運輸省 與瀬から淺川駅ゆき乗車券

   

運輸省時代の昭和22年7月に発行された與瀬駅発行の淺川駅ゆき乗車券です。

與瀬駅は現在の中央本線相模湖駅で、昭和31410日に相模湖駅に改称されています。
一方、淺川駅は現在の中央本線高尾駅で、昭和36320日に高尾駅に改称されています。

発着駅双方共改称されてしまっていることになります。


運輸省は国鉄の全身で、昭和18111日、戦時中の海陸輸送体制を総合的に所管する組織として旧鉄道省と旧逓信省が統合され、当初運輸通信省となりました。

そして、旧鉄道省が所管していた国有鉄道の運営および民営鉄道の監督業務を鉄道総局が所掌し、旧逓信省が所管していた海運関係業務を海運総局が所掌し、同じく旧逓信省が所管していた逓信事業(郵便・貯金・保険・電信・電話)は外局として設置された通信院がそれぞれ所掌することになりましたが、組織が巨大化してしまったため、昭和20519日、通信院を内閣直轄の逓信院として再度分離され、残りの組織が運輸省として独立改組されています。


以上のような歴史的背景からして、ご紹介の乗車券は運輸省時代発行の乗車券ということになります。

しかし、地紋を拡大してみますと、不鮮明ではありますが「てつだうしゃう」地紋のままとなっており、“Japanese Government Railways”からとった「GJR」の文字も確認できます。

    (地紋拡大)

戦後の昭和2461日に日本国有鉄道(国鉄)が発足し、後年に国鉄乗車券類に使用する国鉄地紋が制定されますが、昭和18年の運輸通信省時代から国鉄になるまでの間に新地紋の乗車券が作成されることはなく、鉄道省のものが引き続き使用されています。

強いて言えば、この時代に出た「新地紋」といえば、戦時中の昭和19年に広島局で考案された「工地紋」と呼ばれる簡易地紋くらいと思われます。

地紋を見ているだけでは、あたかも鉄道省という組織が戦後まで存在し、戦後になって国鉄に引き継がれたかのように感じられます。


翌週には終戦を迎えるという昭和2085日、ED16 7号機が客車8両を牽引する新宿発長野行きの419列車が、同区間にある湯の花トンネル淺川口附近を走行中、アメリカ軍P-51戦闘機による機銃掃射の攻撃を受け、死者52名、負傷者133名という痛ましい事件が起きています。

この事件は「湯の花トンネル列車銃撃事件」と呼ばれ、現場には慰霊碑が建立されており、事実を後世に伝えています。

    (ED16型電気機関車)

当時列車を牽引していたED16 7号機は昭和55年頃に廃車となって現存していませんが、同型機は1号機が東京の青梅鉄道公園に保存されており、その他、10号機がJR東日本大宮総合車両センター、15号機が山梨県南アルプス市役所若草支所に保存されているとのことです。

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