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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(91) 長尾家 4

2024年05月06日 09時14分38秒 | 甲越軍記
 為景を裏切った大須賀、石田は越後国に立ち帰り、猿ケ馬場にたむろして上杉頼定に従った。
信州高梨城主、高梨播磨守は為景の婿であったので、古志駿河守秀景と示し合わせて石田、大須賀、五十嵐八郎が籠る猿ケ馬場に攻め寄せた。
しかし大須賀は勇をふるってこれを撃退した、高梨勢は崩れ黒田長門守、金津外記の勇将が討ち死にした。
古志駿河勢も打ち破られて逃走した。

高梨播磨守は、これを大いに憤り、その夜再び勢を整えて密かに間道から、石田、大須賀の陣の後ろから攻め込んだ
石田らは驚き、防戦に努めたが高梨勢の切っ先は鋭く、石田備中は討死、大須賀、五十嵐勢も散々に打ち破られ上越後(今の上越市方面)を目指して逃げた
そして柏崎の向こうの笠島に陣を張った。

長尾為景は佐渡に落ち延びて、姪の婿である羽茂三河守高信を頼って、その年は佐渡で越年した。
その間にも敗軍の兵が為景を追って佐渡に集まり、その数は七百になった
ついに為景は越後に渡ろうと思い、高梨播磨守と示し合わせて永正七年二月に佐渡の国を発った。
越後国椎谷の浜に到着した、五十嵐八郎が婿の黒島甲斐守冬房と共に為景の進軍を遮って戦うところに、高梨播磨の勢二千騎が攻めかかると前後を挟まれた五十嵐勢は右往左往の大混乱となり、高梨の勇士梨本甚右ヱ門家綱が馬を走らせ黒島甲斐守に鋭い切っ先で切りかかれば、甲斐守も豪の者であれば、これを受け止めて、互いに切っ先から火を発して攻め合う
そして互いの刃が打ち折れると、それを投げ捨てて馬上から組み合い、地面に落ちてなおも上になり下になり、相手の鎧の隙を突き刺さんと力を振り絞る

暫しの戦いのうちに梨本の力が勝り、ついに甲斐守を締めあげて生け捕りにした。
これを知った為景はなお勇を増し、その勢いのままに長尾蔵人景忠と示し合わせて柿崎大和守を一陣として進ませ、五十嵐、大須賀が籠る笠島の陣へ鬨を上げて攻め寄せた。

笠島の陣からは三百余人が城戸を開いて打って出た
その勢いは村雲なびくほどに激しく、柿崎勢もこれにたじろぎ左右にパッと開くと、これに入れ替わって後陣を進む長尾蔵人勢が攻め立てれば
新手の勢いに五十嵐勢は恐れをなし、長尾勢は勇み立った
城中に逃げる五十嵐勢に付け入った長尾勢は城戸を破り、城中に攻め入ると当たるを幸いに切りまくり五十嵐勢の討たれる者は数知れず
大将大須賀志摩守は生け捕られ、吉岡出雲守は柿崎の手の者に首を取られた

もう一人の大将、五十嵐八郎は乱戦の中を闇に紛れて、南雲浦から出羽国(山形)へ逃げようとしたが、本庄大和守房長が浜辺に待ち受けて攻め寄せれば、勢い無き五十嵐の残党は四分五烈になって思い思いに逃げ去った

五十嵐の郎党(親衛隊)江平五郎は主である五十嵐を討ち、その首を持って投降した。
長尾為景は、この初戦の勝利に「幸先よし」と捕えていた大須賀、黒田を引き出して磔にかけ、上杉の府内に攻め寄せると兵を整えた。


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