的かつ主体的に寄与し、もって我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に努める、となっています。具体的な活動として海上自衛隊の補給艦で米国などの艦船に給油し、米国などの艦船は海上でのテロリストの活動を封じ込めると説明されてきました。

テロ特措法による協力支援活動に当たる対応措置の実施は《(2)対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない》となっています。海上自衛隊の支援活動が直接的な形で武力の行使をしなくても、海上自衛隊に燃料を補給された米国などの艦船が武力攻撃を行なっていれば、実質的には武力攻撃を支援していることになります。

日本国憲法の国際紛争の解決は武力で解決してはならない規定に違反します。

テロ特措法の目的を《国際的なテロリズムの防止・根絶のための国際社会の取組に我が国として積極的かつ主体的に寄与》と定めていますが、2007年9月21日に出された国連事務総長の報告書は、タリバンなど反政府勢力の活動の強まりによって、自爆テロは、2006年は年間123件だったが、2007年は既に100件以上になっており、多数の民間人が犠牲になっていると伝えています。

英国の有力シンクタンク国際戦略研究所の2007年9月に出た2007年版は、アフガニスタンは「自爆攻撃が急増し、武装勢力や過激主義が、これまで平和的だった地域に広がっている」として、情勢の悪化を指摘。また、民間人死者を増大させる米軍の作戦は「逆効果だ」と述べました。

テロ特措法の目的である、国際的なテロリズムの防止・根絶することに役に立ってはいません。