好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

如意山 照明寺 越後三十三観音 第20番

2006-12-13 17:47:40 | Weblog
如意山 (にょいざん)照明寺(しょうみょうじ)
当寺は永承4年(1049年)高野山 竜光院の栄秀阿闍(ジャト)梨
という僧により この地の庵を結んで観音像を安置したのが始まりとか
観音様は延暦年間(782~805)弘法大師が入唐の折 海上の安全を祈願
して御丈一尺二寸の金銅聖観生音菩薩で 寺泊の観音さまといわれている

観音堂は樹林のに囲まれ海を見晴らす眺望、 美しく 整えられた
境内の広い庭 裏山が敷地とか

たまたま庭の掃除をしていられた ご住職様にお話を聞く事が出来た
なかなかお話好きで 良寛さんの話 ここでお歌 (これは後で調べて
紹介しょう) 当時の井戸もあり  ご参拝したときにご住職にお会いしたら
気楽にお話を聞かせて頂いたら

この近くは観光のルートで歩いて 船絵馬の白山媛神社や 二面神社 等や史跡あり
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密蔵院 ( 照明寺)

2006-12-13 16:50:56 | Weblog
密蔵院(みつぞういん)
照明寺の境内に良寛が生涯3度「45歳 70歳 72歳)
にわたって居住した、ここで托鉢 掃除 詠歌 など悠々自適な生活
を送ったといわれている、
山手の高台で寺泊の町 港も一望でき佐渡も 良寛は朝夕に佐渡を見て
出雲崎から出立ちに母と別れを惜しんだ 蛇崩れの岡 ことを思い出していたのかも

母にわかれを つげたれば 今はこの世の 名残とや
   つくづくと見し おもかげは  なお目の前に 
  あるがごとし (出家の歌)より 良寛


1840年に焼失, 京間造りの茶室を兼ねた持仏堂は昭和33年に再建
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