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神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

平和な時代、動乱の時代

2024年08月26日 19時24分32秒 | 日本史
 日本国の凡そ1500年の歴史を見ていくと、海の波の如く動乱と平和が繰り返されているのがわかる
太古の事は古い書物でしかわからないが、実否あれども、それに従うしかないが、大化の改新までは帝の強権の時代で治まっていたかと思われ、大化の改新は最初の動乱だったのだろう。

以後、藤原氏を中心に300年の平安の時代は、為政者の内部抗争があったとしても平和で文化的な時代だったのだ、そして朝廷に馬牛の如く仕えていた武士が天皇家の血筋に混じってくると動乱の時代の幕開け。

我が世の春を謳歌した平氏も、「奢れるものは久しからず」で源氏の仇討ちによって滅び、続いて源氏も三代で滅び、頼朝の女房方の、前北条氏が仲間内の内部抗争という動乱を勝ち抜いて長期政権を作り上げた
そしてまた、しばし100年余の平和の時代が訪れた

北条は天皇をも島流しにする横暴を行い、それはやがて尊王の武士団の目を覚まさせ、三度動乱の時代に突入して、北条氏を滅ぼして朝廷政治に戻した・・かに見えたが、この乱の最大の功労者、足利尊氏のまさかの反乱で新田義貞、楠木正成ら尊王武士団との間での内部抗争が始まり、南北朝の動乱、天皇政治は束の間に終わる、足利家も兄弟の死闘を経て室町幕府が誕生して、また京都を都とした華やかな室町文化が花開き、今に伝わる金閣、銀閣など多くの寺院が興った
大国、明との貿易も盛んになり足利義満は明に従った形式の中に実をとった。

平和な時代がまた70~80年ほど続き、巨大化した足利幕府の執事、守護大名同士の間で応仁の大乱が始まる、それは戦国時代の引き金となって250年にわたる日本史最大の動乱の時代に突入した。

250年かかって、ついに徳川家康によって永久の平和が訪れた、江戸時代は平安時代にも劣らぬ250年近い平和な時代をもたらした
250年の動乱のあとに、250年の平和が続いたのだから、まさに神の悪戯とも思えてしまう
しかし徳川政治は外国の黒船が砲艦外交に訪れて揺らぐ、またしても平和は破られ動乱の時代へと入る
アメリカ、天皇と公家、徳川家、攘夷と平和外交、尊王と佐幕、尊王大名が複雑に絡み合い、京の都は血で染まり、徳川幕府に引導を渡した鳥羽伏見戦、江戸開城、奥羽越列藩同盟を打ち負かし、北の果てで最後の抵抗を鎮めた函館戦争を経て明治維新を完成させた
これは武士による封建時代の終焉でもあった、帝国日本を誕生させた明治新政府は急いで日本を欧米風に改造を始めた
髷を切り、刀を廃し、幕藩体制を中央主権国家に改め、大名政治は中央政府から送られた県知事が取って代わった
しばし西郷らの内乱が勃発したが、それでも欧米風のモダンな新時代、平和な時代に突入した
明治時代は初めて大規模な外国との戦争(日清、日露)もあったが、外国が戦場でしかも内容は別としても勝ち戦だったから、国内平和は続いていた
国内は平和であったが、東アジアは動乱の時代に突入していた
そこに日本の軍隊も加わり、北京の55日、義和団の乱では日本軍が最大の兵を送って鎮圧に貢献した
これは欧米の軍隊に日本帝国も組しての軍事行動であった、これによって中華大陸に270年根を張った満州族国家、清国は滅びて、中国は欧米、日本帝国によって重要な港や都市を奪われてしまう
清国滅亡後、解放された漢人たちもまた各地で軍閥が誕生して群雄割拠の様相になった
日本国内は平和が続き、周辺の朝鮮、中国は動乱となっていた、そこに日本も加わっていたのだ
第一次世界大戦でも日本は国内は平和なままで、勝利した連合軍に加わっていた日本は、棚ぼた式に南洋諸島の管理権を得る、朝鮮国を1910年に併合して朝鮮半島を手に入れ、日露戦争で樺太半分と千島列島を手に入れ、台湾も統治と日本史上最大の国土を得たのである、まさにわが世の春であった
世界の5大大国に列したと言う錯覚、日本軍は最強という錯覚を軍や政治家だけでなく連日の報道に国民も錯覚したであろう。
そして中国北部で関東軍が動き出す、内容は書かないが満州と言う日本本土の何倍も大きな大地を支配した関東軍は自由奔放に活躍する場を得たと思われる
内地の政府や軍をも小さく感じたのではないだろうか、ジンギス汗の気分?
ついには中国全土を手中にしようという野望もうまれたか?
これが自ら引き起こした、動乱の幕開けだった
今までの動乱は日本人同士によるコップの中の波だったが、今は世界列強を敵に回した大海原の大波となった
昭和16年12月8日、日本帝国は悔いても悔いきれぬ大動乱を自ら引き起こした
得意の絶頂にあった明治維新から今日までの70年ほどの平和を経て、またしても動乱の時代に突入した
この動乱は4年足らずで終わったが、日本は主要都市のほとんどを焼かれ、人類史上最悪の非人道兵器を二発も人体実験的に受け、原爆と東京大空襲だけで非戦闘員の民間人30万人以上が一瞬にして殺された
全体では軍人、民間人あわせて350万人が死んだ、日本史上初めての外国との大がかりな戦争と云う大動乱で、日本国、大和民族2000年の誇り高い姿は消え去った。

だが、あれから70年日本は復興して世界でも稀な平和を謳歌している、一度も内外の戦争に参加せず、軍隊も無くなって徴兵もない
占領軍アメリカをバックにして、自衛隊と言う志願兵だけの組織が国土を守る。

動乱の時代には必ず英雄が雨後のタケノコのように現れ出でる
大化では蘇我氏、中臣氏、中大兄皇子などが
そして源平から徳川家康まで英雄は数多誕生した
明治維新には西郷、勝、坂本、新選組などを始めやはり百を遥かに超える英雄が出た
敗戦直後にも吉田茂、白洲次郎など魅力的な人物が登場する
平和な時代には英雄が出現することは稀だ、だから今日の自民党総裁選と候補をみれば未だ日本は平和なことがわかる
ヒットラーやレーニンのような者が出てくる時代は動乱の始まりなのだ
そう思えば大東亜戦争や太平洋戦争は、さしたる英雄も出てこなかった日本に
於いて、どうして誰が戦争を導いたかわからない?
神、天皇陛下を騙り戦争に導いたものは個人でなく政治家でもなかった、軍人さえもこれという人がみあたらない、世論が米英蘭との戦争を始めさせたのだろうか?
まだ生まれていない私にはわからない。

この先、この平和がどれだけ続くのかは知らない
明治維新後の平和は70年で終わった、今の平和は80年だ
平安時代、江戸時代は250年の平和が続いた、だが今はグローバルな世界、鎖国的な平和環境にはしてくれない
常に国際関係の天秤の中で生きている、敵も隣の豪族や大名ではない、国家を上げての戦争になる、負ければ国を失い、屈辱的環境で生きていくしかない。
我が国はたった一度の経験で意気消沈している、異民族の集合体で隣に国境線がある欧州は、2000年の間にどれだけ国境が変わり、滅んだ国や民族の数も半端ない、それが欧州人の日常、一度の敗戦で打ちのめされた日本人に、千数百年も国を失い世界を放浪したユダヤ人、イスラエルの事情は分かるはずがない
イスラエルとパレスチナの問題は長い歴史の中から起こっている、ずっと島国に閉じこもって平和だった日本人には理解できないと思う
日本人ももっと強くなるべきだと思うが、これが日本人の良いところかもしれない、世界の中で日本人は特別な歴史を刻んできたのだから
そして日本よりも何倍もゆったりとした時間を過ごしてきたのは中国人だろう
国家の危機にあっても、国を外国に奪われても動じない大国が中国だと思う
日本人は今日明日を思って騒ぐが、中国人は百年、千年で動いているように思える
中国の習近平とロシアのプーチン、日本の岸田総理を比べてみると国民性が見えて面白い、習近平はおっとりとして動かざる風情、プーチンはいつも苛立っているように見える、岸田総理は落ち着きがない。

例え話を大先輩に聞いたことがある、中国人が毎日海に数個ずつ石を投げこんでいるので聞いてみた、「いったい何をしてるのか」と
中国人曰く、「毎日石を投げこんでいれば、いつかあそこに見える島まで陸続きになるだろう」と
勝海舟の「氷川清話」を読むと、勝海舟が見事に中国人と日本人の違いを見抜いて面白い。
「平和よ永遠なれ」は難しい。



李 香蘭 (山口淑子)_夜来香 イェ・ライ・シャン (1950)




「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(181) 甲越 川中島血戦 8

2024年08月26日 10時50分48秒 | 甲越軍記
 海野平に着陣した長尾景虎は宇佐美駿河守と軍議を行い、備えを龍の丸備えとして、先陣には長尾越前守政景、(景虎の姉婿)、吉江織部、同備中守、佐々佐渡守、中条梅坡斎、二の備えには柿崎和泉守景家、直江山城守兼続、大関阿波守親益、柴田、芋川、安田上総介、三陣は大将景虎の旗本、甘粕近江守景時、上田修理進景国を旗本の左右に備え、これに続いて甘粕備前守、鐵上総介、和田喜兵衛、四陣、村上左衛門義清に信州勢これに従い、高梨播磨守宗景、色部修理亮長実、島津左京進隆久、井上兵庫介清政、五陣、古志駿河守秀景は旗本より五、六町引き下がって備えを立て、荷駄奉行には本庄越前守長繁、同清七郎
そのほか宇佐美駿河守定行、山本寺宮千代丸、斉藤下野守朝綱、加地安芸守、同右馬丞、色部一子、山村若狭守、同右京、北條丹後守、竹俣三河守を始め越後の勇将ら威風堂々と備えたり
景虎は諸軍に令して曰く、「一手限りの合戦は、わが家の法である、進むとも退くとも、他の諸将は力を合わせるべからず
二陣の柿崎らの六将は先備えの戦将が軍を破ってのち一同に進みかけて乱戦を成せ、我はこの時に乗って晴信の旗本に急に攻め討って有無の一戦を遂げん
旗本の備えたる甘粕、上田はわが軍が進もうとも少しも勢を動かしてはならぬ、備えを堅めて敵の進み来るを待て速やかにこれを討つべし
竹俣、色部、山村は横合いより敵が来たときに奇道より進んでその敵を討ち散らせ、荷駄奉行は遥かに下がって陣気を上げよ、万が一軍危うく先手が敗れ政景が討死するならば柿崎和泉守はこれに代われ」と厳重に下知した。

すでに十月九日午の刻、武田方の先鋒小山田備中、長尾方の先鋒、長尾越前、両陣互いに押し出し金鼓を打ち、鬨を上げて鉄砲一斉に撃ちかける音、天地に響き渡りすさまじく、矢は雨が降る如くに両陣晴れの戦であれば互いに一歩も引かずどっと喚いて突きかかる、四角八面に戦うありさま、いつ果てるとも知れず
武田方には小山田の組下小林三弥、一番に飛んで入り向かう敵を叩き伏せ首を掻いて引き返せば、長尾方には越前守の組下、宮田権左衛門真っ先に攻め入り、敵を突き倒して首を取る
これを双方の一番首とし、小山田勢先鋒衆先を争い死を潔くせんと討ちたてれば、長尾越前守の先鋒も我劣らじと踏み込み、穂先を揃えて挑みかかる
血の波を蹴立て、手を砕いて打ちあう形勢はまことに激しく、小山田勢は打ち負かされて崩れる
備中守は苛立って「甲越初めての戦なるぞ、後れをとって後代まで名を汚すな、無二無三に攻め込んで切死にせよ者ども」と馬を乗り回して下知すれば
剛兵なれば、これに励まされ死人を踏み越えて声を上げ死力を尽くして攻め立てれば、こんどは長尾勢が劣勢となり二町ばかりさっと引く
長尾の二手に控えている直江山城守、柴田、柿崎和泉守、安田上総、甲州勢の左に回り小山田左兵衛の備えに打って懸かる
槍先鋭く、白刃の光は電光閃くが如し、激しき事、獅子の怒るがごとく
東西に駆け巡り、南北に首を取りあう激しき攻防となる