趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
天王寺駅のC型準常備往復券
天王寺駅には、大阪環状線福島駅までのC型準常備往復乗車券が設備されていました。
当時、このようなC型準常備往復乗車券は高崎・新潟地区には比較的多く存在していたようであり、特に犀潟駅には、国鉄最後のC型準常備往復乗車券として昭和59年ころまで設備されていたことが知られています。
これは昭和51年ごろのものです。
当時、A型往復乗車券は復路券の地紋が通常と反転しているものが使用されており、C型準常備券も同じく反転地紋が使用されていました。
しかし、昭和53年ごろ、やはり当時の往復乗車券の復路券の地紋が通常の地紋に変更された時、やはりC型準常備券も同じく反転地紋から通常の地紋に変更になりました。
この券の特徴的な点として、右側に小さな活字で数字が印刷されている点が挙げられます。
たとえば、昭和51年の券についてみて見ますと、福島駅まで発行されれば往復運賃は100円となりますが、大正駅までの往復として発行すると、往復運賃は80円となります。
大正駅往復として発行された場合、上の写真に赤線を引いた、福島駅と大正駅の境目で切断します。この時、右側の数字が役立つのです。
上の写真を例にとってみますと、大正駅往復として赤線部分で切断されたとき、発売額は100円から20円を差し引いた80円にて発売されます。
右側の数字は最遠区間である100円と発売額の差額を表した数字となっており、これを見れば売上集計の時に100円から20円を差し引いた80円が営業収入であるというように集計することができます。
また、53年の券は大正駅と福島駅双方とも運賃が200円となっていますので、大正駅往復として発売されても最遠区間との差額は0円となりますので、右側の数字は0となっています。
参考として、東京印刷場製のC型準常備往復券の見本券をご紹介いたします。
東京印刷場の場合、右側の欄はあくまでも1段上(安い)運賃が印刷されており、大阪印刷場とは明らかに考え方が異なっているようです。
« 回数券を買う... | 小児断線の中... » |
片道の話になってしまいますが、営団末期に銀座や東京にあった硬券の乗車券は東京駅の小児断片の乙片には小児運賃である100の記載、銀座駅では大人運賃そのまま160と記載してありました。
印刷所というよりも駅がこのような乙片の表記を決めていたのでしょうか。
このような準常備では運賃を記載するのではなく、切断駅の頭文字一文字という例もありますね。
仰せの通り、片道乗車券の乙片の小児運賃表示について、駅ごと結構バラバラだったりします。特に、大阪印刷場のものがバラバラだったような…