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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(185) 甲越 川中島血戦 12

2024年08月30日 09時14分24秒 | 甲越軍記
 晴信は越後勢が撤退した後も小室にて陣を構えて滞在した
その陣営に甲州より使者がやって来て申すには、敵対する信濃国伊奈の保科弾正忠の抑えとして置いた、秋山伯耆守晴近勢が保科勢と戦い、騎馬武者十七騎、雑兵二十七人の首を取り、三千貫の土地を切り取ったとの注進であった。

同十八日には中信の小笠原大膳大夫長時、木曽左馬頭義昌の勢と、下諏訪塩尻口に備えを構える武田方、甘利藤蔵、多田淡路守は小笠原勢に夜討ちをかけたが、小笠原勢は手堅く守って、これを退けた
しかし、この時、甘利藤蔵十四歳は、ただ一騎にて先立ち馬を進め、「これほどの敵に進みかねるとは恥を知れ、続けや」と大声にて呼びながら槍を構えて敵陣に駆け込み、たちまち三騎を突き倒しいよいよ進んで戦えば、これを見た武田勢は励まされて討って懸かる

小笠原方からも勇士、風間太郎左衛門が藤蔵をめがけて突きかかり両勇士秘術を尽くして戦えば、甘利は風間の槍を叩き落とし、大喝して飛び込み、風間の胸板を一槍にして貫いた
落馬した風間の首を掻きとれば、小笠原勢はこの勢いに押されて、柵の中に我先に逃げ込んだ

甘利、多田の勢これを見て勇み立ち、柵もものともせず力攻めに押し倒して敵陣内に雪崩を打って押し寄せ、首九十三級を得る
多田は、甘利の大手柄を注進した。

同二十一日、上州の上杉民部大夫憲政勢に備え、碓氷峠に構えたる小宮山丹後守昌友、浅利式部丞信音は上杉方の松井田越後守と戦い、敵首三十三を討ち取ったとの注進在り

大将晴信は小室に在りて、次々と入ってくる味方の勝ち戦の報せを聞き、大いに喜ぶ
甘利藤蔵、七、八歳の頃より尋常ならぬ者と思っていたが、流石は甘利備前守の子なりと大いに褒め称えた
それに対して、去る日に討ち死にした板垣信方の嫡子、板垣弥冶郎、今年十九になりしが良き同心、被官を多く持ちながら、親に似ぬ虚気者と機嫌宜しからず

甲州の留守を預かる諸角豊後守や小曽殿など複数より注進があった
去る十九日丑の刻、御旗屋より出火したが別当山下伊勢守が良く働いて消し止めた
不思議なのは、白い大鷹が二羽、御旗屋の上に昼夜三日の間在って、その後飛び去った、これは明神の守護したまうのではないだろうかとの注進あり
その日は、海野平に於いて晴信が景虎と初の手合わせを行った同日同時刻であったので晴信は歓喜して諏訪石清水に拝して武運長久を祈った。
この頃、信濃の領主たちは武田と長尾に挟まれて、いずれに味方するかと大いに迷い天秤にかけ、越後に味方する者あり、また鼠宿の仁科、上田の海野、浦野をはじめとして小見、会田、青柳らは武田に降参して人質を出したので、小室と内山の両城に人質を入れて二十八日に晴信は甲府館に帰還した。

この天文十六年は景虎にとって忙しい年であった、兄、晴景との合戦を勝利し、金津、黒田の兄弟の狼藉が興り、この晴信との初戦の後、越後に戻ってすぐに村松、安田、菅名を攻め落としたことは、すでに前編にて書き記した通り。




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