好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

続 初君  聚感園(しゅかんえん)の歌碑

2006-12-02 21:25:25 | Weblog
新古今和歌集の選者 藤原定家の曾孫になる
京極為兼 (為景)(藤原為兼)は陰謀の企てたとの疑いで
鎌倉幕府の執権 北条定時により配所の佐渡へ

あふことの いつかはとゆふ たすきかけし
 誓ひを 神にまかせて
と初君に送った歌、

ゆるされて京へ帰ることになり 寺泊に着いた為兼は
再び初君に会うことが出来なかった すでに初君はこの世の人でなかった、

それから9年後1312年(正和元年)大納言に昇進して
京極為景は勅撰和歌集 (玉葉集)を編集したが その中に
初君の歌を詠み人しらづとしていれ はるか昔、不遇のときの
幸せ薄い恋人のことを忘れられなかった。
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