神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

暑い中を抗がん剤治療

2024年09月10日 21時07分43秒 | 病気と健康
 今日は朝6時半には外の温度計は26度くらいで涼しかった、それでいつものルーティンをやってから、畑に水を撒いた。
種をまいてから、まだ3日くらいなのに一斉に発芽した、それも日陰が多いところが早い、日中ずっと陽があたっているところより温度が低いのだろう。

8時半には病院へ行って抗がん剤治療だ
三回目なのだが、三週間前には白血球、好中球が正常の最低ラインを20%も割っていたので抗がん剤治療は中止された。

待合の廊下に座っていたら、ベレー帽をかぶった小柄なおばあさんがいた
前回の時は、少し年上の高齢者だと思ったのが同級生女子だったことは書いてが、今回は完全なおばあさんだった。
「あんたは何ガンかね」と聞くから「大腸がんのS字結腸ガン」と答えたら
「切ったんかね」とまた聞いた「切りましたよ」
それとなく話の中でどうやら、おばあさんは手術しないで、抗がん剤治療だけでやっているようだ
だから回数も薬の量も多いのだろう。

時間が来て、治療室の中に入った、先におばあさんが受付した
なんと、おばあさんはまた例の同級生だった、三週間前なのに前回よりずっと齢をとったではないか
腰も曲がって、両手を大きく開いて歩いている、頭のベレー帽は抗がん剤で毛が薄くなったからだろう、前回かつらの話をしていたから
顔も一回り小さくなったし、どうみても90近い老人に見えた、ただ声だけは大きくて張りがあるから、声だけ聴けば同級生だ。

病床10で看護師さんが2~3人で担当する
看護師は一人一人に体の具合や、生活状態を聞き、血圧などチェックする
その会話は嫌でも聞こえてくるので、一人一人の病状などがわかる
今日は6人で、男5人、女1人だった、2人は軽いらしく簡単な点滴と、薬だけでチェックが終わったら帰っていった。

同級生女子も遠慮のない漁場言葉で看護師さんに「風呂に入ってびっくりしたわ、しわくちゃ、顔も何もみんなしわくちゃになって90ばあさんと同じだよ
どうしたもんだろ」
たしかに私にもそう見えた、かなりきつい治療をしているんだろうなと同情した、だけど港へ賄い仕事に行っていると言うし、声もハリがあるし、元気そうだ、さすがに五黄寅の女は強いと思った
彼女は今日は風邪気味と言うことで治療が中止になって帰って行った。

隣のおじさんは「これをやると毎日体がだるくて、何もやる気が起きない」と言った
看護師は「そうだよね、毒を体に入れるんだから」と衝撃的な事を言ったので、ちょっとびっくりした
でもたしかにその通りだ、抗がん剤は体を丈夫にするのではなく、結果的には弱らせる薬なのだから正しい
ガン細胞を攻撃するだけでなく、体の味方である赤血球、白血球をも攻撃する、だから戦死した血球は減るのだ
但し、毎日億単位で増えて、億単位で消滅していくのが血球だ、だから抗がん剤を中止すれば自然に増えていく、食べ物やビタミン剤などを摂取しても増えない。

9時45分に採血が終わり、検査に回って11時に担当外科医がやって来て
「問題ないですよ、順調です、今日はやりましょう」と明るく言った
そして今日は血液検査の結果、標準値に比べて少なめであはあるが、標準範囲の中に戻ったので、やることが決まった
但し、注意が必要なので今回は点滴の量と、抗ガン薬の量を2割減らした
CTの結果も心配していたが、特に問題がないと言うことだった。

点滴が全て(4種類)終わったら13時半になっていた
今回は抗がん剤点滴の後半から、今までより早く痛みがやって来た
今までは、抗がん剤点滴が終わって、次の生理食塩水投与の時に痛くなるのだが、今回は早い、そして今までは無かった右腕上腕筋肉まで痛みとピリピリ感が出て来た、21時の今も変わらず痛い
看護師さんが「終わりましたよ、痛みとかありませんか」といったので
右腕の痛みを言ったら、「我慢せずに途中でも言ってください、温めるとか方法がありますから」と言ってくれた
皆さんもそうだろうけど、私は戦中派の父や親方に「痛いくらい我慢しろ」と言われて育ったから、どうしても我慢してしまう
そのうちに、痛みが痛みと捉えられなくなって、(なに?この熱い感じは)とか(凍える感じは?)(ずーんと来た感覚は?)
という、感覚に置き換えてしまう癖がある。
「我慢して日常生活に支障が起きては困りますからね、それと抗がん剤で血管が細くなるんですよ」
腕の痛みや、ピリピリ感は血管に沿って起きている、触るとピリピリ、少し面白いが、そうも言ってられない。

女房殿に迎えを頼んだ、來るまでの間に近くのスーパーで安い牛肉を買いに行った、オーストラリア産のすき焼き用が安かったので買ってきたが、夕食にプチすき焼きを作った
体がだるい、頭ももやッとしているが、野菜を切って炒め、豆腐と肉を焼き、タレもオリジナルで少し甘口に作って煮込んだ、牛肉は外国産だが一人前で350円だから贅沢は言えない
和牛とは天と穴ぼこくらいの差があるが、ごく普通の晩飯は是で充分、脂身は無いし、口の中で溶けて無くならないが、割と柔らかく肉のうまみもあった。

やはり初日は暑さもあって体は参っているのだろう、これでPCやめて、22時前には寝ます。






「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(196) 甲越 川中島血戦 23

2024年09月10日 09時35分06秒 | 甲越軍記
 小幡孫治郎、齢は十六歳 馬を走らせ丸山から弓長十丈(約23m)ばかりで馬を降り、槍をとって大音声にて「小幡織部正虎盛が一子、小幡孫治郎なり、丸山殿の勇猛はかねてより耳に聞こえるところである、潔く勝負を決し、敵味方の人に見物させん」
と、遮二無二突いてかかった
丸山はせせら笑って「くちばしの黄色い小僧がさかしき振る舞いなり」と言いながら、槍をしごいて孫治郎の槍先を軽く反らした
勇猛の丸山、壮士の小幡、徒歩立ちの勝負であれば飛び上がり、潜り込んで上段下段と突き合わす。

小幡の家来、遠藤弥市に歩卒五人は、孫治郎に力合わせんと懸かれば、丸山の家来、保原源左衛門に歩卒五人は道を遮り、遠藤に渡り合う
丸山、小幡は丘の上にて芝を踏み、火花散らして戦えど、丸山の猛勢はややもすれば孫治郎を圧倒して、はやる孫治郎を圧倒する。

孫治郎は突き立てられて、腕のはずれ、肘の曲がり二か所、太股に一か所の三か所に痛手を被る
心ならず弓手の芝に突き上げられて危うき様なれば、小幡に続き、横田十郎兵衛尉が「小幡を救え」とニ、三十騎を引き連れて一文字に押しかかる
丸山は、これを尻目に見て小幡から離れて「馬引け」と命じて飛び乗ると、小幡は痛手にも屈せず走りかかり、太刀を抜くより早く丸山の右の膝を力任せに切りつければ、思いのほかの深手を受けて丸山はたまらず落馬した
「得たり」と駆け寄る孫治郎を、流石は丸山、払い切りに孫治郎の太股を切る
それでも孫治郎はひるまず、乗りかかって丸山の首を切り落とした。

丸山の家来は主を討たれては叶わぬと逃げるところ、孫治郎は深手ながらも追いかけて「汝らも主を追ってお供せよ」と三人まで討ち取る
まことに比類なき働きであった。

丸山の甥、丸山肥後守は筑前守の弔い合戦をせんと武田勢に向かったが、逃げてくる味方の為に馬を進めえず、心ならずも敗兵に押されて引き上げる。

今日、武田勢が得た松本勢の首級、百七十五級を諏訪に送る、小幡孫治郎は四か所の深手を負い、甲州に治癒の為さがるところ、諏訪に立ち寄り大将晴信に面会した
晴信は戦の様子を孫治郎に尋ね、手傷の深きを見て「さすがは織部正の子なりけり」と感状に一文字の薙刀を賜れば、孫治郎は大いに面目を施して甲州に立ち帰る
また伊奈筋へ向かった、浅利、馬場、山本勘助、安間からも首数級が届けられて勝利の報告を受けた。