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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(193) 甲越 川中島血戦 20

2024年09月07日 08時46分04秒 | 甲越軍記
 武田晴信は信濃で一気に勝負をつけようと小笠原、木曽、伊奈の三方面へ同時に攻めかける陣立てを決めた。

松本の小笠原には、板垣弥冶郎、日向大和、原加賀守、小幡織部正、その子小幡孫冶郎など七頭の軍団を充て
伊奈郡には、浅利式部、馬場民部少輔、山本勘助、安間三郎右衛門の四頭で大将は山本勘助
木曽へは、甘利藤蔵、内藤修理、原美濃守、曽根七郎兵衛尉の四頭、大将は原美濃守
総大将武田晴信は諏訪に本陣を立てて、三方からの報告を待つ。

甘利、内藤は木曽に向けて発向して、鳥居峠から進んで、在家を放火して習井峠を越すところに、木曽方の兵、八百騎が現れた
木曽方は中腹より矢を射かけて来たので、武田勢も鉄砲で応戦する
上から鉄砲を撃ちかける武田勢が有利となり、木曽勢色めき立つところに、武田勢はどっと攻め下りる
甘利、内藤の勇者、米倉丹後、畠野加賀、木部駿河、上泉伊勢ら我先に打って懸かる
木曽の松田、村井、神原、篠原、藤本らは押されて討ち乱され敗れる
坂を転げ落ちて、在家に入り込み、これを盾に抵抗するが、武田勢に勢いは強く、隙間なく討ちこめば、これにこらえきれず、どっと敗走する
武田勢は騎馬三騎、歩卒八人の首を諏訪の本陣に送って勝利の報告とした。

小笠原に向かった板垣、原の軍勢は、松本筋の村々を放火して押しかかる
小笠原勢は、小笠原掃部大夫、野木左衛門尉、丸山肥後守など一千五百を三手に分けて甲州勢を入れまじと短兵急に攻め寄せる
甲州勢は小山を背にして必死に戦えども、小笠原勢に押されて敗走する
小笠原勢は勇み立ち、逃げる武田勢を追って坂を駆けあがる。

板垣の組下、広瀬郷左衛門、三科肥前守、猪子才蔵、曲淵庄左衛門、上野豊後守ら歴戦の勇士は、坂の途中で踏みとどまり
「こればかしの敵に背を見せるは悪しきなり、我に続け」と叫んで逆落としに小笠原勢の真ん中めがけて攻めかかれば、たちまち敵十八騎を突き倒す
これに勇気づけられて、板垣、日向、小幡、横田、市川等もどっと返して突きかかれば小笠原勢は耐え切れず、一町ほど引き下がる。

小笠原の先駆けの将、野木備前は、味方の不甲斐なさを怒り、馬回り二十余騎で踏みこたえて、武田勢十一騎を突き殺し、壮気燦然と戦えば小笠原勢もこれを見て「野木を討たせるな」と引き返して甲州勢と追いつ追われつの接戦を繰り広げた
この時、武田勢の後ろに備えていた原加賀守の勢は、下道を回って小笠原勢の尻から挟み撃ちにせんと士卒を励まして急ぎに急ぐ
これに気づいた小笠原の将、水野飛騨守は「後方より敵来る、この道をとられればわが軍は一人残らず死ぬものと心得よ、大事の場所ぞ、踏みこらえて敵を打ち崩せ」と無二無三に攻めかかる
両軍共に、ここが今日の大事と心得て死に物狂いの戦となる。










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