好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

川端康成 美しい日本の私 と良寛

2006-12-24 18:31:10 | Weblog
川端康成 ノーベル文学賞を受賞
ストックホルムでの記念講演で
美しい日本の私の なかで
良寛の

形見とて 何か残さむ 春は花
 夏ほととぎす 秋はもみじ葉

良寛の自然感 人生観を広く紹介

口ずさむ良寛の詩歌 (全国良寛会)では上記だが
良寛詩歌集 北川省一撰では

かたみとて 何か残さん 春は花
山時鳥  秋はもみぢ葉

少し違うようだが?

うらを見せ おもてを見せて ちるもみぢ
 これも良寛詩歌集に
貞心尼の はちすの露には こは御みづからのには
あらねど 時に とりあひのたまふいと いとたふとし
とあるが?。
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願王閣 地蔵堂(分水)と遍澄(へんちょう)

2006-12-24 16:43:36 | Weblog
願王閣(がんのうかく)
大庄屋 富取家が建立寄進
良寛の弟子といわれる 遍澄(へんちょう)が
中村家 富取家 町年寄のなどに懇望され住むように
それまで乙子神社草庵に住み 良寛の世話をしていたが
遍澄のはからいで木村家に身を寄せるように
水上勉著 良寛 12月23日の新潟日報工藤美代子
恋雪譜でも
遍澄が入門を頼んだ時良寛は拒んでいない 5合庵から
乙子神社草庵 そして木村家へ  遍澄は師の身の上を案じて
の采配 遍澄の献身的な世話ぶりを感心した地蔵堂の庄屋たちが
願王閣の閣主にと懇願した、
和島村生まれ鍛冶職人の長男であるが 出家僧名で俗名は市内(いちない)

遍澄の歌碑
利鎌(とがま)もて刈りはらふべき人なし むぐら繁れる 敷島の道
                       釈遍澄 
良寛が寄宿先していた中村家の前に願王閣がある。         
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中村家 良寛 (栄蔵)寄宿先

2006-12-24 00:58:16 | Weblog
大森子陽の塾 三峰舘に入門
地蔵堂 (分水)に寄宿先 中村家の二階に
その頃近郷の庄屋や医者など裕福な名家の子弟だけしか
行くことのかなわない時代で ここで真木山の庄屋のちに
医者になる原田鵲斎や与板の豪商、三輪家の佐市などと多くの友と
めくり合っている、
今も中村家の二階の部屋がそのまま、
 
一思少年時  ひとたび思う少年の時   
読書在空堂  書を読んで空堂に在り。
燈下数添油  燈下しばし油を添えども
未厭冬夜長  未だ厭(いと)わず冬夜の長きを

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